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おひさしぶりです。またまた5年ぐらい放置してました。うちのゆずが珍しく、20個ほど取れたので、ゆず大根のレシピを探して自分のレシピを思い出して見てみたら、まだブログが生きていました。震災から10年、もうすぐ11年ですね。常磐線が開通しました。 あの頃書いたものを読み始めたら、止まらず、自分の思考に驚いたり面白い時間でした。 父は3年前に亡くなり、今は母と一緒に暮らしています。母は90歳になりました。歩くのも、おおぼつかなくなっていますが、元気です。私は67歳になりましたが元気です。
2021年12月14日
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本当に久しぶりに、自分のブログを開いて見ました。5年ぶりぐらいです。高齢の父と母は85歳になりました。母は父の介護に疲れ、父は、夏に脱水症状で入院したままうちには帰れないでいます。 先日も実家に帰りましたが、常磐道は仙台まで繋がりました。片側一車線ですが1時間40分で帰れます。途中、5ミリシーベルト以上あった放射線量も3、7くらいに落ちてきているようですが、未だにそこはバイクでは通れません。 そんなこんなの 2016年年の暮れです。
2016年12月04日
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先月も帰ったばかりなのに、また今日も実家に行ってきました。両親が80と81で、離れて居るから心配が募ってしまいます。 一緒に住んでいた弟夫婦とは、なにかと、隔たりがあって、ますます不安です。 一緒に居ればいろいろあるでしょう。それは。でもね・・・ 弟の嫁は、娘が頻繁に帰ってくるのも気がかりなようで、何かと微妙です。 そんな、鬱憤も抱えながら、飯舘村を通りました。薄が花のように(って花だけど)きれいでした。今も何かをやっているようです。白い防護服を着た作業の人を大勢見かけましたから。 みんなどこで何を思っているのでしょうか。村の中心を走る川俣原町線は、都会の道のように車がつながっていました。でもその両側の家々には人の姿はありません。
2012年10月06日
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久しぶりに自分のブログを開いてみて、仰天しましたPRのコーナーにマッチョな男性の裸体がぞろぞろ。小さなパンツを着けてぞろぞろ。誰かこのページから、パンツを検索しましたか? 時々チェックしないといけませんね。 毎日忙しくしています。遠くに住む母もだんだん弱くなってきて、でもなかなか行ってやることもかなわず。でもいつも気にかかっているという状態で、何をやっても遣っ付け仕事のようになっている自分を反省しつつ、相変わらずな毎日という状態です。
2012年09月22日
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5月2日に市役所から職員が来て、我が家のある団地の各家の庭先で放射線量の測定をしていきました。測って欲しい木の下や、雨樋の下などは測ってくれず、玄関前の地上1mのところで何回か測り、一番小さな値を記入して行ったと夫が怒っていました。結局、あの人たちは アリバイ作りをしているにすぎませんね。「私たちは一生懸命やっていますよ。ほら 測ってあげたでしょ!」 この測った数字が実際怖いものなのか そうでもないのか よくわからないし、福島第一原発から80キロも離れたこの場所で、みんなおろおろと、不安を抱えながら 食べたり食べなかったりしながら生きています。エステー 家庭用放射線測定機【送料無料】『 エステー エアカウンターS 定形外郵便 簡易包装...価格:5,250円(税込、送料込)送料無料;代引き手数料無料、COLIY社のRadiation Scanner Model 900+家庭から業務まで。放射...価格:92,925円(税込、送料込)放射線量計CK-6専用ソフトメディキタス放射線量計CK-6用パソコン解析ソフトCK-6S価格:4,980円(税込、送料別)5250円以上で送料無料(放射能 測定器 放射能測定器 放射線測定器 日本製 ガイガーカウンター ...価格:9,400円(税込、送料込)
2012年05月08日
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職場に植えてある梅の花が、ようやく咲き始めました。今年は遅いですね。寒い寒い冬でした。水戸の梅祭りはだいぶ前に始まっているのに・・・ 梅と桃の花と桜が一緒に咲くので、三春という名前がついた桃源郷のようなところにいた友達はどうしているのでしょうか。ずいぶん長い間あっていません。 今朝、NHKのあさいちという番組で、浪江町に残された牛たちの面倒を見ている、「希望の牧場」を紹介していました。餓死した牛たちの映像には思わず目をそむけてしまいましたが、今は300頭もの牛の面倒を見ているそうです。 取り残された動物を保護することが決まった。というニュースをつい最近聞いた気がします。今頃!!と驚いた記憶があります。避難区域の中では、少なくても5名の方が取り残されて餓死しているというニュースもつい2,3日前のことです。人を餓死させる国ですもの。動物なんて捨て置かれて当然ですね。
2012年03月08日
