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明けましておめでとうございます。写真は出光のカレンダーです。毎月、仙崖和尚の作品を楽しむことが出来ます。これ、毎年、大晦日の近づくと、嘗てその会社のタンカー船長をしていたTさんが送って下さいます。賀正の文字、なんともいい感じの書ではあります。 それでは以下に新年の挨拶を。謹賀新年 皆様、お変わりありませんか。 退職し、土いじりと樵を二年余り。そのリズムに慣れた矢先でした。昨年5月、訳あってネクタイを巻く生活に戻りました。半分勝手知ったるの職場勤めですが、2年のブランクあって、暫く途惑いました。以下にそのことなどを書いて新年の挨拶とします。▼(野菜畑)年明け、痛んだ鍬の柄を据え替えました。気持ちも改まりました。菜園に茄子と胡瓜は豊作でしたが、豌豆はからっきし。茶摘みの終わって出仕が始まりました。それからの野菜管理は妻の仕事。日焼けが悩みの種だったようです。▼(コロナ渦)年を跨いで続く流行は、人と殆ど未接触の田舎暮らしにも影響がありました。毎日のマスクに難儀。予防接種の副反応でひどい目に遭いました。勿論東京に暮らす娘息子は帰省なし。二年間、顔を見ていません。リモートの生活と聞いています。▼(読書と新聞)小説家の真似事準備。取材を進めていました。働き始め、それは叶わぬことに。それどころか、読書もさっぱり。その代わり、職場が購読の新聞各紙に連載、小説を楽しみました。日経に連載、伊集院静の「ミチクサ先生」がよかったです。▼(趣味・運動)音楽を楽しむことが少なくなりました。長年蒐集のレコードやCDは眠ったまま。アマゾンミュージックを垂れ流す日が多かったです。夏に北海道を輪行しよう、思い立って年明けからサイクリングで体を鍛えました。しかし、コロナ禍に加え、冒頭が理由、能わずとなりました。年の後半は、帰宅して夕刻、毎日ではありませんがジョギングをしました。年末、10kmのレースにエントリー、52分で走りました。▼(酒)夏は冷酒、冬は熱燗。ほぼ毎日晩酌しました。夕刻の軽い運動と、その後の酒が気分転換に良薬です。ガンマの値は標準です。それを献血でチェック。数多の血液検査が無料です。一石二鳥、お薦めです。回数は優に百を超えました。いい気分です。▼(家族)私も妻もおかげさまで元気にしております。子どもたちも都会に何とかやっているようです。両親、義母とも息災ですが、父の頑固さには閉口です。 皆様、今年がよい年でありますよう。 令和4年 元旦
2022年01月01日
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謹賀新年 皆さま、お変わりありませんか▼(定年)昨年、私は還暦を過ぎ、定年退職しました。仲間の開いてくれた送別会が嬉しかったです。再就職の道もありましたが、もう十分の思いに加え、両親の老いたこともあり、きっぱりケリをつけました。晴耕雨読の真似事で夏を越し、冬を迎えました。人と話さない分、本に向き合う時間が増えました。ではそのあれこれをお知らせし、新年の挨拶に代えます。ご笑読いただくと嬉しいです▼(趣味)息子の部屋を書斎にしました。山に倒した檜を製材、自作の机に燈火するのは格別です。音楽はさっぱり。レコード盤に針を殆ど落としませんでした。オーディオ器機の半分を処分しようと考えています。映画はインターネットで五〇本以上を楽しみました。スウェーデン映画「幸せのひとりぼっち」が出色でした。▼(ラジオ)野良仕事の友です。よく聴きました。ジョギング中もイヤホンを離しません。ラジコという便利なものがあり、全国の放送局、しかも聞き逃したものまでを楽しむことが出来ます。居ながらにして旅行の気分になりました▼(酒)弱くなりました。晩酌は欠かしませんが、付き合いが減りました。滅多と暖簾を潜りませんでした。血圧が高く、塩分控えめと減酒が目標です▼(菜園・山仕事)耕運機を購入。野菜作りの手を少し広げました。収穫を友人に裾分、喜ばれました。チェーンソーを持ち、友人の杉山を手伝いました。大木を倒す時は厳粛の気分になりました。薪ストーブの燃料も手当十分▼(旅行)春、妻と鳴門の渦潮を見、金刀比羅宮の坂を登りました。夏、友が退職記念旅行(北陸方面)を計画してくれました。加賀屋に泊まり永平寺・東尋坊・兼六園。鈴木大拙と徳田秋声の記念館がよかったです。