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君と私の相対で通り過ぎる景色たち。 その心の速度は重力波の速度を超えて。 カミオカンデの底、君は声を上げる。 君の汗と快感の臭い・・・ 二人の瞬時の遠近に時間は液体化する。 打ち込まれた欲望は私を吐き出す時を待つ。 オリオンの近くで、私は下車した。 君はまだ、流星から降りそうもない。 君に降り積もる堆積物は私と誰かたち。 植物性の髪は動物のふりをして・・・ 君は無限回の演算を瞬時に終える。 私は白旗を上げて、肉に帰って君を待つ。 shiina ringo - honou - YouTube#!
2012.01.29
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夏。私はゆっくり歩く。猫がついて来る。私は立ち止まって、猫を撫でる。そんな日は遠く、今はストーブに当たる猫たち。 冬。外へ出ると、若いカップルがそれぞれに犬を引いて歩いている。それは冬の午後の傾いた太陽の弱々しい光に温かみを与える。 そのまんまの風景ってあるのだろうかと思う。どんな風景にもその時の自分の心の色が反映する。それは情景とか心象風景とか言う。 心が対象に色を付ける。対人的な想い出ともなれば、良くも悪くも、着色されていない人物はいない。私は自己投影とその反射の世界の住人。 物理的事実という客観、認知的真実という主観、その関係を自意識が調整し続ける。誰でもやっていること。実存とサルトルは呼んだ。 散歩のカップルと彼らの2匹の犬が私の主観を規定する。私は一風景としてたたずむ。そこには主観の限界が垣間見える。 彼らと関わった時、私は初めて息を吹き返して、社会構造の一部になれる。構造主義というらしい。実存は構造の部分集合なのだ。 一人閉じた今の私は、構造の一部としての自己を仮想するしかない。それは過去の経験という心象風景の総体としてあるらしい。 無限の宇宙空間を旅した時、人は構造の迷子とでも呼べる心境に多分なるかも知れない。私はそんな時空パック旅行中らしい。 君の乳房とヴァギナが私の正気を保つ。猫もね。欝じゃない、虚無にも陥っていない。私の心はちょっとせいて、何かを待っている。 Antonio's Song - Michael Franks - YouTube
2012.01.28
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複雑系としての潜在意識のフラクタル性・・・ それは人の心を永遠の孤独に閉じ込めるのだろうか 暗号解読不能なブラックボックスとして でも 君は簡単に私の心を開けて出入りする どうやるの? あなたもしてるよ 重ねる君の柔らかい唇 握る君の手の温もり 理性でのパスワード解読には無限回の演算が必要だ けれど一度で解く方法がある 愛というらしい フラクタル解読の無限演算を一度で解いてしまう 愛の持つ秘密って 君は分かる? へへ・・・ 松任谷由実** 輪舞曲 ~ロンド~ - YouTube
2012.01.28
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深夜のキッチン、テーブルの上に古いタオル、その上に猫が寝ている。 タオルは猫への母の思い遣り。 他の3匹は母の枕元、布団の上にそれぞれ寝ている。 タバコを買いに外へ出ると、近所の家の窓に灯りが見える。 自販機の赤ラークロングは売り切れ、仕方なくマイルドセブンを選ぶ。 大手のコンビニが周囲を取り囲んでお店の経営が大変らしい。 そんな現実が迫っては遠のく、誰もいない車も来ない静かな真冬の夜。 昼の喧騒と夜の静寂、どちらが本当の現実なのだろうとふと思う。 もちろん、どちらも現実なのだけれど、どちらも虚構のようにも思える。 刹那の永遠、至近の無限遠のように遠近感を失ったデジャブーに包まれる。 いつから、ここでこうしているのか、それは無限回+1の初めて。 そして、無限は有限と化して、私の支配下に入った。 月の光 ドビュッシー - YouTube
2012.01.28
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性の中心意識である露出興奮の充足不足、これは恋愛感情の純化を逆に阻害しているようです。日本を含む世界中の国々のすべての問題の根がここにあるようです。女性の場合の現象としては、腐女子、宝塚ファン、バレーボールファン、過剰なイケメン志向、セックスとジェンダーを混同したウーマンリブなどがあるようです。男性の場合の現象としては一にも二にもジェラス・ガイの大量生産ですね。彼らには行き過ぎた人との比較意識が元にあるようです。ジェラス・ガイがお金と性の問題の本質を握っているようです。本来、女性自身はコミュニケーションの一部として性を捉えるようなところがあるようですから。ジェラス・ガイ問題はプライベートでパブリックで命が関わるすべの行動のモチベーションを落とす原因になっています。それは愛情の純化問題と言っても良いと思います。品格と性は本来、何の関係もありません。品格論議とはジェラス・ガイ問題といっても良いと思います ジェラス・ガイ勢力は性に不寛容な女性たちを創り、その女性たちが性を品格と絡めて不当に卑しめています。あるいは、逆に芸能も含めて性を売り物にする女性を創りだす原因にもなっています。そういう現象が跳ね返って、また男性を規定する。この構造は共時的にも通時的にも言える鶏と卵です。パラダイムシフトの兆しは国内にも海外にも見えます。ですが、その変化を拒む、あるいは逆行する勢力さえいるようです。ジェラス・ガイ勢力と彼らが創った女性たちです。それは結局、文化と経済を縛る自縛の糸であり、愛情の純化問題とも社会の停滞問題とも根を同じくします。ジェラス・ガイの多い地域はアジアやアフリカに多いようです。朝鮮半島、中国、アラブの国々は典型ではないでしょうか。イスラム教のアラーの前では皆平等という教えは、時代に先駆けた先進的な思想の筈でしたが、時代の実態を無視した理想は逆にジェラス・ガイの大量生産を招いたようです。
2012.01.27
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深夜、私の時間。それは個々の様々な想いが錯綜する社会から隔離された自分だけの世界。現実なのだけれど、裸の王様でいられるような、ある意味、架空の世界なのかも知れない。それは現実逃避でもあるし、自己開放の一時でもある。 主体の自律性が本来的に持たざるを得ない他律性を可能な限り排除してみると、自身の本当の領域がはっきりして来る。構造の虜である人間の一番の贅沢、自意識の尊重という今を、私は失業療養という形で味わっているのかも知れない。 自律からの他律性の完全な排除は死を意味する。構造主義という。それは自意識を縛ばり、苦痛である場合が多い。自意識を持って生きることを実存という。実存は構造に縛れて傷つき癒しを求める。人権擁護とその拡大方向が迷子のGPSだ。 偽人権擁護派は競争を否定したがる。市場経済の競争原理はパイの唯一の公平な分配方法だ。モノを介在にするしかない現実の掟でもある。ヨーロッパの経済危機を見ていると、社民主義のあり様の歴史的な転換点に来ているようだ。 私は今、裸の王様かフール・オン・ザ・ヒルかも知れない。ある意味、これは私の深夜のセルフカウンセリングとでも。吐き出す想いの一つ一つが私の部分であり、総体でもあるような。それは個と社会の自己相似性でもあるのかも知れない。
