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昭和三十三年七月二十一日。二年前ここで江田町が「歌のびっくり箱」のイベントを行なった場所だ。諏訪駅の跡地になる。物が散乱してずいぶん荒れている。正面にパチンコ屋が建つ。その向こうに大きく見えるのは諏訪劇場。左にはスワマーケットがあり営業中だ。右端に「ひかりや洋装店」の一部が覗く。旅に出かけるのか、旅行カバンを持った人が通り過ぎる。夏の日の午後。この後、夕立が来る。多分
2008.02.29
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もう一度諏訪駅跡地に戻りましょう。昭和三十一年八月三十日、夏の宵。駅が解体されて間もない頃、諏訪駅跡地で「歌のびっくり箱」「クイズ合戦」という催事が江田町主催で行なわれた。現キタオカさんの二階あたりから、辻さんはシャッターを切る。諏訪駅から西へ伸びる、三重交通 日野・八王子線あたりが江田町西部地域会と呼ばれ、江田町は現在の1番街を包括するほど広かった。正面パチンコ屋さんの路地を日野方面への線路沿いに入ると、オカダヤ東の通りを抜けて、近鉄四日市駅前へ出た。ステージ上には、万惚食堂のちょうちんが下がる。大勢の人が集まっている。最前列を陣取った子供たちがキャラメル欲しさに舞台へと群がる。家にテレビはない。お風呂までの時間を、暑さと退屈さで街へ飛び出す。
2008.02.27
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映画「張り込み」野村芳太郎監督に当時のサーカスの様子が出ていました。九州佐賀市。犯人に会うため出かけた女を、刑事が追います。途中、サーカス小屋の前を通ります。矢野サーカス。小屋の上では楽団が演奏してお客を呼びます。タ~ンタタタ~ンタタ~ン タタタ タ~ンタタン???祭りの前日になると、諏訪公園にも、こんなサーカス小屋が建ちました。当時の雰囲気がよく出ています。巨大な金属のおりの中で、オートバイが二台、回転しました。もちろん、花形は空中ブランコでありました。禿げた象はといえば、臭かった。木下サーカスにキグレサーカス。他にもありましたっけ?
2008.02.26
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四日市の街中をうろついているので本日は、霞ヶ浦海水浴場を覗いてみましょう昭和34年8月1日 辻さんの写真 母ちゃんに連れて行かれた暑い夏の日午起バス停を降りると 正面に堤防がそびえていた堤防を越えると 広い海水浴場が開けておりました蛸の噴水は懐かしいすだれに囲まれた休憩所では 楽団が演奏をしていたような記憶があるその後 小学校から出かけた浜は 油がたくさん浮いていた店に帰って 母ちゃんに 体についた油を拭いて貰ったそんな記憶があります
2008.02.25
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昭和三十二年七月二十六日。暑い日の午後。辻俊文さんは店の前から東に向かって写真を撮った。右側に諏訪劇場が建つ。左手前からグランドホール。「純マージャン」「百円だけで遊べます」の看板が見える。隣角が万惣食堂。万惣は、カレーライスから寿司まで何でもありの食堂。映画を観た帰りに立ち寄るには手ごろな店だったのだろう。正面が精養軒。精養軒から左へ路地を進むと「あかもん」がある。大人のお薬専門店「あかもん」は入り口に塀があって、直接店内が見えないようになっていた。気になって中を通り抜けたりした。北隣に田中産婦人科、白揚書房と狭い道になっていて諏訪駅に出る。この頃、諏訪駅は移転されて新しい近鉄四日市駅が開業している。万惣の子供だろうか、友達と話がはずむ。片岡千恵蔵か市川歌右衛門、それとも大川橋蔵の話題だろうか。暑かった一日、夕立はあがった。
2008.02.24
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一昨日の優ちゃんのコメントにお答えして映画「シェラザード」アラビアンナイトのお話ですねどこがエッチなのか多分 へそに宝石をつけた美女のベリーダンス?かもなんでもないものに興奮した そんなマセガキでありました当時 スクリーンの映画雑誌に エスキモーが お客様に女房を提供するという洋画がありましたそれを聞いただけで 大興奮ところで レモン色の町は どこへ行くのでしょう少し不安・・・
2008.02.23