晩秋、北海道立文学館に保阪正康展を訪ねました。この一年、私の読書は彼の本が中心でした。▼(運動)週に四日ほどジョギングしています。ランの大会には出ず終いでした。息子がロードバイクのお古を送って寄こしました。地元開催のツール・ド・佐伯にエントリー。百キロのコースを完走しました。楽しいスポーツです。嵌まりそう▼(家族)卒寿の父は耳が遠くなり、母も炊事が難儀となりました。妻が二人を賄ってくれました。感謝です。義母も傘寿を越えました。こちらは社交に忙しく、嬉しい限りです。二人の子どもは大過なし。元気にやっています。愛猫トラは拙宅暮らしが十三年。好物の刺身に舌鼓が元気の秘訣です。▼新しい年、皆様によいことがありますよう。 令和二年 元旦
2020年01月01日
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(仙崖和尚のカレンダー、元タンカー船長が毎年送って下さいます。有り難うございます)謹賀新年 皆さま、お変わりありませんか。▼(還暦)昨年に私、妻は今年、それぞれ還暦です。二人して健康、父母義母も恙無くです。六十歳は定年でもあります。この三月末をもって、勤務先を退職します。身の振り方に当てはありません。幸い、少しの菜園と山林があります。暫くは晴耕雨読の真似事をと考えています。それでは昨年の拙宅様子をお知らせし、新年の挨拶に代えます。ご笑読いただくと嬉しいです▼(異動)四月、退職まで一年を残し、実務から離れました。仕事が縁で佐伯に所縁の矢野龍渓や国木田独歩が後裔に面識を持ちました。「経国美談」や「武蔵野・牛肉と馬鈴薯」が急に身近となりました▼(菜園)益々盛ん。食卓に上る夏・冬の野菜は全部自家製でした。それを友人に配る妻の鼻は高々。彼女は漬物を近所に習いました。上手に漬かり、ご飯がすすみました▼(音楽)オーディオに灯を入れる時間が減りました。妻はコーラスを楽しみ、国民文化祭のステージに立ちました。秋は福岡に夫婦してカルメンを鑑賞。いい思い出となりました▼(運動)練習不足。レースを一回も走らず、太りました。退職後、仕切り直しするつもりです。妻はエクササイズに通い、少しスリムになりました▼(酒)晩酌を欠かさず。魚屋で鯵を求め、毎日のように刺身をこさえました。私の包丁は切れます。ワイン抜栓の際は妻も相伴。その折の肴は東京に暮らす娘息子の話。未だ子離れできません▼(山仕事)春秋冬、チェーンソーを持ちました。親方の杉山を倒し、駄賃に薪ストーブの燃料、上質の樫を貰いました。毎年、軽トラ二十台分を焚きます。ストックは四年分あります▼(子供たち)春、息子が友人三人を連れて帰省。連泊していきました。酒席を一緒し、いい仲間に恵まれたことに安心。秋は劇団四季のチケットが妻に届きました。娘からでした。私も息子と居酒屋巡りを口実、一緒に上京しました。二人とも都会生活を謳歌。独身が続きそうです▼(トラ)拙宅の癒し、飼い猫トラは十二歳。老境となりました。飼い主同様、鯵刺が好物。晩酌の相手をしてくれました。▼元号が変わります。新しい年、皆様によいことがありますよう。 平成三十一年元旦
2019年01月01日
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謹賀新年 拙宅は大分・佐伯の農村にあります。南東に文豪国木田独歩の登った元越山(標高五八二メートル)が鎮座します。その稜線に遮られ、元日の来光は午前八時前となります。私は早起きです。未明、火鉢で手を炙ります。熾火を見つめていたら、皆様の顔が浮かんできました。以下に日頃の無沙汰を詫び、近況を書くことで、新年の挨拶にさせていただきます。 昨年五月、十五年ぶりに管理部門を離れました。久しぶりの営業は清濁の世界でした。プライベートはランニングの距離が減り、酒を飲んで腹が出ました。週末は樵、音楽、読書、ブログを毎日楽しみました。妻は支援学校に働きました。唯一の趣味、コーラスだけは週一欠かさず。夫婦になって三十有余年、否が応でも毎日はやってきます。互い、気持ちを飼い慣らし、並んで野菜作りの野良を楽しく感じるようになりました。私は今年、妻も来年、いよいよの還暦です。 二人の子どもは都会の独身生活を謳歌。年末に帰省しました。元旦の朝は布団にまだ夢の中です。その孫が帰省は父母の楽しみです。破顔。父は夏に心耳の手術をしましたが、秋には鍬を持つまでになりました。母も妻の母もお陰様で元気にしております。 外が明るくなりました。飼い猫のトラが眠そうな眼をして欠伸をしました。一年の始まりです。去年はトランプ、北朝鮮、エルサレム。きな臭い話が多かったです。今年はオリンピックやサッカーワールドカップがあります。平和の祭典が文字通り世界平和をもたらすとよいです。今年一年、皆様によいことがありますようお祈りし、ペンを置きます。
