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Saturday, November 23, 2024 一週間ぶりの更新です。霜月も残すところ1週間となりました。慌ただしい毎日です。ということでここ数日を纏めてみました。御笑読頂くと嬉しいです。(11月16日土曜日) 曇りのち小雨。 今日は杣夫のまちの第九演奏会でした。忠臣蔵と一緒、この行事は師走の風物詩ですが、会場やオケのスケジュール等あってのことでしょう。さいき城山桜ホールに開演15:00。一枚目の写真はプログラムです。オケは滝廉太郎にちなんで結成、その名も「RENTARO室内オーケストラ九州」。 妻も合唱のメンバーです。朝のうちに父のおさんどんを準備してくれ、午前10時、出かけていきました。杣夫は昼をして義母宅へ。彼女を演奏会場へ送迎が役目です。写真はホール内です。千席近くの客席です。開演前に満杯となりました。チケットが売れてよかったとは昨夜一緒した関係者の話。 第九の前座、第一部に滝廉太郎の「四季」を演奏。これがよかったです。弦楽合奏のみ、癒やし・安息を誘うメロディでした。 コンサートの跳ね、義母とその友人をそれぞれの宅まで送りました。(11月17日日曜日) 曇り。 午前6時起床。妻は昨日までの疲れがどっと出たのか、起床が遅れました。今日は杣夫が朝ご飯を拵えました。味噌汁と鯖の塩焼き。一人、それを食べ、鯉の餌やりを兼ね、散歩へ。投餌を始めて数日が経ちました。遊水池の傍に立つと、刻印付けがなされたのでしょうか、朝の定期便、杣夫を待っているような感じを受けました。 午前、いつものスーパーへ買い物に。今日、父が昼と夜に食べる弁当などを仕入れました。日曜日だけでも、妻をおさんどんから解放してあげねば、そう思ったからでした。とって返し、午後は野良に出ました。野菜畑を覗くと、やっ!白菜が・・・。畜生め、恐らく鹿の仕業でしょう。 それが証拠、この足跡です。 玉葱を植え込んだマルチシートにはっきり証拠となる凹みがありました。 よし、こうしてやる!夏に西瓜畑を囲った網を引っ張り出しました。菜園の一部、その四隅とその中間にビニールハウスの骨を打ち込みました。番線でフックを拵え、この通り。これで奴らも手を出せないな。ざまあみろ、ではあります。ケケケ。 野良仕事のついで、折角なので菠薐草を蒔きました。黒の筋に点蒔してあるのが種です。この後、リッチソイルを被せ、押さえました。1ヶ月後第2弾、再度蒔いて、収穫時期を延ばします。 始末を終え、Rさんと散歩。話題はもっぱら大相撲。日の傾いて湯を浴びました。午前に求めた鯵をチャチャッ。一人、晩酌していたら、妻が実家から戻ってきました。義母と買い物に終日とのことでした。写真は包丁を入れる前の小鯵です。鮮度抜群が6尾入って1/2ラー弱。安い。水産のまちに暮らす特権です。(11月18日月曜日) 曇りのち晴れ。 午前5時起床。ニッポン放送「おはよう寺ちゃん」を聴きながら珈琲を楽しみました。5時半、暗い中を散歩。亀の甲橋までを往復。欄干の下を大きな鱸が悠々。写真のないのが残念です。恬があったら仕留めることができるんですが。この散歩、途中にある池に鯉の餌やりが日課となりました。それを終え、写真は沖田から元越山の稜線を仰ぐの図です。画面左上に明けの明星・金星の輝いているのを見てとれます。 次の写真はイチゴハウスの灯りです。あと1ヶ月ほどでクリスマス。ケーキ商戦に間に合うよう、農家は果実の実りが後れを取らぬよう、汗しています。 今日は月一、父の通院日でした。妻が同行してくれました。ドクターに「悪いところは一つも無し、もう来なくてよい」と言われたそうです。ということで2ヶ月後、年の明けての某日を予約したそうです。帰り、その足で介護施設に回ったとのこと。父が自らケアマネさんに通所サービスを断るよう、言わせるためでした。不貞腐れるにも程があるような振る舞いは駄々っ子を見るようが妻の弁でした。通い始める前、施設の方がみえたときはニコニコ「よろしくお願いします」と満面の笑みだったのに。なんとも妙な外面ではあります。 上記が如く、妻も大変の一日でしたが、杣夫も某案件に振り回されました。子どもの使いが如くのやり取りを重ねましたが、解決しませんでした。 帰宅してSAPPORO缶をプシュッ。薪ストーブに火を入れました。今冬初めてでした。ホッと一息。バタンキュー。(11月19日火曜日) 曇り。 午前4時起床。ストーブに熾火が残っていました。薪を追加、費を大きくした後、鯉の餌をポケットに。北風の強い中を散歩小一時間。それを終え、出勤前、妻と一緒、父の食事を母屋へ運びました。 仕事の方は、昨日の懸案処理。一晩考えて結論をだしました。不退転。前に進むしかない、独りごちました。もうブレないぞ。 午後、長時間の会議あり。自室に戻ったら、Tさんが「お父さんからTELがありました。用件は聞いていません」との報告でした。折り返しても、電話に出ませんでした。帰宅して父の覗いたら「ああ、電話したよ。酒を買ってきてほしかったからな」。ったくもう、勘弁してよ、そんなことで会社に電話しないでしょ。 写真は昼に食べたミックス野菜です。今日はこれと納豆1パックのみでした。糖尿病予備軍から脱退するための努力です。 夜は烏鰈の煮付け。これ、好物なんです。時々妻が拵えてくれます。 もう逸品は椎茸の炒めもの。塩胡椒を弱く効かせて、いい味でした。これ、近所のKさんに頂いた生椎茸です。ありがとうございました。それをして親方のことを思いました。随分ご無沙汰です。椎茸、出たかなぁ。(11月20日水曜日) 快晴。 午前4時半起床。早朝散歩50分。 今日は私のまちに3社ある造船所のうちの一つ、三浦造船所で行われる進水式に社長代理として出席しました。天気に恵まれました。午前9時過ぎ、準備万端の会場です。 船主さんの家族、廻漕業社社長、銀行役員、造船所社長などに交じって祭壇前に座りました。神事のあって榊を供え、柏手を打ちました。写真は支綱切断前の図です。この後、船主家のご令嬢が斧を振り、糸を断ち切りました。 シャンパンがバルバスバウの上に割れ、船長100mのばら積み船が船台を勢いよく滑っていきました。流れる音楽は軍艦マーチではなく、宇宙戦艦大和のメロディーでした。ちなみに、ここ三浦造船は国内有数、内航船建造のトップメーカーです。紋別市にある流氷観測船ガリンコ号もここで建造されました。 午後は昨日とは異なる懸案事項協議。それの終わり、終業前、会社を後に。帰宅して父を覗きました。入眠剤を一錠渡し、家に戻ってネクタイを巻いたまま夕食。再度、出かけました。今夜と明日、UNIONとの交渉を予定していました。弊社業界は春闘と異なる交渉日程です。始まりから終わりまで無粋のやり取りが続きました。午後10時過ぎ帰宅。なんだか疲れたな。シャワーを浴び、燗酒を1合5勺。舐めてバタンキュー。(11月21日木曜日) 晴れ時々曇り。 散歩から戻ると、妻がバラ寿司を拵えていました。炊き上がって冷ました酢飯に具を混ぜ込むの図。 朝から馳走でした。 朝食の折、妻が、父の世話、無体の言葉遣い、加えて長年積み重なった彼の男尊女卑思想に参っている内容を話しました。毛の三本足りない杣夫は、予てからそれを判りつつも、改めて腑に落ちました。日々の暮らしに流され、妻の悩んでいることは気になっていました、改めて、ここは守ってあげなければ。父の世話について、今後、どうあるべきか、話し合いました。写真は父の庭に咲く石蕗です。おさんどんを届ける妻の目に、これまでこの花の色合いはどう映っていたのか。昨日まで杣夫は、この花を愛でていましたが、今日はその気持ちが急に萎え、華やかな黄色がくすんで見えました。 午前は会議。午後はお客様がありました。 夕刻、今日も終業時刻前に退社。家に戻り、父を覗きました。妻に下りた診断と状況を説明、父ちゃん、独りでできることは頑張ってしてね、食事はきちんと届けるから、そう諭しました。まだ要介護1のレベルです。大方のことは大丈夫でしょう。 夕食の皿うどんを食べ、再び会社へ。昨日に引き続いてのUNION交渉。内容は別として、杣夫が思うに、やり取りに段取りの悪さありあり。これまでずっと続いてきた交渉形態とはいえ、もう少しスマートにできないものか。長時間の待機あり。無駄をしているように思えてなりません。その間、自室に過ごしました。仕事のメモ整理に飽き、A先生へ当て葉書を書いたり。交渉再開、妥結しての帰宅は午前様になりました。シャワーを浴びず、顔と足の裏を洗っただけ。冷酒をグビリ飲んで就寝。この日の写真はネタ切れに付き,NのTやんがくれた金柑です。大玉でした。ゴーヤをあげたお返しでしょう。(11月22日金曜日) 晴れ時々曇り。 午前5時半起床。後れを取りました。昨晩の疲れがせいで、今朝は散歩を休みました。鯉が待ってるだろうな。昨晩、風呂に入りませんでした。朝シャワー。写真は朝の出勤時です。木立川に水蒸気の昇るの図。水鳥の憩うているのを見てとれます。今朝は冷えました。いよいよ冬だな、独りごちました。信号待ちの折、Apple Musicでリエンツィ序曲をチョイス。気持ちの晴れてこの曲を選んだのは、UNION交渉を終えたからでしょうか。 午前は某審査会。それの終わり、先日指示した案件の調整ミーティング。午後は株主代表会議を控えての打ち合わせ。なんだか目がしょぼしょぼ。それの終わり退社。帰り道「嗚呼、やっと週末だ。疲れたな。」心の中でつぶやき、いつものスーパーへ突っ込みました。鯵を購入。帰宅して父を覗いた後、チャチャッ。湯船に浸かり一息。妻も疲れ気味ということでコーラスを休みました。二人、燗酒を舐めながら、大相撲の録画を見るともなし、来し方行く末についてボソボソ会話。写真は当ての鯵刺しです。今日は格別の鮮度と脂の乗りでした。午後8時過ぎ、食卓に舟を漕ぎました。バタンキュー。 ネタ切れです。写真は妻の友人・ピアノ教師のW子(第九練習のピアノ伴奏も担当)から貰った土産です。夫婦して大相撲九州場所観戦してきたとのこと。彼女、若元春のファンだとか。 中を開けたら力士のクッキーでした。 最後はニャンです。今週、ストーブを焚き始めました。暖かい火なのですが、どうも物足りません。番人のトラが居ないからです。寂しいな。ということで、先週末の散歩、道すがら、行き遇わした若猫をアップ。いい感じです。おい、お前、うちの食客にならないか?
2024年11月23日
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平成29年12月11日(月) 午前5時起床。終日晴れ。強い北風でした。先々週だったか、黄金色をしていた熊野神社の銀杏は、1枚の葉を残さず。一気に冬本番となりました。 新聞休刊日。面白くない朝でした。 リーマン仕事は判子押しの合間、明日に控えた小会議の準備。二日間、開かれます。会議以外、仕事の懸案は残っていますが、今週、それを終えると、肩の荷が下りた気持ちになります。帰宅途中、見え始めた星を数えながら、そろそろ賀状に取りかからないといけないな、大掃除とはまではいかないけれど家の窓ふきは私の役目。本の整理もしないといけないけれど、それは2年後だな。退職してでいいや。梅の木の本格的剪定と合わせ、先送りです。それに週末は山仕事もあるし。なんと言っても冬山のあの冷えて凛とした林間の空気、白い息を吐きながら木を倒していく無心。なんだかランナーズハイに似た感覚です。 帰宅して大風に折れました。懐中電灯をつけてのランは止め。シャワーを浴びて、あっ!日本酒を切らした。ふなぐちはありますが、それを燗には出来ません。仕方がない、焼酎のお湯割りにするか。白霧と白波を1合ずつ。それで打ち止め。 一杯やっていたら、海老輸入会社を個人経営する友人KからTELがありました。歳暮の礼に託けて、双方近況話。同級生の大方が定年前後になった、その話ばかりという内容でした。「2浪3浪の奴らは既にリタイア、自適もいるが再雇用で頑張っている者もいる、自分は70まで現役で頑張るよ、年明け、商談で九州を回るよ、その時訪ねるね」私「そうか、70までか。それなら、俺が退職して後、お前がインドやバングラディシュに買い付け出張する折、足手まといにはならないから連れて行け」そう言いました。二つ返事が返ってきました。嬉しいな。インド洋の漁村廻り、今から楽しみです。 年賀状の話が出たついで、思い出したことがあります。先月、NIKKEIの好友抄にマツダ専務、菖蒲田清孝氏が書いてた話です。友人にオムロンの竹林一さんという方がいて、その方からの賀状に「やりたいこと100連発」を書いてあったという内容です。「毎年の大晦日に翌年にやりたいことをまとめて書き出す。7割は実現するよ」実際にやってみると、そのとおりだったとのこと。「やらなくてはならないことのみを書くのではなく、自然と思いつくことをつづる。仕事のこと、家族のこと、友人のこと。自分と向き合いういい機会だ」なるほど。大晦日に酒をかっくらってグーグー寝てしまうよりずっといいな。 このところ、音楽はアルテックを中心でした。今日、所用でオーディオの師匠を訪ねました。当然、音楽談義の立ち話。ハイレゾのことについて、簡単な説明を受けました。上には上があるものです。野球はピッチャーが9割、オーディオはスピーカーが9割、と思っていました。しかし、野球に戦術があるように、オーディオにも先端技術に依るさらなる高みがあるようです。師匠の話は、或る意味、ハイレゾはレコードの音に共通するものがあるという内容でした。それならばと、オーディオルーム、タンノイの部屋へ行き、その話を思い出しながら耳を傾けました。アシュケナージのラフマニノフ。冬の夜にいいマッチングでした。トラがやってきて膝の上に乗りました。テレビの煩いバラエティ番組に閉口したんだな、おーよしよし。頭を撫でてやりました。お休みなさい。今日の一句木枯らしに芋焼酎と肩すぼめ今日のランなし今日の酒芋焼酎2合今日の写真はJRAから届いた親展です。年末年始の競争日程を案内でした。中に来年1年間のスケジュールもありました。東京優駿は5月27日。その頃は梅がそろそろ収穫期、梅雨の走りで湿っぽい頃です。あと半年先。あれこれ考えると、1年は長いようでもあるし、短いようでも。
2017年12月11日
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午前6時に起きました。妻はまだ水平飛行でした。一人、味噌汁を温め、ご飯にかけて、かき込みました。俗に言う「猫まんま」です。新聞を開くと、山田泉さんの訃報がありました。映画「五円玉」を見たばかりでしたが、あまりにも早い旅立ちに無常のようなものを感じました。まだ日が射す前の時間に地下足袋を履きました。今冬、親方の山に初めて入る日です。山に着くと、親方は御神酒を供えていました。供えると言っても、缶ビールを開け、杉の一本にドボドボかけるだけです。通常、一升瓶を山の神に手向けますが、そうしませんでした。私はチェーンソーのエンジンをかける前に、柏手を打ちました。今日は50年生の杉と檜を20本あまり切りました。刃のキレが今イチでした。キチンと研ぎ直す必要があります。写真は親方です。木を倒すのは私の仕事。彼は木の品定めをしながら油持ちです。ポケットに手を突っ込んで、煙草を吸いながら私の作業を見るだけです。私はボランティアですから、彼のこんな仕儀も気になりません。私の山行きは、ストレス発散のためです。親方が喜べば一石二鳥。親方は山師です。中古のクラウンに乗っています。時々、大分の映画館へ私を連れて行ってくれます。昼食付きです。全て彼の奢りです。強いて言えばこれが木切りの駄賃でしょう。今日切った一番大きい檜に、鳥の巣がありました。写真、判りますか。木を倒して中を覗きましたが、気になるようなものはありませんでした。 昼前に山を下りました。昼は妻がチャンポンをしてくれました。ちょっと馬を覗きましたが、如意でした。運動公園へ回り、ラン14km+スイム550m。シューズの中に専用のクッションを敷いたら、足裏に大きなマメが出来ました。走っている途中に、自宅近くのNさん親子と会いました。彼らは酪農家です。立ち話をしました。運動公園周辺の土地を借りて、飼料にする草を栽培しているそうです。今日は、刈り取った草を白いビニールで巻く仕事に来ているとのことでした。形と大きさは、直径1.5m、長さ2m位、円柱状に丸めたものです。ちなみに、この一巻きがNさんの飼うホルスタイン全頭の食べる1日分だそうです。写真のないのが残念です。話は変わりますが、息子さんは高校野球で活躍した選手でした。彼の息子も少年野球の選手をしているそうです。今日は運動公園野球場で試合をしている、と嬉しそうに言いました。母にキビナゴをもらいました。何所からかの頂き物だそうです。光っていてとても新鮮でした。妻が天麩羅にしました。文佳人と一緒に母屋へこれを届けました。滅多に酒を口にすることのない父が、この酒を一口含んで、これはいい、といいました。拙宅と父母の家はスープの冷めない距離です。料理のやり取りをよくします。今日のお釣りは蕪の三杯酢でした。
2008年11月22日
