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さ、いよいよ今年最後の更新ですよ。29日に我らの兄弟が2年ぶりに実家に集まり、翼30日つまり昨日は恒例の餅つきが行われた。「餅つき」と「狐つき」は言葉は似ているが前者は健康的、後者は病的と言う決定的なイメージの違いが見られる。うん、まぁそんなことはどうでもいいんだ。思えば昨年の餅つきはちょっと病的とも言えた。沖縄から本土復帰したばかりの妹と老いぼれたばーさん(最も元気だが)、そして脱サラ無職の私という、傍目に落ち武者集団のような面子で、タダひたすら杵を臼へと打ち続けたのである。そう、それはまさに狐つきのように、コンコンと・・・・・・・今年は兄の家族4人が加わったので昨年の寂しい年末の悪夢(決してそんなことはなかったが)を払拭してくれるような、なんとも賑やかな餅つきになる、はずだったのだ。しかし。私の朝は毎朝規則正しい。6時30分に起床、外に出て20分ほど日の出を眺めながらストレッチ。7時に朝食・新聞にさらっと目を通して歯を磨き7時30分にはその日の予定へと行動を移す。この日も7時30分には行動開始。よーし今年は賑やかな餅つきになるぞ、バンザーイ! てな感じでもち米を蒸すかまどと薪の準備をして待った。準備できましたよ?あれ?だーれも来ないぞ。ええい、もう構わん燃やしてしまえい!暫く待っても誰も来ない。。。ちょっと!こんな大事な日に寝坊とはどういうことかね?子供のように張り切って準備したオジサンは虚しい、虚し過ぎるよ、エーン。と、準備開始から1時間ほどして兄貴の息子の貴希(たかき)くん(12歳)がやっと合流。薪用の木の枝を拾い集めてくれた。遅いぞ!小学生ならこういう日はマンジリともできずに早朝から起きてくるもんなんだ。オジサンを見習いたまえ、えっへん。(威張るな)ま、こうしてなんとか餅つきが始まった。↑甥っこと兄貴とばーさんと。ちょっと危ういな。貴希くんの妹、瑞希(みずき)ちゃん(10歳)は餅を専用のビニール袋に入れて延ばす。おにーさんは頑張って突く。妹も参戦!↑まだ杵持つのがやっとやな。沖縄帰りの茶髪のオバサンも参加。何気に安定感あるな。三十路の貫禄か、それとも沖縄キャンプの成果なのか、お前は一体沖縄で何しとんねん?貴希くんはクワ一つで大喜び。子供は遊びの天才だな。おじさんもこれから見習って行こう、そのゆとり・スピリットを。しかし、ええ顔してますな。子供を見てると人間はこういう田舎で暮らすのが本来幸せなのだろうな、と思う。土を触ってるその顔は生き生きとしている。兄貴の奥さんも参加。若そうに見えないこともないが、僕と歳おんなじ。つまり、アラフォーーー!っと。 (バラしてもうた)いやぁ、しかし人がたくさん居る餅つきってのはいいもんだねぇ。特に子供が2人居るだけでなんだか妙に楽しいよ、おじさんは。ばーさんも孫と過ごす一瞬が全て愛おしいものだろう。それだけに帰ってしまった後数日間の顔はなんとも寂しそうで・・・・・こちらも楽しそうにやってるな。と、ようやく最後のひと臼。真っ白なもち米と、杵と、臼と。貴希がうちの畑に適当に植えてある蜜柑の木から綺麗なミカンをもいで来てくれた。オレンジ色が眩しくて。おしまい。来年宜しくお願いしますね。「ねはんの里」
2009.12.31
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前回の更新で今年最後でもいいか、なんて思ってたんです。でもさすがにホ○ネタで2009年を締めくくる訳には行きませんよ、これ。ということで、今年中に後何回更新できるか分からないけど適当にネタでも考えておきますか。あ、そういや今日は妹が沖縄から、明日は兄夫婦が北海道から帰省してくるらしい。軽くサミットだな。つーかまとまりネーな、兄弟達よ。(俺もだが)そうそう、それで私も2月から高知に行くということで最近引越しの準備なんぞをしている訳だ。ま、昨年実家に戻った時にかなり荷物は削ったので学生並に荷物は少ないんだけど。でも案外人間てのは余分なものを捨てられず、使いもしないのに引越しの度にわざわざ梱包し直していつまでも持ち歩いているものなのだ。そんなことを歩き遍路をしている時に痛感した。どんなに削ったつもりでも初めに徳島駅に降り立った時は余分な日常の荷物がザックの中に入っているのだ。私は土佐の真ん中辺りまでに2回、余分な荷物を送り返している。合計で多分2kg位減ったと思う。削った荷物によってその後困ったということは一度も無かった。持ち歩く荷物の重さは心の重さだな、ということをしみじみと感じた。私の人生はこれまで引越しだらけで実に今度で14度目の引越しとなる。これは実家に戻ってきたのを含めての数字だけど。そして今回はとりあえず研修でお世話になる渡辺農場のログハウスに暫く住み、そこで入居先を探すことにしてあるので15度目の引越しが確定しているのだ。もしかすると私は定住しない運命にあるのかも知れない。それはそれで、このままこの人生で後何回引越しすることになるのか、楽しみにするまでのことだ。色んな所に住めるってのはいいことだ。引越しと言えば自然に思い出すのはMIYOCOおばさん、という訳で。作業中ずっとYouTubeで「Hip Hop Shit!」を流してます。「引越し! 引越し! さっさと引越し! しばくぞ!」うん、今日も妙に楽しくなってきたぞと。あ、シバくぞ、と言えば桃太郎の裏話、M太郎というのがある。「おじーさんは今日も山にシバかれに行きましたとさ」更に、ばーさんは川にムチに使う柳の枝を選択に行ったのだそうだ。うん、これオトナの話だわ。ルンルンでシバかれに行くおじーさん(想像図)ああ、こんなくだらない話じゃ2009年を終われないよーー「ねはんの里」
2009.12.28
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クリスマスが終わるとすっかり年末感が強くなりますね。そう言えば四国行きの話の結論を書いてませんでしたが、先日高知の大豊町の方に決めて農家の渡辺さんと話した上で2月から研修スタートということになりました。愛媛の鬼北町の方は辞退の連絡を。ご迷惑お掛けして本当に申し訳ありませんでした。四国に行くので愛媛にも行く機会はあると思いますのでその際は寄らせていただきます。ま、そんなことで。全然関係ない話なんだが、実は昨日のボディパンプの話にはもう少し面白いエピソードがあるのだ。それは・・・・・そもそも私をこのプログラムに誘ってくれたのは45歳のOさんというおっちゃん。私が6月にこのスポーツジムに通いだして確か3回目の頃。プール脇の採暖室で寝転んで暖まっていたらOさんが入ってきて声を掛けてくれたのだ。見ず知らずの私に声を掛けてくれるとはなんと優しいお方だと有り難く思ったものだ。その後私が何曜日に行っても、また時間を少しずらして行ってもOさんに出会うことが何故か多かった。この人一体何をしている人なんだろう?そう思っていたら時は流れつい2週間ほど前の話。たまたまジムのサウナで会ってボディパンプというのに誘われたという訳だ。ボディパンプのパンプは日本語でポンプだから人間ポンプでやっぱりいいみたい。でも手を激しく上下させるという意味らしい。あ、バーベルを上げたり下げたりするからね。で、まぁスポーツジムに行ったことある人は知ってるんだろうけど、このボディパンプというのは2、30kgのオモリをつけたバーベルを持って上げたり下げたり、スクワットしたり寝そべって持ち上げたりとハンパない重労働を強いられるのだ。そして時間になりスタジオにみんな集まって来た。一番前、中央のトレーナーさんがこちらに向いてポジションを取る。それを囲むように我々がスタンバイ。総勢15名。お年寄りや女性が多い。おっさんも数名。私は一番若い部類に入る。重低音の効いた音楽が始まりバーベルを持ったままのスクワットが始まる。開始30秒でマッチョのトレーナーさんから汗が飛び散る。この人多分40歳くらいだろうか。すげーマッチョ。だからそんなに汗かくんだろうか。私はジンワリと汗ばむ程度。4年間やってるOさんも汗ダラダラ状態。なんか違うぞ、この人達。開始30分。更に激しい音楽になり、間違いなく脳内麻薬出っ放しの妙なハイテンションのトレーナーが爽やかにみんなをあおる。「フゥー、たっのしいゼ、ほらー。アハハハ」 みたいな。あの、あんま楽しくない感じです、ワタシ・・・・・・そのマッチョなトレーナーをずっと眩しそうに見つめている、隣の太ももの筋肉がパッツンパッツンの40半ば(後でOさんから48歳だと聞いた)のオネーさん。Oさんはじめ私以外の常連さんもトレーナーの雄たけびに合わせて妙なテンションでバーベルを上下させている。残念なことに私には脳内麻薬じゃなくて身体中から乳酸が出っ放しでもう疲労困ぱい。これ以上動けませんよと思ったらようやく終わったよ、45分間。死ぬかと思った。思わず倒れこんで虚ろな目で視点も定まらずボンヤリと辺りを眺めて放心状態。隣のマッチョなオネー様が爽やかな笑顔でトレーナーさんと挨拶を交わしている。2人とも実にマッチョだ。しかしその余裕はなんなんだ・・・・・・もしかしておねーさんに見えるこの人、まさか・・・・・・??・・・・と、ここで私は半分意識を失ったようだ。半覚醒状態で何やらバラ色のバラモンの夢でも見たようだったが、気のせいかもしれない。ふと我に返るとジムのサウナに居た。私の他には3、4名のオヤジ達がいる。そして隣にはOさんが座っているじゃないですか。それも密着とも言えるような妙な至近距離に。混んでませんよ?そう言えばこのOさん、会うたびに私を見て、「いい身体をしてますなぁ」と口にしていたことを思い出した・・・・・・・はっ!!! まさか!?「ヒィ~」急に意識を取り戻して怖くなった私は何故か、ゴメンなさいとだけ言い残してお尻をタライで隠してエリマキトカゲのごとくスタコラサッサと一目散に退散した。冬の午後遅く。乾いた日差しの中、水風呂にも入れなかったお陰で帰りの車は窓を全開にして涼む。そして時折満足げに清々しく顔を外に出した。「いやぁ、無事でなにより」 と安堵しながら。この話はフィクションです。というか、私の話は半分がモーホー、じゃなかった、妄想の産物です。済みません、クダラなくて。「ねはんの里」
2009.12.25
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さ、いよいよクリスマスイブという訳ですわ、これが。私は今日一日、いつも行く隣町の第三セクター運営のスポーツジムでどういう訳だかいつもよりハッスルしてました。というのも僕はプールにしか興味ないんだけど、たまたま知り合いになった45歳のおっちゃんにスタジオプログラムというのに誘われたんです。それがボディパンプというやつ。似ているけどボディポンプじゃないよ、人間ポンプみたいになっちゃうから。そういや昔金魚飲み込むじーさんが居たなぁ。あれ大阪のじーさんだったような・・・・・ともかく20-30kgのバーベル持って膝曲げたり腕を突き上げたりと、人間ってのは妙なことして楽しむものだ。そういや同じようなハードな運動を今年の1月に行った過激な農業法人で経験したぞ、タダで。それも朝6時から晩10時過ぎまで。お遍路以来私のお手ては週に一度だけ水掻く作業だけで済んでいたものを、いきなり重い鉄の板なんかを持ち上げさせられたから急遽反抗期に突入。なんにも言うこと聞いてくれんよ。そりゃそうだよ、これは軽い罰とおんなじだもの。でもたまにはいいか。ともかく意味も分からず充実した一日だったなと。そして今晩はこれから両親といつもよりちょっと豪華な夕食とケーキでクリスマスディナーだ。そろそろ最後の親孝行というのを考えるんだ、最近は。ま、そんなことはいいとして。クリスマスと言えばサンタとトナカイの格好をするのが定番です。僕もコンビニ店長の時この日は従業員さんと一緒にサンタかトナカイのかっこで仕事でした。でもトナカイの格好をする奴はなかなか見つからないんだ。それは、どういう訳かトナカイの格好をした奴にはもれなく変態トナカイという呼び名が割り当てられるからだ。確かに変態っぽいよなぁ、トナカイさん。でもトナカイと聞くと最近思わず奈良のアイツを思い出してしまうのだ。確かにアイツも変態っぽいと言えば変態ぽいな。奈良のアイツ↓こいつの特徴は、仏像と鹿と、そして・・・・・・「ディスコでフィーバー」 って完全に第一次ボウリングブーム世代だな。にしても、ジョン・トラボルタ、若っ。あ、折角クリスマスだからホッコリした気分になりたい方は季節違いで書いてしまった過去ブログ、 「ある夜の物語」を再読してみてくださいね。いい話なんだこれが。では良いクリスマスを。「ねはんの里」
