「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2021.12.17
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カテゴリ: 美術館・博物館
​理解し難いと思っていた抽象絵画​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ワシリー・カンディンスキーの世界をザックリ辿ってみると親近感です手書きハート

​​ Vassily Kandinsky
​​ ​​1866年-1944年
Trente,1937


生を死とみる位なら、

死を生とみなす方がよい。

たとえ、

一度かぎりであったとしても、

ふたたび何か、

生育するとしたら、

それは、余計なものが

刈りとられた空地の上しかない。

・・・カンディンスキー

「芸術と芸術家〜ある抽象絵画家の思索と記録」より


ワリシー・カンディンスキー
​Vassily Kandinsky​

1866年12月4日〜1944年12月13日(78歳没)

ロシア出身の画家・理論家。

抽象絵画の創始者。

ドイツとフランス国籍も所持。


1933年 1月、​ ヒトラー政権が誕生し、

2月27日、 ナチスの謀略による




ロシア人イコール共産主義者の名目で

たえず誹謗中傷にさらされたカンディンスキーの身辺に、

いよいよ危険が迫ってきたのでである


同年12月、 彼はニーナと共にスイス経由でフランスに脱出し、

1934年 1月、​ パリ近郊のヌイ=シュル=セーヌに

終の住処となる居をかまえた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


1934年 (68歳 )1月、​




1935年 (69歳 )​ カイエ・ダール画廊で個展を開催する。


1936年 (70歳 )​ ニューヨークのノイマンの画廊にて個展開催。

ニューヨーク近代美術館における「キュビスムと抽象画」

「幻想芸術、ダダ、シュルレアリスム」展に出品。

パリのジャンヌ・ビュシェ画廊で個展開催。


​1937年 (71歳 )​​

同展はクリーグランド、ケンブリッジに巡回。

ドイツの美術館に所蔵されている作品57点がナチスによって没収される。

7月、 ミュンヘンでナチスによる「退廃芸術」展が開幕。

カンディンスキーの油彩1点、水彩6点が展示される。


1983年 (72歳 )​ ロンドンのグッケンハイム・ジェーヌで個展開催。


1939年 (73歳 )​ 最後のコンポジジョン

『コンポジションX』 が完成する。

妻ニーナと共にフランス国籍を取得する。


1940年 (74歳 )​ ドイツ軍のフランス侵攻に伴い、

ピレネー山中のコトレーに疎開する。


1942年 (76歳 )6月〜7月、​ カンヴァスに描いた最後の油彩画

『繊細な緊張』 を完成。

ドイツ占領下のパリのジャンヌ・ビュシェ画廊で隠密裡に個展を開催。

12月〜翌年2月、 ニューヨークのニーレンドルフ画廊で回顧展が開催される。


1944年 (78歳 )​ パリのレスキース画廊で個展を開催。

これが最後の個展となる。

12月13日、 死去。享年78歳。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


カンディンスキーが、パリ時代の彼の有力な支援者となる

Ch・ゼルヴォスと知り合うのは、1927年頃であり、

翌年から彼は毎年パリを訪れており、

1920年、1930年には同地で小さな個展を開催したほか、

1930年には、M・スーフォルによる

「円と正方形」展などにも参加している。


とはいえミュンヘン時代、

モスクワ時代、

バウハウス時代の彼が、

いつも時代の急進的な動向の渦中にいたのと比べるなら、


パリ時代の彼は、

総じてヌイイの居宅で静かな生活を送りながら、

制作に明け暮れたようである。


アルブと旧交をあたため、

ミロ、モンドリアン、レジェらと知り合い、


また「定立-反定立-綜合展」(ルツェルン、1935年)や、

ナチスの「退廃芸術展」と「大ドイツ芸術展」に対抗して、


ロンドンで開かれた「20世紀ドイツ美術展」(1937年)など

国際展に招かれることも多かったが、

この時代の彼には同士と呼びうる仲間がいないのである。


『点・線から面へ』(1926年)

植物の鞭毛の図版を掲載するなど、

カンディンスキーが、

動植物の構造や組織に関心を持ち始めるのは、

バウハウス時代のことだが、


フランスに移り住んで間もなく、

まるで満を持したように

アメーバなどの微生物や植物の葉、

あるいは、

生物の胚子や幼生などの形が画面に登場しはじめる。


そのうち胎児や胚子の形への関心は、

個体発生は系統発生を繰り返すという

反復説への関心と見られよう。


個々の生き物の形に、

生命の発生や進化の大きな歴史を

映し見るようになったのである。


とはいえ、

円・三角形・四角形といった幾何学的形体や、

水平・垂直といった幾何学的構造が、

彼の画面から消え失せたわけではない。


ミクロコスモスとしての小さな生命の形は、

『空色』(1940年3月) では、

天上的な青い空間中に浮遊し、

また、

『連続』(1935年4月) では、

幾何学的な構造のなかに関係づけられて現れる。

小さな幾何学的な形が

画面の陰の主役になることもあれば、

『コンポジションIX』(1936年2月)、

『コンポジションX』(1939年1月) におけるように、


ストライプやグリッドが重要な要素ないしは、

構造要因として登場することもある。


バウハウス時代の幾何学的な形体や自由な形体に加えて、

生物の形から採られた有機的形体が登場し、

形と形、

形と色彩、

そして色彩と色彩の、

より高度なハーモニーや、

オーケストテーションが目指されている。


パリ時代ーカンディンスキー晩年の

10年余りの創作活動を要約する言葉を選ぶとすれば

やはり「綜合」の一言になるだろう。


(参考資料:東京美術・もっと知りたいカンディンスキーより)
(写真撮影:ほしのきらり)


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最終更新日  2021.12.17 00:10:08
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