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≪活着真好≫ Q先生のお宅で夕飯を食べてから、Q先生は一服したあと、すぐ散歩に出かけ、奥様と私はテレビドラマを見ていた。奥様が「この番組って長くてもう半月もやってるの。」この番組名が≪活着真好≫である。「生きていることはすばらしい」というような意味になろうか。 続けて「3姉妹のうち、2番目と一番下が乳腺がんになってしまって・・・」奥様がいう「乳腺がん」が聞き取れなくて、奥様が左胸を指すので「心臓」と言ってしまった。幸いにも、このドラマはセリフが中国語の字幕が出るので音声と字幕を見たら内容はわかる。奥様のいうように本当に面白い。3姉妹にそれぞれに事件がおこる。日本の「渡る世間は鬼ばかり」の中国版と言った感じである。3話連続で放送されるので3話見るとけっこうな時間になる。猛勉強するつもりで行ったのに、いつもこの≪活着真好≫を見ていたのでたいして勉強はしなかった。1週間滞在している間に、この≪活着真好≫は最終回を迎えた。次のドラマはおもしろくなかった。なのでタイトルさえ覚えていない。≪活着真好≫に登場する3姉妹の末っ子は、映画「胡同のひまわり」の大人になった主人公の奥さんもやっていたし、テレビドラマのセックスアンドザシティの中国版ともいえる「恋・愛・都・市 恋がしたい」(原題:好想好想談恋愛)にも出ていた。恋・愛・都・市 恋がしたい DVD-BOX1(DVD) ◆20%OFF!胡同のひまわり(DVD) ◆20%OFF!
2008年08月07日
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帰ってくるときにはやっぱりちょっとセンチメンタルになってしまった。搭乗直前に思い切ってM先生に電話をした。1度会っただけだし、お別れの挨拶もしておらず、ノンライセンスキテイTシャツのお礼も言っていなかったから。携帯へ電話をしたら、すぐつながった。まもなく搭乗して帰国すること、Tシャツのお礼、お別れの挨拶をしていないので電話したことを話して、再会を約束した。もちろん、今日が私が帰国することはご存知だったけれども。 飛行機に乗り、離陸の為、動き出すと少しセンチメンタルな気分になった。山西大学に留学していた1989年には天安門事件があり、切り上げて緊急帰国してきたので、そのときを思い出した。それから20年後やっと来ることができた。次はいつ?また20年後?タクシーのWシーフとも、「次はいつ来ます?タクシー乗るときは呼んでくださいね。」とのシーフの問いにふと、「20年後ね。」と思ったが・・・ん?20年後?やっばー。年齢的にやっばー。Wシーフには、「今はわからないけど、近いうちに来たいと思う。また北京に来たときは呼びますね。」と言った。そうそう、長城行ってないし。Wシーフの会社だと貸切で長城に行くと1日600元だそう。 家に着いたら電話をするようにとQ先生の奥様から言われていたので、国際電話はお金がかかるからいやだったが、緊張しつつ電話をした。翌日は月曜日ですぐ仕事だったので出勤したら案の定デスクの上は山のように書類、書類、書類だった。ほかにも注文を積極的に受けたので、残業になってしまった。とても忙しくて、お土産を配る時間がなかった。
2008年08月07日
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蚊の一件もあって、早く起きて、メイクも、荷造りも済ませてQ先生夫妻がおきてくるのを待っていた。借りている部屋にはテレビがあって自由に見てよいことになっていたので、テレビをつけてザッピングしていたら、日本でいうところのアンビリバボーのような番組をやっていた。【致命的ないたずら】と訳せるタイトルで、実際にあった飛行機事故の検証だった。見る私も私だ。あと数時間後には飛行機に乗ろうというのに、飛行機事故の番組を見ている。でも、なぜか自信はあった。私が午後乗る飛行機は問題ないと。こういう自分のことに対する「感」みたいなものはけっこうあたる。以前台湾に行った時は、3日前くらいから荷物がやたら気になってしかたなくていたら、空港で荷物がひどく汚されてターンテーブルに出てきたことがあった。てな具合。ロシアのアエロフロート航空モスクワ発香港行きが原因不明の墜落事故を起こした検証をやっていた。最初はわからなかったが、たまたま機長がプライベートで子供2人を連れて乗っていて、同僚に会いにコックピットを訪ね、子供に操縦させたことが原因、という、ドラマ仕立ての構成も当事者へのインタビューもアンビリバボーと同じだった。 ↑世界最大級の北京首都空港第3ターミナル内で 【女子四楽坊】 本当に広い これこそアンビリバボー!