2009.12.24
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年末のビッグイベント、クリスマスが明日に迫ってます。クリスマスの主役と言えば恋人たち、じゃありませんよ。子供ですよ、お子さん。彼らには夢があります。いやいや、本格的なアラフォーに突入してしまったオッサンにだってちゃーんと夢はあるんだ。セピアな奴が。あ、久しぶりにくだらんな。ま、そんな暮れも迫る昨日、早々と冬休みに入った小学生達の子供会でクリスマスイベントが両親の経営する陶芸教室で開催される、しかも2組も。ということでめっちゃご無沙汰しているデジタル一眼レフカメラを担いでお手伝いに行って来ましたよ。お店もちゃんとクリスマスっぽくなっとるやんか。みんな早く来いよ、「メリークリスマス!」 てなもんだ。↑昨年の万歳!サンタは・・・・・お、ちゃんと向うの木に引っかかってるな。そうか、今年は主役の座を奪われたのか。この業界も栄枯盛衰という訳か。ま、来年俺は居ないけどしっかり木に引っかかって生き残れよ。ポイされんようにな・・・・・冬の昼下がり。乾いた光の下で40前のおっさんとオモチャのサンタとの不気味な無言の対話が続く。傍らで母親がソワソワし出したと思ったら第一陣のお車が到着。と、瞬く間に10台もの車がご入場なさった。なんと保護者を入れて総勢40名以上。よし、まずはうちのばーさんの説明を聞いてくれたまえ。ま、やり方なんて適当でいいんだよ。泥こねて楽しみな。早速親子で陶芸体験をスタート。若いお母さんや、どうやらそうでもなさそうなお母さん達が(怒られるぞ)子供達に交ざって好きな形に泥をこねている。親子で。ちっちゃい子も。メガネっこも。(老眼鏡みたいになっとるぞ)姉弟も。赤ちゃんも。親子で一緒に。仲良しで並んで。没頭してます。こうしてガヤガヤと2時間。そろそろ作品ができてきたようだ。隅の棚に常連客さんの作品を発見。あのぉ、なんか左の方に指の形した芸術作品があるような・・・・・もしかしてオシャブリじゃないすよね?あ、いや気付かなかったことにしよう、うん。それにしてもレベル高いな。とっくに両親の技量を超えていますよ、これは。開店1年半。利益を度外視した低価格戦略によって10名ほどの常連さんがおり、ほとんど毎週井戸端会議に集まるようだ。うん、それでいいんだろうな。そろそろ陽も傾き。担当のお母さん達が早く来て準備していたお菓子のプレゼントと、子供達が各自事前に買ったプレゼントの交換会が始まった。子供達は一喜一憂。思い出すなぁ子供の頃のクリスマス。あの頃は10円の飴玉一つでもそれがとても貴重な物に思えた。金額じゃないよ、物の価値というのは。宇宙が星の誕生と消滅により137億年かけて作った物質を人の創意で組み合わせてできた品物。そこに愛があれば尚更。石ころ一つだって子供の心には純粋な宝物。そして君達、子供は未来を切り開く唯一絶対なる意思による贈り物。純粋に今を楽しんでね。それが私の願い。「ねはんの里」
2009.12.23
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いやぁ、今年もあと10日を切りましたか。この時期は働いている方なら忘年会やらクリスマスパーチィやらで忙しいんでしょうね。日に日に世間との隔絶を深めつつある僕には無関係な話ですが。(そんなことはないが)ま、こんな寒い日や、クリスマスにデートしようと焦って告白して今年最後の不合格通知を受け取ってしまった時なんかには心から温まるのが一番!ということでホートフルな物語をご用意しました。ウソですよ。心も身体も寒い時にはネタで笑って腹筋を振動させることにより物理的に暖まちゃおうやという話ですわ、これが。ともかくどうぞ。⇒⇒⇒⇒⇒⇒これまで紹介したかどうか、そんな細かいことは年末だしどうだっていいんだが、私はかつて某コンビニチェーンの本部社員として直営店の店長をやっていたことがある。コンビニ店長つっても本部社員の場合、その多くがSV(スーパーバイザー)という職種への修行者なのである。SVというのはオーナー店舗への経営改善指導などを行う立場の人達のことだ。つまりいかに良い店長だったかということがその後のSV職での実力、つまりオーナーさん達への指導力・説得力のベースとなる訳だ。そんな真っ当な理由なのか、単なる出世欲からなのか、本部直営店の店長さんは平均して若いこともあり、ちょっと間違った方向に頑張っちゃっている人が多い。その妙な頑張りの結果、アルバイト全員に辞められて24時間営業どころかセブン-イレブン営業ですら危うくなってしまう原点回帰のコンビニも直営店の中には実は多いのだ。私はSVになりたくて入社したのではなかった。そんなものより物を売るということを将来に備えて勉強したかったので様々な取り組みを自主的に行っていた。例えば売場の位置・段数の変化に伴う販売効率や売れ筋商品の変遷関係、全員発注担当化による従業員のやる気と売上改善の関係、などなどである。そして私が店長になる前、戸塚ヨットスクールもここまでやらんぞ、と思わせた24歳のスパルタ・ぎゃる店長の下にいた経験から自分が店長になったらやりたいことがあったのだ。その取り組みというのは、厳しい店長の店は従業員の士気も売上も下がるが、面白い店長の店は売上がひょっとしたら上がるんじゃね?ということだった。そんな実験のため、私が店長になった際ある日課を自らに果たした。それは、毎日全ての従業員を笑わせること。できればバイトくんの出勤直後に何か面白いことを言って笑わせればその日の少なくともバイトの時間は楽しく過ごせるのではないだろうか、と思ったのだ。こうしてできるだけネタがかぶらないように一日当たり大体6、7人を笑わせるべく私のネタ作りの修行が始まった。当然のことながら毎日寝ても覚めても面白いことを考える癖がついた。そして暫くして予想外の効果が現れ始めた。普通に過ごしている私の毎日が何だか楽しくなってきたのだ。つまり人を笑わせる前にまず自分がそのネタで笑う。自分でもわかるくらい生き生きとしてきたのだ。だが、これにはもう一つとんでもない副作用があったのだ。当然のことながら仕事中、つまりコンビニの接客中でも事務仕事中でも常にネタを考えながらの作業になる。人間というのは実に不器用な生き物であり、マジメな顔で面白いことを考えるということはまずできやしない。従って仕事中は時々笑いを堪えながら働くことになっていたのだ。その奇態から、従業員のみならず常連客さんからも私に付けられたあだ名が、「半笑い店長」 って、コラ! スマイルと言え、スマイルと。だが有り難いことにコンビニのアルバイトが慢性的に不足する中、私の店はバイトに困ったことはなかった。ハハ「ねはんの里」
2009.12.22
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ようやく終わりになります。見慣れない単語が少し多いものの、内容としてはそれほど難しくないと思うのですが、なにぶん文章が未熟な故に分かりづらく意図が明確に伝わったかどうかは自信がありません。また扱っている内容が、殆どの人にとってこれまで余り意識して来なかったことであるためなお更だと思います。ですが、理解すると自分が何をすべきかを知ることになるでしょう。私がここで言いたかったことは単純です。もし幸せや充実感を感じたい、そして明るい未来を夢見るならやるべきことは、1 自分はそもそも動物であるから動物的本能があるのは当たり前だと気付くこと。2 社会的に生きるために動物的本能の上にフタをして人間としての仮面をかぶって生活していることを認識すること。3 動物的な本能は人間としての仮面を通して見ると駄目な部分、良くない自分に見えるけど、そのありのままの自分を否定しないこと。許してあげること。ただこれだけを続けることにより、いつのまにか心が自由になっている自分を発見することができるはずです。でも言うのは簡単で、実際には1のステップですら完全には中々できません。社会の倫理観による支配というのはとても強く自分が汚らわしい動物の本能を持っているとは思いたくないのです。そしてもし本当の自分に気付き始めても、今度は自己評価が働き自分を下等に評価して自責しまうのです。多分この時期にいる人はとても辛いと思います。でも、ありのままでいいんです。ともかく自分を否定しないこと。因みに私自身の話なので 「そんなん興味おまへんがな」という人が殆どだとは思いますが(関西人に怒られそうな関西弁)私の精神性がどこら辺にあると思っているのかを一応触れておきましょう。前にも触れたように私は後期自我の特徴であるペルソナを通して人を見ている段階を抜けきれていません。だからなんでもないようなことにまだイラっとすることも多いです。ただ、自分のそういう情動が動いた時直後に気付き、そしてすぐに許すという行為に移れるようになりました。そうする内にここ1年半くらい前から、つまりお遍路に出る少し前辺りから徐々に自然の景色が新鮮に見え始め、物事への感動も増し、そして何故か写真のような映像的な記憶力が著しく向上しました。更にこれは精神的な意味ではなく、知識・思考レベルで、色々な事象が繋がっていることに気付くと同時に世の中で起きていることの原理が明確に分かってきました。このように感覚や能力が少し改善されたように思うのも自己否定が弱まったからだと思います。そして精神的には淋しいと思うことがほぼ完全になくなってしまった。死にたいと思っていた5年前なら考えられないことです。こう考えると多分中期自我との決別はほぼ終わり後期自我からほんの少しだけ成熟した自我が垣根越しに見えたくらいじゃないか、と判断しています。ま、ようするに偉そうなことを言ってもまだペルソナとシャドーに支配されている可哀想な男の子って感じでしょうか。(おっさんやろ)もう一点、私はこの前の記事で幸せになるために転職することは意味が無いと書きました。これについてきっと誤解があると思うので補足しておきましょう。幸せというのは自分の心のブレーキを弱めて行けば次第に強く感じるようになるので、何処に住むとか誰と一緒にいるとかどんな仕事に就くということとは恐らく無関係です。でも、それとは別に人間には生き甲斐みたいなものがあります。この生き甲斐というのも難しいのですが、人間は自分のために生きるより一見他人の不幸を救ったり、幸せを助けたり、するように見えることによって自分自身の幸福感が増すということがあるようです。私は人間というのは例外なくエゴで生きていると思うし、それが当たり前だと思います。でもそのエゴを満たすために本当に聖人のように振る舞うこともあり得ると思うのです。当然カルト宗教のような自己肥大の煩悩抜きにですが。話がそれました。従って幸せを目的とするのではなく、生き甲斐を追求するなら転職だろうが海外移住だろうが性転換だろうがなんでもやったらいいんです。ただ、そのように環境を変えるためには心のエネルギーが必要な場合が多くあります。私のようにサラリーマンから農業への転職などもまさにそうだと思います。やりたいことはあるのだけれど一歩が踏み出せない、という人はまだ心のエネルギーが足りていないのだと思います。そのためには心のシミ抜きを続けてみるといいですよ、と言うのが今回の趣旨です。ま、小難しいことなんて考えなくても心のシミ抜きをしている内に勝手に手が動き、足が動きとなってくるはずです。心理学では心と身体の関係は人間と騎乗している馬に例えられます。まずやりたいと思い続ける内に、ぎこちなくでも馬の足が動いてくれればそれが時期となるでしょう。そしていずれケンタウロスのように自由になれる日もいつかきっと来る。・・・・・・ロバかも知れませんが。おしまい「ねはんの里」
2009.12.21