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平成29年12月12日(火) 午前4時起床。晴れ。北風強く寒い一日でした。夜風があり、霜降はありませんでした。 リーマン仕事は午前午後とも会議。発言の機会は少なかったです。ジンクスがあって、準備万端だと質問は少なく、その反対だと関連も含めあれこれ聞かれ七転八倒になります。今日は前者でした。それはそれとして、会議室でかつての部下datelineと隣り合わせになりました。その後如何を切り出し言葉、一献どうだ?そう言うと野郎め、今晩OKですよ、と切り返してきました。付き合い一番身体は二番の男です。先手を打たれました。しかし「素人はこれだから困る、今日のいいはずがない。どうしてか判るか。昨日は朝から終日、しかも夜通し北西が吹いただろう。漁師は休んだはずだ。当然いい魚はない。『止め』ばかりだ。こんな日に暖簾を潜るのは素人だよ、素人。突っ込むには空と相談が欠かせないんだよ、dateline君。ウワッハッハ」何とか凌ぎました。彼、明日以降、夜の部はたて込んでいるとのこと。20日と21日が空いていると言う返事。よし、そのどちらかにしよう。 飲み会の約束をしているうちに陽が傾きました。あっ、そうだ、血圧の薬を処方してもらわないと。会社を後にし、いつものS内科へ。「先生、飲んでますか?インフルエンザの流行はまだですか?」聞かれるより先に訊きました。酒の話はそれとして、インフル患者はこの1週間で1人やって来ただけ、今はノロウィルスが流行、とのこと。年末年始に羅漢すると悲惨だから手洗いをきちんとするよう言われました。「先生、嗽、消毒は毎日欠かしませんから」先生「アッハッハ、それは効果が無いな」箸から落ちたものも3秒ルール適用の杣夫です。気をつけないといけません。隣接する調剤薬局で薬を受け取りました。診察と両方で5ラーあまり。2ヶ月に1回ですから馬鹿になりません。 帰宅途中、いつものスーパーへ寄りました。切らしたパック酒を買いました。ついでに魚屋のショーケースを覘きました。おっ、ホウボウだ。よし、これを焼いてみよう。 焼き上がりの図です。白身、淡泊。丸々と肥え、身の多いのがこの魚の特徴です。 勿論、刺身も欠かせません。チャチャッとやっつけ、トラと山分けしました。 ところでこれ、何だか判ります?メロンではありませんよ。 以前、親方にもらった冬瓜(トウガン)です。妻が重い腰を上げて、やっと包丁を入れました。 挽肉の餡かけ。味は控えめ、個性がないといえばそれまでですが、この「そこはか」は悪くないです。それにしてもです、手間暇かけてのこの料理、おかあさん、頭が下がります。 こういう料理には日本酒の燗が合います。拙宅には錫のものはありません。アルミで代用。ストーブの天井に載せた広口鍋で温めました。チンとは違う温もりです。この鍋、乾燥予防がためですが、いつもこうして湯のあると、各種パックものの湯煎にも使えて重宝です。 ありがたくなりました。でもあと1品、何かもう一口欲しいな。妻が野暮用で出かけた後でした。おっ、そうだ。亮さんが送ってくれた氷下魚の一夜干しがあったんだ。ヘッヘッヘ。それを1本焼きました。手炙りに炭を入れて、がいいのですが、既にいい気色。熾火の扱いに手元が狂うといけません。面倒を理由にグリルの中へ。よく焼けました。これがうまいんです。亮さん、重ね重ね有り難うございました。 それにしても何だか毎日、家飲みブログだな、この頃は。今日の一句雪国の風だけが吹く燗うまし有明に身を崩したる魴鮄の冬瓜を切る女房や夜の更けて今日のランなし今日の酒日本酒2合 芋焼酎1合今日の写真は無線LANルーターです。息子が引っ越しを機に購入したものが諸般の事情で不要となり、送って寄こしました。拙宅のものは馬力が弱いだけに、渡りに船、ありがたい。
2017年12月12日
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午前5時半に起きました。夜来の雨があがり、終日晴れでした。昨日の夕方、親方からTELありました。奨めた映画を見に行こうというものでした。午前中、休みを取り、大分の映画館へ行ってきました。「石内尋常高等小学校~花は散れども」という映画でした。シネマ5。内容は特別な主人公のいない、ほのぼのとした市井の人たちの人生を淡々と描くものでした。ただ、その淡々さにあって、戦争が斯くも人間に暗い影を落とすのかというようなことを刻んでいることは、素晴らしいと思いました。銃後の嘆きを科白一つで言い表しています。このあたり、脚本はさすがです。食事も映画も全て親方の奢りでした。運転だけ、私がしました。親方のクラウンは中古ですが、快適でした。午後、デスクワーク。臨時職員さんが退職しました。1月からずっと働いてもらいましたが、仕事ぶりは見事でした。痒いところを掻いてくれる、指示なしにもかかわらず向かい来るハードルを予想し越えるために必要な資料を用意してくれる、といった感じです。弊社で働き始めた時、彼女は関東の洒落た街からこの町へ嫁いできて、まだ数ヶ月でした。来年5月にはおめでたのようです。花束を用意し、見送りました。ということで、私の担当するプロジェクトは人的縮小がどんどん進みます。来週からは一人での残務整理となります。来春までに幾つかのキャンペーンをこなさなければいけませんが、これには予算的裏打ちがあるので、心配はいりません。夕方、ラン8km+スイム500m。昼食 清陽軒チャーシューメン夕食 パン ボイルソーセージ チーズ 野菜サラダ 赤ワイン
2008年11月28日
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Friday, November 15, 2024 2週間ぶりのブログ更新です。ペンを取らなかったのは、多忙が半分、その気にならなかったのが半分です。今回はそのあれこれを纏めました。(11月4日月曜日・祭日) 午前6時前起床。5kmの早朝散歩でした。午前、玉葱を植える場所に苦土石灰を鋤き込みました。父が渋抜きした柿を食べたい、TELがありました。柿穫りの時間が無いと返しました。「寿命がない、今生の柿になるから穫れ。ましてや今年のような不作の年にもったいないことをするな」仕方がありません。髙枝切鋏で20個ほどを穫りました。ホワイトリカー30度を塗し、ビニール袋に密封。10日ほどで渋が抜けます。この日は薪ストーブの掃除も。薪ストーブは2台目ですが、煙突は一度も取り替えていません。そろそろかな。夕方、Rさんと散歩を小一時間。バタンキュー。(11月5日火曜日) 午前5時起床。早朝散歩を40分。暗い中でした。木立川の鴨が杣夫の足音に驚き、一斉に舞い立ちました。こちらもその羽ばたきにビックリ。大げさですが、平家富士川の戦いを連想。散歩中はSTB、HBCを聞きながらです。1ヶ月前に訪ねた札幌が懐かしい。その折は半袖で過ごしましたが、今日のラジオは初雪だったとのこと。遙かです。 終日、デスクワークと報連相、内部の会議。(11月6日水曜日) 午前4時起床。散歩の前、依頼されていた原稿を仕上げました。同窓会の案内文です。頼まれていたのですが、失念していました。幹事からの注文は、6月のそれに不参加の同窓へ、忘年会を兼ねた地元在住だけのミニ同窓会をするから参加しませんか、水を向け促す意を込めて、とのこと。難しいなぁ。 それを仕上げ、メールを送付。その後、散歩30分。午前7時半、家を出ました。秘書のS君が社用車で大分駅に送ってくれました。関西向け出張でした。日豊本線、ソニックを乗り継いで新幹線内に弁当を広げました。 同業他社の副社長10人あまりと一緒、同業某社を訪問。弊社業界の人材確保問題、社員の早期退職対策などについて、話を聞きました。全国的に有名なS社です。会社規模は弊社より若干小さめですが、人事労務担当の課長説明が素晴らしかった。真似をしよう。必死、メモを取り、質問攻め。勉強になりました。(11月7日木曜日) 大阪駅の近くに一泊。翌日、もう一社を訪問。企業誘致、残置、企業間コラボで新製品の開発…、それらに取り組む企業担当部門の話を聴きました。杣夫の得意分野でなく、また弊社の何倍も大きな会社だけに、実際、弊社で役立つ話か否か少し考えるところがありました。ただ、説明をしてくれるその会社の担当課長さん、若い女性ですが、とても明るく、遊び心のあるような印象でした。部下の男性社員、彼等の顔つきを見てそれがわかりました。研修の内容はともかく、職場は上司のマネジメントが大切だな、改めてそんなことを思った次第です。写真は途中、乗り換えた駅の看板です。ここは焼き肉のまち。エスケープ、ホルモンをつつきたかったです。 大阪駅に戻り、新幹線に乗り、とんぼ返り。乗り継ぎの時刻待ちにこれを求めました。妻の好物なのです。 岡山、広島を通過。小倉で在来線・日豊本線に乗り換えました。乗ったソニックは大分が終点。一緒した他社の皆さんとはバイバイ。杣夫は佐伯まで更に1時間の道中。次の電車を待たなければなりません。もう午後5時を過ぎた、飲んでもいいだろう。待合の時間にアルコールを仕入れました。宮崎向けの特急に乗り込んで一人、さあ乾杯だ。 これを摘まみました。鯖寿司、大好物なんです。佐伯駅まで1時間あまり。酒の全部を干すことはできませんでした。駅でタクシーを拾い、自宅に戻ったのは午後8時過ぎ。バタンキュー。(11月8日金曜日) 早朝散歩。木立川、門の鼻橋付近を歩いていて、川の中が騒々しい。バシャバシャ、何者かが川の中を走ってくる気配でした。懐中電灯を向けると、大猪が2頭、全速力で川上に向かっていきました。迫力満点でした。帰りの道中、熊野神社横の畑に穴熊がいました。目が合いました。すっとぼけた顔つきが可愛い。 朝食の間、父の我儘に閉口するとは妻の弁。毎日、それの続く彼女に頭が下がります。会社はあれこれの仕分け、捌きに終始。新年度予算編成、担当者も頭が痛いだろうな、そんなことを思う一日でした。 今日は金曜日。夕食は自己完結の日でした。いつもは魚だけど、今日は牛しゃぶにしよう。帰りにいつものスーパーへ寄り、その食材を求めました。帰宅していざ。ところがやっ!間違えて豚肉を買っていたのでした。仕方がありません、豚しゃぶにしました。前者を想定、生酒の甘露を用意しましたが、それをやめ、芋焼酎に。 父を覗きました。来週からデーサービスに通うこととなりましたが、それを嫌がっています。これから毎晩のよう、説得です。写真は大阪出張、自分用にと求めた水茄子の漬物です。いい感じでした。(11月9日土曜日) やっと休みが来ました。午前5時起床。バッハを聴きながら珈琲を楽しみました。 午前、玉葱を植えることにしました。穴の空いたマルチシートを菜園に広げました。妻が買って戻った苗を230本植え付けました。屈んでの作業は腰と膝にきます。ビニール手袋をしなかったので、爪の中が真っ黒になりました。植え付けは昼を挟みました。シャワーを浴び、少し午睡。 目の覚めて、ホテルKへ向かいました。午後3時半の待ち合わせです。今日は酔散の同級生Y(静岡在住)が私のまちをわざわざ訪ねてくることになっていました。しばらくの間、同室に暮らした仲です。学生の頃は大学の交響楽団に所属、楽器はホルンです。卒業後、暮らすまちにアマオケを立ち上げ数十年、そのまちのクラシック音楽界をリードする人物です。半可通の杣夫と違い、楽理もさることながら古今東西の作曲家、作品、オーケストラ、指揮者、演奏家に深く通じ、半端の解説者顔負けです。本を出すレベルかと。加えてレコード・CDの類いを数万枚所蔵。毎日、ブログに「音盤中毒日記」と題した盤解説を載せています。それが深いのです。 閑話休題、歴史にも興味有りと言うことで、西南戦争官軍兵士の埋葬墓地、臨済宗の修行寺・養賢寺、歴史資料館、佐伯市のランドマーク・城山などを案内しました。写真は丁度特別展を開催、そのパンフです。これを見ると、江戸時代、隣町・津久見市の半分以上が佐伯藩の所領であったことが判ります。 午後5時を回りました。贔屓の店「はし本」に案内しました。先ずは44年ぶりの再開を祝い乾杯。写真は付け出しです。手の込んで妙味ありです。 こちらは刺し盛り。楽しんでもらったかなぁ。 久闊を叙していて、おっ、datelineが店に入ってきました。ここは彼の河岸です。週に数度、突っ込むそうです。彼に「朋遠方より来たるありだから、何がいいかなぁ」問うてみました。「そりゃー茶碗蒸しとフグでしょう」ならば大将、それをやって頂戴。写真は後者です。美味しいといって食べてくれました。 河岸を変えよう。ワインの店・玉井に向かいました。グラスワインですが、メドックの年代物です。いい熟成感でした。 夜が更けました。名残惜しいのですが、彼をタクシーに乗せました。今度は僕が君のまちを訪ねるよ、それじゃーな、元気で互い身体に気をつけよう。見送って井伏鱒二のサヨナラダケガジンセイダを思い起こしました。(11月10日日曜日) 少し二日酔い気味。午前、午後とも私のまちに開催のイベント関連行事。 それの終わって帰宅。午後、雨の降り出した中を野良仕事。チェーンソーを使い、茶株を根元から刎ねました。延長距離10m。枝の広がる茶はその始末に難儀します。汗をかきました。野良着を脱いでシャワー。その時、父からTELあり「(不機嫌そうに)夕飯はまだか」待つことを知りません。その時刻、妻はすき焼きを拵えていました。出来上がって届けると「これは美味い」ムシャムシャ。なんだかなぁ・・・ではあります。(11月11日月曜日) 新しい週です。締まっていこう。出勤して、最初の報連相はチョンボの報告。出鼻をくじかれました。終日、ミーティング。事故報告などもありました。真っ直ぐ帰宅。会社にも困りごとですが、帰宅しても難儀。デーサービスを嫌がる父の説得に終始。彼のリハビリと惚け防止が目的ですが、妻にも自由時間が必要です。四六時中、父に縛られては堪らない、そのことを話すのですが、理解しません。いっそのこと、妻に逃げられた、杣夫は仕事があるから、父ちゃんの世話をすること能わず、施設に入る?と水を向けてみようか。(11月12日火曜日) 早朝散歩、小一時間。 ニュースで選挙制度改革に取り組む某社のことを知りました。弊社も岐路に立たされています。その関連で報連相あり。終日、デスクワーク。 帰り、I酒店に立ち寄りました。先週末にやって来た友人Y、彼に重い土産を持たせ手はいけない。ということで酒を送りました。ついでに自分用の生酒も。それを父に飲ませたら、大層喜びました。ペロリ2合、干しました。(11月13日水曜日) 早朝散歩小一時間。今日は、鯉の餌を持ちました。というのも、コースの途中にある湧き水の池(水田を灌漑、広さ100平米ほど)に鯉が10匹ほど泳いでいます。餌がないのでしょう、骨川筋右衛門の体型。ということで、先日,DYYに寄り、鯉の餌なるものを買ったのでした。 水面に向かって投げると、最初は波風立たずだったものが、それとわかると養殖鰤の投餌風景が如くとなりました。たんとお食べ。 今日は父のデーサービス初日でした。昨日までの説得が奏効、昨晩までその気になっていたのですが、今朝になって行かないの一点張り。それを妻がなんとか言いくるめ、送り出しました。日中、受け入れ先ですったもんだあったようですが、なんとか一日をそこで過ごしたようでした。やれやれ。 杣夫は気になって、半分仕事が手に付かない気分でした。このようなことではいけません。シャキッといこう。 一度帰宅、父に今日の様子を聞いて、次も頑張ろう、そう伝えました。うんうんと頷きましたが、どうなることやら。 今日は夜、ミニパーティを予定していました。再び外出。お客様を迎えての歓談でした。週末にある音楽会関連の方々です。話に花が咲きました。オケの中でのコンマスの役割と重要度、欧州と米で異なるピッチの話、ベースとなるのは各地教会のオルガンの音、作曲家の本質に迫ろうとするためには原本の写譜が大いに参考となる…、杣夫の質問に丁寧、応えてくれました。嬉しかったです。写真は囲んだ鍋です。土手鍋ですが、牡蠣の身は沈んで見えません。 こちらは刺し盛り。素敵な夜が更けました。 (11月14日木曜日) 午前5時半起床。早朝散歩途中、今日も鯉に餌を与えました。池に近づくと、彼等がなんだか待っていたような雰囲気を感じました。 終日報連相、判子押しが仕事でした。来客あり。墓埋法に関連するものでした。近々,UNIONとの交渉も予定。そのレクもありました。 夕刻、妻は不在。土曜日の第九演奏会を控え、今日明日と指揮者を迎えての練習だそうです。父を覗き、明日はデーサービスを確認、納得させ、一人、焼酎を乾き物で流しました。(11月15日金曜日) 午前5時、ぱらつく中を散歩小一時間。途中、鯉に餌やり。 出勤途中、妻からTELあり。父がごねているとのこと。とって返し、説得するも能わず。「あんなところに行くと心臓に悪い、死んでしまう」頑として動こうとしません。書くこと能わずですが、妻は無体な言葉を浴びせられたようです。施設にTEL、今日休むことを妻が伝えました。困ったなぁ。 午前8時半前、会社に滑り込みました。 今日も終日、仕事が手に付きませんでした。帰宅して、今日の様子を妻から聞きました。頭が痛い。日の暮れて、妻は第九指揮者練習2日目。杣夫も仕事中そうでしたが、彼女も、この状況では歓喜の歌を楽しむどころではありません。今週末、父と対峙です。 写真は先日来佐のYが土産、唐墨です。 スライスし、出羽桜で流しました。甘露と絶品の当て、独り酒にはもってこいです。Y、ありがとうね。美味しい味わいです。楽しませてもらいます。
