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その中で特に思ったのが人の生死。
去年はまさにそれ。
6月に義父が10月に祖母が相次いで亡くなりました。
義父はこの1年くらいずっと入院していて、帰省の際に会いに行くって感じだったんだけど弱っていく姿を見るのはさすがに悲しかった。でも今すぐどうこうって感じじゃなかったから電話もらった時はなんか心臓がギュッと締め付けられて、苦しかったのを覚えてる。
きっと覚悟とかできてないから余計にうろたえるんだろうな。
亡くなる少し前にka☆が県大会で優勝して、学校に頼んで賞状を貸してもらって家族でお見舞いに行きました。すごく喜んでくれて、あれが最後になるなんて思わなかったけど、少しでも喜んでくれたっていうのは救われた。
祖母は本当に突然。
当日も私といつもの通院。その日はデイサービスでマツタケごはんだったってすごく喜んでた。先生に「転ばないようにね」って言われて別れたんだけど、家に帰って転倒して大学病院へ行ったんだけど、打ちどころが悪くてそのまま。
病院で検査待ってる間もふたりでとりとめのない話をして、退院したら転ばないように老人カーを変えようとか、ka☆の全国大会には行っておいでとか、普段と変わらない話をしてたんだけど。
様態が急変して次に会った時には意識がなくて、でも耳元で話しかけたらギュって手を握ってくれたのが本当に最後。
そのあとの3日間は寝ている祖母とゆっくりした時間を過ごした。
延命はしないと決めて体力が持つまで一緒にいようって決めた。
やっぱり後悔ばっかり襲ってきて涙もいっぱい出た。
先生はもしかしたらこのまま数か月は生きれるかもって言ったけど、なんか察したのか、コロリと逝きたいと言ったとおりに突然の別れはやってきた。
不思議なのは、デイサービスの別れ際に「またね」とみんなに手を振り、転んで病院に行くときもなんか忘れ物して家に一回帰ったらたまたま帰ってきた家族にも会えた。結果的に我が家の家族は全員意識のある祖母に「いってらっしゃい。早く良くなってね」と声をかけることができた。
それが最後になるとは思わなくてもみんなと話せるなんて奇跡だ。
今になるとそう思う。自分の思うようにはならなくてもなにがしか奇跡は起こっているのかもしれない。できるなら今だって生きていてほしかったけど、この奇跡には感謝したい。
何の準備もないまま葬式をした。
私には母がいないので祖母との別れは本当につらく、もっと優しくできたんじゃないか、もっと何か・・・何かを探しては途方に暮れる日々を過ごして、なんとか1年経とうとしてます。
それでも、やっぱり生きてる限り人生は続く。
いつか来るその日を自分で決めることはできないし、予測もつかない。
ありきたりな言葉だけど、一生懸命に生きるしかないよなって思う。
きっと後悔のない人生なんて無理。
でも後悔する分よりも、もっとたくさん幸せだったなって思える人生にしよう。
いちごたち 2024年07月22日
いつまでたってもガーデニング初心者 2024年07月17日
気がつけば40 2018年02月09日