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今日は、岡野繁松先生のお呼びがかかり、四日市市立博物館の会議室で開かれた「旧四日市を語る会」に出席させていただいた。3月2日まで開かれている「昭和はくぶつかん」を記念しての会だった。まだの方は(私を含めて)是非、覗いてみてください。そこでいただいた「昭和29年」の諏訪栄マップだ。国鉄四日市駅から伸びた近鉄線(右側)は、諏訪駅を経由して名古屋方面(左上)へ伸びる。諏訪駅からは名古屋線のほか、西へ三重交通湯の山線、南へ三重交通八王子線と、内部線が延びている。諏訪駅の下に「諏訪劇場」がある。諏訪神社南一帯は「江田町」とあるが、線路から北は「新田町」だった。現在の近鉄四日市駅付近はまだ開発途中。駅前の七十メーター道路は、戦後すぐに確保された。ここで「農機具博覧会」が戦後まなしに開かれた。市役所から左に、公会堂、税務署、商工会議所、耕地事務所とならぶ。三滝通りを、市役所を見ながら、近鉄電車が横断していた。
2008.02.23
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昭和三十二年四月二十七日だから、辻さんが、美空ひばりの来ていた夜撮った写真だ。諏訪劇場入り口の右角にあたる。映画のポスターと写真が貼ってある。今週の映画は「女の肌」。子供たちが見ている。おじさんは「おい、坊主。そんなもの見るんじゃねぇ」と言いたげだ。この日、映画は中止され、美空ひばりショーが、夜行なわれたのだろう。通り向こう側には、万惚食堂・マージャン純・辻写真館と並ぶ。
2008.02.19
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昭和三十一年八月三十一日。諏訪劇場から南の並びを辻さんは撮った。蛇を持つおじさんが立つ。最終的に何を売るのか?訳の分からない塗り薬か、万年筆か?まつりのときには、良くこんな香具師がいた。あっという間に人の輪が出来た。蛇に自分の腕をかませたり、針を腕に刺したりするのを長い間しゃがんで見ていた。気がつくとカバンの中から商品を出して、周りの人に売りつけていた。諏訪劇場の南に自転車行き場、三栄被服、マージャン屋と並ぶ。テレビ受信中の看板。まだテレビは珍しかった頃だ。その南側には、東海證券、今井カメラ店、中央通り角のテルミー化粧品店は、諏訪神社前から移転したが、この頃はもう開店していただろうか。駅前通りの向こうには、農協の建物が見える。
2008.02.18
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本日も 特別フロク「ひばりチエミの弥次喜多道中」であります
2008.02.17
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昭和三十二年四月二十七日。近鉄四日市駅が中央通り正面に開業した頃。諏訪劇場の入り口で、辻さんはシャッターを押した。なんと美空ひばりが諏訪劇場へ来ていた。こわもてのお兄さんがこちらを見ている。今夜は特別な夜だ。ひばり見たさに、たくさんの人が押しかけた。大盛況と裏腹にあたりには緊張が走る。この年の一月十三日、美空ひばりは東京の国際劇場で塩酸をかけられる事件に遭遇したばかりだ。当時はまだ興業師的色合いが強く残っていた。映画館主が、映画の合間に地方巡業の芸人に舞台を貸すことがあった。それにしても大物が来たものだ。
2008.02.16
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諏訪劇場から前の通り、専門店街を辻写真館さんが撮った写真。昭和三十四年十二月三十日。明日は大晦日。かどの諏訪花園さん前は、お正月用品を買い求める人でいっぱいだ。この年の九月、伊勢湾台風が襲った。そんないやな思いを払拭するかのように人々は買い物に走る。諏訪花園の南隣が増田屋菓子店、諏訪中央商店街(現在のグリーンモール)寄りに子鳩洋装店、三重興農社、早川荒物店と並ぶ。明日の紅白歌合戦の司会は高橋圭三と中村メイ子。この年は「御存知弁天小僧」を最後に歌った美空ひばりの紅組が勝った。この日、我が家では全員で夜明け前から餅をついた。
2008.02.15
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特別付録「大菩薩峠」のポスターであります。主演・片岡知恵蔵 原作・中里介山 監督・渡辺邦男 剣か人か 人か剣か 冷徹骨を刺す 机龍之介 青眼音無しの構え!東映文芸超大作
2008.02.13