2024年11月15日
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午前6時に起きました。昨日の酒は残っていません。外気温-1℃。霜降。晴れのち曇り一時雨。寒い一日でした。終日デスクワーク。途中2時間、幹部協議。ウバメガシで焼いた炭を窯から出したと、A氏からTELあり。キンキンの良品です。私が切った木なので、思い入れがあります。西野炭組合の組合長H氏が焼きました。私的な付き合いのある遠方に、盆正月の贈り物をしました。仲人、義弟嫁実家、北海道の友人、学生時代の妻が世話になった人、それぞれにです。練習は休みました。朝食 味噌汁、ご飯、鯵味醂昼食 牛とじ丼夕食 焼肉、ご飯、白岳
2008年12月08日
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午前5時半起床。夜来の雨が残っていました。今朝は何もする気分になりませんでした。レースの疲れが出た感じでした。午前中は来年の営業計画についての折衝、午後は残務整理でした。この仕事、もうしばらく続きそうです。夕方、運動公園でトレーニング。ラン4km+スイム500m。疲れからか、調子は今イチ、いや今二でした。帰って、冷酒を飲みました。ストーブの前にじっと座り、トラの頭を撫でながらボーッとしました。本も新聞も読まずに、早じまいでした。昨日、息子からTELがありました。年末の帰省、スターフライヤーだそうです。北九州空港まで迎えに行くことになりそうです。
2008年12月09日
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中上健次の書いたものを読んだことがありません。11月23日読売新聞に彼の特集がありました。「路地」を巡る愛憎が原点なんだそうです。主要作品を書いておきます。いつかまとめ読みします。『岬』文春文庫『枯木灘』河出文庫『地の果て 至上の時』新潮文庫『紀州-木の国・根の国物語』小学館文庫『千年の愉楽』河出文庫『軽蔑』集英社文庫『十九歳の地図』河出文庫『鳳仙花』新潮文庫『日本語の作法』外山滋比古 日経BP社 1,200円『ザ・コピーライティング』ジョン・ケープルズ ダイヤモンド社3,200円『人が集まる!行列ができる!口座、イベントの作り方』牟田静香 講談社800円駅伝の季節です。『冬の喝采』黒木亮 講談社2,000円
2008年12月06日
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午前6時過ぎに起床しました。今日は寝坊でした。外気温4℃。ストーブに薪を追加しました。朝から強烈なプログラムを聴きました。シューリヒト、パリ管でベーヤンの運命、同ウィーンフィルでブルックナーの8番。二つとも名演中の名演でした。朝のコーヒーともに染み入ってきます。午前中、妻と親戚を見舞ってきました。静脈瘤の手術をし、伏せっていました。術後一週間と聞きましたが、まだ傷みがあり、辛そうでした。足をさすってあげたかったのですが、それほどの関係でもないので、躊躇しました。帰るとき、手を握りましたが、なんだか悲しかったです。病院を出て見上げると、神社の銀杏が美しく、青空とのコントラストが絶妙でした。城山から臼坪上あたりのクヌギが枯れ色に色づき、ハゼの赤と相まってうつろう様子は、晩秋とはいえ、今たけなわの秋を醸しているようです。先々代の養賢寺老師片岡省念氏が「花園」冒頭に寄稿した句「山花開いて錦に似たり」というのがありましたが、まさにその通りです。岳父の仏壇へ線香を上げ、その足で運動公園へ回りました。ラン13km。スイム150m。バテバテでした。誰からいただいたのか判りませんが、母が自然薯をくれました。夕方、すり鉢でごりごり。美味しいものを食べるための努力は厭いません。出汁を混ぜたものと、そうでないものの二つに分け、出汁なしは冷凍しました。時折解凍し、冷酒の肴にすることを想像し、一人ニンマリしました。朝食 ご飯 牡蠣のすまし汁 鯵の丸干し昼食 バナナ1本夕食 ご飯 猪の煮込み トロロ 缶ビール 白岳メモ欄亭序は現存しないチョ遂良が模書したといわれるものあり宝船
2008年11月30日
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午前2時に起きました。3時間ほど本を読みました。このまま起きていて日中の仕事に支障を来してはいけないと思い、また布団を被りました。一寝入り、次に目の覚めたときは爽快でした。朝ご飯も美味しい。外気温は12℃でした。昨日の雨とうってかわり、よい天気になりました。がしかし、終日デスクワーク。ただし、今抱えている仕事はルーチンワークと違いますから、総務あるいは管理部門のような硬い空気はありません。これがよいです。車検が終わりました。1日で終了でした。岳父の車を妻の実家へ返し、愛車に乗って帰りました。今日、車中で聴いた曲はバッハのカンタータでした。BWV202と209。よい演奏でした。数週間前、このブログに書いたバロック全集、これで16枚をやっつけました。ドライブの時だけに聴くので、なかなか捗りません。オマケに、今日は友人Kがムラヴィンスキーのライブ12枚組を貸してくれ、これがまた一山になりました。これは、私がベルリンフィル戦中戦後の名演奏10枚組を貸したお返しでした。全てレニングラードフィル、ショスタコ、チャイコ、モーヤンベーヤン、ワグナー他です。嬉しいような、全部聴くにはちょっと憂鬱なような。今日は練習を休みました。仕事からの帰り、体が軽かったので、いい練習ができると思いましたが、真っ暗になって人気のない山あいの運動公園を走るのにちょっと腰が引け、まさに腰砕け。今日はプールを始め各施設とも休み、誰もいません。怖くなっての仕儀でした。夕食はけんちん汁と炊き込みご飯、それにキビナゴの煮付け。もちろんノンアルコールでした。昼休み、K木工へTELしました。佐賀県の友人I氏にプレゼントするテーブル加工の依頼でした。OKとのこと。杉板3m×1.5m、厚さ12cm。塗りも含め、二つ返事でした。助かりました。以前、親方が依頼したことのある大工さんが都合で別の仕事に就いたため、今回の加工注文を断ってきたからです。師走に入ったら、木工所へ持ち込む予定です。何とも見事な板で、I氏へあげるのはもったいないのですが、貰い物なので、固執してもいけません。欲しいという人にもらってもらうのをよしとします。もちろんただであげるのですが、加工賃はI氏が出します。年明け、出来上がったら、親方とI氏の実家がある北九州へ軽トラで運ぼうと思います。その際は、遠慮なく馳走になります。
2008年11月25日
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平成29年12月13日(水) 午前4時起床。晴れ。霜降。寒し。 出勤の折、トレーラーの後につきました。写真は信号停車中に撮した1枚です。これ、何に使うのだろうか。私の見たては、地中に埋設する光ケーブル用の管だと思うんですが。特種なものを運ぶ車両に出くわすと、あれこれ想像をかき立てられて面白いです。 昼休み、食事を急いで終えました。所用あり、近くの郵便局に行きました。番号札を取り、長椅子に座りました。隣に2歳くらいの男の子がやって来ました。目が合いました。ニコッ、してあげました。彼もニンマリを返してくれました。飾ってあった局のぬいぐるみを掴み、ポンポン放り投げ始めました。注意しようかと思いました。しかし、可愛さに加もあり、ままよ。独りごちました。少し匂いました。大をお漏らししているのかな。母親と思しき人は窓口で込み入った話のようでした。放り投げがエスカレート。と、その時でした。窓口の女性が私の方を向いて「おじいさん、ちょっと注意してください」ガビョーン。 リーマン仕事を終え、P葬祭に向かいました。かつて部下だったSさんの母が亡くなったと言う知らせ午前に受けていました。患いの長かった親を、結婚せずの看病でした。通夜の始まる前でした。その時刻、弔問客はいませんでした。線香を手向け、悔やみを言いました。訪ねてよかったです。 帰宅して風呂。ラジコを聴きながらゆるりの時間がよかったです。頭を拭いて、足に痒みを覚えました。2週間前だったか、山で打ったところです。こんな感じになりました。まだ腫れていますが、それでも小さくなりました。年を取ると、打ち身や切り傷の治りを遅く感じます。書くことが無いのでショートショートを。「白子姫」 寿永2年、旭将軍の叡山に至るを聞いた宗盛は、幼少の安徳天皇と三種の神器を奉じて西国に逃れました。山陽道を西へ西へ、落ちた先は大宰府でした。しかし時流を見てか、緒方氏をはじめ在の豪族は平氏へ与さず、でした。一門は再び瀬戸内の海路に。島々を辿り、讃岐の屋島に内裏を構えたのでした。この話はその折、鎮西から屋島への途上にはぐれた某姫の話です。 その日、緒方惟栄(これよし)の所領を抜け、胸をなでおろしました。家人二人を連れた白子姫は、西日の沈む祖母山を振り返り「ああ、もう追手は来ない」そう呟きました。下を向くと、わらじに赤いものが滲んでいました。「姫様、今日はもうここいらにいたしましょう。あの椎の陰がよろしいかと。横になってくださいませ」老家人の吉平は促すと、若い郎党サメともども、柔らかな柴を集め始めましたた。 それから幾日か、佩立の峠を越えた某日、豊後の海にそそぐ番匠川の川面に3人の姿が見てとれました。糊口は、吉平の持つ砂金が頼りのようでした。落人旅はつらさを極めたようで、姫の白き項も赤黒く焼けていました。谷の両側に屹立の山が低く遠くなりました。栂牟礼をかわすと、海が近いのか潮の香がしました。「吉平、海が近いようです。渚はまだでしょうか。そこで船に乗り、聞こえし伊予の村上を頼りましょうぞ」 これを聞いた吉平は、姫自身、それが空しい独り言と知ってのことだけに、不憫を通り越して、この旅のいよいよであることを感じました。 小春日和の午後、潮の引いた洲を渡り、木立の郷に入りました。「姫様、土地の者によりますと、あの神武代を越えたら蒲江でございます。伊予に渡る船もきっと見つかることでしょう。今夜は手前の木立郷名主に御厄介となりましょう」吉兵は軽くなった砂金袋を握り締め、当てのない運命を嘆くのでした。 その夜はナキリの板間に横になることができました。湯を通した布で身体をあらためて、白子姫は熟睡することができました。しかし、京・西八条のこをが夢に見たようで、朝、瞼の端に涙の後が見て取れました。吉兵は不吉な予感を覚えました。「朝立ちを急がなければ」 前の晩から、ナキリの家は土地の者に覘かれていました。噂にしか聞いたことのない都人の美しさ、重そうな行李、従者の刀。見るものも京ことばも初めてでした。キツとキシの目が光りました。時に群盗をする連中でした。ニシ、マエ、ナガを誘い、郷名主の家を出た3人を、鎌と鍬を手に追いました。 数日後、キツの家の女が小袿を着る姿がありました。 話はそれだけです。しかし、これには後日談もあります。木立の人たちは白子姫の話を語り継ぎました。戦後、木立の奥、大中尾に防災ダム建設の話が持ち上がりました。そこはまさに伝え聞く白子姫の殺められた場所でした。大きな自生木が立っていました。それを土地の人は白子木と呼んでいました。さて、堰堤の工事はそれを切り倒さないと建設能わず。工事監督が手当てをはずむからと促しましたが、木立の人足は誰も手を出しませんでした。神主のお祓いにも拘わらず、鋸をひく人は出てきませんでした。とその時でした。酒を飲んだニシが、勢いに任せて「ままよ」。一気に切ってしまいました。ニシはその夜、熱を出して意識不明。そのまま目の開くことはありませんでした。ダムの工事は進み、完成をみました。携わった地元の人たちは堰堤の端に小さな祠を建て、赤い字で「白子姫命」と書きました。その祠が現存します。今日の一句手の皺に吾の余命をかみしめる今日のランなし今日の酒冷酒5勺 燗酒1合 焼酎お湯割り1合今日の写真は夕食の石狩鍋。酒粕、バターによる味付けがよかったす。野菜は自家製。市井は高騰しているだけに天の邪鬼の私はいい気分です。
2017年12月13日
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午前6時半に起きました。今日も目の覚めるのが遅かった。急ぎの朝食、ネクタイを手早く結んで出勤でした。今朝の霧は格別でした。とても深い。途中、自転車をこぐ高校生を追い越すのですが、彼らはこの湿りにぬれるだろうな。午前中デスクワーク。昼前に親方と電話で話し、急きょ午後休みを取りました。急いで自宅へ帰り、着替えて地下足袋を履きました。昼からチェーンソーをもって山に入りました。今日は平場の作業しやすいところで、雑木の玉切りをしました。林業を生業にするHさんが樫を重機で寄せてくれているとのことで、飛んでいった次第です。樫はまだ生木です。重く、軽トラに平積みして満車です。時間があったので、積むことのできない分も玉切りました。いい汗をかきました。回収は明日かな。親方の話では、Hさんは日田林工卒。親しみがわき、しばらく立ち話をしました。湯布院出身、勤めた林業会社の支店が県南にあって、この町で暮らしはじめたそうです。独立後もベースを佐伯市におきました。年齢は私と一緒で50歳。2台の重機を所有し、山の木を切って搬出する仕事をしています。運転作業の様子を見ましたが、とてもスピーディー。私が1日がかりでする仕事を10分で片付けてしまうような手早さです。とても便利な機械をもっています。バックフォーのアーム先端に付いているツールはフィンランド製だそうです(写真)。親方は、これを見て、自分がもう10歳若かったら同じものを買って本格的に伐採搬出をしたのだけれど、と少し残念そうに話していました。午後4時半に帰宅、荷を薪小屋へ下ろしたあと、包丁を研ぎました。これで妻の肩こりが少し改善されるでしょう。普段から、切れ味がよいと、料理するときの気分が違うと話していますから。運動公園へ行き、ラン4km+スイム500m。作業でかいた汗が冷え、筋肉がガチガチでした。暖まるまで時間がかかりました。今日は少なめの練習。夕食は八宝菜。土佐の銘酒「亀泉」を開けました。今、冷蔵庫の中に一升瓶が3本入っています。早く飲みあげないと、次が来ます。昨日、酔鯨の純米吟醸新酒を3本、成り行きで注文してしまいました。亀泉を妻のグラスに注ぎながら機嫌を取りました。彼女、調子に乗って、昨晩の忘年会のことを話してくれました。曰く「みんな日本酒を飲まない。こんなに美味しいのに。薄いチューハイばかり飲んで。つまらん」だれかさんの言葉のようです。このところ、私が晩酌するとき、彼女も必ず杯を傾けます。私が飲まない日も梅酒を生で飲みます。更年期は酒を飲みたくなるのでしょうか。今日の酌で、冷蔵庫にもう数本の追加が叶えられそうです。バロック全集、40枚聴き終えました。ペルゴレージがよいです。
2008年12月12日
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午前4時前に起きました。外気温は2℃でした。随分と冷え込みました。ストーブをガンガン焚きました。日の前にトラが指定席を決め込みました。朝間に昨夜の読み残しを手にしましたが、5時半を過ぎて、暖の心地よさにウトウト。読了することができませんでした。会社は終日デスクワーク。抜け殻のようになったオフィスで、伝票と格闘です。精算はもう少しかかりそうです。部下の女性がバリバリのやり手、かつ爽やかな笑顔です。美しさを独り占めできて最高です。夕方になって、財布のないのに気がつきました。終日、お金を支払うことがなかったので、家に置いてきたのかもしれません。仕事中になくしたのなら、大変です。とりあえず帰宅し、探したら、昨日着たコートのポケットにありました。記憶を辿ると、案外見つかるものです。よかった。紛失すると大変です。キャッシュカード、クレジットカード停止の手続きが必要でした。免許証の再交付もしないといけません。想像するだけでめんどくさいです。50歳になって物忘れを自覚するようになりました。車の鍵と携帯電話、それに財布と手帳は管理しようとする気持ちのレベルを一段上げようと思いました。トレーニングを休みました。理由は上記の通りです。このところ週2~3日、練習を休んでいるような気がします。日の暮れるのが早くなり、暗い中を走る気力を保つのがしんどいです。気持ちを切り替え、夜道は暮れない、走るのは楽しいと思いこむことで、続けていこうと思います。夜、以前、交際のあった全国紙記者I氏からTELがありました。長崎県の某市へ転勤になるとのこと。彼は隣の県出身で、関東の大学を出たあと、私の遊学した大学の大学院を卒業しています。それが縁で、在佐の折は一緒に飲みました。結婚もこの町に住んでいたときでした。奥さんは東海地方出身、二人とも佐伯に知り合いがありませんでした。自分たちの披露宴でピアノを演奏するのだけれど、練習の場所がないという新婦に拙宅を提供したことを覚えています。綺麗な人でした。学生の頃からのロマンス、遠距離恋愛を経てゴールイン。美男美女の夫婦とはこのカップルのことを言うのだと、贔屓の暖簾「つね三」の大将がぼやいていたことも覚えています。