2012.01.27
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徹夜の夜は明けていつもの朝が来た。 世間は動き出して、私は精神安定剤の眠気を待つ。 そのギャップに焦燥と不安を募らせながら・・・ キッチンでは猫がストーブに当たってる。 親ばかのようにお利口な娘だと思う。 心が少し安らいで落ち着きを取り戻す。 ネットには美人時計のポートレイト・・・ 君の細いウエストと小さめのお尻が脳裏をよぎる。 重い頭が少し軽くなって、下半身が充血した。 眠る前に吐き出そうと思う。 君は軽蔑しないよね、俺、独り者だし・・・ そして、道はつながって空気は誰かと共有される。
2012.01.26
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過去に好きだった女性に微乳と巨乳という正反対のタイプの女性がいました。比べるのも失礼で変な話なのは百も承知で敢えて比べると、私は微乳の女性により強く惹かれました。ルックスは巨乳の女性も微乳の女性も私のタイプで可愛かったです。容姿がストライクゾーンに入ってさえいれば、後は精神面の相性が一番大切なんだなぁと今更ながら思います。私もいい歳のおやじですし、その辺は分かっているつもりです。決め手は心の相性なんですね。対人恐怖のある私の場合には尚更みたいです。相性が人付き合いを決めて、それが人の世界の大きさなんだなぁと思います。 荒川河川敷のような静かな二人きりになれる場所はリラックスできて本当に好きです。素の自分を他人に見せる時の快感ということを私は思うんですね。普段の生活では閉じている心が伸びをするような開放感とでも言えば良いでしょうか。一人きりの部屋でも素になれるはずですが、誰かと心を共有する喜びは何ものにも代えがたいものです。一人の時の自分が本当なのか、人と心を共有した時の自分が本当なのか。両方揃って人の心の本当の自由はあるようです。好き勝手な一人だけの時間は自由を保証しないようです。自由と束縛のバランスの中にだけ人の自由はあるようです。
2012.01.26
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安らぎを約束事として認知世界は物理世界と対峙する。 だが、それは耐え難い退屈で個に伸し掛かる。 命の持つ潜在意識と顕在意識の関係性のパズル。 その刺激は快感を伴って旅の開放にも似ている。 だが、やがて不安は膨らんで約束事の安堵へ帰る。 その繰り返しの中にしか命の居場所はない。 世代は交代してアーカイブスにその歴史を刻む。 そして、滅びの時は常にやって来る。 その果てしない繰り返しには何の因果もない。 無限のバリエイションに有限の認知では足りないのだ。 認知は無限回の初めてとして、有限を繰り返すだけ・・・ その時世界は至近の無限遠として常に部分でしかない。
2012.01.25
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日本では抵所得層への税負担は低いといいます。表に現れた課税率では確かにそうでしょう。ですが、見えざる税とでも言える経済的な負担を考えると、課税負担の重い北欧を上回るらしいですね。 政治的な右派の土建利権グループと左派の許認可利権グループがループを描いて繋がっていて、利権の複合体を成しているんですね。その利権構造が見えざる税を作っている根本原因らしいです。 食料安全保障についての政治的な論議もないままに、市街化調整区域という市場経済からの土地の分離が行われていて、その中では許認可による共産主義のような土地開発が恣意的に不公平に非効率に為されています。 それによるその他のエリアでの地価の上昇分を税負担とカウントすると、北欧よりも日本の方が国民への経済的な負担率が高いという結論になるようです。通りで、日本人の生活満足度が低いわけです。
2012.01.25
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起きると、外は暗い、まだ、明け方だろうか。ベッドから起き上がって時計を見ると5時半頃。寝ぼけた頭で記憶を巡らせる。朝じゃない・・・階下で物音と猫の声。キッチンへ行くと猫がご飯を食べている。母は私には何も言わずに夕飯の支度・・・ 私はコーヒーカップを持って、部屋へ戻った。パッケージからタバコを一本。時間が流れ始める。 YouTubeで音楽を聞くと、どこかへ行っていた魂が体に戻って来る。ショパンの幻想即興曲を弾く女性。楽譜っていくらでも難しく書けるらしい。ある種、演奏の難解さの限界と人間のポテンシャルの格闘が見える。打ち込みなら限界はないとも想う。 連想ゲームをしばし。現代音楽へ。電気配線図のような楽譜と壊れた世界が広がる。今の私が投影されて浮かび上がる。彼らは潜在意識をイメージ化して、それをハンドリングしている。それを言葉でできないか、そんなことがぼーっと私の頭をよぎる。 無限遠にピントを合わせた操縦中のパイロットのような近視状態あることに私はふと気付く。本能が私に客観視を迫る。Evernoteはそれを拾い上げて私に突きつけ返した。 「起きなさい」母はもう言ってくれない。遠く去った女性たちが私にダメ出しをする。そして、私はただそれを受け入れるしかない。
2012.01.24
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静かな夜です。雪が屋根から時折ドスンと落ちる音がします。今日の東京の雪は水っぽいようです。我が家の猫たちも家の中で寝ています。「太郎を寝かせて、太郎の屋根に雪降り積む。次郎を寝かせて、次郎の屋根に雪降り積む」この詩はどこか遠いところ、遠い昔のようにも今近くのようにも思えます。 今、Evernoteでこの文章を書いています。ブログにアップするための日記の下書きです。いつもはWordで書いているのですが、こんな夜は何か寂しくて、人と繋がりたい想いがクラウドのEvernoteを選んだ理由かもしれません。クラウドだからといって、実質的な意味はもちろんないのですが。 世界は無限に開いていますが、物理的事実としてはその広さゆえに閉じています。更に日常の私たちは生活動線の中でしか動いていません。潜在的な人間の能力の発揮は現象として社会に提出して初めて他者に認知されます。ポテンシャルはどれくらい発揮すれば採算を取ったと言えるのか。 触らぬ神に祟りなしではないですが、気付いた分だけポテンシャルでは採算を取ることは至難の業でしょう。トルストイの民話を元にした小説にそんな話がありますよね。先回りの思考にはそんなところがあるようです。必要な時に、必要なことを、必要なだけ。鈍感力の本質かも知れません。 Evernoteに書き付けている私のこの文章も、先回りの思考とも言えるかも知れません。この2、3日、スランプです。今日はあてもなく思い付くままに単語が次の単語を呼ぶに任せて書いてみました。一人雪合戦のような大人の言葉遊びです。私の夜の落書きはこの辺で終わりたいと思います。
2012.01.24
