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久恒啓一

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「30歳からの人生リセット術」(創元社)が書店に並び始めました。この本を書いた意図を「はじめに」に書いていますが、若いビジネスマンに役立てて欲しいと念じていますので、「はじめに」の文章を掲載します。

私は30歳になったときのことを今でもよく覚えています。それは苦い思い出です。なぜなら、30歳になったときの私には「何もなかった」からです。20代を振り返ると、惨憺たんたるものでした。仕事はロクにできない、大した能力もない、恋愛も失敗ばかりしている。周りの人と比べても、「自分にはこれができる」と自信を持って言えることがない……。自分は「何者でもない」ことをまざまざと思い知らされました。

大学時代の私は、勉強はあまりしませんでしたが、クラブ活動には精一杯打ち込み、とても充実した4年間を過ごしました。しかし、会社に就職してからは、毎日のように飲み歩き、雀荘に繰り出し、本を読んだり、人生について考える時間もなく、家に帰れば寝るだけ。会社にはいつも始業ギリギリに出社していました。

当時勤めていた工場の始業時刻は8時45分で、私の出社時刻は、決まって8時45分、早くて8時44分でした。タイムカードにはお行儀よく「8:45」か「8:44」を打刻。いま振り返ると、赤面の至り、情けない思いでいっぱいになります。ただ、誤解のないように書いておくと、仕事に対しては、自分なりに一所懸命に取り組んでいました。決して怠けて、いい加減に過ごしていたわけではありません。

とはいえ、将来についてなんのビジョンも目標もないし、目の前にある仕事だけをがむしゃらにこなして、あとは遊びまくるだけ。仕事も仕事以外のことも、完全に地に足がついておらず、空回りしているだけの状態だったのです。人生、これではうまくいくはずがありません。そうした状況の中で、30歳になった私が実感したのは「何者でもない自分」だったのです。もっといえば、私は自分が「凡人」であることを強烈に自覚しました。

さらには「路傍の石」であることを思い知らされもしました。路傍の石、つまり、自分はその辺に転がっている石ころの一つにすぎないということです。

20代の初めまでは、多少なりとも人より秀でたところがあると自負していたため、30歳になって、自分が凡人であって、さらには、路傍の石にすぎないことを思い知らされたときは、さすがにショックでした。弁解めいたことを言うわけではありませんが、私は、世の中のほとんどの人は凡人であると思っています。もっと言えば、なんの努力も工夫もしなければ、路傍の石で終わってしまうと思っています。「自分には何か特殊な才能がある」とか「オレは天才肌だ。オレの才能は凡人にはわからない」などと思っている人がいるかもしれませんが、そうした考えのほとんどは、間違いなく「勘違い」だと言い切れます。努力も工夫もしない「天才」は存在しない。このことを理解できない限り、「こんなはずじゃなかった」「オレのことは誰もわかってくれない」といったグチや責任転嫁をいつまでも続けることになってしまうのです。

「自分探し」という言葉が一時期、ずいぶんと流行りました。「ぼくは今、自分探しの真っ最中なんだ」とか「私は自分探しの旅をしているところなの」というふうに。今でもこの言葉を使う人はいるように思います。しかし、この「自分探し」ですが、私に言わせると、かなりおかしな言葉に感じます。「探す」というからには、すでに「自分」がどこかにあることが前提になっているはずです。きつい言い方をするようですが、若いときには、「いくら自分を探しても、自分はどこにもいない」と思ったほうがよい。もちろん、あなたはそこに存在しているのですが、何の努力もせずに「『何か』ができるあなた」は、どこをどう探しても、見つかるはずはないのです。



ただ、そうやってもがきながらも、さまざまなことに挑戦していました。たとえば、20代後半にロンドンに赴任することになったときは、貯金はいっさいしないで、現地でしか経験できない観劇や観光をすると心に決め、実際そのとおりにしていました。そうした経験も、いまになって思えば、その後の自分の糧にはなっていると思います。しかし、当時を振り返ると、やる気だけが空回りし、その結果、何かを生み出すこともなく、ただ時間が過ぎ去っていっただけでした。だからこそ、30歳になったとき、私は自分の無力さをつくづく実感したのです。それからは、もう自分探しなどに精を出しませんでした。いくら探しても、見つかる自分など、ないことがわかったからです。ならば、どうするか。自分を作り上げていくしかない。つまり、自分探しではなく、「自分づくり」をするしかない。そのことに、改めて気がついたのです。

自分づくりの大切さに気づいたきっかけは、「ロンドン空港労務事情」というレポートをまとめたことでした。ちょうど30歳のときです。このレポートを名古屋大学の労働経済学の小池和男教授に送ったところ、『中央公論』を紹介すると言われて、大変驚きました。若い一介の会社員が書いたレポートが、一流雑誌に載る可能性があるとはつゆにも思わなかったからです。この出来事は私の目を開かせてくれました。「あぁ、そうか。自分の足下を掘ればいいんだ」ということに気づかせてくれたからです。つまり、自分が今している仕事、自分が今いる現場、そこを掘り下げれば、社内だけでなく、社会全体にも通用する仕事ができるんだ、ということに気がついたのです。迷いの吹っ切れた私は、主に客室乗務員の労務問題について、どんどん深く掘っていきました。すると、その分野に関して、どんどん詳しくなる。社内では、おそらく誰よりも詳しくなったはずです。

さらに、研究のテーマを少しずつ広げていきました。「欠勤の研究」もその一つです。「人はなぜ休むのか」「欠勤とは何か」「農閑期における休み」といった、欠勤についての文化的・歴史的な背景も研究するようになったのです。

今にして思えば、20代の私は、「何で」自分をつくっていったらよいかわからなかったために、それを探し続けていたのかもしれません。それが「ロンドン空港労務事情」というレポートをまとめたことで、「何で」「どのように」自分をつくるべきかが見えた。それはつまり、自分の足下を深く掘ることだったのです。人生には、自分の生き方を見つめ直すタイミングが必ず一度や二度、あるように思います。私の場合は、たまたまそれが30歳になったときに訪れました。それが年齢のせいなのか、はたまた、そのとき置かれていた状況がそうさせたのか、今もって正確な答えはわかりません。しかし、私はそのとき、まるで「自分の生き方をリセットする」ような感覚を味わいました。読者の中には、かつての私と同じように、「自分はこのままでいいのだろうか?」「何かを変えていかなければいけないはずだ」、そんな思いを抱えている人は多いのではないでしょうか?

特に、私と同じように、社会に出てからある程度経験を積んだ30代になって、ふと、今までの生き方を考え直したい感覚に襲われる人は多いのではないかと想像します。

本書は、私が自分の人生をリセットして以来、ビジネスの現場、人生の現場で身につけてきた、よりよく生きるためのアイデアや技術を伝えるものです。この本の内容が、一人でも多くの方の生き方に関する刺激やヒントになれば、著者としてとても嬉しく思います。












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Last updated  2013/11/27 11:37:01 AM
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