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暮れも押し詰まりましたね。NHKのラジオを聴いていたら、押し詰まると、押し迫るとどちらが正しいかというようなことを云っていました。 使う人の心境によって、違ってくるらしいのですが、私にとっては押し詰まるですね。 先日、母の用事で南相馬に帰ってきました。飯館村は、除染の最中のようで、白い防護服に身を包んだ大勢の人たちが、川縁や田んぼの中に入って、作業をしていました。 実家の回りも、耕していない田んぼは、草が伸び放題伸びて、立ち枯れていました。弟は、それが嫌で、田を耕してしまいました。除染はしてくれるらしいのですが、どうなることやら・・・ 胸に黒いもやもやを抱えたままの年の暮れですね。 来年こそは、明るい話題の多い年でありますように・・・どうぞ良いお年を
2011年12月25日
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今日は勝って欲しかったけれど、残念ながら敗れてしまいましたね。ワールドカップ3次予選。先日のタジキスタンのピッチにも驚かされたけれど、人工芝での試合というのも、心配でしたね。怪我しないでよかったわ。 勝った試合なら、テレビ放送があるのかしら・・・ 今年も もうすぐ、忘年会に季節です。今年は、静かになんていう声がなくはないけれど、もう勝手に練習始まっています。 ○ ○ 時 ○!! あたま使って、体使ってボケ防止に最高です。楽天市場×池袋東武百貨店うまいもの大会で大好評♪【送料無料】そのまんまレンジひもの≪お試...価格:2,500円(税込、送料込)
2011年11月15日
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「他を悪として、自分を善だというのは、傲慢である。」という文を見つけました。 その通りですね。 暑い暑いと思っていたら、台風一過。涼しくなりました。3日ほど前から、外に出るといい香りが漂っています。 涼しくなって、家の猫も気持ちよく眠れているようです。 先日、福島に居る友達と話しました。悪夢のようだと・・・何をしていても気が晴れないと・・・本当です。その通りです。同じです。
2011年10月02日
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偽善といわれようと、正しく生きたいと思うのです。昔読んだ本の中に 人は、神のように生きなければならないということばがありました。なんと大それたことでしょう。 そんなことできるわけがないでしょ!!と 諦めてしまうこともできるでしょう。 それぞれの場所で、与えられた場所で、自分なりにしか生きられないとしても求め続けなければならないでしょう。 他人の話をきちんと聞き、やさしい態度で接し、優しい言葉をかける。 それは、とても難しいことなのかもしれません。 それでも、あの大震災を体験し、人の命の儚さを見ても尚、か弱き人を甚振らないでは居られない、弱い心の人を憎みます。
2011年08月19日
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4月に亡くなった叔父の葬儀のため、南相馬市に帰省しました。常磐道は、四ツ倉までしか行けないので、磐越道で三春まで行き、その後は一般道を北上します。前回通った時よりトラックの数がぐんと減っていました。みんな高速が無料になったので高速で行っているのでしょう。 飯舘村を通りました。家々はカーテンを閉めてほとんど人影はありませんでした。田んぼも畑も草ぼうぼうです。セブンイレブンも閉じていました。人の住めない村になってしまったのですね。誰も居なくなってしまった村を、じりじりと夏の日差しが照りつけていました。
2011年07月10日
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湿った空気の梅雨らしい毎日です。職場の梅は、今年はもぎ取り禁止になりました。 今職場では、この夏の節電対策に大わらわです。節電で、エアコンを止める代わりに一人一台の扇風機を購入するとかしないとか・・・なんか変 両親が、自宅に戻って一月がたちます。近所の人たちも、兄弟もほとんどが戻ってきているのを聞いて、帰っていきました。レンタルしていたベッドも返し使っていた和室もがらんとして、寂しくなりました。 病院なども、まだ万全ではないようで、何かと不自由も多いとは思うけれども、やはり自分の家は良いようです。
2011年06月27日
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4月29日、ようやく父は退院することが出来ました。 知らない土地での、知らない病院への入院は、父には大変な負担だったようで、認知のレベルが低下していましたと先生に言われましたが、腕に刺した点滴を抜いてしまったり、尿を漏らしてしまったりととても手のかかる、問題患者でした。 このまま認知症になってしまうのではないかと、入院させたことを酷く後悔しました。「お年寄りは、こんなものですよ。」という看護師さんの言葉も納得できませんでした。 若く健康であれば、問題もなく二・三日で退院できる検査程度の処置だったのにもかかわらず、10日も入院してしまいました。 父は以前脳梗塞を患っており、半身が不自由になっていましたので、このまま歩けなくなってしまうのではないかという不安もありました。 リハビリを少しの期間していただいて、ようやく退院となりました。大分体力も、気力も落ちてしまいましたが、避難先とはいえ、家に帰れるのはうれしかったようです。
2011年05月13日
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大震災から2ヶ月が経ったのですね。 実感もなく、時間が通り過ぎただけのような気もします。 ラジオから、「はらんべーいばらき ひとりじゃないから・・・」という曲が流れてきました。スワヒリ語でみんなで助け合う/みんなで支えあう/みんなで築き上げる/という意味だそうです。IBARAKI Harambee Projectが立ち上がりました。リストバンドを買っていただいて、収益金を全額茨城の被災者支援にというプロジェクトです。 その支援ソングが「はらんべーいばらき」です。 覚えやすいいい曲で、気がつくと口ずさんでいます。 私の住む町では、1000棟もの家が津波被害を受けていたそうです。岩手や、宮城や福島に比べて、被災の状況があまり伝えられていません。 どうかご支援宜しくお願いいたします。 はらんべーいばらきIBARAKI Harambee Project