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東京は平日の昼間から大勢の人たちで賑わう繁華街の集合体だ。何をしている人たちなのだろうと自分を棚に上げて私は想う。日本経済は停滞しているが底力はあると見るべきなのだろうか。失業療養中の私は自分を考えるとそうは思わない。平日の繁華街の賑わいは社会的な意味でのアイドリング状況の人たちだと思うから。街のそういう現象は日本社会の経済的なアクティビティー(活性度)の低さを逆に現していると想う。更に国家経済のサスティナビリティー(持続可能性)という意味でもそれはネガティブ要因であるはず。 繁華街とはお祭りの日常化の場だと想う。そこに平日の昼間から大勢の人たちがいる。理由は日常が楽しくない、それが大きな原因だと想う。仕事の現場を想うと、低所得層はルーチンワークのきつくてつまらない仕事に明け暮れる。勝ち組といわるような人たちは社内を社交の代行の場として楽しんでいる。社会のどの分野でも魂の入った仕事をしている人たちが減って来ている。エンターテイメントの過剰供給社会、それは社会の活性度、持続可能性の低さを逆説的に表している。そんな日本社会の本当の顔が繁華街にはある。
2012.01.21
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表面ヅラだけの辻褄合わせ、ファンダメンタルズの無視。 経済は悪化して、イジメは陰湿化しているようだ。 どこが新しい時代なのだろうか? 日本から始められたという守護霊様方によるお導きの新方式・・・ 頓挫している、あるいは失敗だった・・・ やり方を、その方針を変える必要があるのだろう。 責任逃れの態度に終止する日本エリアの守護霊指導層。 いい加減、人間のあり様という実態に合わせるべきだ。 理想主義の失敗は人間の共産主義の失敗にも似ている。 サンプルの標準人間としての私が悪いような私への責め。 それは理不尽この上ない実態の無視に過ぎない。 責任逃れの醜態を私にいつまでさらすのだろうか。 一時が万事、現実社会は何を物語っているのだろうか。 性の扱いに守護霊様方の根本的な想い違いがあったらしい。 私という実態は社会を反映したその一部に過ぎないのに・・・
2012.01.19
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意識がもたらすコードで世界は細分化されている。 ヒエラルキーによって立ち入れない、他我の領域・・・ でも、それには誰も気付かない振りをする。 見えない壁に違和感を感じながらも・・・ 誰もがどこかに位置する可変の4次元時空座標の曼荼羅。 でも、君は自分の位置を確認できない。 私という2人称と彼という3人称で君の1人称は出来上がる。 その関係性でさえ、第三者との相対として一時も留まらない。 月が欠けて太陽を顕にするように、欠落は主張する。 夜空を飛ぶジェット機の排気音に見上げれば隔絶する日常。 コスメで、スーツで武装する3人称複数たち。 だが、それでは壁は破れないことを彼らは知っている。 人称の三角測量として現象と意識の関係性を解読し続ける。 その時、セパレートワールドは壁抜けを誘う。
2012.01.19
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私が今服用している精神安定剤はエビリファイ、セレネース、コントミン、ベゲタミンです。 エビリファイは昨年からウインタミンに替えて飲み始めました。 エビリファイは鎮静効果よりも覚醒効果が高いようで、起きている時に気持ちが少し軽い感じになりましたが、眠りは少し浅くなったような感じがあります。 ですが、鎮静効果の高いウインタミンの昏睡のような睡眠ではなくてより自然な眠りになったような気はします。 セレネースはウインタミンと同じく鎮静効果が高い精神安定剤のようです。 コントミンは精神安定剤の副作用である筋肉の緊張を緩める働きがあるそうです。 ベゲタミンも精神安定剤なのですが、安全になった今現在の睡眠導入剤よりも睡眠導入効果が高いようです。 ですが、ベゲタミンは大量に飲むと死に至るようで、あまり精神の不安定な方には処方されないようです。 私が本質的に抱えた問題は対人恐怖なんです。 不眠や焦燥感、不安などの神経症的症状はすべて対人恐怖症が根にあるようです。 繁華街、様々な商店、駅、電車やバスなど不特定多数の人たちが大勢いるようなところでは緊張を強いられます。 慣れた人たちでも人数が増えると緊張と違和感が消えません。 二人で対面しての会話はまだ良いのですが、3人以上になるとほとんど聞き役ですしね。 ドライブでも、他の車のドライバーへの対人的な意識なのでしょうね、本当に気を使ってしまって疲れます。 対人恐怖症は社会生活ではすべての場面で付きまといます。 もちろん、ブログでもそうなのでしょう、日頃の気持ちの鬱積を晴らすように書き過ぎてみたり、かと思うと急に尻込みをしてみたり・・・ 上記のような傾向はどなたにでも多少はあるのでしょうが、私にはそういうところが顕著なようです。 私の孤独な生活の根本原因は対人恐怖傾向が根にあって、それが元で神経症の症状を引き起こしているようです。 私の精神神経科での病名は統合失調症になっています。 それは守護霊様の声のせいなのですが、これは幻聴などというものではありませんしね。 守護霊様とは対話をしますし、私の知らない知識を与えていただいたりもします。 私の精神的な問題点の本質を悟らせていただいたのも守護霊様のお陰ですし。 私の潜在的な能力をスポイルしていたのは、半生を通して続いていた寝不足状態の生活習慣だと守護霊様に指摘されました。それは対人的な緊張感から明日を忌避するような意識が元になっていたのですが、根は対人恐怖なんですね。 この数年の失業療養生活中、ブログサイトという場で文章を書くことによって、私が本来持っている能力や知的志向を、私を誤解されていた他の守護霊様 方へ説明あるいは証明させていただいているようです。 今現在の昼夜逆転生活は、実は、私の自前の病気の症状ではありません。 夜間の私の守護霊様と私との、ある種、漫才のような対話によるものです。 実はそれも、私の人となりや私の本来持っている能力、適性などを他の守護霊様に向けて説明あるいは証明する意味があるようです。
2012.01.18
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起きると外はもう暗い。コーヒーとタバコで目を覚ます。世界時計に私は戸惑う。でも、私のローカル時計は唯一。 どこにもない絶対基準というトリック。関係性という相対で私は出来上がる。だから、自己は決して完成しない。 それは至近と最果てが共存するパズル。クリアな矮小と曖昧な広大の錯綜。他律的自律というアスペクト。 ストーブの前に猫たち。ひろ、起きるの遅いよ、パズルで遊ぼうよ。ピースの欠片は観葉植物に水をやる。 ネットでは自己演出の群れは賑やか。それは影に怯える同胞たちの祝宴。いつかのストリートに似ている。 逆相の蜃気楼への意識が私を縛る。自縛を仕掛ける君のデジャブー。それは巡る季節の堆積物からの暗示。 神は何に祈るのだろうとふと思う? 自己完結のメビウスだけが知っている。神も無限回の初めての奴隷でしかない。 刹那、普遍に触れる時、ヒエラルキーという他律は消失する。私は遠い蜃気楼をまとって透明な虚無になる。
2012.01.16