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諏訪駅を降りて東へ進む。映画の看板を右へ、路地を抜け「あかもん」(現存)の前を通ると、右かどに諏訪劇場があった。昭和三十二年七月二十六日。辻写真館さんは、かどに立ち劇場前の様子を撮る。片岡知恵蔵主演の「大菩薩峠」が再映されている。東映スコープ、総天然色。山中で机龍之介が巡礼の親子を切り殺すところから始まる。暗くて思い印象があった。それとは裏腹に、劇場前はいたってのんびりしている。立小便をする子供。映画のスチール写真を見たり、瓦礫の上に座る学生は、友達との待ち合わせだろうか。劇場前が策で囲った空き地になっている。区画整理に入っているのか。現在のスワ南大通り。映画館南側は自転車置き場になっている。映画の黄金時代。プログラムは毎週変わった。土曜日の夜は映画の日。親父の後をついて、足しげく通った。
2008.02.12
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今までの辻さんの写真から後ろ、西を振り向くと諏訪駅があった。昭和二十年代の諏訪駅。商工会議所に勤めてみえた山路昭雄さんからお借りした。戦前、東海道筋にあった諏訪駅は西へ移動、ここへ移された。ホームの南側には、内部・八王子方面へ向かう電車が停まっているところだ。昭和三十二年には壊されたので、諏訪駅がここに建っていたのは、十数年ではないだろうか。線路をまたいだ北側にも、小さな改札口があった。左にスワマーケット(諏訪百貨店)が建つ。雨の諏訪駅。貴重な写真だ。ひと雨ごとに季節は秋へと向かう。
2008.02.11
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昨日の写真より、もう少し西にさがってみよう。諏訪駅の取り壊された様子がよく分かる。昭和三十三年七月十八日。辻写真館さんの写真。諏訪駅が立ち退いた跡を東に見る。駅前の自転車置き場の雰囲気が残る。遠く線路北に建つ草野洋服店(今の位置に現存)が望まれる。取り外された線路に沿って、1番街の通りが形成されつつある。正面に諏訪劇場と、その左に弥生館の看板。駅前は映画の看板だらけだった。スワマーケットに店舗を持つ「凌霜書房」の奥さんが、外を見ている。
2008.02.10
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昭和三十三年七月二十一日。前の写真より三年の月日が経っている。(辻写真館さん所蔵)諏訪駅前にあったスワマーケット内の凌霜書房前の様子。白様書房の親戚がやっていたと辻さんから聞いた。少し西へ下がって、同じ三泗百貨店方角に撮られたもの。すでに前の諏訪駅は移転済みで、三十七年九月の四日市スワ百貨店開店に向けての建て替えの話が進んでいるはずだ。かごを持ったおにいちゃんが通る。出前の帰りか?凌霜書店の隣にはゑびす餅の看板、地下水で冷やされたジュース。諏訪劇場の看板に片岡知恵蔵の新選組とある。弥生館では若い野獣と駅前旅館が上映中。この道は八王子線沿いにゆっくり西南へカーブしていて近鉄四日市駅前に出る。
2008.02.09
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諏訪駅前から見た現在の商店街の様子です。この1番街の通りは、国鉄四日市駅から名古屋へ向かう線路になっていました。ちょうどこのあたりに諏訪駅のプラットホームが並んでいました。昨日の写真は、右側に建つパチンコホームランさんの店内からこの方向に撮られたものです。昭和30年の6月8日。学校帰りの女学生が見受けられます。おそらく時刻は4時頃ではないかと想像できます。打ち水がしてあり、春から初夏へ、家路に向かう喧騒は、安らぎのある暖かいものを感じさせます。
2008.02.08
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辻写真館さん所有の写真。私の一番好きな絵です。昭和三十年六月八日。当時一番街中央にあった諏訪駅から東を見た。駅移転の話が巷の話題になっている頃。諏訪駅を降りると右に諏訪百貨店、左が駐輪場だった。正面に大きな映画館の看板が並んでいる。弥生館には志村喬、諏訪劇場には菅原謙二の顔が描かれている。映画は当時唯一の娯楽で、二本立てや三本立てが普通。内容は毎週変わった。右へ行くと諏訪劇場、左が国鉄四日市へ向かう線路が通っていた。まっすぐ進むと三泗百貨店。駅の移転をきっかけにこのあたりも大きく変わることになる。
2008.02.06
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