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2012.11.15
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『本丸跡』にはな。

 周辺の山を紹介する、案内板があんだ。


 たとえば、こんなの。


山案内板

 これによると、

『太平山神社』や『太平山城』が見えるんだと。



皆川の町1

 これ。昨日載せた写真なんだけど。

 正面奥の山が、どうやら『太平山』だったらしい。


 おお~!こんなにはっきり見えんだ~。

 感動~!!




 すこし東さ目を向けると

皆川城から筑波山

 赤い矢印は『筑波山』なんだ。

 肉眼だと、もちっとはっきり、見えたんだどもな~。



 こっち方向には、『栃木城』も見えるらしいど。

 雲さかかっちまって、よく見えないけんど。


 さすが山城!遠くまで、見渡せんだな。






 さてと。今日こそは、『皆川城』築城の話さしなくっちゃな。



 んと。まずは皆川氏の話。

 応永年間(1394~1428)ごろ。

『長沼義秀』と孫の『長沼憲秀』が、皆川荘に進出してくんだ。



 で、『皆川城築城説1。長沼憲秀・築城説』




 ほんとうだったら、『皆川城』は応永年間に築かれた、

 ってことになんな。




『皆川城築城説2。長沼秀宗・築城説』

 これが今一番、有力な説らしいんだけんど。 

『憲秀』の息子『長沼秀宗』が築城したって説。



 永享12年(1440)に

『長沼淡路守(秀宗)』が、皆川城を本拠地にしている、

 って記録が、残ってんだって。



 んで、他の資料なんかとあわせて、

 15世紀前半に、『長沼秀宗』が築いたって話になったんだと。



 そして

『皆川城築城説3。皆川氏秀・築城説』

 永享の乱(1438~1439)の前後に、

『長沼秀宗』の息子『皆川氏秀』が築いたって説。


 このころに名前も『長沼氏』から『皆川氏』に変わったみたいだな。

 完全に、皆川荘を納める立場になった、ってことなんかな?





 これ、本によってまちまちらしいんだけど。

 中には研究途中の古い推測も、入ってんかもしんないど。



 だから、『皆川城』の築城年代は、はっきり言えないんだけんど。

 15世紀前半ごろ、って言っていいみたい。

 築城者は、『長沼秀宗』が本命かな。




 だども、もしかしたら。

 憲秀が、城の基礎さこしゃって、

 秀宗が、曲輪さ整備して、

 秀宗が、さらに改良さ加えて、


 現在の『皆川城』さ、完成!


 ってことは、ないべかな~?




 だってよ。いっくら小さい山っつってもな。

 一気に削るわけにゃ~いかんべ。


 ちぃ~とづつ削って、堀さ整えていったら、

 結構時間さ、かかんじゃないかな~。

 親子3代の築城・・・ありえないかな~。







 さてさて。空想話は、ともかく、な。

『長沼秀宗』が皆川氏を復活させたって話は、ほんとだど。


 ほんで、皆川氏は

『長沼秀宗』から、最後の城主『皆川広照』まで続くんだけんど。

 この一族を『第2次皆川氏』って、呼ぶんだと。






《参考》

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 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。


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最終更新日  2012.11.15 22:48:55
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