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ジェンダーでいう男性と女性の違いって何でしょう。モノを介在にしてしか存在できない現実社会ではマネーを動かす能力でしょう。労働の場、あるいは消費の場では自然性別が女性であってもジェンダーでは男性なわけです。それを自然性別が主役の恋愛や家庭にまで持ち込むと男女関係はギクシャクするわけです。フェミニズムが頓挫した最大の原因です。 天国での守護霊様方にとっては、モノもマネーも意味がありません。情報がすべてです。その情報の根幹を成すのが人物の持つ意識で、すべての価値はそこに還元されるようです。愛をベースにする時、知識は最高の効率で吸収されるようです。怒り、憎しみ、妬みなどが知性を低下させるのは日常私たち人間にもよくあることです。守護霊様方も同じなんです。 知識と意識は違います。知識とは簡単に言えばただの記憶です。それに価値を与えるのが意識です。意識とは欲求体系だといいます。欲求体系がただの記憶を整理して価値あるモノにする。ただの物知りとインテリの違いと言っても良いかも知れません。守護霊様方の記憶力は完全ですが、個人差は意識がもたらす。枯れた無欲は、無能と同義語のようです。
2012.01.15
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その時だけ上辺だけの社交辞令に明け暮れるカルテル集団と化した守護霊のドライさには驚かされる。組織化とカルテルを履き違えている。数集めだけの利権パーティーはどこかの国の政治家だけにして欲しい。ブログでのフォロー、フォロワーとは皮肉な呼び名だ。今のままでは守護霊様方に命の番人の資格はない。ただの人間の寄生虫に過ぎない けれど、自覚のない羊を責めても意味がない。羊を誘導する牧羊犬の質が問われている。その犬たちが学習中の問題児らしい。私はその調教を手伝わされている子供だろうか。羊には蹴られる、犬には噛まれる。そして、報酬なし、治療費なし? 守護霊は厚顔無恥、無責任、薄情・・・それでいて人間にはプライドが高い。一言で言うと嫌なやつらだ。
2012.01.15
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長い間、ブログの更新がないままになっていたブロ友さんが亡くなられたというお知らせが届きました。病気療養されていたので、もしやとは思っていたのですが、現実になってみると本当にショックで思わず涙が溢れました。生老病死に関しては人間というのは本当に無力なんだなぁと改めて思います。ブロ友さん、私の数少ない知り合いの死、不謹慎かも知れませんが、私には数万人の死に値するようです。
2012.01.14
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マネーメイクというのはいかに人を集めるかに掛かっているようです。ブログサイトはそういう意味では人集めの絶好の場のわけです。人が集まると、お金の流れができる。それはすなわち商売につながるわけです。言い方を変えれば、ブログサイト経営というのは、かなり公的な性格を持っているようです。 今回の楽天ブログサイトのシステムの一部変更では、ブロガーには何の相談もなかったわけですが、一民間企業の経営方針の変更では済まない民主主義の本質が問われているようです。公序良俗に絡む禁止ワードの設定や写真など、猥褻の定義についてもオープンに決定されるべきだろうと思います。 歴史的にはほんの少数のマスメディア関係者や行政権力によって独断的にトップダウンとして社会通念は決定されて来たのかも知れません。そこにボトムアップが加わる形で、デファクトスタンダードとしてコモン・センスがオープに、なおかつ明確に決定される社会がすぐそばまで来ているようです。
2012.01.14
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私は東京生まれ東京育ちの神経衰弱患者として、今はレンゲもカエルも消えた足立区という田舎最前線のローカルエリアを棲家として猫と暮らす。 外出先、携帯メールを打ちながら人通りの多い繁華街の歩道をするすると歩く女性。私は前から来る人達を右へ左へと身をかわして神経を磨り減らす。 他者との擦れ違いを最初から前提にした来訪者の群れの街は日常をお祭りと化す。私は自他境界不全的に自律と他律のバランスを崩して心を揺らす。 思えば遠くへ来たもんだと中原中也は謳い、遠くへ行きたいと永六輔は作詞した。そんな遠くが直ぐそばにある東京ローカルのグローバルとのせめぎ合い。 東京、誰の地元でもない異邦の空間として迷路を提供し続けている。君が突然表れて、帰ろうよ、と手を引っ張ってくれたらと私は想う、でも、どこへ?
2012.01.13
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ミッフィーとキティがごっちゃになって、今ネットで調べて想い出しました。キャラクター商品の影響力の強さを改めて感じます。バーチャルならいいのですが、たま駅長やホワイト犬など、過剰な擬人化が逆に動物虐待にならなければ良いなぁと思います。カワイイには色々な意味で無防備になるのが男女とも人間ですからね。 今、ジャパニーズカワイコちゃんカルチャーは、アニメやゲーム、映画などを通じて、サブカルチャー的にではありますが、韓流を始めとした海外への影響が大きいようです。そのエッセンスは教室の中の対人関係が元になった学校文化のようです。そこにはジェンダーとセックスの理想のバランスが描かれている場合が多いようです。 社会でお金を流通させている時には、ジェンダーという社会性別では男性です。ジェンダーとセックスという自然性別は必ずしも一致しません。ここで問題なのがその不一致を私生活にまで持ち込むことです。そこではセックスで向き合うべきです。ジェンダー的平等とセックス的平等のウェルバランスを描く日本流が世界で受けている理由です。 ただ、現実ではまだまだ、その混同が社会を支配しているのも事実です。日本の若い女性たちが中心になって立ち上げたジャパニーズカワイコちゃんカルチャー。男性も巻き込んで、世界に深く静かに浸透して行っているようです。そのアキバを中心にした勢力と渋谷のナンパ文化勢力の対立はある意味、世界の先行きを表しているようにも見えます。
2012.01.13
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ヨーロッパの旧市街地は、3、4階の中層建築が多いようです。それは中世においては、地価が日本の都市よりも高かった証拠です。そしてそれは、民主的な意味での市場原理が働いていたということです。対して、当時すでに人口ではヨーロッパの諸都市を凌いでいた江戸では低層建築が圧倒的に多かった。貧しさと地価の安さがベースですが、徳川幕府という権力によって市場経済の競争原理が阻害さていたことも示しています。 今という時代では、市場への社民主義的な行政の関与を除けば、地価が上がると建築物は高層化します。これは唯物史観的な現象です。過ぎたる社民主義的な関与は市場経済を損ねるということを考える必要があります。そういう意味では、今の東京はその経済力と高い地価を考えると、不自然に建築物の高層化が遅れているようです。固定資産税の運用方法や路線価という不合理な方式で地価が左右されることが原因のようです。 あまりに高い地価は郊外を発達させるわけです。ですが、日本の都市部の郊外は市街化調整区域として塩漬けにされたまま、都市部もラッシュがなければペイしない公共交通など、歪んだ内圧を高めたままです。日本は人口密度が高いという現実を踏まえて、食料安全保障も含めた土地利用の国民的な議論が必要なようです。市場原理の分析方法として唯物史観は有益です。共産主義と唯物史観は本来関係がないと私は思っています。