2008年11月19日
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午前5時半起床。外気温2℃。昨日より暖かい朝でした。終日デスクワークでした。夕方、トレーニングの時間に妻へTELし、久しぶりに外食をしようと言うことになりました。ランは休みました。一度家に帰り、ネクタイを外し、ラフな格好に着替えました。今日の店は炙屋でした。鳥刺しセットと地鶏の網焼き、チキン南蛮を注文しました。どれも逸品でした。日本酒を合わせましたが、これらはいつも飲んでいる土佐の純米吟醸と違いました。好みの問題です。私にはちょっと。もう一軒、いつもの暖簾つね三へ行きました。私はアユのうるかを肴に燗酒を3合。妻はごまだしうどんと鯵寿司セットを食べました。炙屋でも結構食べたのに、お腹のどこに入るのでしょうか。帰宅は代行運転でした。午後8時半に勝手口へ。かなり酔いました。風呂に入らず、バタンキュー。
2008年11月21日
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午前4時半に起きました。外気温は5℃。このところ、毎朝ストーブを焚いています。午後は雨になるという予報だったので、朝走りました。6km。霧が深かったです。自宅付近を走るときは、いつも山沿いの寂しい道を選びます。未明の時間は足下が不安なので、今日は街灯のある国道沿いにしました。走る最中に夜が白み始め、農道の方を回りました。ここでキツネと遭遇しました。霧中乳白色の中、孤狐に対峙し、ちょっと竦む思いがしました。午前中は防災の社内研修に参加しました。心構えを説く講師の話は、大変参考になりました。午後はデスクワーク。来週、大勢の取引先に集まっていただき、プロジェクトの報告をします。その際使用する説明資料の最終チェックでした。昼過ぎから本降りになりました。会社を出る時間は真っ暗です。運動公園へ行きましたが、冷たい雨を押して走る気分にはなりませんでした。朝ランをしていてよかったです。スイム1,500m。実質30分足らずの練習でした。倍の距離を泳げばよいのでしょうが、25mプールを30往復すると、飽きてしまします。風景の変わるランと違います。帰宅して夕食。妻は午後8時を過ぎた時刻からエアロビに出かけました。ムラヴィンスキーでチャイコの5番を大音量にして聴きました。1983年、レニングラードのフィルハーモニーホールライブです。端正、飾り気なし、厳しさのある演奏です。質実なところが好まれる理由なのでしょう。紙ジャケに彼の顔写真があります。全く関係ありませんが、高校の教科書に載っていた高力士の風貌を思い起こします。厳しさ、空恐ろしさがイメージをダブらせるのでしょうか。朝食 炊き込みご飯 梅干し キビナゴ煮付けの残り昼食 カツ丼夕食 豚肉ソテー ふろふき大根
2008年11月27日
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(この日記は12月1日のものです)午前5時に起きました。外気温0℃。霜が降っているようなそうでないような。終日デスクワークでした。仕事帰りにA医院へ寄り、インフルエンザの予防接種を受けました。初めてです。年数回献血をしているので、注射は全く怖くありません。3,500円でした。ということで、今日はプール休館ということもあり、練習を休みました。いつもより早く帰宅、酒瓶やワインの瓶、ビールの空き缶など燃やせないゴミを5袋、ゴミステーションへ出しました。それから薪を入れ、ストーブへ火を着ける、いつもの日課です。新聞まとめ読みのあとは読書。今夜は音楽なしです。ユニセフから募金の勧誘が届きました。昨年末に少しのお金を寄付しましたが、以来、数ヶ月に一度、パンフレットが届きます。そんなに何度も言い寄られても、応えるだけの気持ちがありません。でも、妻にいわせると、酒をがぶがぶ飲んでばかり、少しは姿勢を正すべきが私の私生活だそうです。土佐の上等純米吟醸1升が3,000円。この金額で、免疫力を高め、感染症を予防するビタミンAカプセルを641人の子どもに投与できるという謳い文句のパンフレット。梅林庵も人の子です。これを眺めながら晩酌する気持ちにはなりません。酒数升を我慢し、募金を捻出しようと独りごちました。読売112月9日付け朝刊、菅野徹氏のエッセイを読みました。「まちかど四季散歩」という題です。コカマキリの前足内側に赤青白の三色が美しいという内容です。自然界随一の模様と褒めています。覚えていて、来春は注意してみようと思います。自然界の美しい模様について。私は大学で肴、おっと間違い、魚を勉強しました。模様というわけではありませんが、釣り上げたばかりのシイラや太刀魚の美しさは、たとえようがありません。さて、本題の模様のことですが、菅野氏の文章を読んで、ホウボウの胸鰭と車エビの尾肢を想像しました。何れも青を基調にした美しい模様があります。ホウボウの胸鰭は、店頭に並んでいる時、閉じていますが、これを開いてみてください。竜宮の団扇さもあらんという感じです。車エビも青と黄色が素晴らしい。国産天然だとなおよろしいです。
2008年12月02日
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午前4時に起きました。外気温は5℃でした。それほど冷えてはいません。コーヒーを入れて、音楽を聴きました。毎日思うのですが、この時間が至福の時。色々と想う時間です。トラの頭を撫でてやりながら。今日は夕方から雨の予報でした。朝ご飯を食べたあと、山へ薪取りへ行きました。Hさんが重機に乗って作業をしていました。私も丸太を玉切り、軽トラに積みました。大きなタブの木、二股になって、それがまた曲がって一つに重なっているところを切ったら、隙間に小さなサワガニがいました。木の幹に蟹とは、何とも驚きです。帰りの道中、木立川の中州に何十匹もの川鵜が休んでいました。この時期、餌になるような魚がいるのでしょうか。落ち鮎の季節はとうに終わっているのに。帰宅して荷を下ろし、チェーンソーを研ぎました。 叔父夫婦が父の家に来ていました。私たちの仲人です。挨拶の物言いだけでもということで顔を見せましたが、母に昼ご飯をといわれ、相伴にあずかりました。叔父との世間話は楽しかったです。豊後水道の旋網漁が不振、孫の就職難、もう一人の孫が名門U高校の野球部に入部した話、隣町の市長選。彼は学生時代に向坂逸郎の授業を受けたことがあるそうです。父は彼の学資を、牛の直引き(深山の材木を牛を引いて引っ張り出す仕事)をして賄ったそうです。その父が、今日は弟と愚息を前にして、何かにつけ皮肉たっぷりに大学出はつまらんといいます。でも、その皮肉は叔父と私にはそうと聞こえません。ここが弟であり息子の所以です。昼ご飯は、豆腐の味噌汁と漬け物におこわでした。粗食もよいです。満腹になって再度山へ。Hさんは雨の予報を受け、重機にカバーを掛けていました。山の上の方で木を倒す仕事をしていました。1本を切るスピードが格段に速いです。プロはやはりプロ。私は足元にも及びません。チェーンソー歴20年を超えるといっても、所詮は週末の素人仕事。天狗になってはいけません。午後3時に地下足袋を脱ぎました。シャワーを浴びて一段落。妻と映画「ココシリ」をテレビで見ました。見終わるころに雨が降り出しました。夕食は午後6時。芋がゆでした。先日の山芋の残りを鍋にしました。美味。今日は練習を休みました。ランプの掃除をしました。薪、軽トラ2杯。
2008年12月13日
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午前5時半起床。外気温3℃。今日は午後に大切な会議がありました。でも要した時間は短く、シャンシャンでした。あっけないものです。肩の荷が下りました。夕方、送別会を開きました。私の部下だった3人を送るためでした。隣の営業三課にも声をかけ、14人が集まってくれました。会場はつね三。ハモシャブと天麩羅、それにステーキという取り合わせ。鱧はよく骨切りされていました。大将が獺祭純米吟醸を1本差し入れてくれました。甘露甘露。気持ちよく酔いました。もう一軒、日本酒の店に行き、1グラス傾けましたが、何を飲んだのか覚えていません。帰りは妻が迎えにきてくれました。帰宅は午後10時前。「新しい本を開く時は好きな人ができた感じ」「読み終わりそうな時は別れのような感じ」ミステリーを読みあさりたいタレントの和希沙也さん。宮部みゆき『あやし』『かまいたち』東野圭吾も愛読とある。江國香織『きらきらひかる』。私は『赤毛のアン』を読んでいない。キャスリン・アシェンバーグ『図説 不潔の歴史』原書房3,200円◎アルベルト・マングェル『図書館 愛書家の楽園』白水社3,400円
2008年12月02日
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午前6時過ぎに床を離れました。外気温0℃。少し霜が降っていました。会社に出勤するまでに、橋を6つ渡ります。二つめの橋近くに可動堰があり、農繁期は流れをせき止めて農業用水を取ります。今は堰が倒され、川底があちこちに現れています。今日はもうもうと水蒸気が上がり、朝日に映えて美しかったです。カラスが10羽ほど、行水をしていました。この寒いのにです。終日デスクワーク。昼前、会議に出席しました。内容は昨日の会議と同じでしたが、出席者が異なりました。出された意見は頷けるものもありましたが、そうでないものもありました。仕事帰り、ランブルでコーヒー豆を買いました。貸してあった今井信子の無伴奏チェロを返してくれました。マダムがとてもよかったと言ってくれました。曲はチェロのものですが、このCDはヴィオラで演奏しています。須賀敦子の人生を辿る番組中に流れた演奏です。トリエステの坂道という番組名に惹かれ、見入ったことがあります。トリエステはアドリア海の最奥、ベネツィア湾の深部にあります。スロベニアとの国境が近いです。映像は陽光燦めくイタリアとは少し違う、北イタリア独特の冬枯れを醸していました。ヴィオラの乾いて淡々とした演奏が似合うのです。ラン8km+スイム500m。月、火と練習を休んだので、今日は体が軽かったです。ノンアルコールでした。日曜日がレースです。それまで禁酒です。
2008年12月03日
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午前5時過ぎ起床。外気温8℃。暖かい朝でした。今朝は灰の掃除をしました。ばたばたした一日でした。何度も会社の外に出ました。訪ねた先で旧知の人と会い、挨拶を交わしました。そのうちの1人Iさんは漁師でした。最近、漁はどうですかと訊ねたら、1年前に船を売ったという返事が返ってきました。理由は、海に引っ張り込まれそうになったからだそうです。投網時、網に手足が絡まり、海中へ落ちそうになったのかと思いましたが、どうも違うようでした。よく聴いてみると、金縛りに遭い、訳のわからない力が時分の体を海の中へ中へと引っ張り込もうとするような感じだったそうです。船底へ横になって舵を操り、這々の体で帰港したそうです。彼は80歳、過去に何度か同じような体験をしたそうですが、今回は急に恐ろしくなって、その日を限りに沖へ出ることをやめ、船を処分したと話しました。従兄弟を海の事故で失ったが、そのときも同じような状況だったのではないかと思うととやるせない、とも話しました。豪放磊落で、いつも法螺話をしているような人でしたが、今日は背中が一回り小さくなったように見えました。もう一人、別の場所で、やはり同じ漁師の人に会いました。Hさんです。彼も80歳になろうとする年齢です。アサリ掘りで生計を立てていました。奥さんが入院したそうで、2週間の医療費が万円かかるとぼやいていました。3割負担でこの金額です。大変です。終日、暖かい天気でした。午前中は晴れていましたが、午後は曇りがちになり、夕方から雨模様の空でした。西風が湿り気を帯びはじめました。夜9時を過ぎても外気温は19℃。変な天気でした。バロック大全集、もう少しで半分の30枚を聞き終えます。ジャケットで曲目を確認して聴いていくのですが、曲の名前がいいのです。トッカータ、リチェルカーレ、フーガ、カノン、こういった単語は言葉そのものの響きが感じよいです。発音する際の音そのものにえもいえぬ心地よさがあります。単語一つがロマン的です。如何ですか「シャコンヌ」。ラン8km+スイム500m。隣のコースを泳いでいたKちゃん、水泳の強いチームがある短大に進学が決まったようです。嬉しそうな顔をしていました。
2008年12月04日
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午前5時前に起きました。昨夜遅くに風が吹き始めました。天気予報は寒冷前線が通過することを報じていました。未明に降りだしました。午前6時の外気温は12℃。通過はまだのようでした。今日は私の机の引っ越しをしました。引っ越しといっても、隣の営業三課に加わるだけですから、ほんの少しの距離でした。仕事はまだ残務整理が残っていて、次のの仕事は遊軍的になりそうです。来年三月末に社内異動がありますが、それまでなんだか中途半端なことになりそうです。午前も午後も、少しの時間外出しました。それぞれ別の些事でしたが、午後訪ねたところは立派な家でした。勝手口の上がりがまちにさえも欅の板を使っていました。かといって成金趣味の邸宅ではなく、風雅を楽しむ当主にしてこの家在りという佇まいでした。オーディオ装置を置くにはそぐわない雰囲気でしたが、今日の寒さにあって空気を凜とさせる造りの家でした。ここの奥さんが、台所の下手で大根を洗っていたのも好感が持てました。夕方、北西の季節風が強まり、寒さも増しました。走ろうか否か迷っていたら、ラン仲間のS氏からTELあり、ランブルを教えて欲しいとのこと。練習を止め、待ち合わせをし、連れだって店を訪ねました。彼は豆とシュークリームを求めました。私もシュークリームを四つ包んでもらいました。一つ250円、甘さ控えめ、バターと卵黄をたっぷり使ったクリームが美味しいのです。ランブルには今春、私の町で釣りバカ日誌のロケがあったとき、女優の常盤貴子が立ち寄ったということを取引先の人に聞いたことがあります。誰かに聞いて訪ねたのでしょう。でもここのマスターはそんなことをおくびにも出しません。店はいつも静かです。アラジンのストーブがゆっくり燃えています。トレーニング、今日明日は休み。夜、新聞まとめ読み。この寒さ、明日は山に入って木を切るか否か迷うな。どうしよう。
2008年12月05日
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午前6時半におきました。昨夜は夜更かしをしました。外気温1℃。終日デスクワークでした。今日も別のレポートの校正でした。所属することになった課の忘年会でした。「いそよし」という魚がウリの割烹でした。冷酒を腹一杯のみ、酔いました。妻も同僚3人と忘年会でした。朝、出がけに、帰りは一緒にという約束をしましたが、私の会の方が早く終わり、仕方なしにいつもの暖簾「つね三」へ行きました。燗をつけてもらいましたが、杯はすすみません。其所を出て「南国」へ行き、ラーメンを食べましたが、携帯は鳴りません。掟破りとわかっていましたが、梯子を登ってしまいました。「玉井」でグラスワイン、そのあとラガウリン。玉井で同僚のTが飲んでいました。30歳、独身の彼は一人で飲み歩くのです。男前なのですが、彼女はいそうにありません。夜、次の朝食べる味噌汁を仕込むそうです。なんだか『レディジョーカー』に登場する水戸地検の検事のような私生活です。そこへ妻がやって来ました。彼女は教師をしていた頃、Tを担任しました。話が弾んだようでした。帰宅は代行運転。着陸は日付変更線あたり。バタンキューでした。
2008年12月19日
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午前5時半起床。外気温9℃。霧の深い朝でした。終日デスクワーク。今年上半期、一緒にプロジェクトを担当した二人の部下と今日でお別れでした。一昨日に内示が出たのです。それぞれ別のセクションに移ります。二人はとても活躍しました。私の出る幕はほとんどありませんでした。社員1,000人の会社ですから、また一緒に仕事ができるかどうかわかりません。送別会は、都合により来月上旬にします。今日はスイムもランも止めました。妻が帰ってくる日なので、私が先に家へ戻り、風呂の準備くらいはと思ったためです。帰りに金物屋へ寄って、大きな台車を買いました。プラスチックの蜜柑箱が2つ乗る大きさです。使用目的は小屋から薪を運ぶためです。思いの外、安かったです。夕食は今日もスーパーの世話になりました。午後7時を過ぎて、妻が目を真っ赤にして帰ってきました。ぐったりしています。勝手口を入るなり椅子に座り込んで、3日間の心労を吐露しました。具体的なことはかけませんが、察してあまりある内容でした。私は何も言わず、聞き役に徹しました。話し終え「スッキリしたわ、もう大丈夫」という言葉に安心しました。風呂を沸かしておいてよかったです。ワインを開け、二人で飲みました。
