「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2021.12.01
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​ファン・ゴッホとトゥールーズ・ロートレックは、本格的に画家の道を究めるべく学ぶのでありますいよいよパリで彼らは出会って、あのパステル画を描きます手書きハート


ゴッホ とロートレックが出会う​ ​​

​Antwerpen​


1886年、ゴッホ (33歳 )​

前年11月末、ヌエネンからアントウェルペンに出たゴッホは、

さっそく美術館通いをはじめ、

特に17世紀の巨匠ルーベンスの明るく豊かな色彩に魅せられ

さらに、開放的な港町の情景、

そして日本の浮世絵版画に初めて接する手書きハート

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
​Vincent Willem van Gogh​

1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没)

1月18日、ゴッホは、 美術学校に入ったが、

彼の情熱的で奔放な描写は、

その規則的なアカデミックな教育にはついてゆけない

一方、夜間は、

フランツ・フィンクのアトリエで裸婦の勉強もしたが、

不十分な食事と過度の喫煙で疲れ切って病気になる。


彼のアントウェルペン滞在は、

もともとパリへ出るための一ステップであった。


2月に入ると、 パリに行って

コルモンのアトリエで学びたいと の意向をはっきり示している。


2月末日、あるいは3月1日、

彼が希望どおりにコルモンに入った月や日は判然としない。

また、そこをやめた時もはっきりしないが、

多分、3月から、せいぜい8月までの在籍 だと思われる。


しかし、師コルモンの作風、

教え方の如何を問わず、



その後の新しい絵画の一つの るつぼ になった。


ゴッホは、ここで、

その人たち・・・

エミール・ベルナール、 ​ロートレック、​

そして ルイ・アンクタン、ジョン・ラッセル等を知った


その上、テオを通して、

モネ、ピサロ、シスレー、ドガ、ルノワール、スーラー、シニャック等、

印象派の画家たち、

その周辺の人たちや作品につぎつぎとなじみ、

一方彼らの刺戟も手伝って、

日本の浮世絵版画に開眼されて、

徐々に、あるいは大胆に明るさを増していった。

を迎えてから、

ポン・タヴェンからパリへ戻った ゴーガン と知り合った。


​余談・ゴッホ 【この年のエピソード】 ​​

5月、ゴッホの 母はヌエネンを去った。

その際、ゴッホが同地に残してあった作品を一括して、

ブレダの小さな商店に渡した。

のちに古物商に売られ、この古物商は、

無価値と思われるものを焼却し、

残りを1点10サンチームで売り払った。

大部分を仕立屋ムーウェンが買ったと思われる。


一方、パリではゴッホの目ざましい芸術開眼、

進展を認めながらも、彼との共同生活は、

献身的なまでに尽くす弟テオにとっては

次第に重荷になり、苦痛になった。

12月、 ゴッホのいらだちはひどくなり、

その気難しい性格は、テオには耐え難くなる。

別々に生活したい・・・

その思いをテオは妹のウィレミーンに

「ほとんど、我慢ができない」 と書く。


​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
​Henri de Toulouse-Lautrec​

1864年11月24日〜1901年9月9日(36歳没)​

ロートレック (22歳
)春、​
パリに出て

​​ コルモンのアトリエに入ったばかりの

​「ゴッホ」に会い、親交を結ぶ


この頃になると、ロートレックは

コルモンのアトリエに通うことは、

むしろ少なくなっていた。


ロートレックの芸術が、ようやく成熟する時期であり、

印象派系の画家たちとの交友、理解は進み、

他方、ますます酒と女に深入りしだした時期でもある。


しかも、この年は印象派にとっても、

あらゆる意味で記念すべき年となった。

すなわち、最後の「印象派展」となった

第8回「印象派展」 の開催であり、

ゴッホともロートレックとも深く結びつく、

そして次の世代の展開に大きなはずみを与えた

スーラーの傑作

『グランドジャット島の日曜日の午後』 が出品された。

ゴーガン が初めて参加したのもこの第8回「印象派展」である。

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
1887年、ゴッホ (34歳 )​ 彼の​展開はいよいよ進む。

パリで知った画家たちが示すあらゆる方法、

あらゆる技法を摂取する

しかもそこから、彼自身を次第に鮮明にしてゆく。


を迎えて、すでに馴染んでいた、

印象派画家たちの絵具屋であり、日本の浮世絵を扱う

画材店タンギー爺さんたちの店と、

そこを足場とする画家たちの一つのたまりとも言える、

イタリア女アゴスティーナの経営する

「カフェ・デュ・タン・ブラン」にはいよいよ足繁く通う。

そしてその店で展覧会を開く。


夏、 ベルナールとパリ近郊で制作する。​

スーラーの分割法を試みる、いや!それに熱中する・・・。


しかし、パリという大都会は、

結局ゴッホの神経を逆なでする。

ここでの二度目の の深まりとともに、

ゴッホの孤独感、疲れは増幅するばかりである。


パリに出てから​描き出したゴッホの「自画像」は、

特にこの年になって多くなるが、

そこに、ゴッホの心の揺れを知るのである。


ロートレック (23歳 )​

友人の医師ブールジュとフォンテーヌ街のアパルトマンに住む​

(1893年、ブールジュが結婚するまで。)また、

トゥールラック街7番地の5階にアトリエをかまえる(1897年まで)。

このアトリエこそ、

ロートレック芸術の最盛期のすべてが息づく場所である。

そして、あのパステル画で

『ゴッホの肖像画』を描いたのは、この年の である。​


23歳のロートレックと・・・

34歳のゴッホ・・・。

すでにモンマルトルの画家として、

前衛画壇に羽ばたき出している画家と、

世間の注目には無縁に、

己れの脱皮を求めて、

いわば・・・

もがきつづける画家​​​​​


(参考資料:朝日選書・嘉門安雄著・ゴッホとロートレックより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2021.12.01 05:36:26
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