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『天平の丘公園』の地図さ見っと、
真ん中に道路さいっぽん通ってる。
そこさ境にして、北半分が『国分寺・尼寺』さある史跡公園になんだ。
今日は南半分の森林公園部分さ、書いて見るべ。
公園内にゃ、復元した昔の建物や、民家もある。
けんど、メインは森林だな。
道は土道が多いけど、のんびり森林浴さ楽しめる。
小鳥もいっぱい、いる場所なんだ。
南側の中央辺りに、ひときわ目立小山さある。

お!古墳だ!
と、初めて見たときは感動しちまったんだけど。
これ、古墳じゃないんだ。
『国見山』っつう山でな。
ん~。塚みたいなもんかな。
正面からみたとこ。
写真じゃわかりづらいけど。
横からみっと『前方後円墳』の形に整備されてる。
地図の、真ん中んとこに、書かれてんだけど。
そこにも『前方後円墳』の形に書かれてる。
丘の周りにゃ、『周湟』っていう古墳につきものの堀も、巡らしてある。
でも、古墳じゃないんだよ。
遺体さ埋葬するための『玄室』もないし。
古墳だって証明する、『土師器や須恵器』、
『埴輪』や『装飾品』の類いは、出てないみたいだかんな。
なんで、古墳みたいな形に整備したんだべ?
公園化したときに、こしゃったんだよね。
紛らわしいど!
てもな。全く歴史に関係ないってわけじゃ、ないんだ。
公園整備んときに、この辺りさ掘ったらな。
『常滑焼の壺』に入った『渡来銭』が、見っかったんだと。
発見された『渡来銭』は『唐の開元通宝(621年ごろのもの)』から
『明の宣徳通宝(1426年ごろのもの)』まで、59種類。
全部で、12,441枚、出てきたんだ。
埋蔵金け?
なんか、すごい数だっぺ。
『常滑焼きの壺』や『渡来銭』さ調べたら、
大体15世紀前半。
室町時代のころに埋められたもんたって、わかったんだと。
そんでな。
『渡来銭』さ発見されたことで、
室町時代の下野国で、銭が使われていた事実が、
はっきりしたんだよ。
下野国は、都から遠いかんな。
銭の流通も、遅かったんだな。
取引は、まだまだ米が主流品。
銭は貴重品の時代。
だもんで。
ここさ埋められた『渡来銭』は、
贈答品や貴重品として備蓄されていたものじゃないか、
っていわれてんだと。
あるいは。
『国分寺や尼寺』の修復費用として、
近所の人たちが集めた銭を埋めておいた、
って説もあるらしいど。
それって、へそくり?
違うかw。
でもな。
掘り出して使わなかった、ってことは、
盗賊が埋めた戦利品、だったりしてw。
それとも、埋めた場所さ忘れちまって、
掘り出せなかったとか?
や~。当時の人が、なんで埋めたんか。
想像してみっと、結構いろいろ出てきそうだなw。
今んとこ、これだ!って有力な説は、ないみたいだど。
さてさて。真実は、いったい、どうだったんだべな。
《参考》
ホームページ・下野市の文化財
http://www.shimotsuke-bunkazai.com/culturalassets.php?id=42
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