2008年08月07日
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いよいよ、帰国する日になった。13時30分のフライトだったので、9時ごろにQ先生の家を出ることになっていた。来たときは、夜だったので空港までの出向かえを依頼していたが、帰りはまだ明るいうちなので見送りは不要としていた。見送りにも別途お金が必要ということもあったので。最後の夜、それがほとんど眠れなかった。北京を離れるのがさびしくて・・・・。ではなくて、「蚊」がうるさくて、うるさくて。中国の蚊は非常に大きい。手の甲を刺されると肩口まで猛烈にかゆい。その経験があったので、薬もないし、刺されないようにタオルケットをかぶり、絶対に肌という肌をださないようにした。一度起き上がり、スタンドをつけて壁に止まったところをたたこうとしたけれどもタイミングをはずし逃げられた。頭付近を「ふ~ん」と飛んでは離れ、飛んでは離れして、時間が過ぎた。眠りたいのに・・・。頭付近に近づいてきたときに激しく寝返りを打ったり、バタバタとしてやったら、以降それっきり「ふ~ん」とこなくなったのでたぶんそのときに叩いたのだろう。すっかり明け方になってしまっていた。朝起きて、死骸を探してみたけれどもみつからなかった。9時に出発しなければならないから、蚊の一件もあったし、早めに起きてスタンバッていた。しかし、Q先生夫妻は、いつもどおりのマイペースで起きてこない。あわてるのはいやなのに・・・。早く出発するんだから少しくらい早く起きてくださっても良いのに、と正直思った。あわてるのはいやなのに・・・。早く出発するんだから少しくらい早く起きてくださっても良いのに、と正直思った。実は、什刹海から乗ったタクシーの運ちゃんがとっても良い人で、最初私のことを香港の人?と聞いてきた。車内で明日帰るんです、という話をすると、どうやって空港までいくのか、行きましょうか?ということになった。名刺をもらい、朝、電話することになった。Q先生にもその話をして、朝8時50分に電話をしてくれた。すると、運ちゃん、もうそばにいると。それなら話は早いや、っていうんで、出発することになった。実は、まだQ先生夫妻と一枚も写真を撮っていなかった。タクシーの運ちゃんにとってもらった。そしてすぐ乗ってあっけなくQ先生夫妻とお別れしてしまった。 タクシーの運ちゃんのことを、シーフ(師傳)という。苗字にシーフとつけて呼ぶ。運ちゃんは、中国人に多い苗字のWさんといった。私はWシーフと呼んだ。Q先生が電話したときにもういるって言ってたけど、ずいぶん早く来てたんですね、というと、Wシーフは、「この商売はね、信用が第一だからね。30分前にはきてましたよ。」と、後ろの私をちらちらと見ながら話す。危ないからちゃんと前見て運転してください、って感じ。話し方からして、北京出身だろうと思う。空港までの約1時間、Wシーフのおかげで楽しく北京最後の時間を過ごすことができた。名刺をもらっているので、ご希望の方がいればご紹介します。ある程度中国語の話せる方のみになりますが。Wシーフは中国語のみの運ちゃんなので。風貌は金正日総書記にちょっと似てる。空港までは、高速道路代込みで110元だった。Wシーフと再会を約束して空港の中へ入った。一人になってちょっとさびしくなった。
2008年08月07日
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中国風な建物のスターバックス。値段は日本と変わらない。それ以上かも。 什刹海にはパフォーマンスをしている人がいて、このおじさんは水で地面に字を書いている。それがとってもうまい。時間があれば話をしてみたかったけど、時間がないので写真だけそそくさと撮ってタクシーで帰った。
2008年08月07日