2011年05月12日
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4月19日に父が、おなかの痛みを訴えて、入院しました。南相馬へのとんぼ帰りは、80歳の父にとって、相当な負担だったようです。帰ったその夜に、食べたものをほとんど戻し、その後も又吐くということがありました。 最初に吐いたときに受診しましたが、特に問題は発見されず、様子を見ましょうということで帰りました。それは前兆だったのです。急な腹痛を訴えて、様々な検査の結果、胆のうには石があり、小さな石が胆管のほうにたくさん降りていて、それが動いたようで、まだ炎症は起こしていないけれど、ほおっては置けないということで、処置をしていただくことになりました。高齢ですし、ほかにも病気がありますし、体力もないので、負担の少ない方法で処置していただきました。 しかし、入院するということ事体が、父には相当の負担だったようでした。
2011年05月04日
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さくらが満開です。暖かい日が続いて急速に開きました。さくらってきれいですけど、ちょっと悲しみのようなものがにじんでいますね。 今年はゆっくりお花見という気分にもなれませんね。日立は毎年桜祭りが開かれてライトアップされた夜桜は見ごたえがあります。市民マラソンと共に今年は中止になってしまいました。 4月の7日に、南相馬市に残っていた叔父が亡くなりました。余命が宣告されていた状態でしたので、覚悟はしていましたが、まだずっと先の筈でした。こんな状況ですので、お葬式も出来ません。たまたま四国から弟が来ていたので両親と一緒に、お別れに南相馬に行ってきました。常磐道はいわきまでしか行けないので、東北道を経由して行くことになりました。橋の継ぎ目が何処もずれていて、修理はしてあっても応急処置なのでしょう。相当な悪路です。バウンドしながら約4時間かけて南相馬に入りました。途中では検問も受けました。多摩警察署のおまわりさん達でした。我が家に帰るのに検問を受けなければならないなんて・・・「出る時にはスクリーニングを受けてくださいね」・・・はいはいきちんと受けました。手のひらから足の裏まで。 叔父に会ったのは、いつ以来だったのでしょう。変わり果てた姿になっていました。叔母も、もう一人の叔父もずいぶん年をとっていました。小さい頃会ったきりだったいとこが、しっかりしたお父さんになっていました。 その日のうちには、弟は四国に帰らなければならないので、とんぼ返りです。又、4時間かけて、悪路の高速を帰ってきました。父は、相当疲れたらしく、一週間たった今も、体調が戻っていません。無理をさせてしまったと後悔しています。 大きな余震が続いていますね。最近はだんだん怖くなって来ています。本震の時には、それほど怖いとも思わなかったのに、今は震度5以上でちょっと長引いたりすると、このままあれに続くのではないかと、酷く怖くなります。 原発の問題も、進展が見られませんね。先の見えない日々です。
2011年04月16日
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避難して来ている父は、南相馬にいるときには、週に二回ほど、ディサービスを利用していました。何曜日に行っているのかということを、はっきりと分かっていなかったので、その施設が、津波に流されているという娘の知らせに、とても不安になりました。幸いにも父が行っていたのは、月・木だったので、被災することはありませんでしたけれど、入所されていた方数名が亡くなられてしまいました。海が間近に見える、景色のいいところでした。 大正2年生まれの祖母は、同じ町の老人福祉施設に入所していました。こちらの施設も、やむなく避難することになり、同じ系列の入所者約300名で、横浜の施設に一時的に避難して行きました。こちらもいつまでも居ることはできないようで、次の避難先を探しているようです。国なり県なりは、100歳近い高齢者を転々と避難させなければならないこの状況を、分かっているのでしょうか。屋内退避というのなら、避難しなくても生活できる状況を、責任を持って作るべきではないのでしょうか。屋内退避勧告などというのは、単なる責任逃れにしか思えません。これに振り回されているのは、本当に弱い弱者です。 今日は、こちらに来て初めて父がディサービスを利用しました。知っている人もいないこの土地で、新しい一歩です。
2011年04月07日
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もう4月になったのですね。去年は、暖かくて今頃は、桜が咲いていたような気がします。今年は、いつまでも風が冷たいですね。 4月になって、弟は家族と共に南相馬市へ帰っていきました。相馬市にある職場が再開するので、出社するようにとの指示があったようで、自宅から通うのか、それとも30キロ圏外の相馬辺りに家を借りるのか迷っているようです。米と野菜を作っている兼業農家なので、今年の作付けをどうするのか、その心配もあって、早々に避難生活は切り上げるつもりのようでした。 昨日のニュースによると、避難したうちの3分の2ほどの人は、戻っているとかで、閉鎖していた病院も、診療を再開したようです。そんなニュースを見て両親は、ますます望郷の念を強くしています。いくら娘のところとはいえ、80歳にして、住慣れた家を離れなければならないのは、過酷すぎますね。いまは、原発が静まるのを祈るばかりです。
