赤ちゃんがお母さんの言葉を反復して反復して覚えていくように
子どもらの学習ってのも反復して反復して学ぶもの。
それに、いきなり「おはよう」じゃなく
「まんま」「しいし」「ちゃーちゃん」と、
実生活に必要な身近な言葉を自分なりの表現ではじめていく。
ものごとには何でも「初めて」ってのもがある。
初めてってのは何もわからない。
頭で十分にわかっていても、体でできないこともありゃ
頭でわかってないくせに、体でできることもある。
変な意味、宿題の「作文」ってものも
何をどうやって書くのか何のために書くのか
意味もわからずにいたんじゃ書けない。
見本や例があると、
みんな右にならえ~っと、その通りになってしまう傾向もあるが
それでも「まず」そこからはじめないとわからない問題もある。
「生きる力」「学ぶ力」と
とかく本来持っている力のハズだから
当人まかせにすることが一番の最良策!
と、しがちだけど
学ぶ力だの、学習能力だの、文化的に作られていくものだってあるし
放って見守っているだけじゃ、その差はすごかましいことになってくる。
線路を引いて「さあ走れ」「さあついてこい」ってのも必要だったりする部分もある。
そう・・・
未開の荒野で「前に進め」ったって
先もわからぬ見えぬまま 「進め」られるわけもなく
けもの道でも、アスファルトでも何でもいいから
進んでいくスベとして基本は知らないといけない。
知っている人間は、どこでヘビが出るか
どんなになってくると止まらないといけないか
空をどう見たらいいか、自分の道に目印をつけるなり何なり
いとも簡単に考えもなしにやってのけれるが
知らない人間は、ただ進んで蛇にかまれて死ぬなり
必要もない経験だけ積み重ねて、こんなもんだと多様性を失ったりもする。
なんで進むのか先に説明が必要な子もいりゃ
多様性ってものも先に知らせるか、後で知らせるかもかなり違う。
その後、どの道を歩こうが、道なき道を行こうが
ここはヤだと引き返そうが勝手だが
中途半場だと、
楽しみも見つけられないまま、人の後ろをついていくだけになってみたり
人の経験範囲でしか自分の範囲も広げられず
それを世界の全てだと勘違いしたりもする。
最終的な学びには時間経過も大切なものとなるけれど
とにかく「最初」ってのは肝心。
レールしか走れない子、道しか見えない子、
行くべきではない方向に進んでいこうとする子
いろんな子の個性にあわせて対処する学校のセンセも大変だと思う。
だけど、とりあえずは人の後ろを歩いてみる。(歩かせてみる)
後ろを振り向けとも注意して見せてみる
先に生まれた人から学ぶ「まねる」こと。
先に生まれた人は経験値分上かもしれないけど
自分もそういう立ち位置(立場)があったことを忘れずに
後に生まれた人より高い視線で広い部分をちゃんと見なけりゃいけない。
真似て終わりでも、真似が全てでもなく
その次にこそ「力」が大切になってくる部分。
妙な放り投げをして「元来の力を~」と、妙な勘違いをしていかないよう
子どもでなく、親や先に生まれた者こそ、力をつけなくては・・・
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