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続き。いやぁ、今日も思いっきり長いな。心して読んでくださいね。って誰か面白いのかな、これ。うん、まぁいいや。現代社会の問題を起こしているのは後期自我のペルソナとシャドーが原因だと言うことについて、そして次のステップである、成熟した自我へと進むには、まず、ありのままの自分に「気付き、認め、許す」ことから始めれば良いということを前回までで書いた。更に後期自我から成熟した自我へと進むとこれまでと180度方向転換したような明るい社会へと向うはずだというところからだ。これには理由がある。まず、これまでの総括としてケン・ウィルバーの提唱する意識のスペクトルの全体像を見てみよう。本当は自分で作ろうと思ったのだが、以前も紹介した天下伺朗氏の著書「五十歳からの成熟した生き方」からスキャナーでパクってしまおう。面倒くさいので。意識のスペクトル図。 天下伺朗著「五十歳からの成熟した生き方」(海竜社)から矢印を追って見てみよう。一番下の境界線の手前側を唯一絶対な宇宙とする。そして人がこの世に生み落とされたばかりの状態をプレローマと言う。そしてウロボロスの段階で母親を認識し始める。その後身体的自我で自分の身体とそうでないもの、外部環境を認識し、メンバーシップ認識で色々な人、社会を認識し始める。初期自我からは精神的な世界を認識し始め、自分の意識と他の意識を徐々に理解し始める。中期自我で自分の中に社会的な自己、つまりペルソナを作り始める。後期自我では自分の内面、意識をペルソナとシャドーに分離する。現代人の多くはここまでの意識の成長で死を迎える。点線で描かれているようにポトリと落ちてまた宇宙へと帰っていくのだ。ここまでのプロセスを振り返ると、細部へ分離のプロセスであったことが分かる。宇宙と分かれ母親と分かれ、自分の身体と外界と分かれ、自分と他人と分かれ、自分の意識と他人の意識と分かれ、更に自分の意識内でペルソナとシャドーに分かれる。次々に分離するので寂しさを伴うプロセスだ。だがこの後のプロセスからはこれまでと全く逆、180度転換してこれまで分離してきたものを次々に統合するプロセスへと向う。従って融合の幸福感を伴う。まず成熟した自我では自己内部の意識を統合する。はじめに意識が分離してしまったことを認識し、ペルソナとシャドーを自分のものとして統合する。次の生物社会的帯域では自己の身体と意識の分離を認識して統合し始める。つまり自分の身体でありながら不随意筋のように操れないものと思い込んでいる意識に気付き、その思い込みを統合、つまり解消する。それが完結するのが次のケンタウロスのレベル。ここからは未知の領域であり推測と妄想による私なりの理解と認識してください。本当は触れるつもりじゃなかったんだけど、成り行きで。ケンタウロスはご存知の通り、馬と人間が融合したような身体を持つ。ケンタくん↓ (ケンタと言えばケンタッキーフライドチキン。だがそれは関東の呼び方で、関西人は激しく抵抗してケンチキと呼ぶ。こういう対立や分離もその内統合される日が来るのだろうか・・・・・あ、かんけーねーか)ともかくケンタウロスは馬の下半身と人の上半身を持つ。これによって、それまでは馬として例えた自分の身体を、本当の自分の身体として随意に操るようになることを示している。自己内部の統合が完了する。このレベルになると病気というものは無くなるだろう。きっと癌細胞でさえ自分で認識し、随意に免疫細胞によって消滅させることができるはず。いや、癌細胞そのものの発生すら抑えられるかも知れない。次のサトル(微細)では、外界と自己の意識を統合し始める。これは意識を物質、この世界のあらゆるものと繋げることであり、あらゆるものを自分の意識下にできる。つまり超能力を使えるようになるだろう。遠くの物質と意識を繋げれば透視、他人の意識と繋がればテレパシーを、石ころに意識を繋げて動かせばサイコキネシスを、ま、できるようになるんじゃないだろうか、という話だ。さ、頑張って次を説明しようか。次のコーザル(元因)はこの世ではなく、宇宙の意識を認識し、宇宙そのものと繋がるレベルだ。このレベルになると臨死体験や瞑想などで現れるような具体的な神様や物質的なビジョンは伴わない聖なる体験をするらしい。そして最後に意識進化の究極がアートマン。神、或いは宇宙全体との完全な一致。宇宙から産み落とされ分離して進化した我々が生きながらにしてまた宇宙そのものへと統合する。ここで、私が暫く前に書いた「進化の法則」という記事を思い出さないだろうか。あの時は分かりづらくなるのであえて精神の話には触れなかったのだが、まさに宇宙の物質的な進化と同様に意識の進化も分離と統合を繰り返すのだ。と思う。話を戻すと、私はこの意識のスペクトルで示した精神性の進化というのは個人だけに留まらず、時代の精神性の進化にも当てはまると思う。つまり現代が後期自我の時代だとすると少し前の時代は中期自我の時代だったということだ。初期自我の時代は感情をストレートに行動に移すのだから人々は法律など作らずに略奪や殺戮を繰り返していた。これは多分紀元前後の時代ではないだろうか。中期自我の時代は社会的な規制や道徳観が絶対的な支配になるから、中世の宗教が政治を支配していた時代に相当するかも知れない。日本で言えば戦国時代前後だろうか。ともかくこうして時代の進行と共にその時代の多くの人の意識も同じレベルまで進化できるようになって行くのだ。一歩一歩後退することなくこれまで何千年だか何万年だか掛けて後期自我の現代まで進化してきた。そして現在、私は後期自我の末期にあると思う。その理由は・・・・・教育問題については改めるが、ゆとり世代と言われている今の23歳以下(だっけ?)の若者の特徴、失敗を極端に恐れる、問題を人や社会のせいにする、について少し触れる。私はペルソナ世代の親が子供に更に強固なペルソナを求めた結果、何世代もかけてでき上がったのがこの特徴だと思う。私(1972生まれ)くらいの世代までは多分ペルソナに多少ボロがあっても「元気だね」なんて言われて少しは許されたことも、ゆとり世代では許されず、常に良い子で居ることを求められたのじゃないだろうか。また彼らの幼い時期「酒鬼薔薇聖斗事件」に代表される若者による若年層を狙った凶悪犯罪が多発した。原因は強固なペルソナを社会と親が押し付けた結果、強烈なシャドーが形成され爆発したのだ。自らが蒔いた種が発芽したに過ぎない。しかしこれらの事件によって子供の自由がさらに奪われる結果となる。親の言う通りに行動しないと死ぬぞ、と脅されたのだ。こうして否応なしに親に従わざるを得ない状況でガッチガチの良い子のペルソナが形成された。ゆとり世代の特徴→失敗すると死ぬと脅されて来たので失敗を極端に恐れる。自分の行動に問題があればその行動規範を押し付けた親や社会に責任があると考える・・・・・当たり前だ。どう見てもそろそろ後期自我の末期状態だと思う。だから次は必ず成熟した自我を目指す時代になる。ギュウギュウに押し詰められれば反動で爆発が起こる。その未来を開く爆発の導火線が静かに引火しているのをみんな感じているだろうか。続く(総括へ)「ねはんの里」
2009.12.20
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前回の文章が余りにも分かり辛いと思ったので昨夜推敲しておきました。良く分からなかった方は是非再読を。これまでの説明でペルソナとシャドーについては理解してもらえただろうか。このことを理解していると世の中で起きていることの真相が明確に分かってくる。例えば昨日の特報首都圏でやっていた『“ゆとり”と言われる若者たち』なんて問題も原因と対策が明確に見える。ゆとり教育のせいで今の若者はコミュニケーション能力が欠落していると言う。それは絶対に違う。後期自我の時代の末期状態、高度ペルソナ社会ということが原因だ。うん、この話はまた別の機会にしよう。教育の問題はきちんと改めて書いておかないとね。ともかく現象面だけ追っていては薄い議論と浅はかな対策しか浮かばず事態を悪化させるだけだ。では前回の続き、仮面舞踏会をやっている現代人のメインである、後期自我の次のレベルの精神性を紹介しよう。その名も、成熟した自我という。この成熟した自我を目指す社会こそが現代社会の様々な問題を解決する糸口となってくれるはずだ。ケン・ウィルバー氏の定義する意識の進化サイクルの続きを簡単に示す。「意識の成長・進化サイクル」4 後期自我 の続きから。5 成熟した自我 ペルソナとシャドーをどちらも本当の自分であると意識下に統合。現代の日本ではほぼ皆無だと思います。片足くらい突っ込んでる人は案外多いかも知れないが。6 生物社会的帯域 社会や環境による固定観念、つまり思い込みの限界から自分を解放。内側からの喜びに気付く。7 ケンタウロス 身体の不随意プロセス、多分血液循環、呼吸、消化、発汗・体温調節、内分泌機能、生殖機能、代謝、など自律神経系の働きを思い通りに操れるというレベルだと思う。更に、8サトル(subtle)→超能力を発揮するようになる。9コーザル(causal)→理念・愛の世界であり至高の意識体。10アートマン(ultimate, nondual)→全てを越えた「絶対」そのものとの一致、究極的な覚醒、宇宙との合一。即ち悟りの境地。と、続くのだが、ここまで行くと現代の我々とは余りにかけ離れ過ぎているので触れないし、少なくとも今は私の手には負えない。我々は後期自我の社会では幸せにはなれないことにそろそろ気付き始めている。そして本当の幸せというものを知るようになるのが成熟した自我のレベル。ペルソナとシャドーをどちらも本当の自分であると意識下に統合するのだが、それにはまずこの二面性が自分の中にあるのだということを認識しなくてはならない。人の汚い面を見て、私には全く理解できん、ヒドイ奴だ、人間のクズだ、なんて言う人はまだペルソナに隠れている本当の自分を見つけていない。と、なんだか私は偉そうに上から言ってるように見えるかも知れないが、私もまだまだこのレベルを全く脱してなんかいない。これでも高校生の頃、つまり20年も前から汚い自分に気付くようにはしてきたんだけど。それだけこのペルソナの影響は強いということだ。現代社会がペルソナを求めているのだから隠遁生活でも決めないことには当然この支配下から逃れるのは至難のわざだろう。と考えば、過密社会だからこそより強固なペルソナが求められるのだということが分かる。つまり、もし社会が一致団結して次の精神性、成熟した自我を目指そうということになれば解決策の一つに分散社会を作り直すことが考えられる。話がそれた。ともかくまずは本当の自分の情動(感情・欲求)に気付き、汚い・綺麗・弱い・強い、全部本当の自分としてまずは善悪の判断なく認めて、そして許す。人間だもの、と。私はなんて汚い駄目な人間だろう、なんて自責しないように。シャドーとして固定してしまう。また、「頑張る!」というのも良くない。この言葉の使い方は極めて難しいのだが、かる~く、ちょっとやるか、くらいの勢いならいいんだけど、「死に物狂いで頑張ります!」なんてのはまずい。自分の心に無理をさせて何かをやろうとする行為は全てシャドーとして心のシミとなってしまう。その結果、自分が無理してやったんだから他人にも同じことをさせよう、ということになり現状のような2次汚染3次汚染でシャドーの輪廻を作ってしまう。ま、あんま小難しく考えると全く前に進まないからテケトーにやればいいんですよ、僕みたいに、肩の力を抜いて、ゆる~く。絶対に頑張らないぞー!っと。てなもんだ。はは。当然、後期自我を抜け切れない人達に非難されるだろうけど、気にしちゃいけない。まずはシミ抜きに専念しよう。そうする内に何だか分からないけど、心に勝手にエネルギーが湧いてきて、全てのことに興味が出て頑張らずになんでもしたくなる。できるようになる。今の僕がようやくちょっぴりそんな感じになってきたから自信を持って言える。人間はそもそも初めから素晴しい能力を持っているのだ。シミ抜きをしている内にきっと少しずつ心がそれを思い出して潜在能力を解放くれるんじゃないかな。この精神性の構造を象徴するような映画を僕は知っている。「マトリックス」だ。10年前にこの映画を観た時に心底驚いた。これは、まさに・・・・・。このシリーズの中で救世主ネオがこう言う。「心を解き放て」成熟した自我の時代を想像してみる。成熟した自我を獲得すると人は争わなくなる。お互いの醜い部分が自分にもあると知っているからだ。広い意味で皆同じだと連帯感を持つようになるだろう。社会的に生きるために最小限のペルソナは作るけど、基本的に情動を抑制しないので普通に生活しているだけで皆快活に生きることができる。つまりお金をそれほど欲しがらない。資本主義的な忙しさがなくなり、ゆったりとしたペースで生きるようになる。経済発展を望まなければ環境をこれ以上壊さなくなる。経済的な豊かさを望まないので学歴偏重がなくなる。子供を親のアバターとして扱わなくなり、個性を大切にする。従って多様な職業と芸術が発展する。きっと半自給的な生活でのんびり特技や精神性を高めるようになるのではないだろうか。そしてなにより、自分が何者であるかを分かり始める。更に次の精神性のレベルである、生物社会的帯域に向けて人間的な思い込みから放たれ、潜在能力を任意に発揮できる人が多くなる。私はこれまでの後期自我のある意味暗黒時代と180度転換して明るい時代になると思う。そしてその時はもうすぐそこに来ているような気がするのだ。続く(統合の時代へ)「ねはんの里」