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今日は、1日授業なしにしてもらった。もともと、「1日は授業なしで」としていたので最終日をフリーにしてもらった。この留学プログラムは3食付なので、お昼を食べてから行きたかったが、そうすると時間がないのでしかたなく、午前中に出かけた。(臣頁)和園に行った時に帰りに王府井、前門と車掌に言い切符を買っていたし、バス内の路線を見てもたしか、王府井があったと思ったので、王府井まで行って地下鉄に乗り換え、天壇公園に一番近い天壇東門駅で降りて天壇公園へ行こうと思っていたが、見間違えたのか、王府井、前門バス停がない。天壇西門というバス停があったのでたぶん天壇公園だろう、と予想して天壇西門バス停で降りることにした。所要時間40分ほどで天壇西門バス停に着いた。しかし、「天壇公園こちら」とか「→」など代表的な観光名所なのに表示も何もない。なんとなくのカンでたぶんこっち、と歩いていると、道路を渡った向こう側に工事中で塀で囲んであるところがあった。それが天壇公園の西門だった。切符売り場の人が(臣頁)和園よりも断然親切だった。(臣頁)和園と同じデザインのレトロな地図もだまって売らずに、要るかどうか聞いてくれた。天壇公園も故宮と同様、山西大学の留学仲間のTちゃんと20年前に来た。そのときもまた2人で皇帝気分を味わった。天壇公園を堪能したあとは、東門から出たかった。地下鉄に乗りたかったからである。なんとか園内の地図をみつつ東門を見つけた。出る直前に売店でアイスクリームを食べた。欧米人の夫婦が英語で「チョコレートの・・」と店員に言っていたが、あまり店員さんはわからないらしく、なんとかチョコレートを指差した。「いくらですか?」もやっと聞き取ったという感じで、「エイト」と答えたら、欧米人の夫婦は「エイティ?」と聞き返した。店員さんたちは、「アイス1個80元なんて大変だよ。」とぼそっと言った。地下鉄が1律2元だからアイス8元は高いと思う。ちなみに私が食べたのは5元のです。 ↑活気ある王府井大街 それから地下鉄でまた王府井に行き、いろいろとお店を見たりした。お昼は王府井の北京小吃街でジャージャー面を食べたが、Q先生が作ったジャージャー面の方がはるかにおいしかった。もちろん、帰ってQ先生に報告した。とっても喜んでらした。せっかくだから什刹海に行ってみようと地図を見ながら歩きだした。歩いたらかなり遠いらしいが、節約と健康のためと思い歩いた。正直1時間半くらいは歩いただろうか、それでもあまり進んでいない。腹が立ってくる。やっと着いた。いるいる、胡同めぐりのチャリが・・・。もう6時だった。最低でも30分はかかるから断念した。陶器のお店も行きたかったけれども断念した。写真を適当にとってタクシーに乗って帰った。このタクシーの運ちゃんがすっごくいい人だった。しかしあわてて帰ったにもかかわらず、奥様も帰っておらず、ちょっと拍子抜けした。今夜は最後の晩餐かと思うとちょっとさびしかった。
2008年08月07日
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今回20年ぶりの中国に行って気づいたことがある。それはバスの中での会話である。中国語の授業では、バス内で切符を買うときに、例えば、「到五一広場一張。」(五一広場まで一枚。)と一【張】と切符など紙類を数える量詞【張】がテキスト本文としてあり、練習したものだった。実際にバスに乗るときにも、このように車掌に言っていた。留学していた当時、なまりのきつい山西省では留学生を除いて人々は切符を買うときには、「一張」と言わず【一個】と言っていた。入門者の私達は授業で勉強した会話と実践が違うということに戸惑っていたが、北京に行くと、テキスト通りにみなさん【一張】と言っているので切符を買うときは【一張】なんだと、「【一張】って絶対言おうね!」と、一種の軽い条約締結みたいなことをした。北京だけでなく、他の都市でも【一張】だった。 実際に、太原で、バスに乗ったときに【一張】と使うと、車掌に【一個】と言いなおされたことがある。日本に帰って来て、中国語学校へ行った時に、この話を北京出身の先生にすると、「【一張】と言ってやれ。」と言っていたのを思い出す。さて、それが、今回の北京では、なんと【一個】と言っていたのだった。もしかして、スイカ、パスモのような「ピッ」の使用が影響しているのか?車掌に「刷一個」と言っているのを聞いたし。私は、昔ならったとおり【一張】を押し通したが、車掌に【一個】とは言い直されなかった。このバスの中の会話が今回気になったことだった。