2011年04月05日
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家族の安否はとりあえず確認できました。まだ連絡の取れない親戚や、友人はたくさんいます。 震災後に起こった原発の事故によって、実家は30キロ屋内退避の圏内に入ってしまいました。同じ南相馬でも、海岸地域は津波の被害を受け壊滅状態の地区もあります。我が家は幸い被害もほとんどなく、停電にもならなかったと言います。水道も使え、ガスもあり生活に何の支障もありませんでした。ところが原発の水素爆発によって、屋内退避の圏内に指定され、身動きが取れなくなってしまいました。日々、生活の状況が悪化していたようです。病院も次々と閉鎖になり、商店もシャッターを閉じ、ガソリンも買えなくなりました。屋内退避の指示を出すなら、そこでの生活をどう続けさせるのか、そこまでの配慮をするのは最低のことではないのでしょうか。 結局、両親と弟一家は、避難を余儀なくされてしまいました。医者もいない、生活必需品も買うことができない地域で生活することは出来なくなってしまったのです。 一家6人で我が家へ避難してきました。 宮城や、岩手の被災地では、悲しい現実を受け止めながらも、復旧復興の槌音が、聞こえつつあるでしょう。しかし、原発で避難している人々は、先の見えない状況で、不自由な希望のない生活を強いられています。 スイッチを押せば、何でもかなう夢のような生活を享受していました。地震によってそのことを思い知らされました。電気がないと、食べることも、暖まることも、情報をえることもできない生活。停電後に、電気がついたときの喜び。安堵。電気のありがたさが身にしみました。しかし、それは、原子力発電という恐ろしさを覆い隠した上に脆く載っているものでした。原発が怖いと言うのは分かっていたのです。原発に就職するという人がいれば、やめたほうがいいよと引き止めていたほどですから。でも、私たちはそれには目をつぶり、便利な生活を捨てることは出来なかったのです。今、それを突きつけられているのでしょうね。どちらを選択すべきなのか・・・ 今は、原発内で、命を賭けて働いていてくれる人達に、頑張って。宜しくとお願いすることしか出来ません。
2011年04月03日
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唯一の通信手段だった携帯が、12日の午後から圏外になってしまいました。何やかやと情報をくれた娘と連絡が取れなくなってしまいました。12日の午後原発で水素爆発が起こっていたのです。娘はたいそう心配して、東京に逃げてきて欲しいと連絡してきていました。ここは、原発からは90キロも離れているので、多少の不安はありましたが、大丈夫かな程度の不安でした。 携帯が圏外になったのは誰かの差し金かなどという疑いをも持ったりしましたが、今この時点の右往左往を見れば、そんなことは杞憂だったのでしょうね。 まだ電気も止まったまま、携帯も使えないとなると、もうお手上げです。娘だけには、何とか連絡を取らなければ又心配を掛けてしまうと、あわてて公衆電話を探しました。 車で外出してみると、近所のガソリンスタンドには長蛇の列です。公衆電話の前にも人が並んでいます。違う場所を探して、車を走らせました。閉まったコンビニの前にある公衆電話には人がいませんでした。娘にとりあえず、無事を伝え、実家に電話をしてみますが、やっぱり込み合っていますのメッセージが流れるだけです。171にダイヤルして伝言を吹き込みました。向こうが停電していればあまり役には立たないだろうとは思いながら。何かをしないではいられません。 四国にいる弟は、たまたま実家と連絡が取れていて、私のほうに連絡しようと、何度も試みていたようですが、今度は私のほうが?がるすべをなくしていました。 3月14日午前3時頃携帯にメールが届きました。原発のことが騒ぎになっていて、娘は気が気ではなく、メールを送り続けていたようです。何せこちらは情報がないので怖いも何も分からないのです。恐怖をあおるチェーンメールも回っていたようで、娘は、一人で恐怖心を募らせていたようです。 携帯も回復したので、又実家に電話を掛け続けました。一瞬?がったかと思っても、電波が不安定でこちらの声が聞こえていないようで、話すことは出来ませんでした。電話口の弟の声は、酷く疲れていました。再度試みてやっと?がりました。みんな無事。よかった。不安定な途切れ途切れの電波で、分かったのはこれだけでした。でも、よかった。 その後、メールも届いて、地震は大丈夫だったけれども、原発が心配とのこと。避難指示が出されているという。一難去って又一難だ。 叔父からもメールが届いて、とりあえず我が家の安否確認はできました。 まだ電気はつかないので、特にすることもなく、早めに夕飯を済ませて、夕方6時ごろには布団に入って寝ようと思っていました。灯油も心細いし暗いしすることもないのです。 ろうそくを消して真っ暗になった7時ごろ、プツンと音がして明かりがともりました。三日目の夜でした。その明かりのうれしかったこと。電気があれば出来ることがたくさんあります。 しかし、最初に見た映像は、あまりにも悲惨で言葉を失いました。 津波の被害はこんなことになっていたのですね・・・
2011年03月17日