2009.12.19
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では、続きから。意識の進化サイクルの次のレベルを説明しましょうか。いや、その前に後期自我をもう少し詳細に解明しておこう。というのは、後期自我の段階こそが今の社会の精神性そのものであり、このレベルを深く知ることは現代社会の問題の多くを解明することになるからだ。現代の多くの社会では前回示した後期自我のレベル、即ち社会に適合するための仮面(ペルソナ)をうまく作るところまでしか求めていない。実際今のところ多くの人は順調に成長しても後期自我、或いは精神的に誰か(何か)に依存してしまう中期自我のレベルで死を迎える。私の観察によると、多分現在の日本では後期自我と中期自我の割合は半々程度か、もしくは中期自我の特徴を多く持った後期自我レベルの人がまだ多いようだ。そして現代社会の多くを占める中期・後期自我の人達の特徴は、自分がペルソナを作って演技していることすら気付いていない人が殆どだという点にある。まずここが大きな問題。(後述)多くの人は良い人のペルソナを自分自身だと思い込み、人徳者または半ば聖人のように振舞おうとする。だが、この行為は前にも述べたがペルソナに対する潜在意識下の影、シャドーを強くする行為でしかない。だから聖人という存在を仮定することは危険だと思う。キリスト・モハメッド・仏陀・空海にしても然り。多くの人が彼らに憧れて聖人的な振る舞いをするペルソナを作ろうとするからだ。考えてみて欲しい。煩悩も欲求も感情の変動もない人間なんて生物ではない。生物であって個体を持っているならこれらの煩悩を持っていて然るべきなのだ。少なくとも我々のレベルでは。ケン・ウィルバーによれば意識進化の延長上には煩悩が薄れて行くレベルがあるらしい。(後述) だが少なくとも今の我々後期自我にある人間が煩悩を消し去ろうとする行為は誤りである。いずれにしてもこれら後期自我の人は生きるのに息苦しいし、虚しいし、幸せではないはずだ。何故なら動物由来の本能であり、善悪で区別すべきではない生物としての欲求・感情(情動)を、良くないものとして自分の無意識下に抑圧しているのだから。更にこれらの本能的な欲求(情動)というのは一つ抑圧することが全ての情動のブレーキとなってしまうという特徴がある。つまり怒りの情動を抑圧すると喜びや感動まで抑制されてしまうのだ。従って良い子やいい人として生活する人ほど何をしても楽しくないということになる。逆に何をしても楽しめている人ほど心のブレーキが緩いと言える。そもそも人間は情動を適度に発散するだけで楽しいし喜びを感じられるものなのだ。心のブレーキがなかった幼児期の記憶がある人ならなんとなく分かるのではないだろうか。情動を抑圧しているから現代人はレジャーや趣味など外側に喜びを求めるようになる。その一方で無意識下では常にブレーキをかけている状態だからそれほど心から楽しいと思えない。だから何度も繰り返して求めようとする。まるで麻薬中毒だ。人の幸せというのは案外単純で、情動(感情や欲求)が適度に満たされていれば良いのだ。従ってこのペルソナを作ることこそが現代人が総じて幸せでない原因なのだ。つまり、幸せをただ自分で抑制しているに過ぎない。言い換えると本当の幸せを知っている人というのは情動をほどほどに抑制しない人である。幸せになるために、何かを買ったり、肩書きを得たり、結婚したり、仕事を変えたり、ということは一切無意味な行為なのだ。幸せな人は何をしていても、どこに居ても幸せを感じているはずなのだ、というのが恐らく真理だと思う。幸せを感じるためには情動をなるべく抑圧しないようにコントロールすれば良いということになるのだが、そんなに簡単には行かない。まず本人が情動を抑圧していること(ペルソナ)に気付いていないから。冒頭で話した通り、現代社会の精神性の象徴である後期自我の人達は自分がペルソナを作っていること、それによりシャドーができていることに気付いていないのだ。ということは、まずは自分のペルソナとシャドーに気付くことが必要ということになる。つまり、まず自分の感情や欲求を認め、人間は綺麗なものじゃないということに気付き、その自分を許してあげることだ。ありのままの自分を許してあげよう。それが全ての人が幸せになる糸口になるはず。続く。(次の精神レベルの未来社会へ)「ねはんの里」
2009.12.18
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寒いですね。実は今朝一番に高知県大豊町の役場のミノさんから、渡辺さんの農場で研修を受け入れるという連絡が入っていた。うーん。どうしようかな。連絡くれると言われた10日から1週間も経っているからなぁ。愛媛の鬼北町のミヤコさんに返事を2週間も待たせている。本当に申し訳ない。ということでちょっと素直に喜べない心境。それに昨日の事故の件がもつれそうな雰囲気があり、ほんのりと情緒不安定。ま、人間だから仕方ないか、こういう心境も。(自作)ちがうか。さて、ともかく昨日の予告通り続きを書きましょう。何故、自分の本当の姿、ありのままを見つめることが大切なのか?ということについてです。分かると非常に面白い話だと思います。少し難しい部分もあり分かり辛いかも知れませんが今は気にしないでおきましょう。追々このブログで機会があるごとに触れていきます。というか、私のライフワークです。この説明をするにはまず、私が近年もっとも賛同している考え方、トランスパーソナル心理学で有名なケン・ウィルバー氏の思想から紹介します。トランスパーソナル心理学は臨死体験を研究して行く上でアメリカにおいて展開された、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く第四の心理学と言われる新しい心理学です。特に人間性心理学における自己超越の概念を発展させたものがトランスパーソナル心理学と言われる。つまり、臨死体験者が語る光のトンネルや神や仏に遭ったという報告に基づき人間とは個を越えたもっと大きな何かであるということを、真面目に考えた心理学ということになる。だが、根底はフロイトやユングの精神分析があるので、幻想体験だけにズームしたそこらの安っぽいオカルトなスピリチュアルとは訳が違う。そもそもユングは集合無意識や共時性(シンクロニシティ)などの概念を提唱していたのだ。ま、難しい話はいいか。そのトランスパーソナル心理学の第一人者にケン・ウィルバーという人がいる。この人の著書の中に『アートマン・プロジェクト(The Atman Project)』(1980年)がある。この本の中で精神(意識)の進化サイクルというものが語られている、らしい。彼の本は高価なものが多く、更に絶版になっているものも多いので古本も驚くほど高いのでなかなか購入できないのだよ。ハハハそこで彼の著書を噛み砕いて教示してくれる天外伺朗(土井利忠)氏の「五十歳からの成熟した生き方」という本を参考に解説することにしよう。で、その意識の進化サイクルがどのようになっているのかを必要な部分だけ簡略化して明確に表してみよう。「意識の進化サイクル」 by けん・うぃるばあ1 前個 自我が確立する前の段階。つまり乳幼児期。0-3歳くらい。2 初期自我 個の段階。自我が確立し、自分の本能や感情をストレートに行動に移す。4-7歳くらい。3 中期自我 親や学校などの教育や社会的規制により倫理観・道徳観を自分の内面に形成し、それにより自己をコントロールするようになる。親の教育に疑いを殆ど持たない。7-12歳くらい。4 後期自我 反抗期を経て親への依存を断ち切り自分なりの倫理観や生き方のポリシーを持つようになる。精神的な自立を獲得する。12歳~これで自我の確立ということになる。これらの分類は階段のようになっているのではなく、実際には初期自我~後期自我の特徴をぼんやりと持っている人が多いだろう。そして、これらの参考年齢は最も順調に成長した場合であり、現実には老人になっても自己の欲求を適切にコントロールできず初期自我に留まっている人も居る。またどんなに立派な肩書きを持っていても配偶者や宗教に精神的に依存している人は中期自我で成長が止まっていると考えて良いだろう。さて、これからが本題だ。初期自我レベル以降、人間は環境に合わせて様々な自分を作り始める。ユングはそれをペルソナと呼んだ。つまり仮面だ。仲の良い友達としての自分。親にとって良い子である自分。立派な社会人としての自分。物分りの良い伴侶としての自分・・・・・・・などなど、健全な社会で生きるために人は多くのペルソナを作り出し演技しているのだ、煩悩と欲求にまみれた本当の自分を隠すために。現代社会において、この後期自我の段階にあり社会が求める型に合ったペルソナを器用に作り分けた人が立派な社会人として尊敬され、出世・友人・金などを得られるシステムになっている。だが、問題があるのだ。ペルソナを作るということは同時に自分の欲求を抑制することになる。これは自分の無意識下にシミのように影を落とすことになる。まさにジキルとハイドのハイドの部分だ。ユングはこれをシャドーと呼ぶ。そして今の日本で息苦しく閉塞感が漂っており、特に青年の自殺者が多いのは日本の社会は余りにも多くの、また強固なペルソナ(倫理観と言い換えてもいいか)を個人に要求しているからではないだろうか。どこか虚しい、漠然とした不安がある、将来に希望が持てない、今の自分は本当の自分じゃない、本当にやりたいことが見つからない、というようなことを思う人は、きっとペルソナ同士の仮面舞踏会をしているような社会に違和感を感じ始めた人だと思う。当然ながら強烈なペルソナを作った人ほど無意識下では強烈なシャドーが染み付く。そして最強に強烈なペルソナとは・・・・・・そう、聖人のペルソナです。カルト教団の教祖が煩悩・欲求に任せて犯罪を犯すのは、聖人のペルソナに抑圧されて耐え切れなくなったシャドーが自分を突き動かしてしまうのだ。また多くの犯罪もシャドーが原因であることは明確だ。これらは特殊だが、でも多かれ少なかれこの後期自我にある人はどこかでシャドーを発散せざるを得ないのだ。あの草なぎ剛くんのように。また、そんなことを言っても社会人として生きるにはペルソナは必須のエチケットであり、結果としてシャドーが悪さをするのであれば対処方法はないのか?ということになる。それが「意識の進化サイクル」の次のレベルということになるのだ。続く「ねはんの里」
2009.12.17