2008年11月14日
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午前4時に起きました。外気温は10℃。午前7時に地下足袋を履きました。久しぶりのチェーンソーでした。海の見える公園へ行きました。沖には、小鰯を獲る船曳網漁船がゆったり浮かんでいました。春の海のようでした。公園に野球場があり、外野の方に植わっているウバメガシが茂りすぎていて、これを切るためでした。炭窯を持つ友人Hが市に話をつけたそうで、A氏、S氏と4人、作業をしました。チェーンソーは私の役目、後の3人は小枝の始末でした。いい炭が焼けそうです。この作業、もう2日くらいかかりそうです。炭に焼けない丸太の部分は、後日、私が薪ストーブの燃料に貰い受ける予定です。昼前まで汗をかき、帰りに皆で太陽軒のラーメンと餃子を食べました。ラーメンはスタミナラーメンで、チャーシューと餃子、それにキムチが入っていました。妻に昼ご飯不要の連絡をした後、今取り付いている薪山に回り、そこで軽トラ1車分の薪を作りました。ここでも一汗。積んで帰り、それを小屋に下ろし、シャワーを浴びました。妻は一度起きたそうですが、その時間は蒲団の中でした。よほど疲れたのでしょう。馬は不如意。午後4時、運動公園に回りラン7km+スイム1,000m。走っている最中に、雨が降り出しました。参りました。先日買ったコンパクトデジカメの調子が悪いです。撮った写真が白っぽく、画像に歪んだ波線が入ります。サービスセンターに送り、修理の交渉をしました。
2008年11月15日
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午前2時半に起きました。昨日の夜あったラグビーの録画をやっていたので、見ました。前半にいいトライを二つ決めました。アメリカの当たりは強いです。コーヒーを煎れ、本を手に取り数時間。新聞の配達に気付き、目を通したあと、ラン10km。朝練でした。昨日、足裏にできた直径2cm位の豆対策にと、靴下を2枚重ねました。いいような悪いような。ちょっと傷みもありましたが、破れなかったので、よしとしましょう。走った帰り、豆腐屋へ寄り、1丁買いました。家を出るとき、ポケットに硬貨を入れていたのでした。若いお兄さん手作りです。里の中にあって、ほのぼのした店です。無口ですが、好感の持てる青年です。手に提げての道すがら、ヒヨドリのつがいがセンダンの実を食べていました。クロネクタイが一羽、梅の中を飛び回っていましたが、これは樹皮下の小虫を探しているのでしょう。小虫といえば、昨日、木を切り始めて気の付いたことがありました。幹にチェーンソーのバーを当て始めると、重なる皮の間からゲジゲジやクモに似た異形の虫が出てくるのです。冬眠を始めたばかりなのに、いきなり耳をつんざく音が聞こえ、驚いたのでしょう。寝ぼけたままなのか、動きが大層鈍い。今日は山行きを止めました。昨日今日と、町の中心部で、九州一「さいき」食と文化の祭典という祭りが開かれていました。妻とこれに出かけました。九州一とは、佐伯市の面積が九州の自治体中、一番だからだそうです。農林水産業が盛んで食材が豊富なことから、数年前の市町村合併を機にこのような催しを計画したようです。写真を見てください。ヒラメの釣り堀です。魚競争牛の乳搾り体験ソバの早くい競争丸太の早切り競争美味しそうな干物生唾雪ん子寿司これは先日全国公開された釣りバカ日誌19、佐伯ロケの際、俳優が食べて美味しいを連発したという逸品です。女性好み?これも女性好み私はこの鯵寿司が好物です隣町・北川からの出店もありましたつね三も店を出していました饅頭には惹かれます大分県の水産課職員が干物の試食会をしていましたただで食べ放題でした会場近くの文化会館では、築城400年祭というイベントもありました。私の町には、江戸幕府のできた頃に築城された城の跡があります。海抜200mほどの山頂に石垣が残っています。毛利家(3本の矢で有名な毛利家とは違います)の治めた270年間の武具甲冑他の展示でした。歴代藩主は本の収集に力を入れました。漢書、洋書の一部もありました。魚介類の図鑑は、長大水産学部所蔵のシーボルト図譜を凌ぐようなものでした。金瓶梅写本にはニヤリを禁じ得ません。私、この分野には興味がありません。スタスタ歩きました。海鮮鍋を食べ、鯵の丸寿司(小鰺の姿寿司)や干物、ミカン、トマト、栗あんの饅頭などを買いました。途中で妻と別れ、図書館へ行き本の借り換え。ここの職員はとても親切にしてくれます。玄関口、児童書のカウンターに座る20代前半と思しき女性は、来館の客に素敵な笑顔で挨拶しますし、私の利用するカウンター、妙齢の女性もこれまたうっとりするような微笑みをしてくれます。ドキドキしますが、私だけにしてくれているわけではありませんから、空騒ぎすることもありません。家に帰り、午睡。妻は薬剤師の友人宅で楽しい時間を過ごしたようでした。夕方、プールへ行きました。スイム1,150m。先日、この春に知り合ったS氏からいただいたワインを開けました。JAL機内で使っているというボジョレ・ヌーボーでした。妻曰く、薄い。確かに。でもこれがこのワインの特徴です。スパイシーで軽いのが売りなのです。新酒とはこういうものでしょう。
2008年11月23日
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午前4時半に起きました。外は雨模様でした。夜の白むまで、いつも通り音楽と本で過ごしました。日本茶を煎れ、昨日、祭りの会場で求めた鯵の丸寿司を食べました。これが朝ご飯でした。午前中、運動公園へ行き、走りました。6km+スイム1,000m。土砂降りの雨でしたが、これも練習のうちと決め込み、ずぶ濡れになりながら走りました。プールの中で、久しぶりにS先生に会いました。同じコースを泳ぎましたが、凄いスピードです。前にも書きましたが、彼は60歳代の1,500m自由形、日本新記録保持者です。こんな人が身近にいてコーチしてくれるのは嬉しいです。明日は愛車、ダイハツハイゼット(軽トラ)の車検です。このため、通勤用に岳父のレガシーを借りました。数日乗ることになります。この車を運転すると、慣れないネクタイをしているような気分です。先日、ずっと軽トラに乗り続けた親方がクラウンを買いましたが、同じ気持ちなのでしょうか。雨の休日、練習も済んだので、昼に缶ビールのプルトップを引きました。国際千葉駅伝を見ましたが、小林選手の走りは凄かったです。最後の競り合いは見応えがありました。新谷選手も速かった。これから、駅伝のシーズンです。都道府県対抗、高校駅伝、箱根、実業団と目白押しです。テレビは見ない方ですが、ラグビーと駅伝は外せません。テレビを見終わって、夕食まで本を読み散らかしました。今日、私の町へ「なんでも鑑定団」の収録がやって来ました。父と母は連れだってこれを見に行きました。父は自分の所有するソグド人像を鑑定して欲しく、事前に申し込んでいましたが、採用されませんでした。本人は残念に思っていますが、母は、人に笑われずに済んだと胸をなで下ろしています。今夜は野菜中心の鍋でした。昨日、ワインを開けましたが、今日も抜栓。もちろんフルボディーです。昼にビールを飲んだためか、二人で1本を空けることができませんでした。
2008年11月24日
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午前5時半起床。昨夜の就寝が午後9時半だったので、久しぶりにたっぷり睡眠をとった感じです。朝の読書が進みました。外気温3℃。終日よい天気でした。今日は大分へ行ってきました。大きな取引先を訪ね、取り引き経過について、弊社販売先の意向を伝えました。相手先の課長は積み残しの齟齬を気にしていましたが、全く問題はありません。12時過ぎに会社へ戻り、午後はデスクワークでした。東京の取引先から、依頼事項はどうなったのかという問い合わせがありました。以前にも書いたことがありますが、電話口の話し方は少し横柄です。ここはグッと我慢。静かに要望を聞いてあげました。午後5時を過ぎて報告を社長へ上げました。時間を要するかと思いましたが、短い時間でカタがつきました。デスクでゴソゴソしていたら義母からTELあり、イチゴ大福とおでんがあるから、帰りに寄るようにという内容でした。おでんとコップ酒の組み合わせに釣られ、涎が垂れてきました。妻へ、本日夕食準備不要の連絡をしたあと、魚屋かわべに寄り、今夜の当てにとマトウダイの薄引きを買い足しました。ということで本日も練習は休み。ビデオに録った映画「機関車先生」をみました。コンパクトデジカメの修理ができた、という連絡がありました。明日、着払いでサービスセンターが発送してくれるそうです。一眼レフを使っていますが、小型のものがあると、何かと便利がよいです。早く届くといいです。このところ、「喪中につき賀状遠慮」のハガキが届きます。改めて、逝った人のことを想います。
2008年11月26日
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午前5時起床。霧の深い朝でした。午前中デスクワーク。午後は得意先回りでした。12月から一人仕事なので、これまで部下がこなしてくれていた雑事をしなければなりません。でも、一つ一つ潰していくのは気持ちのいいものです。久しぶりに充実感のようなものを感じます。取り引きのある会社の玄関で、隣町のKさんに会いました。10年ぶりです。その時分、彼は水産団体の役員でした。自身の会社は開店休業状態でしたが、経営理念には学ぶものがありました。最近の水産業界を憂う内容の立ち話を30分。懐かしかったです。今日は、以前、上司だったM氏と飲みました。東北地方の出身です。二人で忘年会です。河岸はつね三。寿司をほおばりながらビールを飲みました。もう一軒、「たじか」というお好み焼き屋でホルモンを食べました。私は満腹で箸を動かすことができませんでしたが、相方は健啖家です。パクパク、ゴクゴク。貿易の話、中国との取り引きは中国政府の役人と付き合うことが肝要、最近ヴィオラをひき始めたこと、組織の問題点、色々でした。最後に「今日は愚痴を聞いてもらい、ありがとう」と言われました。帰宅は代行運転。今日の運転手さんはマラソンを走る人でした。先日あったハーフマラソンで私が走ることを知って、声をかけてきました。今度、フルマラソンを走りたいと言っていました。
2008年12月16日
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午前6時を過ぎて床を離れました。昨晩、夜更かしをしたのです。札幌市の中心街ぶらり散歩という切り口のテレビ番組を録画しておいたのを思いだし、これに見入ってしまいました。札幌グランドホテル、大通公園、狸小路、ススキノ、二条市場、中島公園。懐かしい風情が出ました。出勤途中はとても霧が深かったです。しかし、市内に出てしまうと、これが嘘のよう。晴れて気配もありません。私の住むところは盆地になっているので、霧が深いのでしょう。何ともいえぬ空間を演出してくれます。午前中、米水津の南端にある「空の公園」と、佐伯市中心街にあるランドマーク「城山」へ登りました。どちらも仕事でしたが、今春に担当したプロジェクトの残務整理でないと、仕事中にこんなところへは行けません。両方の場所とも、高みから海を眺めることができました。浩然の気を養うの感でした。空の公園へは車で行きましたが、城山へは歩行でした。登山道の延長は900m、標高差130mあまり。嬉しかったのは、登り切るまでほとんど息の乱れがなかったことです。隣を行く取引先の人がバテバテの様子だったのを横目で見てほくそ笑みながら、日々ランニングの成果と一人悦に入りました。今日は妻が忘年会へ出かけました。午後6時半に彼女を会場へ送ったあと、運動公園へ回りラン8km+スイム650m。今日もよい練習ができました。8時半に練習を終え、晩ご飯はラーメン屋で。食べ終わったとき、妻からメールあり。午後9時前に彼女を拾い、帰宅しました。今日の送迎は、先日の日曜日ベロンベロンになって迷惑をかけた罪滅ぼしです。しかし私にとっては練習を兼ねての外出、オマケにラーメンを食べることができたので、別に大した負担ではありません。写真は空の公園からの眺めです。
2008年12月11日
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午前4時半起床。晴れ時々曇り。外気温12℃でした。終日デスクワーク。今日は社長に報告を兼ねた協議を行いました。慰労の言葉を貰い、嬉しかったです。部下の活躍と多くの人に助けてもらったおかげです。プール休館日でした。ランも休みました。帰りに義母の家へ寄り、小旅行の土産を受け取りました。映画「御縁玉」のことを話して聴かせると、ぜひ見てみたいと言う返事。シネマ5へ連れて行ってあげたいのですが、仕事があり、思うに任せません。夜、高校の同級生が集まる同窓会幹事会へ出ました。年明けに同窓会を行うための話し合いでした。50歳の節目に再会し、励まし合おうという趣旨です。出席に腰の重い人を誘おうという申し合わせをしましたが、この歳になると、思うところも多くなり、高校の頃のような団結というか結束というか同じ思いを持てない人も多くいるわけですし、経済的或いは社会的に恵まれた人とそうでない人、もちろん本人の努力があってのことでしょうが、運や巡り合わせの悪さというものもあって、同窓会の敷居が高くなっていることも、一方ではあるわけです。それをひとくくりにして、同窓会はいいものだ、旧交を温め、近況を語る楽しい場だから是非出てこいということで誘うには、ちょっと無理のある場合もあります。この辺の思いが行ったり来たりする準備会でした。今日、集まった人は主婦を除いてほとんどが定職を持ち、相応の生活をしている人たちでした。誤解を承知で大胆な言い回しをすれば、近況を語りたい方の部類にいる人の多い会合でした。私もどちらかというと同類ですが、そうでない思いの友人を数人持っています。複雑な思いになって、会合の場所を後にしました。帰宅は午後9時を過ぎました。バロックのCD60枚組、10枚ほどを聴き終えました。これまでは、バッハばかりです。演奏はどれも名演ですし、録音もよい。5千円あまりでこれだけのものが揃うのですから、いい時代になりました。
2008年11月17日
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午前4時半に起きました。曇りのち晴れ。今週もレースです。今日は駅伝大会です。この町の陸上協会が主催する初心者の部に、職場の友人たちとチームを組んでエントリーしました。朝食は芋ご飯。薩摩芋の炊き込みでした。食べると腹が張るので、レース前の芋は法度でしたが、そんなことを妻は知る由もありません。6時前に食事を済ませ読書。7時前、親方からTELあり。畑近くの雑木を切って欲しいとのこと。今から行こうかと言ったのですが、その時間はまだ早すぎると言うことで断られました。10時を過ぎるとレースが始まりますから、早めに片をつける必要があったのです。今日のところは見合わせました。レースは小学生の部と一般の部に分かれています。一般の部は10時25分スタート。冷たい北風が吹いていました。私は2kmの区間を走りました。短い距離は苦手です。アップは十分にしたつもりですが、ペースをつかみきれないまま、終わりました。時間は8分18秒。50歳の初心者だからまあこんなものでしょう。午後1時から、市内の大衆酒場28万石で、ライバルチームと合同の反省会をしました。相手チームには60歳に近いのですが、昔、別大マラソンを2時間30分で走った人がいます。今日も3kmを10分台で走りました。彼はこの店に来ると、必ず冷や奴を食べます。一丁注文します(写真)。私のチームのメンバーがこれを真似ましたが、食べきれずにチームメイトと分け合いました。素人はどこまでも素人です。この店の名物モモカラ(鳥モモの唐揚げ)と生ビールが美味しかったです。ジョッキ6杯をやっつけました。飲み足りない有志を募って、もう一軒、別の居酒屋Gに突っ込みました。ここでもジョッキ2杯飲みました。飲み詰まりましたが、トンカツ定食を注文しました。皆に呆れられましたが、今日はなんだか食べたい気分だったのです。午後5時半頃、妻の迎えで帰りました。ベロベロに酔っぱらい、就寝は午後7時。日曜日の昼酒は効きます。
2008年12月14日