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夜中中、携帯から実家に連絡を取り続けたけれど、?がりません。停電中なので、携帯からしか掛けられません。災害時であるから?がらないのは仕方がないとは思いながら、いろんなことが頭をよぎり、いたたまれません。携帯からも掛けてみても、大変込み合っていますのメッセージが流れるだけ。家電も同じ。ツーツーと言う音がむなしく聞こえるだけです。こんな時こそ電話が必要なのに、何の役にも立ちません。 携帯の充電も、なくなってきました。娘が残していった電池式の充電器が頼りです。 姪は、同じ南相馬の、海に近いところに嫁いでいるのでとても不安でした。宮城県の北部には、叔父も住んでいます。こちらに連絡を取ろうと思っても、?がりません。 明かりがつかない状態のまま、二日目の夜を迎えました。地震の当日も、この夜も、周りから明かりが消えたせいか、とてもきれいな星空でした。
2011年03月16日
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3月11日金曜日2時45分。職場2階の事務机でパソコンをにらんでいました。 ここのところ続いている、ゆったりとした地震が始まりました。一端収まったので出口を確保しておこうと、入り口のドアを開けて、3mほど離れた外階段のドアも開けようと廊下を歩きかけ2mほど歩いたところで、再度大きな揺れが始まりました。さほど恐怖はありませんでしたが、揺れの激しさと長さで、廊下の壁に掴まっているのも難しくなり、床に座り込んでしまいました。もしかしたら天井が落ちてくるかも知れないという思いはよぎりました。あわてて階段を下りて外に行くと、非難した同僚が不安そうに、あちこちに寄り集まっていました。その後も、余震は絶え間なく続いていました。 ロッカーから靴やバッグを取りに、部屋に戻ってみると、机のパソコンは床に落ち、ロッカーは倒れて傾き、テーブルのの上に載っていた急須が真っ二つに割れて床に転がっていました。恐怖も実感もなく漂うように、外に出ました。 家族のことが心配でしたので、携帯をかけてみましたが、もう?がりません。娘からは、心配してすぐにメールが来ました。 誰かが車を持ってきて、カーナビについているテレビをつけてくれました。そのときには津波警報が出ていました。実家の隣町の相馬港に、7,5mの津波が来ると言うのです。 急いで帰宅する道々で、倒れたブロック塀やずれた屋根がわらを見ながらでも、まだ、のんびりしたものでした。ラジオのニュースで、福島県の南相馬市に、津波が押し寄せて、被害が出ているというのを聞いて怖くなりましたが、実態は実感できていませんでした。 地図を見ても判るとおり、なだらかな海岸線で、津波の被害が出るなんて、夢にも思っていません。 大変なことだとは思いながらも、家に帰ってみれば、水も出ていましたので、安心して、ちょっと辛抱すれば、すぐに元通りになると思っていました。 早めに夕食を簡単に済ませ、ろうそくの明かりで夜を迎えました。その時点でも、夜のうちには電気が復旧すると期待していました。 ところが、夜中に水も出なくなってしまい、電気も回復しないまま、寝付けないまま、朝を迎えることになりました。 ラジオはあっても、それに合う電池がありません。仕方がないので、車のエンジンを掛けてラジオを聴いていました。ガソリンもないので、長く聴き続けることはできません。 携帯を使って、実家に連絡を取り続けましたが、?がりません。
2011年03月15日
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無事です。大変なことになりました。まだ実家とは連絡がつきません。実家は海からは遠い位置にあるのでみんな無事でいてくれて居るとは思いますが、何せ こちらも停電中、あちらも停電中 携帯も繋がらない。暗闇のなかで不安だけがふくらみます。こうして無事で居られるだけでも 今は有りがたいと思っています。 多分届かないとは思うけど、みんな頑張ってね。
2011年03月14日
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昨日、関東では春一番が吹きましたね。この冬は、寒い!!と言う記憶が強すぎて、ちょっと暖かくなっても、なかなか春を実感できずにいますが、自然は、着実に春を刻んでいますね。 職場の梅ノ木が満開になってきました。そして庭では、マンサクが満開です。 猫はこうして、日向ぼっこです。
2011年02月26日
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会社の帰り、ラジオからさだまさしの「かかし」が流れてきた。 ♪ げんきでいるか まちにはなれたか ともだちできたか さびしかないか おかねはあるか こんどいつかえる・・・ 離れたところに住む、子どもに重なって、何度聞いても、泣いてしまう。 元気なの? 友達は出来たの? 町には慣れたの? 寂しくない? お金はある? いつ帰ってくるの? いつまでも、子離れの出来ない親で、なさけないねぇ。 なんて言いつつ、もう4年も経ってしまった。 もう卒業だね。おめでとう。
2011年02月18日
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ヤッター!!イヤー良かったですね!! 今朝3時まで、応援してました。サッカーアジアカップ。若い人たちが、気をこめてプレーする姿に、感動を貰いました。ありがとう!!ありがとう!!頑張ってくれて有難うですね。 ゴールドの紙ふぶきが舞い散る中、喜びで飛び跳ねる姿は本当に美しかった。
2011年01月30日
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と言う下書きをしてから早、20日が過ぎました。 月曜の朝、体を布団から引き剥がすように起きて、雨戸を開けてみれば、一面の雪。 会社に出勤することは早々に諦めて、今日はのんびり過ごすことに決めました。 ロウバイが、いい香りを漂わせています。 猫と一緒にごろごろと、昼寝をして過ごしましょう。
2011年01月24日