2008年08月06日
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この日の午後は、Q先生お勧めの頤和園へ行った。実はそれほど行きたくはなかったけれど、Q先生のお宅からは路線バス1本で乗り換えなしで行けた。もちろん一人で。所要時間1時間ほど。バス停までは10分ほど歩いた。頤和園は終点で私ひとりになってしまった。チケット売り場でチケットと頤和園の古地図をよこした。この地図がレトロっぽい。紙もしっかりしているので、ずいぶんいいやつくれるんだな、と思っていたら、10元で買わされていた。実用的な地図ではないので別にいらないのに。一言「地図はどうしますか?」と聞いて欲しかった。中に入ると、時間で宮廷音楽と民族舞踊を見聞きできるというので、行ってみた。舞台が作ってあった。イメージ的には神社で神楽を見るような感じである。宮廷音楽と民族舞踊が終わったあとは、まだ、もうひとつくらい出し物がありそうだったのでそのまま座っていたら、「続きまして【京劇】をご覧にいれます。京劇とは・・・・」と説明し始めたので、京劇大好きな私は、思わず、おぉ!とさらに集中して舞台を見ていた。すると、けっこう狭いところなのに、孫悟空が大立ち回りをし始める。ものの本によると、京劇役者がみえをきると、観客が拍手と同時に「好!ハオ!」というらしいが、ここでは、「ハオ!」とは誰も言っていなかった。「エイ!」と言ってた。終わったあとは、西太后の衣装などがある部屋を見た。そこには、清朝当時の宮廷の女性の髪形、両把頭をして、当時の衣装を来たスタッフがいたが、部屋に入っても、「いらっしゃいませ。」も「こんにちは」も言わず、とっても感じが悪かった。大きな湖のふちをどんどん歩いて写真をとったりしていたら、雨が降り始め、時間もあっというまに5時になっていたので、走ってもと来た入り口までもどり、バス停に行った。タクシーで帰ることも考えたが、節約しようと思ってバスで帰ることにした。それが、いくら待ってもこない。やっと来たと思ったら、「このバスはもうおわりです。」と立て続けに2台も。雨の中、待って待って、3台目。やっとバスが来た。切符を買うときに、実は、乗ったバス停名をよく見ていなかったので、車内の路線図を見てこのあたりと見当をつけて車掌に降りるべきバス停名を言い切符を買った。結果的には、最初に乗った場所よりひとつずれていたがたいした距離ではなかった。行くつもりはなかった頤和園だったが京劇をみることができてそれで満足した。迷ったら、このビルが目印ね、といわれていた都庁そっくりな形のビルを歩いていたら、成田空港でレンタルした携帯電話が鳴った。Q先生の奥様からだった。奥様「今、どこにいるの?」dragonsea「○○ビルです。」奥様「じゃあ、もうすぐね。」と単語数も少なく、時間的にも短い会話だったが心配して電話をくれた。せっかくだから、ちょっとそのへんぶらぶら・・・として、先生のお宅に帰った。ぶらぶらと言ってもこの通りはどうなってるんだろ?とかちょっと見る程度。先生のお宅に帰ったら、奥様が「どうしたの、遅いじゃないの。」と怒った口調ではなかったが、言われてしまった。「頤和園だけ?それとも他にも行ったの?」とも。午後7時をすぎていた。それでもかなり明るかった。知らないあいだに買わされた古地図、捨てるに捨てられず、未だここにある。
2008年08月04日
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