「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2015.09.07
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カテゴリ: 政治・経済

野田 聖子(のだ せいこ)・・・とは?

1960年9月3日生まれ→55歳

日本の政治家

のだせいこ.jpg



旧姓は島(しま)

岐阜県議会議員(1期)

郵政大臣(第64代)

消費者担当大臣(第2・3代)

食品安全担当大臣(第10・11代)

科学技術政策担当大臣(第9・10代)

自由民主党総務会長(第52代)を歴任した。

祖父は大蔵事務次官、参議院議員、衆議院議員、経済企画庁長官

建設大臣などを歴任した野田卯一




【生い立ち】

父親の転勤先であった福岡県福岡市に生まれる。

オリンピックの年にちなみ、聖子(せいこ)と命名された

田園調布雙葉高等学校を中途退学

ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクール(英語版)を卒業後、

1983年、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業

同年、帝国ホテルに入社

フロント業務等を経て、

帝国ホテルの女性従業員で初めて国際セールス部員に抜擢される。

1984年、祖母・野田光の死去に伴い、

祖父・野田卯一の養子となり、野田姓を継ぐ。


【政界入り】

1987年、岐阜県議会議員に

自由民主党公認で立候補し史上最年少で当選する。

1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧岐阜1区から立候補するも、

自民党からの公認も得られず落選。

1993年の第40回衆議院議員総選挙に再び立候補し、

「衆議院にも自民党の女性議員を」との公約を掲げて初当選した

(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・岸田文雄・

塩崎恭久・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗など)

新政策研究会(河本敏夫派)に所属した。

1996年11月発足の第2次橋本内閣で郵政政務次官、

1998年7月発足の小渕内閣では、

閣僚史上最年少(男性含め)の37歳10ヶ月で郵政大臣に抜擢された

(奇しくもこの記録は、10年後に、小渕の娘である小渕優子に破られる)

