「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

2017.06.21
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カテゴリ: 「読書」
NHKで、土曜日6:5から放送中の「みをつくし料理帖」を旅しております。「つる屋」から、劇作家の家を通り「世継ぎ稲荷」も見つけて、いよいよ澪さんの思い人のお宅「小野寺屋敷」を探しております。
まぁ~江戸時代のお話で、勿論フィクションである事は、流石の私も存じておりますが・・・折角ここまで探して来たのですから、

すっかり、下がり眉になった・・・私。きらり

澪さんと同じ様に坂を登り終えて、確か?

この先で、富士山が見えるロケーションが・・・あるはず!!


すると、住所表記を見れば・・・富士見1丁目


えっ、え・・・富士見2丁目


絶対に「小野寺屋敷」は、この辺なのですが~


駄目です~きらりさん!




九段中学校・白百合学園・日本歯科大学


・・・・もしかして法政大学までは遠いとも?


この辺りは、江戸城勤務の武家屋敷跡であります。


明治御維新の忖度で・・・学校になったのでしょうか?


千代田のお城の方へ・・・坂を下ると

「靖国神社」の参道を横目で見ながら・・・ここは、明治になってからの世界


「小野寺屋敷」は、靖国神社に吸い込まれて居るとも考えられますが、


これ以上は、原作者=高田さんも、うやむやでしょう!?


それならば、勤め先である「千代田のお城」江戸城を見に行きましょか~

靖国通りの歩道橋を渡ります~良いお天気ですね♪


でも、風邪がソヨソヨ気持ちが良いです~




田安門は、この右になります~


真正面には、金の・・・「玉ねぎ頭」

「武道館」が、見えます~


千代田のお城の中に武道館を作ってしまって~


それより、江戸城の天守閣を作って欲しかった・・・私きらり。




「田安門」 ・・・北の丸公園


重要文化財 旧江戸城 「田安門」


江戸城は、

長禄元年(1457年)に

太田道灌によって創られたとされる。

天上18年(1590年)

徳川家康の居城となり

文禄元年(1592年)から

大規模な改修が実施され

慶長12年(1607年)に天守閣が

寛永13年(1636年)に

総構(そうがまえ)が完成し

大城郭としての形が整えられた。

その後、明暦3年(1657年)をはじめ

数度の大火に見舞われたものの

城郭の規模は幕末までほぼ維持された。

田安門は、

北の丸公園に位置する桝形門(ますがたもん)であり

正面の高麗門(こうらいもん)と

その右手奥の櫓門(やぐらもん)からなる。

門の創建年代は明らかではないが・・・

現在の門は、

高麗門の扉釣金具に残る刻銘から

寛永13年に建てられたものであると考えられている。

しかし、櫓門の上部には

破損のため大正末期から

昭和にかけて撤去されていたものを

昭和36年~41年度の修理で

復旧整備したものである。

田安門は、

江戸城の総構完成当時に遡る

現存唯一の建物であり

高い価値を有している。




玉ねぎ頭の手前・・・


城壁の石組に夢中にインスピレーション(^0^)もしや?

これは、南米ペルー・インカ帝国の石組と?


インカの「12角の石組」

いやいや~これは、2011年訪問のペルーの石組です。


そして、2017年1月訪問の「イースター島」

イースター島の石組は、何時?誰が?何処から?


しかし、偶然ですよね~


江戸城の石組とお濠を見ながら、日本橋まで歩きましょう^♪

お濠は、睡蓮で、いっぱいです~


まだ2~3輪しか咲いていませんが、


靖国通り沿いにお濠を下ると・・・九段下

「俎橋」まないたばし・・・戻って来ました。


「つる屋」は、スターバクスになっております。


首都高速の下になってしまった橋を巡ってまいりましょう~(つづく)

道案内は、

献立帖より参照です。

全巻10冊を読んで、いらっしゃらない方でもお勧めです♪


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最終更新日  2017.06.21 13:39:42
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