2012.01.12
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私はちょっと長めのブログ記事を書く時には、1、2時間、掛かる時もよくあります。暇人なのがバレてしまいますね。私はブログ記事をアップする時にはその長さと同時に、行間の幅、箇条書きにするか原稿用紙風で行くかなどレイアウトも気にします。 ですが、ブログサイトにアップするために一気に書くような文章の長さについては、あまり気にするまでもなく人間の持つ自然な集中力と持久力という生理に従って書けば、読み手にとっても生理的に程よい長さになっているはずだろうとは思います。 文章のレイアウトにもよるでしょうが、異常に長い文章のブログが時々あります。それで内容も濃かったり、写真まで付いていたり。そういうブログに仕上げるためには、どれくらい時間を割かれているのか分かりませんが、私には人間業とは思えません。 論理的な展開力を含めた記憶力が人間離れしているようなブログもありますね。たまに書くなら分かりますが、毎日毎日、朝飯前にやっつける、そんな方もいらっしゃいますし。私は正直、守護霊様がブログを書かれていることを薄々知っていますけれどね。 プロバイダー料金は支払われているのでしょうか。放置ブログという空き家の占拠状態なのかも知れません。私は特に文句はありません。ただ私のパソコンが妙な挙動を示したり、情報による神様囲いによって私を人間から遮断するという権利侵害は許せませんね。
2012.01.12
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結果の出ない方便は、ただの嘘としか言いようがありません。方便とはストレートに表現しても、まだ精神的な準備ができていない人たちへの間接話法なのかも知れません。 守護霊様はその方便をよく使われますね。ですが、それが暫定的な便宜性であることを忘れてしまって、ご本人が方便を信じてしまうようなところはないでしょうか。 方便とご自身の真意を一度、整理する必要はないのでしょうか。結果の出ていない嘘に成り下がってしまった方便の残骸としての現象が人間社会には溢れているようです。
2012.01.11
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無限は全体よりも要素の方が、濃度が濃いと数学者は言います。それは物理学的には複雑系の作用を表しているようです。無限の中では他者同一性という不可思議な現象が起きるようです。つまり、ちょっと違う近似値としての自分が無限に存在する。それが哲学論議ではうやむやになっていた可能世界の正体のようです。ですが、それは自分のクローンが無限に存在するようなものです。実存する存在として自意識を持って生きる主体にとっては、あくまでも他者に過ぎません。 自分が自分である理由、それは答えのない問です。守護霊様にとっても、それは人間と同じなんです。守護霊様とは、人間が想い浮かべる万物創世の唯一絶対神ではないと私は結論します。ですが、守護霊様の声を聞いて対話して、私の知らない知識を授かり、知恵を与えていただいている者として、私は守護霊様を信じています。ですが、彼らは人間が想うような神ではないという意味で、私は無神論を強めています。守護霊様自身が実は、無神論者であるという皮肉を守護霊様との対話から私は感じ取っています。 生命進化の普遍性ということにおいて、守護霊様とは命の頂点であり、逆に言えば、命が持つポテンシャルの物理的限界の存在です。他の惑星の人間型生命を宇宙人と呼ぶなら、守護霊様はそうではありません。文明の進歩が可能にした技術的な裏打ちのある命の記述方式でその存在は可能ではあるようですが。惑星の生命世界を下部構造と呼ぶなら天国世界は上部構造と呼べば良いでしょうか。二つは対を成して生態系を形作っています。宇宙では有り触れたことのようで、神とは惑星文明での期間限定の方便のようです。
2012.01.11
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神の認知範囲はとうに超えて、虚無の冷徹にすべては閉ざされる。 ここはヒッグス粒子の助けを失った時空でさえないただの空(くう)。 ビッグバン宇宙の外に広がる無限の漆黒の闇・・・ 彼は今その一部として無限を呼吸する感覚に心の涙は溢れる。 私を物理的に記述するすべは何もないと彼は想う。 じゃあ、私は誰で、この独白は誰のものなのだろう・・・ (自我から解放された真の自由は真の不自由でもあるのかな) どこからか声が聞こえたように彼?私?は想う。 高校生のくらいの女の子の声だったような・・・ まあいいか、私は万年筆を原稿用紙に走らせて、お話を進める。 神様の寝言かも知れないと、私は作者として彼に思わせる。 私が語るファンタジックSFはこれでお仕舞いのはず・・・ 幼稚園のゆみちゃんはこのお話怖いとその夜オネショをしました。 ごめんね、ゆみちゃん。この童話、R指定ね、と保母さん。 そうか、小さい子には怖いかも知れないな・・・ (あったりまえ) 現実がマトリョーシカ構造だったら怖いよね。 休み時間の教室で女子高生数人が雑談をしている。 本の中のゆみちゃんには無理だよね、でも可愛い。 でもさ、あたしたちも、この本の登場人物だったらどうする・・・ あたし、作家、ブッ殺してやるかも。 けれど、作者も他律的自己として、その本の中の登場人物に過ぎなかった。 じゃあ、俺は誰だ・・・ あなたは? Françoise Hardy - Comment Te Dire Adieu? (Français / Español subs) - YouTube
2012.01.10
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自分が本当に食べたいものを、食べたい時に食べるような食事をした時には、満足感が違いますよね。理想論かも知れませんが、そういう食事の仕方をしていると、逆に過食が避けられて、太りにくいような気もします。性欲や睡眠欲もそうかも知れません。 イマイチの欲求充足が、逆に過食や浮気、夜更かしなどを招くような気もします。親から躾けられた節制などの中には、愚かな逆効果の勧め、あるいは常識の嘘のようなことはないでしょうか。医学的な合理の目でそうした伝統を見直す必要性を感じます。 伝統に盲従する、これは悪です。良い習慣は継承すれば良いし、弊害のあるものは改革すれば良いわけですが、文明というのは、マネーストリーム上の体制派が抵抗勢力になるわけです。それは唯物史観的にも言える社会現象ではあるわけですが。 政治的な改革で重要なことは、体制派の既得権を保護しながらそれを行う必要があるということです。共産党革命、イスラム革命など、革命という政治改革は皆、既得権を無視するようです。その後の社会発展は経済的にも民主主義的にも停滞しますね。 欲求の不十分な充足は、個人のレベルでも社会という集団のレベルでも過激な逆行動を呼ぶ時が多いようです。煩悩の否定に合理的な理由があるのかどうか、ある意味、偉大な煩悩の国であるアメリカを批判する前によく考える必要があるようです。 正直な人間の意識と既得権を持った体制派の因習との戦いとも言えるかも知れません。それは唯物史観です。人の意識は経済に翻弄されて、社会というのは必ずしも人の正直な意識を反映しないようです。人が本当の人になる、簡単なようで難しいようです。 バッハ 主よ人の望みの喜びよ - YouTube