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早いもので、今日は大晦日ですね。今年は(今年も)、一年のなんと早かったことでしょう。 ブログの更新も、まばらになってしまいました。 今年一年、拙い文を、読んでくださってありがとうございました。来る年が、良い年でありますように、お祈りしております。 来年もまた宜しくお願いいたします。
2010年12月31日
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実家から柚子がたくさん届いたので、作りたいと思っていたゆず茶を作ってみました。あれこれ検索してみると、作り方がたくさん載っていました。 これは、煮る方法で作ってみました。案外 簡単に、それも美味しくできたので大成功です。苦味が出るのが心配でしたが、大丈夫でした。 韓ドラを見ていると、いろんなお茶が出てきます。これもその1つです。 そういえば、今日は冬至ですね。子どもが家を離れて、冬至かぼちゃなども作らなくなってしまいましたが、柚子湯でもしましょうか。
2010年12月22日
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早いもので、今年も残りわずかになってきましたね。例年の通り、花園神社にお正月様をいただきに行ってきました。山奥にあるので、雪など降られてしまったら、行きようもないので、いつも早めに行くようにしています。 今日も、思いがけなく暖かくなって、無事頂いてきました。ピーンと張り詰めたような気配が好きですね。神社へ行くと落ち着きます。 いつ見ても、可愛らしい「あうん」と狛犬が迎えてくれます。
2010年12月19日
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今年の流行語になったほど、大流行だそうですけど、わかりますね。女子会、私たちの忘年会は、まさに女子会です。男子のいない飲み会は最高です。 飲んで、歌って、踊って、騒いで。 楽しかった!!楽しかったー!! 無事にダンスも披露で来たし、大満足です。幹事だったので、準備は大変だったけれど、みんなが笑顔になって、充電できたようなので、大成功でした。 ダンスを披露することも大事でしたけれども、練習している間が楽しかったのです。もう練習することもないので、気が抜けたようで、ちょっと寂しいですね。 気がついてみたら、もう12月も半ばですね。まだ年賀状の準備もまだです たいへんたいへん・・・
2010年12月11日
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もう11月も半ばですから、晩秋ですね。まだ頭の片隅に、夏の暑かった記憶が焼きついていて、それに、日中が、ぽかぽかと暖かいものだから、そこまで冬が来ている実感は、ないですね。忘年会のダンスの練習は続いています。楽しいですね。私は、緊張しやすいタイプの人間なので、人前で踊るなんて、到底出来ないと思っていました。それが今は、年を重ねたせいか、ぜんぜん平気な気がします。それよりもみんなで踊っているのが楽しくて、楽しくて・・・ 今年もターツァイを撒きました。冬には欠かせません。
2010年11月13日
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すっきりした秋晴れとはなりませんでしたね。まだ、黒い雲が、すごいスピードで流れています。残暑の暑いという記憶が残っていて、急激な寒さを受け付けていません。 移り変わりの激しい年ですね。翻弄されていると言う感じですね。気持ちも、体もついていっていません。 そうは云っても、もう11月。年賀はがきの販売も始まりますね。一年の早いこと早いこと。もう忘年会の準備です。AKB48のヘビーローテーションを踊ることになって 今、必死にCDを聞いています。朝からがんがん!!I Wont You~AKB48名前は知っていましたよ。若い人のものと思っていたし、興味もなかったのでぜんぜん・・・ でも、いいですねぇ!元気になります。これは、子ども達に人気があるのもわかりますね。
2010年10月31日
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最近又、韓ドラに嵌っています。「冬のソナタ」に嵌った時に比べれば、まだまだ余裕がありますけどね。 「魔王」昨日見終わりました。涙が止まりませんでした。「宮」のチュ・ジフンと「復活」のオム・テオンの主演ですから。期待は裏切られなかったわ。切ない話で、胸が痛くなりましたけど、予想以上に、よかったわ。見る人はとっくに見ていて、今頃見てるのと言われそうですけど・・・悲しい結末でしたね。もうちょっと希望の持てる終わり方にして欲しかったわ。 ちょっと今日は、新しい韓ドラを見る気にはならなくて、早寝します。
2010年10月28日
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ある~日 森の中 熊さんに であ~った。 花咲く 森の道 熊さんに であ~った。 熊さんの 言うことにゃ お嬢さん お逃げなさい。・・・ 今私が、森の中で熊さんに会ったなら、大きな声で叫ぶでしょう。「くまさ~ん!!お逃げなさい!!撃たれてしまいますよ!!!」 日本に、どれほどの熊が、生息しているのかわかりません。しかし、こんなに撃ち殺してしまっていいものなのでしょうか?くまさんは、食べ物が森の中になくて、食べ物を探すうちに、人里に来ているのではありませんか? それをいとも簡単に、射殺 射殺!!昨日と今日だけで、何頭の熊が射殺されてしまったのでしょうか・・・ニュースを目にするたびに、やめて~!と叫んでいます。 冬が来る前に、たくさんの食べ物をおなかに入れないと 冬眠が出来ないのではありませんか? この国の、雑な対応は、熊に対してもやっぱり同じですね。