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今日の午後遅くからなんだか妙な胸騒ぎがするなと思っていたら夕方運転中に事故に合ってしまいました。前にもあったんです、こういうこと。そして何か良くないことが起きた。と言ってもそんな大した事じゃなくて、現にこの間あったことは忘れてしまっています。ここ3、4年くらい前からこんな予兆を感じるようになりました。ま、私はエスパーじゃないから実際には起きてみないと気付かないんですが。ここ5年位は普段憂鬱になったり気分が乱れることが殆どないので、胸騒ぎがあると特に意識してしまうのです。そしてきっとそれは避けることができない。車同士の事故は10年ぶり位でしょうか。でもそれ以前は私は横や後ろからぶつかられることが何故か多かったのです。今回は私がバイパスを走っていたら左の細い道から出てきて私の車の真横にゴンです。私はこういう時現場を客観的に考える癖があるので殆ど平常心のままです。別に死ぬわけじゃないと一旦引いて冷静になるのです。多分死んだとしても、ああ、遂に死んでしまったか、なんて思いそうですが。でも殆どの人はパニック状態に陥ってしまい、今回の相手もどう考えても自分が悪い状況でも正当化しようと私の非を探して必死に自己主張しようとされていました。平常心を失った時、人は普段被っている良い社会人のペルソナ(仮面)を被り忘れて本当の自分が出てしまいます。そうなると例外なく人は醜態をさらけ出すのです。いや、私だって取り乱すことがあればきっと醜態をさらすに決まっています。だって人間なんて例外なく普段見ているように内側は綺麗なもんじゃありませんから。でも一つだけ多分私が多くの人とは違うと思うことがあるんです。それは自分自身の心の醜い動き、煩悩や欲求の情動を常に見つけようとする癖をつけているんです。妙な正当化をしないように。何故か?そのことをうまく書かせるために今回の事故は起きたんじゃないか、と思うほど実はここ数日本当の自分、ありのままの自分を見つめることの重要性について考えていて、ここに書こうと思っていた所なのです。詳細はまた明日にでも改めて書きます。さっきも、数分前まで冷静なサラリーマンだったろうと思われる人が取り乱しているのを見ていて段々気の毒に感じてしまい、私はこう言った。「でも(車の事故部位が)横と前の接触事故じゃ保険会社には言い訳できませんよ、きっと」どうやらそれで冷静になってくれたようだ。とても冷え込んだ暮れかかる冬の路上。寒さと共に、哀しかった。「ねはんの里」
2009.12.16
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私はかつてある企業でフザけたことばかり考えながら働いていた。いわば、フザけたサラリーマン。略してフザリーマン。漫画にするならフザリーマン金太郎だ。まぁ、サラリーマンなら困った同僚に悩んだ経験もあるというもの。だが、しかしだ。ウザい同僚は時に上司の何気ない一言によって魂を抜かれることがあるのだ。⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒ある業界大手の小売チェーン。小売業界全般がそうなのかは不明だが、その小売企業は社員同士を競わせて延ばそうとする前近代的で子供じみた社風が何の疑いもなく残っていた。実際最も下の管理職である地域のマネージャー(課長クラス)は戦乱の出世競争を勝ち残ったということで武将と呼ばれていた。(あほか)私も全く異業界から転職して早半年が経ちある地域の本社直営店舗の店長となっていた。店長になると月に一度の部長主催の勉強会に参加することになる。そしてその勉強会では各自店舗での売上改善の取り組みなどを発表させ、30人もの店長を競わせ目立った者から出世させるという流れになっていた。ポイントは数値や実績ではなく目立ったという所にあるのだ、あほらしいことに。勿論この方式には理由がない訳ではない。まず社員同士が闘って勝ち抜けるようなタフな奴でないと競合チェーンとの闘いに勝ち残れない、というのだ。古い社風と表現したが、この出世理論はこの会社だけでなく現代の日本社会で色濃く残っている企業体質だと思う。だが、こんな社員同士の闘いに勝ち残るのは100%性格の悪い奴らだ。競争なんだから会社全体の利益が下がろうとも同僚を蹴落として当然と思える者だけが前述の武将となり得た。そんな社風の会社での勉強会。上司も競争をあおっている。ならばとにもかくにも目立つしかないではないか、出世したいもの。そう思った彼はMくん。まだ24歳でいわゆる第二新卒と言われるような若者。歳はだいぶ違うものの私とは中途入社の同僚だった。彼は普段から出世したい、金持ちになりたい、と言っては少ない給料からビジネス本を買って勉強するのではなく、ブランド品を購入して周りに自慢して歩いた。そんな彼には夢がある。若くして管理職に出世し部下を顎で使ってみたい、というのだ。そしてビジネスマンとして世間から注目され、現代社会の勝ち組となりたいという野望を持っていた。ある時の勉強会。既に同僚の内の何人かはうまいこと部長に認められ既に出世が確定していた。それで焦ったのはMくんだ。彼は誰よりも早く出世して同期を部下としてこき使うのが夢だったのだ。その野望のために普段から店のバイトに馬鹿にされてもなんとかやってこれたというのに。その回の勉強会でMくんは部長に認められ出世組になる予定だったのだ。だからいつもの3倍も努力して目立とうと何度も内容の薄い発表や質問を繰り返し、残念ながら誰から見ても空回りしていた。この日の暫定ヒーローが何度目かに手を挙げた時だったのだ、部長さんのあの一言が出たのは。冷静に会を進行していた部長氏がニコリともせずにMくんに向って一言、「お前、やる気だけはものすごいよな」・・・・・良かったな、Mくん。やる気だけは認めてくれたぞ、部長さん。あれから4年。彼は未だにある店の店長をしているらしい。16歳のバイトに馬鹿にされながら。「ねはんの里」
2009.12.14
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続きから。翌朝7時過ぎ。宇和島から国道320号線で鬼北町に向う。通勤の時間帯のためか宇和島市内へと向う対向車の数が多い。地図はこんな感じ。国道320号線を使えば宇和島-鬼北町間はたったの20分程の距離である。だがその間標高7、800m級の山に囲まれた谷を通って行く。霧の濃い国道320号線↓写真はないが所々高原の農場風な牧歌的な景色も見られた。なかなかいい所だ。この日は13時半から鬼北町役場横の公民館で就農研修生の面談が予定されていた。その面談の前に車泊でついた寝癖を直すためにも今回で3度目となるお馴染みのJR予土線松野駅舎併設の日帰り温泉施設、森の国ぽっぽ温泉へ向う。10時までそこらへんで適当に時間を潰してやって来ました、ぽっぽ温泉。まったくラブリーな名前だぜ。全体的に酒樽をイメージした建物のようだ。ここ松野町には古くからの造り酒屋が残っているらしい。午前中風呂に浸かってのんびりくつろいでいるとあっという間に昼を過ぎて面談の時間となり、鬼北町役場へ向った。少し早く来るように言われていたので20分ほど前に着いた。驚いたことに面接のある2階へ上っていくと受付が用意されていて、女の子がマスクをして座っている。名前を告げると書類の入った大きな封筒を渡され、控え室に入って待つよう言われた。一通り書類に目を通した後、することもないのでトイレに行こうと部屋を出る。受付の女の子が寒そうにしていて暇そうなので、今日は何人面接があるんですか?と声を掛けてみる。私を含めて3人、応募者全員が今日面談を受けるらしい。一人何分くらいですかね?-多分10分とかじゃないですか、会議室の予約15時までだし。とのこと。それは短くていいねぇ。ん?3人で1時間半ってことは30分ずつではないのかね?ま、どういう複雑な計算をしたんだかよく分からんけど、面談なんて短いならその方がいいよ。ねーさんを信じよう。控え室に戻るとすぐに前回の農業体験でもお世話になった担当のミヤコさんが入ってきた。少し早いけど始めていいですか?とのこと。確かに10分程早いけど、もちろん喜んで!会議室に通されると中にはゴッソリと関係するお偉方が控えていた。その数、副町長さんを頭に農協・農業公社・農業改良普及委員など総勢10人弱。これだけオジサマ達が集まると加齢臭が気になる、なんて冗談を言うてる場合じゃなく、圧倒される。いや、マジで。司会役の公社の人が声を掛ける。池田さん、まず自己紹介から始めてください。はいはい。今回はちゃーんと考えて来たんです。では始めますよ。「わたくし千葉県から来ました池田と申します。宜しくお願いします。」「趣味・特技は小さい頃からスポーツが得意で水泳から球技全般、鉄棒からほふく前進、投げやりな態度、いや槍投げまでなんでもやります。球技もゲートボールからボウリング、野球からセパタクローまでやったことがあります。現在は水泳を週一回程度続けております。水泳は小学生の時に大会時にだけ発足する、ええ加減な水泳部に所属していたことがあり、友達からはトビウオというあだ名で呼ばれていました。」「えー改めまして、千葉県産トビウオのオス♂、37歳。人間で言うところの精神年齢10歳でございます!」ま、さすがにそんなことは言わなかったのだが。やりたい農業について丁寧に聞かれ、様々な立場の方が親身になって考えてアドバイスをしてくれた。面接というより相談会のようだった。終わって、長かったなぁと時計を観ると14時を過ぎていた。と言うことは40分以上掛かったということか。面接は静まり返っているより色々な意見や質問が出た方が勿論良いに決まっている。面接室を出るとミヤコさんも一緒に出てきて合否の連絡などについて少し話をした後、受付のおねーさんと共にお気をつけて、と見送ってくれた。ありがとう。ま、結果は既に報告した通り合格だったようだ。しかし、大豊町の方からは連絡がない。10日までに連絡をくれるということだったのだけれど・・・・・この日は金曜日だったので帰るのは高速道路が千円になる明日。愛媛に来たら毎回寄っている「ていれぎの湯」に行こうと考えていた。もちろん高速を使わないずに。上の地図のように南予・中予地方の森の中をひたすら走り抜けていく。2時間ちょっとで松山市内に入り既に見慣れた街並を通って暮れかかる中ていれぎの湯に到着。これでもう10回目くらいの入浴になるのだろうか。ここに来ると帰ってきたような不思議な安堵感を覚える。この温泉施設の良い所は朝も6時という早朝から営業していることだ。もちろん今回も朝風呂に入り、さっぱりした後近くのインターから高速道路に乗って秋晴れの中、紅葉を見ながら帰路に着いた。山陽道岡山辺りの紅葉の山。帰ったのはすっかり暗くなってから。葛西臨海公園の観覧車のイルミネーション。一応、今回の遠征の成果として四国行きというベクトルは決まった。後は土佐になるのか、伊予になるのか。私はどちらでも構わないと思っている。どこでも農業はできるだろうし、周りの人達と楽しく暮らして行くことくらいはできるだろう。私は運命論者だから、後は運の命ずるままに従いますよと。紅葉の土佐・伊予の旅、おしまい。「ねはんの里」
2009.12.12
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続きから。明けて翌朝。昨夜は道の駅の駐車場で車泊。もうすっかり車泊のベテランだ。かなり熟睡できるようになった。よし、これでまたひと回り大きくなったぞ。(一般的には小さな人間になった、と言うのだろうが)ともかく朝から車中で本を読んだり相棒のカブト虫と戯れたり♪して10時になるのを待った。朝一でもう一度雲の上の温泉に入ろうというのだ。時々ふと天気の良い秋の空を見上げて、ああ俺はなんて幸せなオヤジだろうかと感慨深げに思ってみる。世間一般の私と同世代のエエ歳こいたオッサンなら今頃働き盛りと言われ中間管理職として上からのプレッシャーに数字を残したいと焦り、部下達からはそんなプレッシャーを見抜かれてあんたの出世のためなんかに僕らは働きませんよ、とマネジメントの難しさに胃がキリキリと痛む。結局部下に振るべき仕事を自分でこなし終電近くの地下鉄のシートに沈みこみ宙刷りの広告をボンヤリ眺めながら、「これで幸せなんだろうか」と一瞬だけ自分の日常を顧みる。翌朝はまた、窓から外を見ても闇しか見えない満員の地下鉄に揺られ明日の管理職会議での言い訳なんかを考えながら上司と同じ年代の乗客を見る度に溜息をつく・・・・・・僕には金も肩書きも家庭もないけど魂を痛めつけるようなストレスもない。おまけに私にはあんまり欲というものもないから現状はそれほど金も要らない。負け惜しみのように聞こえるだろうが、出世をして社会的に成功するのもあのままサラリーマンを続けていればそう難しいことではなかったのかな、とビジネスマンとしての能力を客観的に省みて思う。だけど私はある時から出世に興味を失くしてしまった。現状、世間一般には僕のような人間を負け組みとか言うのだろうけど、私自身は立派に成功者だと思っている。だって成功したか否かは本人がそう思えるかどうか、という話であって他の誰も私の人生の成功、幸不幸を決めることはできないのだ。これはまだ私はやりたい農業を始めていないけれどそう思う。農業での成功も失敗も私にとって人生の成功とは無関係だ。