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午前4時半に起きました。朝ご飯は雑炊でした。このところ、鍋物の汁を使った柔らかい料理が増えました。これはこれでよいです。朝、香の物と軽くの一杯は昼ご飯を美味しくします。午前中、会社を休みました。私は生産森林組合の組合長です。組合の所有する山に作業道を抜きたいという話が市役所からあり、立ち会いを求められました。作業道は、本来の目的に加え、別のものもあるそうです。九州百名山に数えられる元越山(もとごえさん)の登山道取り付けの役割だそうです。生産森林組合としては、山林を通過することは有り難いのですが、費用対効果の面に加え、登山利用目的に公費の投入はいかがなものかという意見もあるようです。組合長として複雑な心境です。副組合長にも立ち会いをお願いし、市の担当者と山に登りました。北風が強かったです。山の北斜面を図面に沿って歩きましたが、木枯らしに舞い落ちる檜の葉くずがまるで驟雨のようでした。高台から眺める北西の山々は寒く霞み、久住連山の降雪を連想しました。小汗をかき、一度家に戻りました。下着を替え、朝のうちに妻が用意してくれた親子丼をかき込んでから出社。午後は終日デスクワークでした。二人の部下が移動してしまい、寂しくなりました。暗くなって運動公園へ向かい、寒風を突いてラン5km。その後スイム500m。この時期は寒さのせいで走る気持ちが萎えかかります。着替えてシューズを履けばなんとかなるのですが、それまでの葛藤が辛い。夕食はオムレツでした。酔鯨純米八反錦を飲みました。なかなかです。日本酒が底を突いたので、いつもの土佐地酒屋へ注文しました。高知の純米吟醸各種。妻に「ゆず果汁」を買ったら日本酒のおまけがつくという口実を用意しましたが、通じませんでした。その彼女へ今日、スリムな体型の義妹からハーフブーツが届きました。くるぶしから下は難なく入ったようでしたが、ふくらはぎあたりにかけて、チャックを引き上げる戦いは厳しかったようです。あがるにはあがったようですが、ブーツの天端がコップの表面張力みたいな格好になりました。膝下を見せる能わずです。肉の悲しさ。
2008年11月18日
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午前5時に起きました。外気温4℃。薩摩芋が具の味噌汁を温め、冷たいご飯にかけて、梅干しで朝食を済ませませました。妻はまだ蒲団の中でした。7時半に地下足袋を履き、ウバメガシを切りに行きました。炭組合の組合長T氏が切って欲しいというのでした。先日も行った場所です。海に近いところでした。組合長は直径15cm位までのものをトラックに積みますが、それより大きいものは切り捨てです。私はこれをいただきました。薪として最高なのです(写真)。この1車分が来年の冬の約半月分といったところでしょうか。今日は2往復しました。海岸沿いの国道を走っていたら、イルカが北風に飛沫たつ海をザブンサブンと泳いでいました。全部で7~8頭いたようです。写真を撮りましたが、遠目なのでそれと判りづらいです(写真)。仕事は昼を挟んで午後4時までかかりました。それから運動公園へ回りラン6km+スイム500m。もちょっと長い距離を走るといいのでしょうが、なんだか疲れちゃって。プールまでの道中、バロック全集のプログラムが20枚を超え、ロ短調ミサをかけました。丁度、夕焼けが綺麗で、曲の荘厳さと相まって厳粛な雰囲気です(写真)。こんな光景を見ながらのBWV232は、心が締め付けられるようで、また洗われるような思いも混ざります。心地よいというとちょっと語弊がありますが、そんな気分になりました。今日は簡易水道組合の総会でした。水神祭と称し、地区センターに集まり、折をとって酒を飲むのでした。私に変わって妻が参加しました。御神酒が振る舞われたそうです。今日の浅田真央、ジャンプがよかったです。佐賀県であった九州地区中学駅伝大会、食中毒で大変なことになったみたいです。参加32チーム中、ほとんどから入院者が出たと報じられていました。棄権したチーム、途中区間までの参加チーム、補欠以外の出場者で凌いだチーム。大騒ぎになったことと思います。カメラの修理完了昼食 太陽軒 太陽メン(厚いチャーシューの入ったラーメン) 餃子夕食 猪肉の煮付け 缶ビール 焼酎白岳メモ粘度について液体は温度が上昇すると粘度が低下し、気体は温度が上昇すると上昇する。
2008年11月29日
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Friday, October 25, 2024 10月も下旬というのに、未だ半袖Yシャツ姿の杣夫です。 先週の日曜日、ツール・ド・佐伯の日でしたが、その日だけ晴天。その後は水曜日のみ晴れ間の覗いただけ。今秋は、鬱陶しい日の連続でした。仕事の方もバタバタしました。報連相を受けたり判子を押したり。とんぼ返りの東京出張もあり、疲れ気味です。 プライベートでは司法書士事務所を訪ねたり、N医療センターを訪ねたり。天井の張り替えもしました。 あっという間の1週間でした。そのあれこれを以下に。 茄子が勢力を盛り返しています。根切りと施肥をしたせいでしょうか。幾分小ぶりですがこの通り。 味噌汁に入れたり、焼き茄子だったり。パクパク食べています。ふり返ると、この夏、茄子攻勢のブログアップは少なかったかと。勲章「日本一茄子を食べる男」は今年に限り、返上です。写真は塩で揉んだだけの茄子。これ、絶品なんです。朝ご飯のお供。 茄子のことを書いたので、菜園のことを少し。 平日は仕事。日の短くなり、帰宅して野良に出ること能わず。父の家周り、周囲の草刈りや旧西瓜畑の耕耘を週末に。ということでこのところ、菜園のほうはほとんど手つかず(偉そうに書きましたが、自転車遊び(ツール・ド・佐伯)に参加する暇の杣夫ではあります)。妻も父の世話に感け、植わっている青物を摘むのが関の山。小松菜やキャベツ、菠薐草までが虫の野郎にやられています。写真は妻がそれらを間引いて拵えたナムルです。ごま油の香りが堪りません。冷酒で流しました。 戻ります。木・金と東京に行ってきました。霞ヶ関に要望。九州内同業他社の社長副社長数名に交じって親会社の某所を訪問。杣夫も弊社の懸案を伝え、特段の配慮をお願いしました。意見交換は午後6時を回りました。お偉方に混ざってのやり取りは疲れます。 腹が減りました。ビールを飲むか。午後7時、銀座に出ました。写真は目に付いたショーウインドウです。珊瑚、貝、海星、蟹、シーホース・・・。酔散の烙印がある杣夫です。惹かれたのでした。それにしてもです、うーむ・・・、この服、値段のタグが付いていないな。いくらするんだろうか。杣夫の給料1ヶ月分で買えるかな。妻に、いや娘に似合うかな。足を止め、そんなことを考えました。 いやいや、杣夫の家族は花より団子です。魔の差して購入したら叱られる。止めておこう。 喉の渇きが増しました。ライオンで晩ご飯。この雑多な雰囲気が仕事の凝りを解いてくれます。 ホテルに戻りバタンキュー。 明けての朝は金曜日、今日でした。飛行機は午前の早い便でした。午前6時、朝食会場は混み合っていました。この態です。長い行列でした。外国人の多いこと。 午後1時過ぎ、会社に戻りました。決裁の棚に書類が溜まっていました。羽田で買った茶菓子を秘書課に置いた後、判子押し。それを済ませ、その後の予定無しを確認、1時間ポカ休をとりました。 いつものスーパーへ突っ込みました。鮮度のいい潤目があり、梭子魚、鯵ととも、それを買いました。写真はそれを煮付けるの図。妻が拵える父のおさんどん、その一品として役立ちます。 こちらは鯵の塩焼き。 勿論鯵刺しも。冷酒で流し、バタンキュー。
2024年10月25日
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Sunday, May 10, 2020 午前4時起床。終日曇天。午前、一時弱い雨。湿度が高く、少し蒸しました。 写真はありませんが、朝食はカレー。早くに目の覚め、ゴソゴソやっています。腹の減るのは仕方ありません。大盛りにしました。食後の珈琲がいい感じでした。 午前は書斎に。飽いてAmazonvideoを。午後は菜園に出ました。茄子や胡瓜の行燈を外しました。小さな支柱を畝に刺し、それに苗を結びつけました。倒れるのを防ぐためでした。合間合間、空模様を見ながら、玉葱と大蒜を出したり引っ込めたり。面倒でした。写真は伸びた茶です。明日は晴れの予報です。朝一、茶摘みをする予定です。 始末のついて、石拾い。雨の後は石が浮きます。それを2籠。次いで草引き。ホトケノザが次から次、嫌になります。午後5時、地下足袋を脱いで風呂を浴びました。今日は飲むまいと思いましたが、つい手を出してしまいました。プシュッ。 呼び水をやってしまうと、もういけません。じゃこ天を当てに冷酒を舐めました。バタンキュー。 さても書くことがありません。以下はあれこれ勝手のつぶやきです。 昨日手に取った陳舜臣「中国歴史の旅(下)」を読了。本の後半に扱われた黄鶴楼に関連してのことです。 この建物に伝わる有名な伝説の紹介がありました。ご存知の方も多いと思いますが、以下に紹介します。 「この地に酒屋があり、いつ来ても無料で酒を飲んでいた老人が、そのお礼に壁に鶴の絵をかいたところ、その鶴は客が手をたたくと舞い上がったそうです。評判になって、おかげでその酒屋は大繁昌しました。十年たって酒屋の主は大金持ちになったのですが、例の老人が来てその鶴にまたがって、いずれかへ飛び去ったと言われています。あるじがそのあとに楼を建て、黄鶴楼と名付けたというのです」 何がいかにもか判りませんが、いかにも唐の時代ではあります。陳は続いて詩人・崔顥(さいこう・唐代の人)の「黄鶴楼」を紹介しています。高校の漢文教科書に載るアレです。前述の伝説をして悠久の昔に思いを馳せ、人の一生の短さ、空しさに寂しさを覚える、といった内容です。 もう一偏、李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」も掲載してありました。こちらも高校レベル、人口に膾炙しています。去る友の船影が長江の地平水平、彼方に消えていく様を惜しむ七言絶句です。 李白の名前が出て来たところで、酒の話題に。李白は一斗詩百篇と言われます。一斗を飲む間か、のんで酔ってからかは判りませんが、それだけの酒で詩を百もこさえたとのこと。詩仙故の伝説なのでしょう。ちなみに唐代の一斗は2,000ccのようです。うーん、一升か。彼の一斗詩百編をして、これまで感心しきりでした。しかし、これを読んで後は、なんだ、そうだったのか、醒めてしまいました。その本とは陳舜臣「唐詩新選」です。 定番の「唐詩選」とは違い、私撰です。勿論、有名のものも扱っています。目次に「盛唐の酒」とあります。其処を開くと、唐詩をしての酒事情がかいてあります。陶淵明、李白、王維の有名どころを取り上げながら、飲酒のあれこれを解説しています。中に、彼らの飲んでいた酒のことも記してあります。醸造酒でアル度は1%程度だったと。なんだ、水と一緒だ。李白が1斗を飲んだとありますが、たいしたことはありません。先の興醒めはこれが理由です。 唐詩新選の解説には彼らのエピソードも多いです。例えば李白は貰った勲章を売り飛ばして酒代にしたとか、杜甫は役所から戻ると春衣(今風にいうと背広か)を脱いで質に入れ、酒代をこさえたとか。 耳の痛い話も掲載。陶淵明の詩「形影神」です。陳は次のよう、書いています 「形は肉体、影はその影法師、神は精神で、この3者を登場させている。まず形が影に詩を送る。酒を得れば苟も辞すること莫れ。これにたいして、影が形に答え、善いことをすれば死後にもむくわれるのだから、酒ばかり飲まずにがんばりたまえ、と忠告する。最後に神が、形にたいして毎日酔っ払えば憂いを忘れるかもしれないが、命を縮めるからほどほどにせよとさとし、影にたいして、、あまり思いつめては生を傷つけるから、運(自然)に播かせよと助言する」 ほどほどがよいようです。 ほどほどにしなかったのが李白でしょう。陳は彼を飲み過ぎと断じています。船を浮かべて飲酒、酔って水に浮かぶ月を掬おうとしてドボン、溺死したとの俗伝を紹介しています。しかし、実際は枕上に急死。飲み過ぎによる心臓麻痺かもしれません。享年62。 やっ!私も直ぐに誕生日です。62歳です。気をつけなければ。 話を戻して黄鶴楼、唐詩に詠まれたこの楼ですが、ウィキによると、三国志の時代に遡るそうです。223年、呉の孫権が物見櫓として建築したとのこと。焼けては建て直しを繰り返して、今があるとのこと。建っている場所は、いまや世界の誰もが知る街、武漢です。今日の一句紫陽花が蕾をみせて春送る今日のランなし今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 冷酒2合今日の写真はその紫陽花です。勝手口の脇に蕾を付けました。梅雨の趨りです。
2020年05月10日
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Monday, November 15, 2021 晴れ 南の風平均風速2.0 20.0℃ 7.1℃ 午前4時起床。新聞休刊日の朝は肩すかしを喰ったよう。 午前7時半出社、午後5時過ぎ退社。帰宅後、何だか疲れました。ランは止しておこう。背広を脱いで風呂へ。ゆっくり湯船に浸かりました。 冷酒を舐めていたらピンポーン。荷物が届きました。消火器が届きました。拙宅のそれ、既に使用期限を過ぎていました。一昨日の防災訓練で消火器のデモあって、それを思い出したのです。モリタ製消火薬3Kgの定番品。値段は6ラー(3,600円)でした。 夕食を済ませ、書斎に本を開いていて、ん?気配を感じました。大きなアシダカグモが壁をそろり。うーむ、でかいなぁ。これだけ成長するには家中のゴキブリを沢山食べてくれているんだろうな。感謝感謝。 さてもネタ切れです。もうブログをやめようか、そんな気持ちになることも。しかし、折角続けているのですから、少し無理をしても。ということで、新聞から引きます。 私、新聞の読書欄が好きです。各紙を読むことのできるようになって、日経のそれが一番充実していると思います(主観です)。その中にコラム「活字の海で」というのがあります。今日はそのことを。11月13日付けのそれが採り上げたのは「マツダ新報」です。自動車メーカーのマツダとは無関係。東芝が東京電気という社名だった頃に製造の電球「マツダランプ」を宣伝のPR紙です。月刊とのこと。この雑誌に「大家として名を成す作家の小説や随筆が残る」とありました。紙中に文芸欄を設け、掲載したのでした。井伏鱒二、佐藤春夫、小川未明の名を挙げていましたが、その数全部で100名を越えているとも。記事は「作家としてまだ独り立ちできていなかった若手作家にとって、企業紙への寄稿は生活費を捻出する手段の一つだった」と結んでいました。ウェブサイトで見ることが出来るとのこと。調べたらありました。こちらです。幾冊かをサーフィン。いい感じでした。 でも、なぜマツダ新報なのか。これも調べました。その電球を発明・製造の米会社(後にゼネラルエレクトリックに買収される)が「マツダランプ」と命名。東芝がその会社の承認を得、ライセンス製造・販売していたとのこと。なるほど。ちなみにその「マツダ」は、元の会社がゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー (Ahura Mazdā) から引いたとウィキにありました。ゾロアスター教徒言えば、仏教の守護神・阿修羅と同じです。大日如来もこの系譜です。なるほどなるほど。ランプは光、衆生を照らすことを役目としているからなのでしょうか。妙に納得しました。 今日の一句 水鳥の風に逆らい冬めきて 今日のラン なし 今日の酒 冷酒1合 今日の音楽 ブラームス 交響曲2番 クナ ミュンヘンフィル 今日の写真は取れた美錠です。時計は安物ですが、薄く、気に入っています。汗ばむ季節を過ぎると、こちらに代えます。明日はベルトを新調しよう。
2021年11月15日
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久しぶりの更新です。ぼんやり過ごしていて、ブログ更新を怠っていました。 さても一週間程で師走。慌ただしくなってきました。そんな中、取引先が弊社に置いていくカレンダーが目につき始めました。日記のページ数も残り少なって、博文館の当用日記を注文しなければ。 その日記について。私、学生時代は大学ノートが日記帳でした。クリーム色の地に横線。罫線はAタイプが好きでした。好みはツバメノート社製。 しかし、社会人になって酒の味を覚え、必然、書くことが億劫。日記更新は怠慢になりました。毎年の年頭、今年こそはと思いながら三日坊主。いけませんでした。 怠惰を断ち切るため、浮気もしました。気分転換、毎年末に縦書きや横書き、5年や10年ダイアリーを求めました。ある年は書かずにワープロソフトを使いました。 彷徨い続けて50代、朝日・天声人語に博文館の当用日記が紹介されたというキャッチコピーを目にしました。以来、その会社のフラグシップを愛用しています。馴染むのです。A5ハードカバー縦書きです。 数年前、東京・荒川区に吉村昭記念文学館を訪ねた際、書斎を再現した本棚にこの手、博文館のものが暦年、並んでいました。大作家もこれを使うのか、嬉しくなったのでした。 ということで今日の写真は2023博文館大型当用日記です。帯に「手書きは日本の文化、残そう手書き文字」とあります。 青のインクが好きなんです。 一句 晦の前に求める博文館
2023年11月24日
