「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2023.03.06
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両国南方面をひと回りして「横綱横丁」の入口まで戻って来ましたよ〜あらこの角に!

​きらりの『両国旅日記』・・・その29​

京葉道路沿いの高い看板 ​『横綱横丁』​

通り過ぎてしまいそうな角に

​『芥川龍之介生育の地』​ ​ ​ここ​​みたいです。


『芥川龍之介生育の地』 両国三丁目二一番四号​

芥川龍之介は・・・

明治25年(1892年)3月1日、

東京市京橋区入船町8丁目1番地

(中央区明石町)に牛乳搾取販売業耕牧舎を営む

新原敏三・ふくの長男として生まれました。




龍之介と命名されたといわらます。

生後7ヶ月で、

当時本所区小泉町15番地(両国3丁目)に

住んでいたふくの長兄、

芥川道章に引き取られ、

13歳の時、

芥川家の養子となりました。


芥川家は・・・

江戸時代からの旧家で、

道章は、教養趣味が深く、

俳句や南画をたしなみ、



歌舞伎を見物するなど、

江戸趣味の濃い家庭でした。


明治43年(1910年)19歳で

新宿に移転するまで過ごした両国界隈は、

龍之介の精神的風土を形成しました。


​ ​

「本所両国」などの作品に、
​ ​
その一端を見ることができます。

龍之介は、

回向院に隣接する


江東区尋常小学校附属幼稚園に入園、

翌年同小学校(両国小学校)に入学しました。



明治38年(1905年)、

府立第三中学校(両国高等学校)に入学、

同43年成績優秀により無試験で、

第一高等学校第一部乙類に入学しました。

その後、

大正2年東京帝国大学英文科に入学、

同5年卒業しました。


大学在学中、同人雑誌「新思潮」に
​ ​
「鼻」を発表して、

夏目漱石に激賞され、

大正初期の文壇に華やかに登場しました。

​ ​
初期には「羅生門」

「芋粥」などの
​ ​
多くの歴史小説を残し、

大正時代を代表する

短編小説家として活躍しました。

また、

小説以外にも詩、

俳句(高浜虚子に師事)、

評論、

随筆にも優れました。


昭和2年(1927年)に35歳の生涯を閉じました。

遺稿に「西方の人」
​ ​

「或阿呆の一生」などがあります。
​ ​


龍之介のゆかりを慕い、

区立両国小学校の正面には、



児童文学「杜子春」の一節を引用した文化碑が、
​ ​

また、両国高等学校にも

「大川の水」の一節を刻んだ文化碑が建てられています。
​
【芥川龍之介賞】

通称:芥川賞。

新聞・雑誌に発表された純文学短編作品の中から、

最も優秀な新人作家に与えられる文学賞。


昭和10年(1935年)、

当時文芸春秋社長であった菊池寛氏が、

亡友芥川龍之介の名を記念し、

文学の発展をねらい創設されました。


【地図】芥川龍之介生育の地は・・・黒い四角

京葉道路沿いの「横綱横丁」の右角です。


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最終更新日  2023.03.06 00:10:13
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