私自身が現状に満足していれば立派に人生の成功者だ。自分の成功、幸せか否かは人生の中でも希少な、自分が勝手に決めて良い事象の一つなのだ。ちょっと角度を変えて見られれば良いこと。難しい成功の法則なんて一つも要らない。自分で決めちゃっていいのだよ、自分の人生は。10時。ガラガラの温泉に入る。背中に龍の画が書いてある地元のおっちゃんと一緒に、サウナのテレビでアンパンマンの放送を観てゲラゲラと笑う。帰り際フロントで今日は風呂(26)の日だからくじ引きをどうぞと声を掛けられる。3等だか4等だかが当たった。隣接した高級ホテルの食事券だそうだ。ホテルで地元の旬の野菜を使ったランチをタダで頂き食後のコーヒーを楽しみながら軟らかい日射しの下で少し本を読む。離れた席に退職して旅行しているのだろう、きちっとした身なりの老夫婦が上品そうに食事をしていた・・・・・この日は鬼北町に入る予定だった。車の少ない山間の国道を暫く進む。だが、途中でふと気が変わり宇和海を見ようと思いたった。そこで予定を変更して鬼北町の北側から西予市へ回り込み宇和島北の明浜町(伊予市に合併)へ向う。地図はこんな感じ↓南予地方の山深い紅葉を1時間も心に焼きつけ西予市に入る。西予宇和インターの入り口から南下。長いトンネルを抜けると眼下に光り輝く海が広がった。美し過ぎる。車を停め暫くの間景色に魂を奪われる。この宇和海は岬や小島が入り組んでいるので波は穏やかで、チリメン漁と真珠養殖などが行われている。遍路中にはじめて食べたカラフルなホタテ、緋扇貝(ひおうぎがい)の養殖地、愛南町はここから少し南にある。緋扇貝↓高台の丘から次第に海へと下って行く。海に面した斜面は一面のミカン畑。これはスゴイ。どこを見てもミカンだらけ。丘全部丸ごとミカン畑だ。ミカン好きの人なら4年に一度はここを訪れ、崖の上からからゴロゴロと転がり落ちたいと思うだろう。いわばミカン好きにとってのオリンピック、ミカン信仰の聖地メッカだ。ああ、余りにも満足して声も出ない。私くらい若い内にこんなに自由に旅行している自分はなんと幸せな人間であることか。平日観光地を巡っていると退職旅行組みとよく出会う。彼らは道の駅でお土産を買い漁り、地元興しで最近開発された名物料理とやらをおいしいおいしいと自分に言い聞かせるように胃に収める。彼らの中で心から純粋に景色を楽しんでいる人は稀ではないだろうか。土産で心の満足を得ようとしているのでは?長年の忍耐の生活で心がカチカチに固まって本当の自分が分からなくなり、雑誌の通りに旅行して「楽しいのだ」と自らに言い聞かせている。そんな風に見えてしまう。暮れ行く穏やかな宇和海。私はミカン一個すら買わなかったけどとても満たされていた。そしてまたしても思い立って宇和島の南、薬師谷渓谷にある日帰り温泉施設へと向った。薬師谷温泉さがの↓渓流の見える露天風呂。地元の漁師達に囲まれて入るサウナ。今日も二時間半も風呂に入り外に出て見上げると、暗くなり始めた空に輝き始めたばかりの半月が。続く「ねはんの里」
2009.12.11
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少しダレて来たかな。ま、いいや。続きから。横浪黒潮ラインの素晴しい眺望のワインディングロード。残り半分もよっこらせと走り抜けて行きます。ああ。でも歩きではアレだけ大変だった20kmの道があっという間に終わり、浦ノ内湾最奥部に到達。ここまで来るとさざ波一つ立たない、まるで深山の湖のように静かな海面。その穏やかさのためか、遍路で通った昨年9月の初め頃、ボート部だか体育の授業だかで大勢の高校生がボート漕ぎの練習をしているのを見かけた。そこから少し山間に入り押岡川という小さな川沿いに谷間を抜けると須崎の市街地に入っていく。この道はずっと遍路道沿い。前方にあるYショップで昼食を購入し、直後に雨が降り出したのですぐ先にあった集落の集会施設の軒先を借りて雨宿りをした。その奥に見える巨大な建物はセメント工場だ。須崎からは内陸の土佐と伊予の間の山間部、四国カルスト方面へと向う。マップ↓四国カルストは日本三大カルストの一つで、他には山口県の秋吉台、福岡県の平尾台がある。中でも秋吉台知名度が高い。カルストというのは石灰岩などの溶けやすい岩石でできた台地が侵食されてできた地形のこと。四国は2億5千万年前だかにサンゴ礁の海が隆起してできたのだ。国道197号線で新荘川沿いに山深くへと入っていく。須崎から一時間近く走っただろうか。前方の山に群れ風車が見えた。これは四国カルストの一部の山頂に作られている葉山風力発電所らしい。更に山深くへ。単調だが見飽きない深山の景色を楽しみつつ、トンネルを幾つも抜けるとようやく今日の目的地、道の駅ゆすはらに着いた。道の駅ゆすはらの雲の上の市場。この雲の上の市場の売場には笑顔の絶えないとても愛嬌のいい美人さんがいらっしゃった。いや、美人に見えただけかも知れない。愛嬌が良ければ人はとても魅力的に見えるものだ。要は人間、顔より愛嬌ですよ。男も女も。ここ梼原町(ゆすはら)辺りの山道は、坂本龍馬が伊予へ脱藩した時に通ったという脱藩の道。そしてこの道の駅の隣には雲の上の温泉という素敵な名前の温泉施設があるのだ。雲の上の温泉。この温泉は最高です。露天風呂から見える紅葉の山。空にはポッカリと明るい半月が浮かんでいた。おまけにこの温泉は・・・・・通称美人の湯・・・・・そういうことか。ま、若干枯れかけた美人さんが多いのだけれど・・・・・あ、紅葉の季節だからか。(怒られるぞ)続く。「ねはんの里」
2009.12.11
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続きから。36番青龍寺に寄ったので今回の旅も思い出の札所の写真を撮れたことで満足した。何しろお遍路の時は携帯の写真で、しかもメモリの制限から画素数を落として撮影したのでロクナ写真が残ってないのだ。そしてここ青龍寺も楽しみにはしていたのだが、横波半島(よこなみ)の遍路道の景色がまた素晴しいのだ。この横浪半島の遍路道は横浪黒潮ラインという道路を歩く。こんな道が延々と続く↓半島の尾根沿いに道路があるためアップダウンがウンザリするほどある。だが、景色は最高だ。この道は車がほとんど通らない。この半島の前後には土佐市と須崎市の市街地があるのだが、普通の人は国道56号線を使い、わざわざ遠回りして曲がりくねった半島の道路など通らない。そのため、この道路には本当になーんにもない。歩き遍路以外誰が買うのか?とような自販機が奇跡的にポツリとあったりする。そんな道路が延々20kmも続くのだ。普通に歩くと5時間はかかる。夏の暑い日などはたまったものではない。干からびた蛙のように道路にペチャンコになって潰れている自分の姿が虚ろな目に浮かんだものだ。そんな横浪半島のほぼ真ん中辺り。原生林とキラキラした海の素晴しい景色もいい加減見飽きて緑と青の砂漠に見えてくる頃、救世主が現れる。その名も、武市瑞山(たけちずいざん)、通称 武市半平太(はんぺいた)さん。それがこのお方だ。NHK大河ドラマの龍馬伝にも登場なさるそうだが、このはんぺーたさん、龍馬の遠縁に当り幕末時代に土佐勤王党(とさきんのうとう)という尊皇攘夷運動の組織を率いた。至誠の人とも言われ真面目な堅物だったらしい。ま、幕末なんてあんまり興味のない話なので当時、お遍路をしていた私はそんなことは知らなかった。「はんぺーたって何者よ?」くらいにしか思っていなかった。そのはんぺーたさんのいらっしゃる場所は道路より少し小高くなった丘に、この地に似つかわしくない鉄骨のビルが突如現れるのだ。何事か!と思って期待と不安で寄り道してみると、そこには・・・・・はんぺーたさんのビル内に自販機が。また、はんぺーたさんのお手洗いまでが。はんぺーたさんが何者かは知らないけど、貴方はここを通る歩き遍路にとっての神様だ。更にはんぺーたさんの前には無駄に広い駐車場が。無意味に広がったはんぺーた前駐車場↓↑かつては観光名所としてビルはお土産売場とレストランかなんかが入っており、観光バス用に広い駐車場が用意されたのだろう。今では地元のヤンキーが夜中にバイクを乗り回したであろうタイヤのドリフト痕が痛々しい。これぞ、栄枯盛衰だ。小高い駐車場から見える海は今も美しい。続く「ねはんの里」
2009.12.10
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続きから。伊予に行くぞな、とか言っといて未だに土佐を抜けてない。そして今回もまた伊予に到達しません。というかいつ伊予に入るのかすら不明です。ま、ともかく伊予を目指してるんだから、いーよ、いーよ、と。うむ。USAビーチで暫く思い出に浸った後、すぐ先にある36番青龍寺へ。マップはこんな感じ↓よーく見てもらうと分かるように、この36番札所青龍寺の近くには明徳義塾高校の国際キャンパスとやらがある。明徳義塾と言えばスポーツの盛んな高校として有名だ。そう、ご存知の方も多いと思うが横綱の朝青龍は明徳義塾高校に留学していた。そして高校の相撲部では青龍寺の石段で階段ダッシュとかやって鍛えたことから、名前に青龍の文字をもらった、ということらしい。ふーん。これがその青龍寺の石段だ↓よーし、登っちゃうぞ。さっすが、横綱を鍛えた石段だけあってなかなか急だな。思わずグラッと。アイムグラッと・・・・あ、関係ないな。↑すげー。奇跡の写真。こんなの狙って撮れるもんじゃないよ。まるで北極星の撮影みたい。「北斗旋風激写拳」 みたいな。え、誰もついて来れない? うそ?空海が遣唐使として唐に渡った際、真言密教を教わった師匠である恵果(えか/けいか)が居た寺が西安の青龍寺だった。空海が唐から帰国する時航海の安全を祈願して日本に向って独鈷杵(どっこしょ)という密教の法具をぶん投げた。独鈷杵とは金剛杵の種類の内の一つで先の部分が単独のもの。読み方が8時だよ全員集合のオープニング曲と似ているので気をつけよう。えんやーこらやっと、どっこいじゃんじゃんこーらや、っと。・・・・・・。はい、金剛杵の種類↓↑左から独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵。他にもたくさんある。で、空海が中国からぶん投げた独鈷杵は土佐の山中の松に引っかかっており、ここに師匠恵果を偲んで同じ名前の青龍寺を建立したのだそうだ。また、この寺のご本尊は波切不動。空海を乗せた遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った折に不動明王が現れ剣で波をバッサバッサと切って救ったそうだ。そこで空海自身ががその姿を刻んで本尊としたらしい。そんな由来があるため、ここ青龍寺は真言密教において特別な意味合いも持つ寺なのだ。そして今回写真には撮らなかったのだが、ここには大師堂と同じように恵果堂が存在する。それじゃ予備知識はここまで。境内の写真を並べて行きます。石段の半ばにある三重塔と観音像。登りきった正面に本堂。左手に大師堂。大師堂向かいにある八十八ヶ所霊場の御神体?或いはお地蔵さんたち。大師堂横の波切不動像。蝋燭立て。急な石段。下りてきて。石段途中にある滝と不動明王像。青龍寺仁王門と急な石段。↑この石段は仁王門から170段あるそうだ。このつくりも西安の青龍寺と同じらしい。最下段にある大師像。門前にある遍路のお接待所。このお接待所で、かつて紹介した、完全野宿の歩き遍路と一緒に冷たい麦茶を頂いた。彼は未だに体調不良を訴えておりグッタリとしていた。今思えば完全に夏バテしていたようだ。ここで暫く休んでいると、この前も紹介した大阪の青年が後から到着した。「早いっすね」と言って休みもせずに石段を上がって行こうとする。呼び止めると、何でも今日中にこの横浪半島を横断して須崎に入りたいとのこと。そんなこと不可能なんじゃ・・・・・後20kmもあるんだぞ。しかも今15時まわった所だから最速で4時間、普通は5時間はかかるから到着は20時過ぎるよ。・・・・・ハハ。ま、無理せず適当に頑張れよ。あの後本当に須崎にたどり着いたのかどうか聞かなかったのだが、私は彼ならきっと歩いたんじゃないかと思う。まだ次の仕事は決まっていないと言う彼には、すでに過去との決別が済み、ある種の未来への決意を感じた。普通の人なら15時過ぎてから後20kmも歩こうとは思わない。そう言えば私が農業やるんだと言ったら、「農業、いいですねぇ」と言っていたけれど・・・・続く「ねはんの里」
