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久恒啓一

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山崎光夫「開花の人--福原有信の資生堂物語」(東洋経済新報社)を読了。

一人の人物の一生を紐解くと近代が読み解けることがしばしばある。その一人が資生堂の創業者・福原有信(1848-1924年)だ。
福原は西洋医学所(のちの東大医学部)で医学と薬学を学び、薬学に方向を切り、洋風調剤薬局(資生堂薬局)、製薬会社(大日本製薬会社)、生命保険会社(帝国生命保険会社)、薬科大学(東京薬科大学)、薬剤師会などの新規事業を成功させている。

この伝記の中では幕末から明治にかけての医学と薬学に関わる人が連なって出てくる。松本良順、佐藤尚中、石黒忠直、田代基徳、長与専斎、、。

医学と薬学は車の両輪であり、医薬分業が必要という考え方が基礎にある。今日の医薬分業は、資生堂薬局で福原が初めて実施したのだ。

資生堂の意味するもの。
 至哉坤元(いたれるかなこんげん)
 万物資生(ばんぶつとりてしょうず)
 乃順承天(すなわちしたがいててんをうく)


 万物は天に則り、坤の徳により命を受け継ぎ栄える。(「易経」の「乾坤」の「坤」)

 堂は、大勢の人が集まる建物。

「随所作主」(随所に主となる)を信条とした福原は、新商品の化粧品の分野に50歳で挑戦を開始する。これが現在の資生堂につながっていく。
福原有信は、医学、薬学、化粧品というように自分の進むべき道を選びとり、大きく育てる基礎を築いたのだ。

この本の中に、「医学校で国が指導する薬学には、学がありますが、術が欠けています」という言葉があった。民間、あるいは会社という組織は、この「術」を行うところなのだ。


近所のブックオフで、近代から現代にかけて生きた人々の伝記を買ってきた。

吉村昭「冬の鷹」(前野良沢と杉田玄白)
佐高信「孤高を恐れず」(石橋湛山)
城山三郎「部長の大晩年」(永田耕衣)。









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Last updated  2013/12/24 10:29:03 AM
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