2012.01.09
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私は今、失業療養生活中の身で、社会的にはモラトリアムです。利害関係のない気楽さで、何にでも首を突っ込むようなブログを書いていた時期がありましたが、それはキリのない徒労のようでした。男性が陥りやすいワナのようです。 社会生活で個人は何にどこまで関わるべきなのか。素人はアーキテクチャーを知って、後は専門家に任せる、それで良いと思うようになりました。専門家による代理人システムの拡充が衆愚を避けた民主主義を育てるのだろうと私は思います。 そこで大切なことは、自分の意識に基づいた他者との関係性への自覚です。必ずしも、利害関係だけとは限らない情緒的なあり様とでも言えば良いでしょうか。まず気持ちあり。社会の求心力のベースは意外に単純な構造から出来ているようですから。 CHAKA KHAN - I feel for you (1984) - YouTube
2012.01.09
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私は相変わらず昼夜逆転の生活が続いています。今日は午後遅く起きてからずっと頭が重くて調子が悪いんですよね。ブログを覗くと、12日の楽天の足跡機能廃止をにらんで、楽天プロフィールでは活発な交流が始まっています。対人恐怖傾向の強い私は及び腰です。今日は体調が悪いことも手伝って目が回るような感じさえ受けました。希薄な人間関係の私の現実生活とネット上での人付き合いとのギャップに、最近、戸惑いを覚えています。ブログでの私は偽りではありませんが、かなり背伸びをしているようなところもあります。調子が悪い時の自分も自分です。逆にそういう時にこそ自分の本当の実力が垣間見えたのかも知れません。あくまで現実での人付き合いのあり様が本番です。ネット経験から感じる自分らしい人との距離感、大切にすべきなのでしょう。
2012.01.09
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夕方、車でガソリンスタンドへ灯油を買いに行った帰りに、ホームセンターに寄りました。昨日迷って買うのを控えたクッションをやはり買うためです。アイデア商品ですね、そのクッションはちょっと変な形をしています。擦り切れた古いクッションと取り替えて今使っていますが良い感じです。昨日あったノーマルタイプのクッションはもう売り切れていました。私は自分の選択で良かったと思っていますけれどね。 デザイナーさんの発想に基づいた一見妙なアイデアの具現化、それを商品化するための経営陣の意思決定過程のドラマ、そんなことを漠然と想います。生産とは消費者のための欲求の充足ですよね。ホームセンターにはそんな人間の欲求に基づいた夢としてのデザインとその商品化の過程が垣間見えるようなところがあります。それは現実と夢の交錯のように私には感じます。 現実って何なのでしょう。自然、人工、含めて現実です。時に人間は自然さえデザインします。そのデザインの際限のなさは何を表しているのか。それは欲求なのでしょうね。個の欲求の限りなさは他律的にしか抑制できないわけです。自律の持つ虚構性に私は想いを馳せます。自他の境界で起きる様々な出来事、それが世界です。自律とはあくまでも、他律的自律なんですね。それが個の自由の範囲でもあるわけです。
2012.01.06
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普通とか常識って何なのでしょうね。社会の様々な局面でそれが揺れている時代のようです。普遍の継承だと思っていた伝統が実はそれほど歴史のあるものではなくて、因習のような不都合さえ秘めている時が多々あるようです。 社会の様々なサービスやモノは命へのアダプテーションとしてあるべきだろうと私は思っています。命のあり様を補佐するような本質から外れたものをギミックと定義するなら、今という時代の日本社会にはギミックが満ち溢れているようです。 ですが、なまじっかの本質論は原理主義の愚かさに陥ることがある。本質論とはパラダイムの産物なんです。それを超えた本質論は逆にギミックに陥るというパラドクスがあるようです。つまり、便宜性や妥当性とはある意味、本質なのでしょう。
2012.01.06
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無限回の初めてのように君と私は見詰め合う。 君は私に組み敷かれて、至近の無限遠にフォーカスする。 刹那の永遠、私は魂を漏らして君の中に脈打つ。 君は影を吐き出して、世界を色付かせる女を顕にした。 タバコの紫煙は絡まって無限の中の唯一を垣間見せる。 エントロピーに反逆する今という特殊性を思う。 他律的自律としてしかあり得ない命の相互証明。 理由なき存在はその時初めて意味を持つのだろう。 だがそれは、複雑系の魔術を制した錯覚なのだろうか。 裸でコーヒーを煎れる君のお尻に私はまた大きくなった。 愛は保存できない複製も効かない唯一でありすべて。 その不思議は時空の彼方の誰かの忘れ物かも知れない。 Adult Children ~ Lacrimosa Requiem k.626 :Mozart - YouTube
2012.01.05
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今、ちょっと車で買い物をして来ました。私の車のファンカーゴちゃんは純正マフラーなのですが、静粛ながらもリッチサウンドを響かせて気持ちのいいドライブになりました。車検の時に交換した新しいタイヤの感触もまだまだ顕在です。 ホームセンターではチラシの猫缶を買ったついでにニット帽を買いました。昨日、床屋さんへ行って伸びて爆発していた髪の毛を短髪にカットしてもらいましたから、これからの季節の必需品です。椅子のクッションは見送ったのですが、今、気になっています。 明日、そのクッションをもう一度見に行こうと思います。アイデア商品なのでしょうね、ちょっと変わった形をしています。値段は数百円です。私の椅子のクッションは擦り切れて、寿命が来ていますし、多分買うと思います。 その帰りにセブンイレブンへ寄りました。ハンバーグとスパゲティーがセットになったお弁当とショートケーキを買いました。今、冷酒を飲みながら食べました。美味しかったです。デザートのショートケーキはこれから食べます。 いつものレジに一人可愛い女性がいます。コンビニの店員さんらしくポーカーフェイスです。ヒップの小さなスレンダータイプ。私は意識していますが、私もポーカーフェイスを装います。詰まらないプライドと羞恥心の結果です。 日常のさり気なさの一つ一つが私にとってはリアリティーです。それは対人恐怖が私にもたらす生き難さの反面の新鮮な感動です。些細な出来事、人間が珍しい。街で見掛ける女性のそのホスピタリティー、手を伸ばせば届きそうで届かない都会の魔防・・・ そばにないものは存在しない、それは良くも悪くも野生のリアリティーです。文明とはないものを想像して手に入れたいと願うことから始まる、そんな想いが喚起された夕暮れの私の街での買い物&ドライブでした。 Lady Gaga - Poker Face - YouTube
2012.01.05