2009.12.09
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続きから。土佐市から遍路道を辿り山を越えて宇佐町(現土佐市宇佐町)に入ろうとしていた。宇佐町(うさちょう)は横浪半島の入り口付近、横浪半島の一部、さきっちょを含む。現在は合併で土佐市に吸収されている。だから土佐市は横浪半島の先端一部を含む不思議な立地となっている。土佐市近辺の歴史は深く、遥か4000年前の縄文時代に人が住み着いていたらしい。だがもっとスゴイのは、高知南端の足摺岬付近には縄文時代中期の6000年-7000年前に作られたという唐人駄場遺跡が見つかっている。私は結構最近まで知らなかったんだけどこの唐人駄場遺跡というのは、世界一の規模といわれるストーン サークルや、高さ6~7mもある巨石の林立する唐人石があり、これらを中心に 地域一帯の山中1500ha、250カ所以上の巨石群が確認されているそうだ。ま、関係ないことはいいや。ともかく宇佐漁港から宇佐大橋を渡り横浪半島に入ろうとしていた。横浪半島の先端に36番青龍寺があるのだ。宇佐漁港から宇佐大橋、その向うに横浪半島を望む↓因みに横浪半島の内側の湾は浦ノ内湾という、そのまんまやないかいなネーミングがお茶目で素敵だ。ともかく地図を確認しておこうかね。青い線は遍路道(てきとーだが)宇佐大橋を渡り始めた時2人の歩き遍路が見えた。あの日もこんな晴天だったなぁ。ん?ザックの背負い方ちょっとおかしいな。もっと上げて♂なきゃ疲れちゃう。あ、余計なお世話か。宇佐大橋を渡って数百m先の左手に宇佐ビーチがある。こじんまりとしたとてもキレイな砂浜だ。遍路16日目。室戸の手前から痛んだ足は限界をむかえていた。険しい塚地峠を越えたばかりの足は動けと命じないと動かなくなっていた。綺麗な宇佐湾の海を眺めて騙し騙しようやく橋を渡りきった。今日最後の札所、青龍寺と宿泊地の国民宿舎土佐を目の前にした安堵感から、日の傾きかけたこの砂浜にたどり着いた私は裸足になり波打ち際を歩き、少しの間ボンヤリ座って穏やかな海を眺め、再び歩き出した・・・・・・あの日のように秋の砂浜に一人ポツンと座ってしばらく思い出に浸る。一人の歩き遍路が疲れた顔で砂浜を歩いて行く・・・・・・足跡だけが砂浜に残り、時と共に波がそれを消して行く・・・・・・あの日確かに私はここを歩いた。鰹の町続く「ねはんの里」
2009.12.07
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さて、続きです。後半はほぼ旅行記みたいなもんで写真を中心に手短にまとめましょう。日本一の大杉で静寂の時間を過ごしていたく満足した私は今回はこれで大豊町を後にすることにした。日本一の大杉にはもう一つエピソードがある。幼い美空ひばり氏が地方巡業中、ここ大豊町で乗っていたバスが事故にあい入院した。その際にこの大杉を訪れて、私も日本一になれますように・・・とお願いしたらその後成功した、というのだ。そのエピソードのため、この日本一の大杉の近くに「大杉の苑」という美空ひばり氏の遺影碑と歌碑が建てられている場所がある。だが残念ながら昭和後半生まれの私にとって美空さんは殆ど興味の対象外だったので、おそらく歩いて一分のその場所を訪れることはなかった。まして3000年の歴史に思いを馳せた後には、ねぇ。ともかく。この日はその後土佐の国を結構な距離横断することにしていた。ので11時をまわった時刻ではあったが、出発。暫く土佐の山間部を高知自動車道の下を走る国道32号線に乗って南下して行く。この道はまた、穴内川ダムで知られる穴内川沿いに走っている。この川も吉野川の支流の一つであり、高知平野がすぐそこにあるというのにわざわざ山間部を縫って徳島市へと流れて行くのだ。今回の移動マップはこんな感じ↓今回も思い出のある札所と遍路道を少しばかり辿って来ました。そしてこの日目指すのは梼原町(ゆすはら)にある道の駅ゆすはら。暫くは穴内川沿いに南下します。道はガラガラに空いている。おまけにとてもいい天気だ。険しい山を縫うように進み・・・・南下すること小一時間。大地が平たくなったな、と思ったら南国市に突入。突き当りまで行って右折しそのまま32号で高知市街地の少し海側を走れば良いものを僕の「ちょっとアホナビ君」は高知市街地のど真ん中を走るよう指示。地図に関してはいつもナビ任せなので余り疑いを持たずに指示に従った。アホなナビほど可愛いって言うしね。いや、そんなことないぞ。少しは賢くなっておくれ、頼む。ともかく思わず高知市街地を走る羽目に。あれ?平日なのに空いてるぞ。しかも、なんとオレのアホナビは高知駅前を通らせやがった。高知駅南口↓この駅舎は2008年2月に完成したらしい。なかなか異様なデザインだ。因みに北口はこんな感じらしい↓なんでも、新駅舎には地元の杉の木で作られたアーチ状の屋根「くじらドーム」がホームに設けられている、とのこと。ああそうですか。あ、愛媛の人は会う人みんな松山市より高知市の方が栄えていると言ってたけどそれは間違いだ。彼らは松山市の人口が30万人で高知市が50万人とか言うけどそれは全く逆で、高知が34万人、松山が52万人だ。因みに高松市が42万人、徳島市が26万人なので松山市が四国最大の都市ということになる。一応高校生の時に県庁所在地の人口を調べたことがあるのでボンヤリと松山が最大であることは覚えていた。つまり、四国他県の人はよく知らないけど、少なくとも愛媛の人は地元のことを余り知らないのだ。ま、人口が多いからエライ訳でもなんでもないけど、もっと地元を誇りにできることがたくさんあるのじゃないかね?地方の活性化に必要なのはまず何よりネガティブを捨てることだと思うよ。さて、高知市内で国道56号線に乗り換えて更に西へ。土佐市との境に仁淀川がある。この仁淀川、四国には四万十川と吉野川という超有名な河川があるため知名度は劣るそうなのだが全国水質第4位を誇る、それはそれはうつくすぃ川なのだよ。上の写真は国道56号線の仁淀川大橋から撮影したもの。ここは遍路道でも歩いた道でもある。全長633.4mと長く、交通量も多い橋なので眺めは良いものの苦戦した思い出が残る。何より天気が良く暑い日だった。折角だから仁淀川の綺麗な写真を。橋を渡り終えるとすぐに36番青龍寺(しょうりゅうじ)への看板が出ている。この案内は遍路用の順路ではない。遍路道は36番の前に右前の方角にある35番清瀧寺(きよたきじ)に行く道である。35番清瀧寺も過去にどこかで紹介した大阪のキャバクラ好きの20代元サラリーマン青年にはじめて出会った思い出の寺ではあるが今回はスルー。36番青龍寺近辺の遍路道には強烈な印象が残っていた。遍路道を辿ろうと思い、その先にある新しいショッピングセンター内にあるラーメン屋に向った。一年ちょっと前の記憶では汗を流しながらウマイと思って食べたのだが、今回食べた感想はちょっとしょっぱい普通のラーメンだった。いや、正直に言うと余り美味しくなかった。きっと汗ダラダラで塩分不足だったので美味しく感じたのだろう。また一つ遍路の思い出が傷ついてしまった。1年真剣に修行すればもう少し上達しただろうに。しかも接客も悪くなって客も減っていた。もしかすると店長が代わったのかもしれない。土佐市内から遍路道を辿る。この道は35番清瀧寺を打ち終えて土佐市内に戻り、塚地峠へと向おうとするところ。右前方にある自販機群の前に前述の青年が座っていたので「お先に」と言って抜いて行った場所だ。穏やかな水路が平行している。そして遍路道では塚地峠という結構険しい峠道を越えるのだが車ではトンネルを抜けて宇佐漁港へ。続く「ねはんの里」
2009.12.07
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続きから。大豊町でもう一ヶ所行っておきたかった場所とは・・・・・日本最古の杉と名高い、その名も「杉の大杉」この杉、なんと須佐之男命(すさのおみこと)が植えたとされるのだ。スサノオと言えば日本書紀にも登場する海原を統治する神様。また「八岐大蛇退治神話」が有名で、神様の住む高天原を追放されたスサノオが出雲の国に降り立ち、魔物である八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒したという神話でも有名だ。スサノオの子孫である大国主がヤマト政権に出雲大社の建立と引き換えに日本の統治を譲ったということから、スサノオ爺さん(神様だが)は日本の創始者とも言える。そして確かにスサノオは日本中に木を植えたという伝説がある。従って日本最古の杉であるといわれているのだ。因みに屋久島には縄文杉(推定樹齢3000年以上?)というのが存在するが、これは1966年に屋久島町役場の観光課長さんが発見したという、日本創始の伝説と比べると余りにも残念な事実が存在する。ともかくその日本の歴史を3000年も見てきたという、杉の大杉へと向った。大豊町役場から1kmほど、道の駅おおすぎの傍の丘に存在する。これがその大杉を祀ってある神社だ。↑八坂神社。なんとなく落ち着いた静けさを湛えている。この神社の鳥居前まで歩いて行くと後ろから熱い視線を感じる。そこには小さな事務所が建っており、愛想のいいおばちゃんがにっこり笑顔でチョコンと鎮座していらっしゃった。看板には、「入場者は施設整備協力金を料金所にお支払い下さい。大人200円」・・・・はいはい。それで熱い視線を感じた訳ね。喜んで払いますとも。おばちゃんの笑顔に、ね。鳥居をくぐり短い階段を上がって行くと正面に本堂、手前左に水場、そして木の通路が現れた。木の通路をまっすぐ進むと本堂までの中ほどに杉の大杉のいわれが書いてあった。↑樹齢3000年以上とも言われ、二株が根元で合着している。ほぅ。南の杉は根回り20mで樹高60m!!こらぁ間違いなく日本一だ。あ、大豊町教育委員会の隣にモミジ貼っつけたの僕じゃないよ。見事な向きと位置ではあるが。因みに縄文杉が幹周16.1m・樹高30mで、秋田の杉の里にある日本一高い杉というのが樹齢250年・幹周約5.5m(?)・高さ58m だからやっぱり圧倒的だ。スサノオ爺さん(神様やで)が「大きくな~れ♪そして日本全国杉だらけにしてくれるわ、バンザーイ」とか言いながら植えたんだ、間違いないよ。あ、どうでもいいかそんなこと。それじゃぁいよいよ左を振り向くと・・・・・「でかっ」これが3000年もここに生きている樹なのか・・・・・・なんだか巨木の周りというのは異様な空気に包まれているな。しかもこれはツインだし。比較のために根元にマッチ棒を置いといたんだけど見えないか。ま、ウソなんだけど。それじゃもっと近寄ってみよう。うーん。益々大きさわからない、と。これは撮影技術の問題もきっとあるな。ともかく今日はこの辺にしといてやるか。境内の木製通路は杉の根を保護する目的らしい。黄色いモミジが黒い板をバックになんとも風流な床に見えた。車に戻る途中、境内の裏山へと続く通路を振り返ると・・・・・紅いモミジに彩られた風流な小道になっていた。大豊町秋のレポート、「土佐に行くぜよ」シリーズ 完「ねはんの里」
2009.12.06