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Saturday, November 2, 2024 雨のち晴れ。温帯低気圧から伸びる前線が通過。午前中は吹き降り、飛沫(しぶき)ました。 朝のうち、傘をさし、朝餉を抱え父の家に。スープの冷めない距離(50m)にありますが、土砂降りのせいで足下が濡れました。父の友人、その奥さんが亡くなったことを伝えたら「弔電を打ってくれ」といいながら、悔やみの文章を杣夫に口伝。アイアイサー。そうしました。 家に戻り、今日は映画三昧の日にしよう。邦画を2本。「最後の忠臣蔵」と「碁盤切り」を視ました。前者「最後の忠臣蔵」のヒロイン・桜庭ななみさんがはまり役でした。武家の息女が京言葉、得も言えぬ上品さを醸して素敵。ストーリーはフィクション、池宮彰一郎の創作です。あり得ない結末につき少々興ざめ。しかし、桜庭さんの美しさ故、10点満点中8点。後者は10点満点中6点かな。(杣夫の映画点数は6点がボーダー、合格点としています。視て損のないと杣夫は考えます) 午後3時過ぎ、喪服に着替えました。父の友人は、杣夫も仕事柄故、交誼を頂いています。通夜に向かいました。リアス式の日豊海岸を走る国道388号、入り江と岬を辿りながら、でした。写真は畑野浦の下り松、東に開けた海です。右の島が沖黒島、中央の小さな凸が千畳敷、さらに左は地黒島、横島です。陽の当たる一番向こう岬は鶴見半島の先端。頂部に微か、白い点のあるのが灯台です。この辺りは、2週間前にあったツール・ド・佐伯のコースです。S,A,B、それぞれのエントリー種目は、その灯台までの道もコースの一部。シャッターを切るこの場所に到り、更に遙かの眺めをして、その距離感に心の折れるか、よし、頑張るぞ、闘争心に火の付くか。人それぞれでしょう。も一つ、余談です。千畳敷は映画釣りバカ日誌19のロケ地になりました。 388号には其処此処にトンネルがあります。杣夫は、出口の向こうに海の見えるのが好きです。写真は高山トンネルの出口です。この通り、海が見えるのです。いい感じでしょう。 抜けると、目の前に高山海岸が広がります。ここは浜木綿の自生地です。今は咲いていませんが。海は日向灘です。水平線は太平洋。今日はハワイの島影を見ること能わずでした。エヘヘ。 この海岸からは深島を望めます。有人離島です。十数人が暮らしています。定期航路があり、本土との間に1日3便が往復。30分あまりの航海ですが、島近くに至ると、失礼かも知れませんが、絶海の孤島感を覚えます。島には民宿あり、暮らす人々が味噌を製造。「深島味噌」のブランドで佐伯地域に流通。乙な味です。ちなみにこの島には猫が何十匹もいます。猫好きの人たちには、猫島として名が通っているようです。 車を走らせ30分、会場に着きました。喪主に悔やみを述べました。故人は70代前半。今時です、若くして、ではあります。斎場を後に。自宅にとんぼ返り。家に戻ると、義弟が帰省するとのこと。車を貸して欲しいというので、杣夫のそれにロードバイクを積みこみ、妻の実家へ。カギと車を乗り捨て、自宅まで10kmをサイクリング。とっぷり、日が暮れました。 シャワーを浴び、夜のお勤めです。久しぶり、日本酒の一升瓶を開栓。 やっぱり杣夫は生酒が好きです。 純米の原酒です。この色合い。うーむ、甘露甘露。 当ては昨日拵えた煮付け。身離れがよく、酒によく合いました。いい気色になって映画をもう1本。「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期 - マリオ・プーゾ原作」です。パート3を改編。途中で沈没。明日以降になります。
2024年11月02日
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Sunday, November 3, 2024 午前4時起床。珈琲を楽しみながらぼんやりの時間を過ごしました。 午前6時半、久しぶりの晴れなので散歩するか。小一時間、ぶらり、いつもの散歩コースを歩きました。写真は栴檀の実です。これは枝先の一部です。大きな木の全部にこの態です。千弾と間違えるような実の付け様です。 椿の実が落ちていました。空気感の変化にもですが、この割れ様に秋を感じました。 木立川に憩う鴨です。冬の使者です。彼等の飛来は先月中旬だったかと。 このところの長雨で、季節外れの苔生しが生じていました。 おっ、ウルップ、元気だったか。 家に戻り朝食。それを終え、黒服に着替えました。昨日は黒ネクタイ、今日は白ネクタイを首に巻きました。文化の日です。弊社もそれに関する行事を行います。杣夫もそれに出席しました。写真はその会場に飾られた花です。この季節です、芒も誂えてありました。 正午前帰宅。昼をして野良着に着替えました。ゴーヤやオクラ、ピーマン、パプリカの始末をしよう。写真は胡瓜やゴーヤの支柱に使った女竹を抜き、マルチだけになったところです。茄子もう少し頑張らせることにしました。 マルチを剥いで耕耘した後です。作業中、同僚Yが来たり、親方がひょっこりだったり。午後の野良仕事はこれだけで終わりました。 義弟が妻の実家に帰省。夕食を一緒することになりました。はし本に義母、義弟、妻、それに杣夫の4人、突っ込みました。日曜日でしたが、店を開けてくれました。感謝です。写真は付け出しです。3点盛りの真ん中はスマガツオの血合いをごま油で和えたもの。絶品でした。 造りです。これもいい感じ。 こちらは鯥の塩焼き。丁寧の仕事です。 生中2杯、300mlの日本酒を1本で切り上げました。この日は、別に約束がありました。朋遠方より来たるありということで、Oさんとつね三の大将、それに部下のTが卓を囲んでいるところに合流。久闊を叙しました。帰宅は午後10時頃だったかな。バタンキュー。 今日の写真は始末のゴーヤになっていた実です。近所のTやんはこれを半分に割り、種をはずし、オーブンで焼くのだそう。醤油を掛けて焼酎の当てにするというんです。あげました。
2024年11月03日
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平成24年9月18日(火) 午前5時起床。台風一過、青空が広がりました。 午前中会議、午後はデスクワークでした。 夕方、運動公園へ。ラン12km。1時間あまり走りました。パークウェイ線や墓地横の小道、芝生の多目的グラウンドへの上り坂など、アップダウンを中心にしたコースを頑張りました。別府・志高湖の難コースを想定しての仕儀です。中4日空けての練習でしたが、足は軽かった。途中、犬を連れた美しい女性が散歩していました。恥ずかしい話ですが、ピッチが上がりました。細道の脇には彼岸花が咲き始めていました。汗をかきましたが、クールダウンの時は暑さを感じない。暮れる時間も早くなった。午後7時になると暗いです。秋のつるべ落としです。冬至まであと3ヶ月。あっという間に寒くなります。今日はランパンにノースリーブのシャツでしたが、しばらくすると、北風の吹く中、懐中電灯を片手に持ってのランになります。あぁ、嫌だな。 左手がひどく腫れました。手の甲がパンパンになり、握りしめてグーをすること能わず。蟻酸は強烈です。今日は肘の方まで広がりました。普段、右手で左手首をつかむと、親指と中指の先が接するのですが、今日は2cmほど空いています。腕時計のバンドを締めることができません。このアリ、種類はヤマアリのようです。家の周りにいるブラウン色の奴ではなく、少し大きめにして黒いのが特徴。調べるため「ヤマアリ」で検索したら「谷あり」がヒットしました。なんだい、どうなってんだ。ネットにからかわれてしまいました。 今日の写真も私の左手です。刺されたところのてっぺんが破れ、汁が出始めました。甲が突っ張り、箸を持つのが辛い。あっ、そうです、私は左利きです。ペンだけは右ですが、あとは全て左手。
2012年09月18日
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Monday, August 26, 2024 午前6時前、地区(20世帯ほど)の皆さんに触れて廻りました。内容は隣家の通夜と葬儀、その時刻と場所です。私、世話人なのです。地区に不幸事のあると、連絡調整をする役目です。もう何年も続けています。高齢化で次がいないのです。縁起でもないですが、私が死んだら、誰が世話人をしてくれんだろう。 出勤前なので、慌ただしかったです。今夕の通夜、受付は妻ともうひとり、70を過ぎたNのYちゃんに頼みました。明日の葬儀は家族葬とのこと。 午前8時前出社。午前11時前、会社を抜け出し、先日の健康診断結果を持って掛かり付け、S内科を訪ねました。先生「Tさん(私のこと)、最近飲んでますか。嗚呼ビールですか。こうも暑いと美味しいですよね。ほーっ、冷酒も焼酎もですか。相変わらずやっていますね。私は先般、磯自慢のことを話しましたが、どうしても秋田の爽やかな味に惹かれますよ。そうですか、Tさんは山形ですか。白神山地と鳥海山、どちらも名水を生む土地ですね、うふふふふ~。ん? や! あなた、糖尿の数値がボーダーラインを少し越えているじゃーないですか。いけませんね。とにかく運動と痩せることです。食べ過ぎにも注意です。これから先、来院の度、採血しますよ。」私「先生、酒は?」先生「まあほどほどにね」 血圧の薬を隣の薬局で受け取り、正午前、会社に戻りました。 午後、滅多と開くことのない会議を招集、難儀の案件を片付けました。 5時半退社。通夜に向かいました。葬祭場を訪ねました。 家族にお悔やみを言い、故人に別れをしました。彼は左官でした。拙宅を建てるとき、外構や風呂、トイレ周りの誂えをして貰うなど、お世話になりました。釣はプロ級、豊後水道に漕ぎ出していたようで、頻繁、魚を頂きました。そうなんです、トラがイサキやコショウダイの味を覚えたのは、彼のおかげでもあります。 そんなことを考えての帰り、ついいつものスーパーへ寄ってしまいました。鯵を購入。家に戻ってチャチャッ。うーん、足下にトラのいないのは寂しいな。 終えて運動。30分ほど散歩しました。シャワーを浴びていたら妻が戻ってきました。一緒に食事。写真は鯵刺しです。定置物でしょう、シラタが混じっていません。この透明感がその証拠です。 合わせた酒はこれ。熊本・津奈木の甘露・亀萬の珍珠(ちんじゅ)です。伊勢志摩サミットのファーストレディ晩餐会に出された逸品だそう。杣夫の口にはもったいない大吟醸です。 こちらは妻の拵えたピーマンの肉詰め。これ、いけました。 このピーマン、台風接近中に備え、妻が生りもの野菜は大小を問わず収穫したそう。それを使ってのことでした。茄子やピーマンが大風にぶらぶらだと、木が弱りますから。写真は収穫の一部です。不揃いは仕方ありません。 今日の一句 独酌の鯵刺悲し猫の逝く 今日の写真は玄関に咲いたサギソウです。花言葉は「無垢」だそうです。確かにそんな感じです。可憐と言えば可憐。
2024年08月26日
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Wednesday, September 25, 2024 明け方、パラッとありましたが、日中は雲が切れました。 本日、午前の大会議を経、長丁場、8月下旬に始まった株主代表会議が終了。弊社社員もですが、株主の皆さんもお疲れ様でした。 余談です。弊社、社員は定年まで勤めることができます。株主の方々は4年に1度、外部評価を受けます。つまり、その期間が任期なのです。彼等の今期任期末は来年の春まで。社長も同時に解任となり、株主同様、評価を受けることになります。たまたまですが、かく言う杣夫もほぼ同じ時期に解職となります。 4年近く前、某事件のあってピンチヒッター。杣夫は来春、67歳になります。昨日、同窓会写真をアップしましたが、一緒に映る仲間はほぼ全員リタイアし、自適の生活を送っています。羨ましかったです。加えて、会社にあっては、定年を迎え退職する部下たちを年上の杣夫が見送る構図。なんとも妙な、複雑の気持ちです。自身の体力に衰えを感じますし、積年の疲労も溜まっているような。弊社の厳しい経営環境をして、疲れました。でもあと半年です。弱音は吐きませんよ。締まっていこう。 ということで疲労回復のため、近々ポカ休を採る予定です。オーバーホール、リセットです。蒸発しよう。この本を持って。 戻ります。午後、一人を残し、人事評価面接を終えました。真っ直ぐ帰宅。父の顔を覗き、ゴミの始末など小取りの仕事をしました。水道料金のクレームあり、その家の水道メーターを再チェック。夜、懐中電灯を持って草むらの中を歩くのは嫌です。蝮がいそうで。家に戻ったら玄関のガラスに守宮が張り付いていました。 シャワーを浴びプシュッ。相変わらず茄子攻勢が続いています。 こちらは箸をつけた厚揚げ。今夜はこれらに加え、鯖の塩焼きがおかずでした。白霧島のお湯割りで流してバタンキュー。 今日の写真はブロ友nkucchanが関心、石臼です。父の玄関に本人が手摺りを拵えました。もう何年も前、母の生前が頃に制作。石臼もこんな使い道があったんだ。 上は玄関に向かい左側。こちらは右側です。ちなみ、こんなに大きな石段だと、車椅子の通行能わずです。父が歩行困難になってからスロープを拵えるのは面倒だし、その時は、玄関の内側から外の車椅子までは、杣夫が抱えればいい。今の父は42kg。大丈夫です。あっ、そうか、車椅子のレンタル、近く予定の介護認定を受けたらそれを申し込もう。
2024年09月25日
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Thursday, October 10, 2024 晴れ 火、水、木、この数日、バタバタしました。連日、大分向けの仕事あり、帰宅時刻が遅くなりもしました。プライベートの方では、父の介護認定あり。おさんどんの妻が立ち会ってくれました。以下は妻に聞いた話です。 担当の方が見えると、驚くよう、父が元気を出し、ビックリした。普段は覚束ない歩行、屋外には滅多と出ない。それが「歩いていますか?」の問いに「はい、絵が趣味で、小学校(1kmほどの距離あり)の方に出かけ、スケッチをしています。アハハ」どの口が言っているのか、あれこれの質問に万事この態だったそうです。 ということで、ブログネタはこんなことしか思いつきません。写真は茄子です。朝晩、めっきり涼しくなり、この野菜、そろそろ終わりだな。形が小さくなっています。 その茄子攻勢、今年は、例年より少なかったな。今夜に出た焼き茄子です。 もう一品がこれ。ピーマンとオクラは自家製です。後者は終わりました。伸びて硬くなった茎を今週末始末予定です。 これはゴーヤの甘酢漬け。苦みもこうすれば漬物代わりとなります。 食後、妻はピーマンの肉詰めを拵え始めました。渡しはバタンキュー。 今日の写真は父に届いた歴史資料館特別展のパンフです。「絵図でめぐる佐伯藩の村と浦」と題し、所蔵の品を公開。画像では判りにくいですが「木立村」の文字も。 こちらは裏面です。毎日、展示解説を2回するそうです。私のまちには、その業界で有名の学芸員K君がいます。彼の説明を聴いてみたいな。 それでは間延びしましたが、札幌小旅行の続きを以下に。 札幌3日目。未明に目が覚めました。昨日、A先生の見舞いと同窓会、訪札の用事を済ませました。明日は帰省、現実に戻るための飛行機を予約してありました。今日一日フリープラン、札幌の空気を満喫しよう、夜の白んで、朝食前に散歩をしました。午前6時前、ホテルのロビーに下りました。その時刻、そこは閑散でした。 この扉を押して外に出ました。スズランがトレードマーク。 ああ、この空の青さと澄んだ空気、これこそ札幌だ。HBCビルの横を急道庁レンガ向けにぶらり。 構内を歩こうと思いましたが、まだ開門の時刻になっていません。塀の外から眺めたら、少し色づき始めていました。 外構に沿って歩くと、やっ!エゾリスだ。小道にこちらを向いて佇んでいました。カメラを向けた瞬間、走り去っていきました。うーむ、中心部、官庁街にリスの棲む街、何が流石か分かりませんが流石札幌です。 歩を進め、植物園に至りました。折角だから此処を一周してみよう。碁盤の目状に走る道路には、日曜日のこの時刻、車の通りがありません。時折、ジョギングやインバウンドと思しき大きなスーツケースを転がす人を見かけるだけでした。昇ってきた太陽に輝くビルを見ながら澄んだ空気を胸いっぱいがいい感じでした。 園は低い鉄柵で囲まれていますが、中を窺がうのに問題なし。高さ1m程ですし、柵自体が視界を遮らないように出来ています。デルフィニウム・エラツム、マルハフジバカマ、アコニタム・バリエガタム・・・、ハーブやトリカブトの仲間でした。写真はその中にあってひと際のオオムラサキツユクサです。ホソヒラタアブが蜜を求めての図。なんとも可愛く健気です。 や、キツネがいるぞ。何かを狙っているようでした。 遠目なので今一つのショットになりました。 そろり、位置を変えてパチリ。うーん、素晴らしい、これも街中にある植物園、原生林の残り、中にキタキツネの暮らすとは。やっぱり流石です。 早起きは三文の得と言いますが、図らずもエゾリスとキタキツネを見ることができ、得をした気分になりました。次の写真は帰り道に見つけた北方4島返還の看板です。ほかにも「重ねる対話つなげる熱意で四島返還」というのもありました。なんだか悲しいものを見たような気分になりました。昨今の国際情勢、とりわけロシアの横暴です、返還の空気醸成どころか、悪い方悪い方に向かっているような。 