1999年、自民党国会対策副委員長、

衆議院議院運営委員会の議事進行係

(女性としては初)に就任。

2000年、自民党政調副会長、筆頭副幹事長に就任。

2001年、保守党所属の参議院議員・鶴保庸介との事実婚を発表したが、

2007年に離別。

2003年12月、高村派を退会。

また法的に結婚していないとできないはずの不妊治療をしている

国会議員として、

マスメディア(主にテレビや女性誌)に何度も取り上げられている。

また人工授精による受精卵が凍結状態にあることが報じられた。

その後、きょうと青年政治大学校講師も務めた。


2010年5月にアメリカ合衆国にて

卵子提供を受けて体外受精を実施して妊娠したことを、

同年8月下旬に『週刊新潮』での自らの手記にて明らかにした。

2011年1月6日、50歳という超高齢出産にて

重い障害のある男児が誕生したことを発表した。

この際、野田自身は子宮の摘出を余儀なくされている。

また、当面の間は休養することも明らかにした。

2月、事実婚だった男性と1月18日に婚姻し、

男性が改姓したことをブログと手記で公表した。

同時に、鶴保と事実婚の関係を続けたのは

自身が跡取り娘で名字を維持するためだったことも明かしている。

子は1年で9回の手術を受けるが脳梗塞も併発し、

2年近く入院中で1回も退院経験がない。

現在人工呼吸器を装着し、

経口摂取は不可、右手右足に麻痺がある。

なお、時々子供のお見舞いに行き写真をブログで公開している。

1歳の誕生日には野田からお守り2つがプレゼントされ、

短時間のお誕生会が開かれた。

後援会400名で2班に分かれて

韓国旅行をした際、

夫と実母も連れて5日に合流するが、

韓国旅行中に子どもが肺炎になったことなどが批判された。

2012年11月21日、自民党岐阜県連にて解散に伴う

第46回衆議院議員総選挙に出馬の意志を表明。

同年12月16日、岐阜1区で前回敗れた柴橋を下し7選。

同年12月25日、第52代自由民主党総務会長に就任した。

2014年9月3日、自民党役員人事により、退任。

同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で8選。

【政策・主張】

少子化対策・男女共同参画

3年間で8回におよぶ体外受精を受けた不妊治療体験から国会議員として

生殖医療に取り組んできた。少子化問題にも目を向け、

2002年秋ごろ、特に力を入れたい政策課題だと表明。

小泉政権の少子化対策について、「百点満点で十点」と酷評。

自費出版を検討していた自らの体験や体外受精をめぐる夫との軋轢や

通院の苦労談、流産の辛さをつづった著書を、新潮社の申し出により、

2004年12月に『私は、産みたい』と題して出版。

翌2005年5月には、『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』を講談社から出版し、

自党内の「女性が職を持つようになって子を産まなくなった」との発言に対して、

欧米など女性労働者が多い国でも、出生率が高いデータ例を示しつつ反論。

政府が課題とする少子高齢化と人口減少を切り口に、

今後取り組むべき政策ビジョン「人財増産計画」を提言しつつ、

党内議員の旧態依然たる意識を厳しく批判。

少子化対策への取り組みこそ社会を安定させると主張している。

日経ビジネス誌のインタビューに対して、

2010年1月、野田は「本気で少子化対策をするには自民党は本当に邪魔な政党でした」と発言した

(「自民党が少子化を加速させた 自民党・野田聖子衆院議員インタビュー」)。

また、選択的夫婦別姓制度導入に賛成する。

2002年には「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」を主導し、

自民党法務部会に議員提案として「民法の一部改正に関する法律案」を提出している。

この中で、野田は「現行民法は男女の婚姻の条件として、同氏を名乗ることを義務づけている。

現在、そのために不利益を被る人たちが民法の改正を強く願っている。

少子化が急速に進み一人っ子家庭が増えるなか、

一人っ子同士の結婚での家名継承が難しくなっている。

結婚の前後で氏が変わることにより、仕事の継続性が確保できなくなる事例も増えている。

結婚を控えた若い世代の過半数は、希望する夫婦には別氏を名乗れるようにしてもよい、

と民法の改正に賛成している。家族の崩壊が心配され、家族の再生が求められるなか、

婚姻前の氏をそれぞれ名乗りながらも法律上の家族でありたいと願う切実な声がある。

夫婦が特別の事情でそれぞれ旧姓を名乗りたいと希望する場合、

家庭裁判所の許可があれば例外的に夫婦別氏の結婚を法律婚とする道を開きたい」

とその理由を述べている。


【系譜】

野田家

野田聖子の実父、島稔は

元建設相の野田卯一と妻・光の長男として生まれ、

卯一の岳父である島徳蔵家に後継ぎがいないという事情から

第一子は島性を名乗らせるため、幼少期に徳蔵の養子となった。

徳蔵は「北浜の怪傑」と呼ばれた伝説の相場師で、

晩年は大阪株式取引所(大阪証券取引所の前身)

理事長や阪神電鉄社長などを務めた。

稔は東大卒業後、八幡製鐵(後に新日本製鐵)に勤めていた。

卯一の子は稔一人だけだったため、

今度は娘の聖子が祖父の野田姓を継ぐこととなり、卯一の養女となった。

明治維新後に兵部大輔、近代兵制を確立、

靖国神社の前身の東京招魂社建立に当たった大村益次郎は遠い縁戚になるという。

野田聖子は安倍晋三との対談の中で「実は大村益次郎さんは私の遠い縁戚なんです。

昔、祖父に、「これは君の遠い縁戚だから」と言われたのを覚えています。」と述べている。



実吉安純━━━実吉雅郎
        ┃
       ┏富
┏島徳蔵━━━┫
┃      ┗光
┗島定治郎   ┃
        ┣━━━━━島稔━━━━野田聖子
        ┃           
       野田卯一        

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最終更新日  2015.09.07 21:11:44
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