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男は負けてはならぬ、私はそう認識を新たにする。 負けてナンボの女に感化され過ぎてはならないと思う。 でも、女に愛想をつかされる時、男は終わる。 femaleの現実認識にmaleは依存する。 男という現実遊離の派生種は模索を繰り返して彷徨う。 Female、そのプロトタイプとしての命を生む確実さに現実はある。 スーパマーケットで翁と嫗の孤独の風景を垣間見る。 対する、お子様連れの熱気に明日は始まる。 繰り返す、正月という休戦協定の私の街に夕暮れは迫る。 実働部隊は繁華街へと歩を進めて、後方は手薄だ。 私はフラドポテトに触手を伸ばして君は遠ざかる。 それはヴァギナから遠ざかった後方駐屯地の安らぎと閑散・・・
2012.01.04
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パッケージから一本、タバコの香ばしさを確かめます。ターボライターが青い炎を吹き出して、タバコの先端から紫煙が踊ります。君のくびれたウエストのようにツイストして、無限の時をもってしても再現不可能な複雑系を私に見せてくれます。それは力の釣り合いとして起こります。ヒッグス粒子の魔術です。時空の生成と消滅には質量が決定的な役割を果たすと言います。でも、今、想念を駆使して、その可能世界を選り分ける私が世界の創造主です。その時、紫煙の君はいつかのように脚を開いて、ヴァギナを私にさらします。 ボレロ :ラヴェル / Bolero :Ravel - YouTube
2012.01.03
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王様の耳はロバの耳・・・どこへ捨てようか、この想い・・・ 思い上がった寄生虫。守護というたかりの口実。 愛の薄い、偏狭な心。知性は私以下でしかない。 感謝を強制する厚顔無恥。守護霊とか言うらしい。 信仰は否定しない。でも、それは守護霊とは別。 宇宙という無限・・・認知の無力、素朴な畏怖。 彼らが人知の範疇にある意味。認知の同一地平にある限界。 立場の越権に横暴は絶えない。命の自己同一性問題に彼らも答えはない。 彼らが神ではない証拠。信仰の対象にしてはいけない。 ソウルドラキュラ・・・今、モンスターが闊歩している。
2012.01.02
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ソウルメイト、その本当の意味は意識の多寡とそのパターンの似通った人たちのことを言うそうです。ですが、生きている内にソウル メイトを自分だけの力で見付けることはまず不可能だそうです。それには、守護霊様方のお導きが必要なのだそうですが、そういうお導きを受ける人たちはある種のお役目を帯びた特別な人たちで、必ずしもラッキーとも言えない運命を背負うそうです。 意識の多寡とそのパターンとは、認知主体にとっての究極のアイデンティティーなのだそうです。心の指紋と言っても良いそうです。 これは個性であってお互いにフィーリングとして通じ合う人たちが本当の仲間らしいです。必ずしも知識や教養とは関係ないそうです。 経済的な状況や、学歴、社会的地位などは必ずしもあてにはならないといいます。 天国でのグループ分けの基本はこれを元にしているそうです。キリスト教ではイエス・キリストをONEとも言いますね。救世主のこと です。そのONEの本当の存在意義は、ソウルメイトを作る時の意識のあり様の基準の提供にあるらしいんですね。その基準は人間界はもち ろん、天国社会でのグループ編成にも利用されるという役目があるようです。 ONEにはPreONEとNextONEがいるそうです。お釈迦様はPreONEで、キリスト様がNextONEだったのだそうです。PreONEは同時代の現世では 選ばれた少数の人たちしか知らない存在です。NextONEは表舞台で脚光を浴びて、人間界に影響を与える存在です。ですが、意識の基準と しての地ならしは、PreONEの仕事なのだそうです。それはまず天国社会での守護霊様方のグループ分けを担うのだそうです。 今、PreONEは、人知れず戦っているようです。天国社会のソウルメイトグループの再編には抵抗勢力が必ずあるからなのだそうです。 その辺は人間社会の政界再編に似ているようです。NextONEの登場は、300年後のアメリカからだそうです。その時には、準備が整った守護霊様方のお導きを受けて、人間界でもソウルメイトグループの編成が始まるようです。
2012.01.02
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因果、それは原因と結果の複雑系的な非論理関係。でも、明らかに自分に原因のない結果を負わされるとしたら。そんなことを人間に仕掛ける集団がいる。 自分で火をつけておいて、自分で消して恩を売る。こういうのをマッチポンプとか言う。人をモルモットに仕立てる時の守護霊の常套手段。 守護霊にとって、人間は実験動物くらいのものらしい。さくらだよ、本当は味方だから・・・実害を与えておいて、そんな態度を取り続ける。 彼らの人格的問題なのか、それが認知世界の本質なのか。助けることに関しては本当にケツが重い、動かない。応援しています、頑張って? 言葉だけ・・・ 私にとってはただの厚顔無恥な障害物たちの態度。嫌がらせは実力行使するくせにね。彼らの質の低さは生きていた時に原因があるらしい。 心ある守護霊様方ももちろんいらっしゃるようだ。ピンキリということらしいが、キリの多さ。アクシデントを別にしても、人間社会から災いがなくならないはずだ。 善因善果、悪因悪果? 現実、そうはなっていない。例えそれが、複雑系的な認知力学に還元されるとしても・・・私が置かれた今の状況に、納得などいくはずがない。 Lady Gaga - Bad Romance - YouTube
2012.01.02
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今、午前3時少し過ぎです。弟が車で帰って来ました。私はずっとブログサイトを見たり、ブログ記事のアイデアを練ったりしています。テレビは見ません。ラジオも夜は聞かないですね。夜の一人の静かな部屋にデスクトップパソコンの冷却ファンの音がうるさくて、その排気の風がキーボードを叩く手に冷たいです。でも、電気ストーブを足もとに置いてあるので寒くはありません。 ブログにアップする一つ一つのブログ記事が、私という人間の心のレントゲン写真を毎日、紡いでいるのでしょうか。その記録を誰かに見せるあてはありません。また元気になって彼女でもできたら、私のブログを見てもらうかも知れませんが、実は私のブログは友達にも教えていませんしね。ですが、内緒というにはプロフィールには住所、実名以外は正直に明かしていますが。 私がブログで書いているようなことは、現実生活では誰とも対話したことはありません。普段の私を知っている人たちは、ブログの私をきっと別人だと思うでしょう。私もいい歳のオジサンとして社会に適応して今を生きるという現実認識はあるつもりです。ただ、我ながら、ブログの内容と普段の自分とのギャップは大きいと思います。アイデンティティの確立には女性の力が必要なのでしょう。
2012.01.02
