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坂本龍馬の偉大さは、教育係りとして、
指南役として特筆しなければならないのは姉の乙女さんであろう。
乙女姉さんは、「坂本家のお仁王さま」とあだ名されて居たそうだ。その位、龍馬に対しては期待をしていたのだろうし、早くから才能を見出したのでしょう。
「男勝りで剣術は切紙の腕前、馬術弓術水泳も得意で、また経書和歌絵画はもとより琴、三味線、一弦琴舞踊謡曲、浄瑠璃、琵琶歌などまことに多芸、多趣味」の方であったのだ。
歳は龍馬より3歳年上で身体も大きかった。
当時の女性ならず、現在の女性から見ても身体も大きかった。
(身長175センチ:5尺8寸、体重113キロ:30貫)
乙女姉さんはは、坂本龍馬の母親役として、一生懸命龍馬を育て誰よりも坂本龍馬の事を愛していたのだろう。
剣術道場では水泳は必須科目で、乙女はなんとか坂本龍馬に泳ぎを習得させたかった。
その猛特訓として、乙女は泳ぎができない龍馬を川へと連れ出し、素っ裸にさせて身体に縄を巻き、そこに竹ざおを括りつけて川の中での泳ぎを特訓をしたという。
龍馬は船乗りになるべくしてなったと言う感じがする。姉の乙女もそれが願いが有ったたらばこそ、水泳を特訓したのであろう。
そんな乙女姉さんはどのような人であったのか?。
昭和の戦後まで、養護施設の寮母さんだった乙女姉さんの娘「菊栄」さんによると、乙女は万事まで武家としての嗜みを貫き通したという。
立ち居振る舞いはもちろんのこと、魚の表裏を食べるのは武士の嗜みにあらずと、表だけを食べた。
家事は女中にまかせ、金に糸目をつけず稽古ごとに日々を過ごしたという。
絶えず懐へ鉄砲を備え、薙刀も盛んに稽古をして、「 やってみぬか」と薦める
女丈夫な乙女に、龍馬が大きな影響を受けその生き方を歩んだのは、とても自然な事なのではないだろうか。
女性ながら武芸十八般に通じていた坂本乙女が鉄砲を持ち歩いていたのは、兄・権平の影響もあったのだろうか。
兄の坂本権平は砲術に長け、古式砲術はもとより高島秋帆の洋式砲術・高島流砲術を会得し、そのどちらも奥義許しを得ている。
その兄とともに坂本龍馬も砲術の稽古をし中々の腕前になっていたという記録が残っている。
因みに武芸十八般に砲術は入っていないが泳法術は含まれている。
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