2010年10月18日
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今日は、「体育の日」なんですね。なんかピンと来ませんね。それでも、「体育の日」は、晴れるんですね。とても、とってもいい天気ですよ。朝から気温も高くて、快晴です。 今日は、うちの外壁が、緑色に汚れてきたので、それをきれいにする、薬剤をはしごに登って、散布しました。薬剤と言っても、酢のようなものなんですけどね。 高いところ好きなんです。屋根に乗ったりとか、子どもの頃はよくやっていました。年のせいか、ちょっと怖くなりましたね。 それは1時間弱で終わったので、韓ドラを1本見て、ごぼうちゃを作りました。(ごぼうを、ささがきにして、天日干しし、フライパンで炒った物)ごぼうには、朝鮮人参と似た成分があるらしく、今、職場で、ちょっとしたブームです。 こうして、3連休は終わりです。
2010年10月11日
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今日は曇って寒くなりましたね。金木犀がむせるほどの香りを放っています。昨日は、昼の休憩に職場の周りで、きのこ狩りをしました。アミタケです。茹でて、大根おろしで食べました。秋の味覚ですね。独特な香りがあります。 きのこ狩りとか、山菜取りとか、なんでしょう楽しいんですね。そんなに食べたいわけでもないのに、採るのが楽しくてついついたくさん採ってしまいます。最近忙しさにかまけて山に行っていませんね。春先の新緑の頃の山もいいですが、今頃落ち葉を踏みしめてかさこそと歩くのも楽しいですね。 今年は、毒キノコの話題が多いですね。直売所であんなふうに売っていたら、 きっと買ってしまいますね。クリタケも、ナラタケも良く似ています。知り合いの知り合いが、ワライタケなるものを食べたそうで、本当に笑いが止まらないんですってちょっと食べてみたい気がしないでもないですけど、死んでしまうこともあるとか。 気をつけなければ・・・
2010年10月09日
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暑い暑い夏が、やっと終わりかけていますね。長かったですね。すっかり日焼けして真っ黒です。 NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」もう間もなく終わりですが、面白いですね。久しぶりに面白い朝ドラです。先週は、みずきしげるさんのお父さんが亡くなってしまったという話でしたが、このお父さんが、なかなかいい話をされていました。 「人生は、屁のようなものであると・・」孫である女の子が、進路に悩んでいると、「自分の好きなように生きたらいいさ、悩んで進路を決めたからといって、そうそううまくいくものでもないし、仮にうまくいったとしても、雲のようにすぐに流れていってしまう」と。 後に、「孫娘には、人生は雲のように消えてしまうと言ったが、屁のようになくなってしまう。それでも人生は面白い」と。又別な場面では、「30歳台で画家のおじさんがパリで亡くなってしまった。自分はずいぶん長く生きてきたが、長く生きたからといって、何ができたというものではない。」と。 「お母さんの最後の一日」というドラマもついつい見て、最近死にまつわる話が身近にありました。 きのうの朝、まどろみの中で、私は、「じゃね」と言って 死を迎えることが出来るのかなぁ なんてことを考えていました。(できたらいいなぁと いう思いもあって) 昨日、出勤すると、隣の課の課長が、55歳の若さでなくなっていました。 人生 儚いですね。
2010年09月15日
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暑い日が続いていますね。体調はいかがでしょうか?年齢に関係なく熱中症で亡くなる人がいますね。不安になりますね。明日の朝目覚めないんじゃないかと・・・ 地球は氷河期に向かっているとばかり思っていました。今も、NHKのニュースで、9月も暑い日が続くと云っています。さんまが一匹800円だそうです。 まだまだ残暑が続きそうです。どうか お体大切に・・・ そういえば、ゴーヤはこの暑さと水不足で、大きく育ちません。小さいうちにどんどん色づいてしまいます。植物も必死の様子です。
2010年08月25日
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こんなに梅雨明けのはっきりした年も珍しいですね。梅雨が明けたな というのが空を見て判りましたね。 今年は、梅干を漬けてみました。甘梅干と小梅の梅干。小梅の方は、カリカリ梅にしようと思っていたのだけれど、柔らかくなってしまったので、梅干にしました。からっと晴れたこの3連休に、梅を干しました。太陽の力はすごい。みるみる梅が柔らかくなります。八月になったら食べられます。楽しみ楽しみ
2010年07月19日
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もう6月も22日なんですね。先週は、同僚のお母さんが急死されたりして、何かと落ち着かない日々でした。 こちらは、梅雨に入ってもあまり雨が降っていません。去年とは違って、蒸し暑くはなりましたが・・・。ようやく地温も高くなって、野菜たちがぐんぐん大きくなっています。 去年取れた豆を、冷蔵庫に保管しておいて蒔いて見ました。落花生です。 もう新じゃがは食べました。 日曜日には、苺を煮ました。実の形がそのままの贅沢なジャムが出来ました。
2010年06月22日
