以下、『 朴正
熙と金大中
』(文明子著
1999 、 訳文
2001 )より一部概要
≪ 38 度線は私が引いた≫ / デイーン・ラスクが文明子に語った内容
( David Dean Rusk, 1909 年 2 月 9 日 - 1994 年 12 月 20 日) は、アメリカ合衆国の官僚。ケネディ及びジョンソン政権で国務長官( 1961 年 年)を務めた。国務長官の在任期間はコーデル・ハルに次いで歴代 2 位の長さである。
ラスクは 1931 年に英国のオックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジへ、 ローズ奨学生として留学した。
【デイーン・ラスクが文明子に語った内容】
1945 年、 米陸軍省作戦局戦略政策団政策課 の大佐として勤務して
いた。
8 月
10
日、日本側がポツダム宣言を受け入れると発表した日
夜遅く政策課に緊急課題が課せられた。日本軍に提示する降伏文書
のうち朝鮮半島と極東地域に対する草案を作成し、 30 分以内に提出
せよ、と。
考慮すべき優先事項は、ソ連が受け入れ可能な線を引き、その南へ
のソ連の進駐を阻止すること。
北緯 40 度で分割すると、あまりに北へ偏り、ソ連側が受け入れそう
になく、 38 度線程度なら、半分を公平に分割するように見える上、 38
度線以南に首都京城と米軍捕虜収容所、主要港湾施設などがあると
いう点が我々に有利だった。我々 3 人は 38 度線を引き、日本軍の武
装解除と降伏を受け入れる内容の草案を 30 分で作成し、戦略政策
団に送った。
ソ連がそれを受け入れ、後日の 38 度線になった。
デイーン・ラスクの略歴
1946: 国務省入り。 1947:国連部長
1950 ~ 51 :国務省、極東アジア担当国務次官補
朝鮮戦争に関するアメリカの決定に影響力を及ぼした。
1950 :ロックフェラー財団理事
1952 ~ 61 :国務省を辞し、ロックフェラー財団理事長
1961 . 1 月:ケネデイ政権の 国務長官
1963.11 . 22 :ケネデイ大統領暗殺事件
1963 , 11 月~ 69 :ジョンソン政権の国務長官
インドシナ(ベトナム)介入に積極的立場
1970 :ジョージア大学 / ロースクール国際法教授に。