ライダー&学習塾講師・ゴマちゃんの教育ブログ

ライダー&学習塾講師・ゴマちゃんの教育ブログ

PR

×

プロフィール

ゴマちゃん6669

ゴマちゃん6669

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

aki@ Re:選挙行きまひょ! 7(03/11) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
aki@ Re:断ちきれなかった連鎖を断ちきれるか?・・・32(01/19) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
ゴマちゃん6669 @ Re[1]:異邦人(05/19) ドリームライナーJA801Aさんへ こちらこ…
ドリームライナーJA801A @ Re:異邦人(05/19) Fが廃車のままの阪神ファンでありんす。 …
http://buycialisky.com/@ Re:偉大な教師達 21(12/12) cialis dosage and usesviagra cialiseffe…

フリーページ

2021.05.24
XML
カテゴリ: エッセイ
先日中学校時代の友人とのメールでまだ私が技術の授業で作ったチリトリや本棚そして文鎮などを今も使っているというとかなり驚かれた。
いまだに小学校の図工の時間に作った作品を部屋に飾っていたりもする。

私にとってモノはただの物体ではなく命や心のある友人だ。

小学校入学と同時に家庭の事情でかぎっ子となった。
学校から帰って兄たちが帰宅するまでの時間をひとりで過ごした。
兄たちは家に親がいないので部活なんかに参加してわざと遅くまで家に帰らない。

幼少時期の孤独な時間は気が遠くなるくらいの長さに感じる。
そんな時間を私と一緒に過ごしてくれるモノは友人以外の何物でもなかった。

ここ数年で断捨離という言葉は我々の生活に定着した。


「断」「捨」「離」・・・
よくこの言葉を並べたものだと感心はするが共感はしない。

したい人はすればいいが、中にはそれを他人に強要する者がいるが、それはおかしい。
「離」はものの執着から離れるという意味がある。
他人に強要するのは執着のひとつだ。
その傲慢さはなぜ断捨離できないのか。

自己満足の断捨離、
他人にアピールするための断捨離はもうすでに断捨離ではない。

さて、
もちろん命には終わりがある。
私が大切にしてきているモノたちも例外ではない。

彼らの価値は私にしか分からない。
つまり私がいなくなれば彼らはただのゴミとなるだろう。

彼らと私の寿命は連動している。

中には私より先にその命を全うするモノもあるだろう。
しかしそうでないモノたちは、私が私自身を断捨離するときにその役目を終わるのだろう。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.05.25 00:46:48
コメント(0) | コメントを書く
[エッセイ] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: