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自由人・獏

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2008.10.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
三原市・糸崎の憲徳寺報恩講法座を勤めた。

最近、あーそーかーと思い至ることあり。
それは真実なるものの納得というものは、知的了解もさることながら、感性で、感動
するものでもあると思った次第。
知的に納得するのも大事だが、感性で、涙が出るほどに感動するのももっと大事なの
かも知れぬ。
そこで、西洋人で、真宗僧侶になった人が、正信偈の中の、極重悪人唯称仏、我亦在
彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我というところに来ると、感極まって声に

キリスト教では、神に背くものは、最後の審判で、地獄へ落とされるということに
なっている。
ところが、阿弥陀仏は、極重の悪人を捨てられない、救い取られるというところに感
動されるのであろう。
その感性に感動する。
そして、親鸞聖人が、親鸞を殺しに来た、山伏を拒否しなかった世界を語った。
親鸞聖人には、誰をも、いつかは、真実の眼を開いてもらえる人という人間への信頼
があったということではないか。
だから、親鸞を死刑から流罪にし、念仏弾圧を為し続けるものに対し、真を見る目の
ない悲しき人、真を聞く耳の閉ざされた悲しき人として、決して敵視に陥らず、いつ
くしみ、哀しみの心で相対されたというところに、大きく学べる世界があると、その

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Last updated  2008.11.20 12:08:07


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