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やっと地温も上がってきたので、夏野菜を植えつけてきました。ナスが3本とトマトが2本、坊ちゃんかぼちゃ2本、ピーマン1本、バナナピーマンも1本。 ジャガイモにようやくつぼみが出てきました。順調順調。 野菜たちは、食べても美味しいですが、花もなかなか可愛らしいのです。 これは花ではありませんが、まるでバラの花のようなサニーレタスです。
2010年05月22日
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日一日と山の緑が濃くなって来ていますね。近くの山を、山菜採りをかねて散策してきました。木漏れ日の中をゆったりと歩くのは気持ちがいいですね。連休中にたくさんの人が歩いたようで、山菜を採った後が残っていました。それでも「自然はえらい!!」。又私たちに、自然の恵みをくれました。 天ぷらにすると美味しい「こしあぶら」です。生き延びでここまで育ちました。 庭の霧島つつじが満開です。
2010年05月06日
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ようやく春らしくなって来ましたね。もう間もなく立夏です。まだ我が家では、ストーブもコタツも完備です。年のせいか、風の冷たさが堪えますね。そろそろ、夏の野菜の準備もしないといけませんね。トマトもきゅうりもナスも、苗はとっくに売っているのですが、この冷たさで、躊躇しています。 庭の木々は、しっかり時を刻んでいますね。紅舞妓は花のように真っ赤な若葉を開いてきました。どうだんもひっそりと可愛い花を咲かせています。ハナミズキは間もなく開きそうです。
2010年05月01日
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ご無沙汰しております。それにしても寒いですね。ようやく日差しが暖かくなったと思っても、空気が冷たいんですよね。 今夜辺りは、霜の心配もありそうです。3月20に植えたジャガイモがようやく芽を出して、小さな葉を広げてきました。雉につつかれながら残った絹さやもこんなに大きく育って、花をつけました。ようやくです。 石槲がいい香りを漂わせています。今年は例年より大分遅かった気がしますが・・・
2010年04月24日
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ようやく春らしい暖かさが戻ってきましたね。 この暖かさで、待っていた桜も咲き始めたようです。まだ2分咲き程でしょうか。山桜も咲き始めたりして、かたやもくれんやこぶしも満開だったりして、一気ににぎやかな春の様相です。 夜に用事を作ってしまったので、なかなかパソコンに向かうことが出来なくなりました。更新が、一週間に一度かそれ以下になってしまうかもしれません。どうぞ気長にお付き合い下さい。
2010年04月11日
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寒いですね。どうしたんでしょう。地球温暖化しているという情報は間違いですか?朝夕、寒くてストーブ無しでは過ごせません。 先週植えつけたジャガイモも、地中で縮こまっているかもしれません。気温的にも精神的にも寒々しい春です。 やっと、足利事件の菅谷さん、無罪の判決が出ましたね。「よかった」のですが、そんな言葉では、表せませんね。チャンスは何度もあったはずなのに、17年半もの間無実を訴える人を無視し続けられることに、空恐ろしさを感じます。最近は、冤罪が増えているというではありませんか?
2010年03月27日
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ようやく暖かくなって、ジャガイモの種をまきました。去年は、食べ残しの芋を種芋にしたので、どうもうまくいきませんでした。 途中までは順調に育っていて花も咲いたのに、ある時パタッと成長が止まってしまって、その大きさのまま枯れはじめてしまいました。まぁ、芋の大きさは中ぐらいまでは育っていたので、それでも充分でしたが、ちょっと心残りでしたね。 お花畑のように、雑草の花が咲き誇るのを、草取りして、耕して、芋を植え付けてとなかなか重労働でしたけれど、心地いい疲れでした。 さぁて、どう育ってくれるか、今年も楽しい季節になりました。
2010年03月22日
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高速バスで、引越しの手伝いに行ってきました。隅田川縁の桜の木は、薄っすらとピンクの気配を漂わせていましたし、柳の木は爽やかな薄緑色で、生命感にあふれていました。もうそこまできている雰囲気に満ち満ちていました。 卒業式帰りの、着飾った女子学生の姿もたくさん見られ、一方で、まるで制服のような黒いリクルートスーツ姿の、思いつめた表情の学生達もたくさん見かけましたね。希望に満ち溢れているはずの春を目前にして、もうすでに疲れ果てている姿は、痛々しいほどです。 訳のわからない子ども手当てよりも、大人手当てや、学生手当てが欲しいほどです。手当てより仕事を呉れ!!ですよね。なんだか、希望の持てない春です。 噂のスカイツリーは、こんなに高くなっていました。
2010年03月20日
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しばらく留守にしました。引越しようやく終わりました。なんだか疲れましたね。たった一部屋の引越しでしたが、結構な荷物でした。 頼んだ赤帽のおじさんが、気持ちよくてきぱきと動いてくれたので、スムーズに積み出しも、運び込みも終わってホッとしました。 とりあえず、ご報告まで。
2010年03月17日
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