2018年01月01日
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平成29年4月18日(火) 午前4時起床。夜来の雨でした。拙宅居間の外、沓脱石とコンクリート上は、散った染井吉野がこの仕儀。花見に浮かれた春も終わりです。 早朝出勤。朝の内は曇っていました。日中は晴れ。気温も急上昇。気象庁の公式記録によると、佐伯は24℃に達したとのこと。午前、外回りの折は仕方なしに上っ張りを羽織りました。午後は内勤。Yシャツ姿で過ごしました。帰宅は午後8時。走ること能わず。風呂に入って赤を抜栓、グラスに2杯飲んでバタンキュー。残りは冷蔵庫へ。就寝は午後10時前。カープの逆転サヨナラを夢うつつの中に聞きました。連敗をしなくてよかったです。写真は、昼休みの時刻、訪ねた観光交流館の庭です。ここ数年の整備で見違える風情となりました。平日ですが、お客様が多かったようです。 さて昨日、1通の葉書が届きました。挨拶状でした。友人のマタギからでした。彼は天下の清流・一級河川番匠川の源流に住んでいます。猪・鹿猟をし、山林の管理が生業です。夏になると川に鮎を狩ります。これからは新茶の季節です。本匠・因尾(因尾)は茶の産地です。そこに居の彼は、その栽培に加え製茶もします。古い釜煎りの製茶機械を一式保有。これから5月上旬まで、ボイラーの火で顔を真っ赤にし、夜を昼に継いで茶を煎ります。私も、拙宅の生け垣や庭先に植わっている茶の新芽を摘んで、彼の工場に持ち込んでいました。そのことを毎年、ブログに書いていました。昨年の様子はこちらです。ところがこの春、機械の老朽化に加え製茶製造にかかる職人の高齢化も相まって、製造販売を終わるという案内でした。残念でなりません。5月の連休、谷筋の羊腸を遡ったら、山あいに製茶の煙が上がり、辺りにほんのり新茶の香りが立ち込めるの図、何ともいえない風情でした。嗚呼、寂しいな。今日の一句因尾茶のまた一つ消え春の往く今日の写真は弊社1階ロビーに始まった美術協会の秀作展です。佐伯の誇る画家大島勝也氏の静物。新文展無鑑査故菅一郎画伯の系譜を引く方です。何と素晴らしい。数多の展示がありました。その中に理髪店マスターの1枚も。佐伯のランドマーク城山から市街地とその先の佐伯湾を描くの図。彼のタッチは独特です。
2017年04月18日
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謹賀新年 皆様、如何お過ごしですか。私たち夫婦は息災です。元旦にあたり、拙宅の昨年を振り返ることで新年の挨拶と致します。 私は齢58となりました。仕事は相応の立場となりました。多忙の一年でしたが、日記を捲ると遊んだことばかりが書いてあります。春先、名古屋を訪ねました。友だちに歓待され、まちの文化に触れました。夏はオーストラリア・グラッドストンに出張。ゴールドコーストの海が青かったです。歓待を受け、そこの市長と二人だけの朝ランはいい思い出です。秋、息子を訪ねることを口実に上京、ウィーン国立歌劇場のワグナーを楽しみました。北九州でもパリ管弦楽団を聴きました。ランは練習不足。レースを一本も走りませんでした。 妻は四月に職を得ました。就職に悩む若者の背中を押すのが仕事です。悪戦苦闘。野菜畑は手抜きとなりました。未だ子離れの出来ない母親です。 その息子も心機一転、電力業界を離れ、土木コンサルタントに転職。作業着を背広に着替えました。アパートを訪ね、一年ぶりに顔を見ました。元気でした。ネクタイを二本プレゼントしました。娘はキャリアを重ねています。いい人はまだ現れていないようです。親として一抹の寂しさではあります。おかげさまで父母や義母は元気です。皆様にとって今年がよい年でありますように。 平成二十九年元旦
2017年01月01日
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