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この文章はEvernoteで書いています。ブログにアップするための下書きです。いつもはWordに書いてからブログサイトにアップして、それをEvernoteに保存しています。今、私にとってEvernoteは、ブログサイトにアップした私のブログ記事の収蔵庫にしかなっていませんが、Evernoteの最大の特徴はクラウドだということです。オンラインストレージによって、ハードディスクが突然故障しても記録は残るわけです。その他にもMobileとの連携でEvernoteは真価を発揮するようですが、私はまだそこまでEvernoteを使いこなせていません。 私はブログサイトに残した記事は自分史だと思っています。パソコンの故障はハードディスクをやられることが多いですよね。ブログサイトも一種のクラウドです。ブログ記事につけた写真やリンクを貼ったYouTubeの音楽などはクラウドとして守られるわけです。クラウド的なパソコン使用はこれから益々、盛んになるでしょう。個人のパソコンは身軽になり、最終的にはモバイルノートが復活するはずです。スマホやタブレットPCが流行っているのは過渡的な現象だと思います。無線通信速度の関係で今のMobileもビジュアル情報には難があるはずですから。
2012.01.02
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今月の12日で廃止される楽天ブログの足跡機能はリアルタイムで訪問者が表示されるようになっていますよね。リアルタイムで何回でも足跡が残ってしまうというのは、自分が相手先に訪問する時には気を使います。逆に自分のブログへの訪問者を確認する時には、管理人にとっては、うれしい機能ですね。ですが、それがアダになってスパム的な足跡でいっぱいになってしまう現象を引き起こしているわけです。 足跡機能を充実させようとすると、スパム的アクセスが増える。結局、その原因は個人認証の問題です。オフラインではクレジットカードを始めとして運転免許証など個人認証が厳しくなって来ていますよね。この先、ネット上の情報に関してもスパム対策のために個人認証は厳しくなっていくのかも知れません。オフライン、オンラインに限らず匿名性から来る自由と個人責任のバランスの問題ではありますね。
2012.01.01
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明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。 明けない夜はない、時は物理的事実として冷徹に進みます。ですが、心は必ずしも一緒に時を刻みません。それが認知的真実という影の車なのかも知れません。運命って平等ではありませんが、普通は良くも悪くも自然です。それが誰か他者の意図だったら・・・それが映画「マトリックス」の世界でした。 自律と他律のバランスの中にだけ認知主体の世界は辛うじて存在します。自分が自分である理由なんてないのですから。それは他律を借りて初めて定まります。完全な自由とは完全な自律で可能になります。ですが、それはフィクションです。他律の無視とは自律の無視でもあるわけです。自律の持つパラドクスです。 時空の中では、一見静止したように見える物体も、その軌跡を図示すると、スパイラルという動を現します。静と動、一つとっても常識の危うさが伺えます。それはパラダイムの目隠しと知との戦いの一つの例です。パラダイムとは、原理の通用する範囲のことです。世界はまさにパラダイムの目隠しで満ちています。 ボレロ :ラヴェル / Bolero :Ravel - YouTube
2012.01.01
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私は、数年前から左の側頭葉が微妙に膨らんで来ているんですよ。私の守護霊様によると、天国から照射されるマイクロ波で脳腫瘍の手術を受けているようです。なぜ側頭葉が膨らむのかというと、脳腫瘍を切除しながら同時に減った分の脳細胞を補うために脳神経を伸ばしていると言うんです。そのスペースを確保するためらしいんです。それは脳細胞が減った分以上に脳神経を増殖させて、私の記憶力をアップさせて、知能を高めるためなのだそうです。私の実感としては、記憶力が良くなったとか、頭が良くなったような感じは特にありません。痛みのような自覚もありませんし、私も唖然としています。それが、どこまで事実なのかは、私の知る由もありません。 それから、左腕の肩に近いところにホクロがあったのですが、ある日から段々、イボ状に出っ張って来ました。これはメラノーマ(悪性黒色腫)ではないかと思ってゾッとしたのですが、ある朝、起きてみると、ポロッと取れていて、穴のような痕になっていたんです。出血もしていませんでした。不思議現象ですよね。私だけに聞こえる守護霊様の声自体がもう不思議世界なわけですが。天国の守護霊様方のテクノロジーのお陰だとしたら、私は感謝しなければいけない立場です。ですが、そうは思えない理由はそれがマッチポンプであるということです。私の立場は良く言って被験者、悪く言えばモルモットです。その理由は後から述べたいと思います。 私はその後、様々なレクチャーを私の守護霊様から受けて、天国や守護霊という存在のテクニカルな成り立ちなども学習してきました。そして、分かったことが私の家系の秘密です。私の家系は父方も母方も、守護霊様によるお導きで祖先から代々男女のお引き合わせを受けて来たといいます。その目的は私という遺伝的特徴の人間を作るためだったそうです。私の最大の特徴は根分別の非常な発達にあるそうです。ネフンベツとは洞察力のことらしいです。私の長所も短所も運命ではなくて、意図を持った他者としての守護霊様方による計画だったということです。世間からの隔離のようなここ数年の状況も、安静状態を作るためだったようです。この成り行き、納得が行くでしょうか?
2012.01.01
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初詣に行かなくなって、私は数年たつでしょうか。私の人生において、私の守護霊様は、ある意味、疫病神同然ですからね。私が気付かないだけで、私は、守護霊様方には助けていただいているようなことを、私の守護霊様にはお聞きしていますが、所詮言葉だけです。私に実感はありません。守護霊様方による嫌がらせの類に関しては、私は条件付を受けて、意識のレベルで、私だけに気付くようにされました。気付いただけが、その人の世界です。認知ということを考えれば、気付かないことはないことなんです。そういう意味で、私は、守護霊様方に一切の感謝の念を持たないどころか、憎しみを持っています。 守護霊様方はそういうことをお分かりでしょうか。詳しい説明はもうしません。私のブログにアクセスしてくれる、ごく一部の人間には、狂人の世迷言でしょうか。ですが、守護霊様方も実は、分かることしか、分からないという、トリックの囚人らしいですね。上級ヒエラルキーの守護霊様方はシークレットレベルを利用して、下級ヒエラルキーの守護霊様方をコントロールしているようです。それは本意の取り違えを利用したコントロールです。守護霊様方はその能力差によるヒエラルキーが厳然とあることを悟られたのでしょうか。私はそんな善意と悪意の戦いを垣間見ながら、年明けを迎えました。
2012.01.01
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