ホテルへ戻る道、その時刻には旧道庁の門が開いて、中に足を踏み入れました。最前の池に朝日の射して、銀杏の葉が得も言えぬ色合いになっていました。これも札幌カラーと言えば言えなくもありません。少なくとも大分・佐伯には無いな。 午前7時を過ぎての朝食。昨日とは異なる朝食会場をチョイス。食べ放題にオカワリを繰り返し、腹がパンパンになりました。欲張りの杣夫です、これでもう昼食は食べなくて済むな。エヘヘ。部屋に戻り、AIR・Gを聴いていてウトウト。寝入ってしまいました。気が付くと正午前。やっ!折角の午前を潰してしまった。シャワーを浴び、さっぱりしました。さあ今日が最後、SAPPOROの空気を感じよう、仕切り直しです。再びホテルを後に。北海道博物館を冷かそうか、それともモエレ沼公園に足を延ばそうか。いや、午後のひと時、大学構内をぶらりするだけで充分だな。てくてく、北向きに歩きました。写真は札幌駅です。建物が素晴らしいだけに、JR北海道の厳しい経営環境、各路線の廃止が進む状況下、光と影というと大袈裟ですが、光の当たっているのは札幌市だけだな、そう感じました。 駅構内を抜け、樽川通りに出ました。おっ、南陽堂書店だ。これ、杣夫の入学した時も確かあったな。50年近く前の話です。懐かしいな。 少し北に進むと、大学の正門があります。そこで記念の写真を撮り、構内へ。緑一色でした。嗚呼、堪りません、この色合い。目に沁みます。 勃然(杣夫のブログは「余談」と「勃然」が多いです)と1960年代だったか、森有正が学生会館に逗留、キャンパス内にあるクラーク会館のパイプオルガンを演奏、ひと夏を過ごしたと彼の全集にあります。それを勃然、思い起しました。哲学者とバッハ、そして北国の透き透る青空と緑、70年ほど前のことですが、いい話じゃないですか。それらのことをして強引に過ぎますが、パリと札幌、街の風情になんだか共通点があるような。ビール党はミュンヘン、札幌、ミルウォーキーと括ります。杣夫は秋のパリを訪ねたことありですが、その2都市は訪問したことがない。それもそう思う理由の一つです。 戻ります。歩を進めました。白い建物が見えてきました。在学の折は古河記念堂と呼ばれ、環境科学の大学院がおかれていました。函館の酔散を卒業後、再び札幌に戻り、ここに学ぶ同窓もいたっけ。それにしてもいい感じの建物です。木造。 農学部前の広場にこんな看板の建物がありました。ワイン教育研究センターとありました。 ワインティスティング・ラボ、オープンとありました。ラボとはlaboratoryの略語です。実験や研究が行われる場所、大学では研究室の意。なんだかアカデミックの風情です。企業なんぞから協賛を得て、北海道産のブドウやリンゴを材料、新商品の開発を手掛けているような説明でした。 が、中をのぞくと、タダのワイン試飲会場でした。折角なのでシードルと白、赤、3杯を試してみました。山ブドウの赤は、熟成に向いているような感じでした。 農学部から旧理学部にかけての広場は楡の大木が林立する、これまた木漏れ陽の射す憩いの空間です。50年近く前に比べ、木々の幹が一回り太くなったような。余談です、この広場奥にテニスコートがあったような記憶があるのですが、今日はそれを見つけることができませんでした。というのも、宇宙飛行士毛利衛氏が工学部の教官だったころ、ここでテニスに興じていたことを本で読んだことがあるからです。ちなみに氏のここで研究は札幌市の粉塵対策。当時、冬場の自動車タイヤはスパイクが主流。そのビスがアスファルトを削り、粉塵の生じることを解明、のちのスタッドレスタイヤ開発のきっかけとなったというようなことを思い出しました。 構内のメインストリートです。ここは3年前、東京オリンピックのマラソンコースになりました。テレビ中継を見ていて、懐かしかったことを思い出しました。あれからもう3年か。 さてそのメインストリート、旧理学部の角を左に曲がると、楡の高木と芝の風情が急、薮に代わります。そこをまっすぐ行くと200m程で、この大学のランドマーク・ポプラ並木の入り口に至ります。写真をパチリ。先ず九州にはない景観です。ただし、この並木の延長はごく短く100mもありましょうか。それでもクラーク先生とこの並木を見に、観光客がやってくるのです。それにしても、午後の柔らかい日差し、透き通るような風に揺れる風情、色合いには揺籃を覚え、心地よい気持ちにしてくれました。嗚呼、来てよかった。 ぼんやり佇んでいたら、犬を連れた男性がやってきました。よく肥えたラブラドルでした。歳を訊くと8歳。脂の乗った成犬でした。慣れて「W」、名を呼ぶと私の足元に座りました。 男性は40代。世間話、接ぎ穂に最高の散歩コースですね、そう声を掛けました。彼の問わず語りは以下の通りです。 文系某学部の教官、ラボを離れることの出来ない理系の連中と違い、夏冬、大学が休みになる間は、拘束されない。私は他大学出身、住居も関東だ。年に数回、首都圏と札幌間をマイカーで行き来。この犬を連れてだよ。個々のキャンパスは最高だね。全国一と思う。妻も札幌の街を気に入っている。いっそのこと、引っ越してきたいな。 うーん、いい生活を送っています。羨ましいな。彼を見送って、メインストリートに戻りました。嗚呼、ナナカマドの実が赤い。 銀杏並木に差し掛かる前、セイコーマートがありました。うーん、キャンパスの中にコンビニとは。隔世の感ありです。折角なので、アイスバーを1本購入。歩きながらパクつきました。 続き、夜の部はまたの機会に。
2024年10月10日
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Sunday, October 13, 2024 3連休2日目、快晴が続きます。午前4時起床。Direct Radio Classiqueを流しっぱなしがいい感じです。こういうのがあると、杣夫としては、レコードやCDコレクション、全く用を為しません。スマホ或いはタブレットとアンプを接続、タンノイで聴く音にも遜色なしです。以下をクリックすると、フランスのそのサイトが開きます。 Direct Radio Classique 朝餉を済ませ、運動公園へ向かいました。昨夜に続き、今日の午前も仕事の一環でした。少年相撲大会に社長代理、開会式の挨拶をしに、でした。杣夫はその手が苦手です。しどろもどろにならないよう、気をつけないといけません。スピーチをした後、高学年の団体戦を1時間ほど観戦。大相撲本場所さながらの熱戦が展開されました。各チーム大勝同士の取組には水の入りそうなものもありました。目立ったのは女子の活躍でした。小兵ながら前に前に、ガッツのある少女に拍手喝采。別に敗れて涙する少女もあり、子どもの相撲は真剣勝負です。いいものを見せてもらいました。 こちらは土俵を後にしてのラグビー場です。少しの時間、高台から覗きました。少年たちのゲームですが、様になっていました。ラグビー人口も増えたのかな。 次の写真は帰り道、南中学前の水田です。普通作の刈り取りが終わり、藁を干す作業をしていました。藁は畜産の必需品。それが近年、農家が肉牛を飼うことを止めたせいで、この光景は見なくなって久しいです。 木立の沖田に飼料米のロールが転がっていました。これは恐らくN牧場のものです。N牧場は近所にあります。酪農、牛乳の生産と肉牛の繁殖・肥育、両方を営んでいます。3代目が頑張り、4代目は私の通った大学に在学中です。農学部なのかな、後を継ぐのかな。そうなるといいな。 家に戻り昼食。父のおさんどんは妻が拵えますが、休日に届けるのは杣夫です。朝餉の食器が食卓の上にそのままとなっていました。流しに置いて水をかけておくよう幾度も言っているのですが、そうしてありません。今日、繰り返しそれを促したら「そげなよだきいことはしぇん!(そんな面倒くさいことはしない)」 虫の居所が悪い折りは万事この態です。仕方ありません。妻にそのことを話すと「私、洗濯物持ち帰るときも掃除のときも、万事そんな返えされ方をされるわ。今頃気づいたの、あなた?わかってないわ!」 父に言われ、妻に言われ、青菜に塩の杣夫でした。鈍感の杣夫が儘ではいけません。妻の苦労、きちんとわかるようにならないといけません。 午後は野良着を着ました。旧西瓜畑の刈草、その残りを始末しました。トラクターで其所を耕耘しよう。ん?トラクターの横に草が伸び放題だ。先にそれを始末しよう。 草刈り機でやっつけました。 次はトラクターです。しかし、今度はエンジンがかかりません。ジャンプスターターの接続をあれこれ試しました。小一時間格闘しましたが、うんともすんとも。諦めて、茄子の根切りをしたり、野菜畑の周囲に蔓延る草を刈ったり。日の傾いて地下足袋を脱ぎました。振り仰ぐと金木犀が満開でした。 いい香りです。拙宅敷地内に7~8本、植わってあります。釧路のMOOに1本寄付しようかな。でも軽トラで運ぶのは面倒だし。止めておこう。 シャワーの前、水道組合総会の案内を各世帯に配布しました。30分ほどかけ集落内をとぼとぼ。嗚呼、今日も疲れたな。 風呂で汗を流しさっぱり。プシュッ。その後は冷酒の300ml瓶を2本。当ては出来合いの刺身でした。いつものスーパーが特売日。これだけが1ラーしません。別にシロサバフグの刺身も。 これは妻が拵えてくれたちりめんじゃこ入りの卵焼き。色合いが悪いので写真はダメよ、といわれました。しかし味は絶品、日本酒にいいマッチングの当てです。バタンキュー。 今日の写真は作業小屋にできたスズメバチの巣です。突いたり触ったり、こちらが悪さをしなければ、向こうも特段、こちらに向かっては来ません。小屋の中に入っても、杣夫の身体近くをブーン、すり抜けて出入りしています。彼奴等、これから咲く茶の花蜜を採取するようです。寒くなり、それの終わると、杣夫がこの巣を壊します。
2024年10月13日
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Saturday, October 26, 2024 折角の週末なのに曇天でした。ウィークデー、父のおさんどんは妻がしてくれます。週末は杣夫が担当。といっても拵えるのは彼女、杣夫は運ぶだけですが。 ということで朝昼晩、それを届け、折々の筆談をしました。昨日届いた介護認定は要介護1であったこと、今後、各種サービスを選ぶからそのつもりでいるよう、話しました。「俺は家で死ぬ」と豪語していましたから、入浴など通所サービスを素直、受け入れてくれるか心配です。 午前はその合間を縫って、届いた郵便物の開封や書斎、机回りの整理をしました。なかなか片付きません。午後は久しぶり,Rさんを誘い散歩しました。小中尾集落の手前、Nさんの山が全伐でした。親方と一緒、山に入り、チェーンソーを回していた頃が懐かしい。少しですが、この光景を見て、腕の疼く感じもありました。 ったくもう、この切り口を見ると、情けない気持ちになります。高いところに刃を入れていますし、棘を残しています。ビジネスライクですし、他人の山なのでそれこそ「かんまんごし」なのでしょうが、これはいけません。夜、山の神が様子見に来て、この切り株に腰掛けたら、尻に刺さります。 家に戻ると、妻は未だ台所に立っていました。午前からです。茄子料理でしょうか。 こちらはできあがりの図。 おっ、焼き茄子だ。なんとも食欲をそそる色合いです。冷や酒を舐めながら、秋の夕刻を緩り参ろうぞ、そんな気持ちになりました。 しかし、そうはいきません。今夕は杣夫のまちの盛り場「うまいもん通り」の秋祭りです。弊社にも案内があり、社長の代理、来賓祝辞をしなければなりません。 午後5時前、其処を訪ねました。杣夫は挨拶が苦手、ヘタクソです。短いのだけが取り柄。それを済ませたら、お菓子撒き。 杣夫もステージに立って、ちびっ子たちにそらいくぞ。 ぶらり、通りを歩きました。曇天ですが、雨の心配は無いようでした。生ビールの販売あり。お寿司や焼き鳥を中心、通りの左右に店を構える居酒屋さんが軒先に屋台を構え、美味しいものを売っていました。 顔見知り多く、散財。写真は求めた品の一つ、締め鯵のお寿司です。500円。 おっ、射的をやっているぞ。ガキンチョに人気のようでした。 屋台物を下げて帰宅。風呂に入りプシュッ。日本酒が底を突いたので、焼酎のお湯割りで求めた当てを流しました。バタンキュー。
2024年10月26日
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Friday,November 1,2024 毎度のことですが,1週間経つのが早いです。写真は10月28日の朝刊各紙です。全紙とも見出しがぶち抜きになっていました。紙面の至る所「政治と金」の字句を見てとれましたが、選挙期間中をふり返って、どの政党もウクライナ、ガザ・レバノン、イラン・イスラエル等、戦渦を止める主張が記事はなかったような。私はトランプ氏を支持しませんが、彼だけが「私が大統領になったらウクライナの戦争を24時間で止めてみせる」と言っています。ほんとかいな?そう思っていたら、某放送局のラジオ解説者が「トランプはウクライナ全土をロシア領土として認める」と喝破。なーんだ。 さて、その先週日曜日は従姉妹が亡くなっての通夜でした。杣夫より20近く年上です。太平洋戦争開戦の年に生を受けた計算になります。父の名で生花を送りました。 葬儀は週半ばの水曜日。会社を昼前に抜け、斎場に向かいました。寺は臨済宗妙心寺派。和尚4名がこれまで聴いたことのない大声でした。觀音経もここまで怒鳴るよう読まれると、利益のあるかも。 大和尚の喝が入って会葬者が順番に焼香。それの終わると、引き続いて初七日の読経。40分ほどで全てが終了しました。 この日は、精進揚げがありませんでした。葬儀場の玄関口で折を受け取りました。それが代わりでした。受け取り帰宅。写真を撮り忘れましたが、3〜4人前の量、豪華なものでした。美味しいところ、父の好みを妻が皿に取り分け、父に届けました。 写真は拙宅庭に咲いた梅花一花(バイカイチゲ)です。 こちらは瑠璃雛菊(ルリヒナギク)。杣夫からの供えです。安息あれ。さて、今日から11月です。早く寒くならないかな。霜月の声を聞くと,そんな気持ちになります。というのも,拙宅唯一の自慢である薪ストーブに火入れする日が近づいたな、金木犀の香りを嗅ぐとなおさらです。無音の炎がゆらゆら、鋳物のそれからじわり伝わる暖かみは,石油や電気ストーブのそれ,エアコンの暖気とは違う,ほのぼのとした癒しを醸します。 薪の手当てはできています。しかし、杣夫の勤務する会社にはまだ半袖男がちらほら。寒くありません。ということで、ストーブへの火入れは早すぎる、逸る気持ちを抑えました。そんなことを考えていて勃然、ハッとなりました。そうだ、季節の移ろいが遅いのは、ストーブの番人がいないからだな。 嗚呼、突然トラの姿がフラッシュバック。帰宅して勝手口を開けた時も、そこにトラの座る幻影を見たり,玄関を開ける時,思わず脱走に気を遣ってしまったり。写真は在りし日のトラです。まさに火の番人でした。ストーブを焚き始めた時、またお前を思い出すんだろうな。寂しいな。 湿っぽい話になりました。話題を変え,今週末から来週にかけ,行われる杣夫のクラスまちのイベントをいくつか紹介します。写真一枚目は11月9~10日に行われる全国豊かな海作り大会のポスターです。先日、東京出張の折、大分空港のロビーに懸かってありました。式典会場は大分市と別府市ですが、私のまちもサテライト会場になっています。放流行事等があります。皇室も来県します。この大会43回を数えますが、第1回大会は大分県佐伯市が会場となりました。 もう一枚は明後日、11月3日日曜日に号砲、九州実業団毎日駅伝競走大会です。佐伯市中央病院陸上競技場をスタート・フィニッシュします。上位8チームは来年元旦のニューイヤー駅伝の切符を手にします。観戦に行きたいですが、杣夫は会社関連の仕事あり、能わずです。 つらつら勝手なことを書いていて、腹が減りました。今日は金曜日。花金ですが、父の夕餉を世話、加えて妻がコーラス。独り飲みの夜です。会社を午後5時過ぎ退社。真っ直ぐ帰宅。家に着いたら妻曰く「今日、知り合いから海老の斡旋があり、買ったのよ。冷凍したわ。そしてね、おまけに魚を貰ったの。料理して頂戴」底曳で漁獲なのでしょう、弱っていましたが、もったいない。全て始末することに。 ということでアイアイサー。チャチャッ、鰓と腹を出し、味噌汁と煮付けを拵えました。正味30分の作業です。何事も鈍間の杣夫ですが、魚料理だけは手早いんです。 完成品は明日以降に回しました。今夜は徒然草、最明寺入道を真似て味噌を当て、甲類のアルコールを流しました。 こちらは数日前から毎夜続くポテサラです。大衆酒場の付け出しとして定番。妻が拵えてくれたのでした。これ、手間のかかるそうです。 はい、茄子も続いていますよ。秋めいて実の細くなってきました。焼き茄子もこの通り痩せています。剥くのが大変だろうな。 最後は今日の写真です。同僚のカナダ旅行土産です。メイプルシロップとクッキー。娘さんがその国にワーキングホリデー中とのこと。同僚は夫婦してトロントを楽しんだようでした。杣夫も行きたいなー。
2024年11月01日
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