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さてと、本日3本目の投稿。なんと言っても今回の遠征写真の1/3しかまだ紹介終わってないんだよ。ゲェーじゃ続きから。喫茶レーベンさんから更に梶ヶ森山頂へ向けて少し上がった所にそれはある。日本の滝百選に登録されている、その名も「龍王の滝」だ。だが、龍王というからにはきっとこんなヤツが棲みついているに違いない。いやぁ、ドットが粗いのに悪っそうやなぁ。頼みますよ、こんなおっかなそうなの出ないでくださいね、人里遠いんだからここ。ともかくレーベンさんから多分2、3分でそこに着いた。500m、歩いて10分と書いてあった。もちろん誰も居ない駐車場に車を置いて歩き出す。暗い森の中の山道を歩いて行く。鬱蒼とした林に囲まれる。意外とアップダウンがあったりして週一で泳いでいる私だが少し息が上がりそうになる。情けない。お遍路してた時なら呼吸が乱れることすらなかったろうに。さすがに500mに10分は掛からず、到着。滝の名前のいわれが書いてある。↑読めると思いますが、一応wikiの記述を載せておきます。「その昔、滝の下流部にある佐賀山集落の一軒の家に、ある夜、美しい娘が一夜の宿を請うた。家の主人は快諾した。娘は「私が休んだら体に水を掛けて下さい」と願った。不審に思った主人は娘が就寝した頃、襖の間から座敷を覗くと大蛇がとぐろを巻いていた。翌朝、娘は宿の礼を述べて立ち去った。主人はどこの大蛇かとそっと跡をつけて行った。すると、龍王の滝まで来ると滝壺に静かに身を沈めていった。その後、主人は大病を患い寝たきりになったという。この滝には大蛇に化身した娘が住んでいると言われている。」・・・・ん?このストーリーだと良心から龍の化身である娘を泊めたご主人さんはとんだ災難だったということになるけど、いいのですかね?そらぁ寝てから水かけろなんて言われたら不審に思わない方がおかしいよ。つーか、布団濡れちゃうし。単なる被害者だこの主人は。「オレ、普通におかしいと思って覗いただけじゃん」 みたいな。いわれはともかくとして巨岩を割って落差20mを流れ落ちる龍王の滝は見事なものだ。ジッと見ていると白い龍が岩を駆け上がるようにも思えてくる。これが龍娘が沈んだ滝壺か。確かにこの原生林に囲まれた龍王の滝は百選に選ばれるだけのことはありそうですな。この辺は標高が高いので既に紅葉は終わり全ての葉は落ちている。小一時間滝までの散歩を楽しみ車に戻った。実はこの龍王の滝周辺で若い頃の空海が修行したと伝えられるそうだ。その由来を伝える定福寺奥の院仏嶽山遍照院がこの少し上にあるらしい。だが、今回は龍王の滝を見ただけで満足していた。また、機会があればこの辺りを散策したいと思い梶ヶ森を後にした。あ、梶ヶ森という、山にしては珍しい名前の由来は不明だったけど、梶の木(かじのき)という木は古代から神に捧げる神木だったことから空海の修行した山という由来と少し関係があるのかも知れない。・・・・・ようやく中腹の村落まで下りてきた。道というのは不思議なもので、知らない道は来た時はえらく長い道のりに感じるけどその帰りは案外短く感じるものだ。今回は来る時道に迷ったこともありえらく遠くに感じていたが、帰りは民家付近までそんなに遠く感じなかった。それにしてもこの雲の上の村は見事な景色だ。日本のマチュピチュは高野山だけだと思っていたが、案外日本の山間部の村は、その住人の精神性の高さと共に現代のマチュピチュと言っても過大評価ではないのかも知れない。そう思った。さて、大豊町でもう一ヶ所見ておきたい所があったのだ。既に晴れ始めた午前中、そこへ向う。吉野川の支流付近の紅葉↓続く「ねはんの里」
2009.12.05
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続きから。翌朝。階下で則夫さんが起きる音で目覚める。私は二階の寝室を借りていた。時刻は7時。目を開けて天井の真新しい木の節の模様をボンヤリと眺めていた。全く音がしない。風も無風状態なのだろう、冬の今は鳥の囀りすら標高の高い森に囲まれたログハウスの中では聞こえて来なかった。静けさをしっかり心に沁み込ませた後、起き上がり服を着替えて布団を畳み階下に下りて行く。則夫さんにおはようございますと声を掛ける。恐縮で、有り難いことに朝食の準備をしてくれている。私も手伝おうと思ったが何をして良いか勝手が分からない。それに勝手ながら渡辺さん夫婦には妙な気遣いは不要であると昨夜から思っていた。台所に立つ則夫さん↓部屋の中はまだ暗い。きっと外は霧に囲まれているに違いないと思って窓に近づきカーテンを開ける。案の定霧が深いものの思ったよりも外は明るい。この日の天気は晴れの予報。だが則夫さんは、ここらが晴れるのは昼前くらいかな、と。森の中にも濃い霧が立ち込めている↓朝食を有り難く頂き、更にまたしてもコーヒーまで入れてくださった。この日9時から隣の土佐町で牛の品評会があるので8時に則夫さんは出発するとのことだった。私に、食事さえ自分で用意すれば何日でも居ていいよ、と言ってくださった。だが、私はWWOOFという制度を知っていたので、何の手伝いもしない私が長く滞在するのはさすがに気が引けた。だから折角のご好意をお断りして今日発つことにしていた。朝食を終えコーヒーを飲み終わると丁度8時になった。則夫さんはここに来ることになれば住む所も農地も全部世話してあげるよ、と最後に言い残して出発された。なんとも心強いことだ。私もここに来れたらどんなに良いだろうか、と・・・・再びラウンジに出てみると霧が晴れ始めていた↓荷物をまとめて外に出る。ログハウスの前から森の中へと一本の細い道が続いている↓ここで知人を集めてマウンテンバイク(自転車)の大会が行われるのだそうだ。なんだか無性に吸い込まれて行きたくなるような、か細い道だ。そしてこれがログハウスの全貌↓とても愛らしい形をしている。さて、出発するか。この日の予定は決めていた。この少し上に渡辺さん夫婦と娘さんが週末に営業するらしい、「レーベン」という喫茶店があるので寄ってみるように言われていたのだ。そして更に少し上には龍王の滝という日本の滝百選に登録されている有名な滝があることを教わっていた。まず喫茶「レーベン」へ。途中で渡辺さんの農場の牛舎が見えた。その下は雲海に飲まれている。すぐに喫茶「レーベン」に着いた。レーベンというのはドイツ語で「住む」の意味。則夫さんがスイスに畜産の勉強に行ったことがあることから付けられたようだ。スイスでドイツ語は公用語だ。住む=生きる=楽しむ という思想の下ではないかと思われる。因みにドイツ語でリーベンはLOVEの意味だ、というのを思い出した。私も第二外国語で独語をかじっていたのだ。殆ど記憶に残っていないのだが・・・・・こちらの喫茶レーベンも可愛らしいログハウス造りとなっている。駐車場を、敷き詰められたような紅葉が落ち着きのある秋色に染めている。当然のことながら平日の朝なんかに営業はしていない。今誰かが通ったら確実に不審者として通報されるに違いないと少しビビリながら中を覗き込む。それでなくても普段から怪しい人間であることは本人が深く自覚しているのだ。う~ん、なにやらカウンターに手書きで・・・・・「しぼりたてジャージー牛乳、300円だモー」 ん?そう言えば、ちびまるこちゃんに似たような語尾のキャラが居たような・・・・・・・・・・・あ、アレは、ブー太郎 か。なんて思いながら一人早朝、人里離れた静かな森の中で閉店中の喫茶店の前でニヤニヤしている自分が怖い。マジで。(正真正銘の不審者だ)「大豊レーベン、ブログも見てにゃん」 お、そう言えば則夫さんが言ってたな、お店のブログを娘さんがやっていると。こちらがその大豊レーベンさんのブログです。早速渡辺ご夫婦にメールで泊めて頂いたお礼を書いて送ると娘さんが記事にして返事をくれた。なんとも。喫茶店から下を見ると雲海が立ち込めていた。美しい。続く「ねはんの里」
2009.12.05
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続きから。渡辺さんの農場での面談の終わり頃にご主人の則夫さんに予定を聞かれた。金曜日に鬼北町で面談があるが、それ以外特に予定はない。それならとりあえず今日は泊まって行ったらいい、と誘ってくれた。願ってもないことだ。大豊町でまだ見たい所が一ヶ所残っているし、何しろこの日は雲が多くて視界が余り効かない。天気の良い景色を見てみたかった。それじゃまた後で来ますね、と挨拶して同行の役場のミノさんらと一旦引き上げる。午後はもう一ヶ所の研修先農場を見学することになっていたのだ。町内に数ヶ所しかないという貴重な食堂へ皆で移動。お薦めだという唐揚定食を頂いた。なかなか美味しかったのだがコストパフォーマンスが少し悪かった。実は大豊町にはB級グルメマニアにとっては有名な「ひばり食堂」がある。何で有名かというとデカ盛りのカツ丼があることで有名なのだ。私も大豊町のことを調べていて事前に知っていたので行きたかった。しかし県外からもこのちっぽけな町のなんでもないような食堂に来るとのことで、ミノさんによると昼時は超満員なのだそうだ。デカ盛りはともかく今度機会があれば話の種に訪れてみたい。午後の予定もそつなく終わり15時過ぎに再び渡辺さんの農場を目指す。しかし、山村の集落の道は思ったより複雑で、何より私が農場よりずっと下の集落の中にあると勘違いしていたこともあって予定を1時間も遅延してようやく到着。既に17時をまわった山の中は真っ暗だった。特に場所を聞いていなかったのだが、散歩した時に見たログハウスだと信じ込んでいた。そして車を止めると中から奥さんが顔を出してどうぞと招いてくれた。ログハウスは思っていた以上に綺麗だった。私が挙動不審に写真なんかを撮っていると奥さんがこのログハウスは最近できたばかりなのだと教えてくれた。あ、道理で。特大の薪ストーブはまだ煙突の穴を空けてないとのことで稼動していない。残念。暫くしてご主人の則夫さんも加わり自家製牛乳を使ってチーズ作りを始めたり、風呂の準備をしたりと、二人してイソイソと働いている。私は何故か居心地が良く、テレビを見たり会話に加わったりしてくつろいでいた。このログハウスは田舎に来たいと考えている人やWWOOFで来る人のために建てたとのこと。木材は全て私有の山の間伐材なのでタダなんだそうだ。羨ましい。夕食には自家栽培の野菜を中心とした食事が並んだ。特にキンピラゴボウがとても美味しかった。食後にはコーヒーまで入れて頂き、3人で農業やお遍路の話などをして過ごした。渡辺さん夫婦は今車でお遍路をしている最中なのだそうだ。そのきっかけは数年前に20歳の息子さんを事故で失ったことらしい・・・・・食後奥さんは下の自宅に戻り、私と則夫さんはワインやら焼酎やらを頂きながら農業や経済についてなどお話しを続けた。則夫さんは農業高校を卒業後、大学進学を考えずそのまま実家の農業を継いだ。その理由は当時の高校教師が農業は自営業なので悠々自適で最高だ、と言っていたからなのだそうだ。だが実際やってみると全く教わったことと現実は違っていた。そこで則夫さんは何故、教科書通りの経営ができないのか、ということに疑問を持ち茨城にある国の農業者大学校に進学することを決めた。現在もそうだが、当時から農業者大学校には色々な大学から教授を招いて講義が行われていた。そんな中で進学するきっかけとなった農業経済に最も関心を寄せていく。私は初めて農業者大学校のサイトをよく見てみたら講師陣は産官学から極めて多彩で、もしかしたら普通の大学より充実している。そんな学生時代を送る中で物事の本質を見極めようとする哲学的な視点を獲得したのだろうか。私の持っている農業、人生に対する考え方と近似した考えを持っていた。則夫さんは言う。今の農業は他産業のように週休2日の獲得を目指しているのではないか?農業の本来の良さというのはそういうサラリーマン的な生産性を目指すことにあるのではなく、仕事=ライフスタイル=趣味 のような仕事と趣味を分けない生活が可能な所にあるだろう、と。週の5日は我慢して2日だけ遊んで生きるという苦労の多い生き方をするのではなくて、「人生は楽しいことの連続」 を目指そうとすることだと思う。私がこの1年で見てきた新規農業参入者たち、つまり農業を仕事にしたいと脱サラした人達を見て感じていたことは、つまらなそうに農業をしているということだった。一大決心で脱サラしてまで農業したいと思っていたはずなのにどうしてそんなにつまらなそうに農業をやっているのだろう。答えは簡単。価値観が変わっていないからだ。今ある農業法人の多くは所得と労働時間をサラリーマン並にしようと頑張っている。つまり農業法人に就職するのは転職するのと同じ。だが労働時間は増え給料は圧倒的に下がる。これではつまらないに決まっている。では独立して新規就農した場合は?これも同じ。自分でやろうが農業法人に勤めようが同じだ。農業の生産効率は他産業と比較して圧倒的に低いのだ。だが、価値観を変えることに成功すればどうだろう。貴金属や電子機器の新製品、高級な食事。これらに価値を見出さずただ精神的な豊かさ、幸せを追求できるのであればお金なんて人生に余り必要ないのでは?そして何より人間が生きるのに必須な食糧に関しては、自分で作った安全で新鮮な物が得られる。更に生体の7割を占める水に関しては田舎では都会のそれと比較できないほど良質で、毎秒摂取している空気は綺麗で新鮮そのもの。樹から排出されたばかりの精神安定物質、フィトンチッドも豊富に含まれている。更に現金さえ望まなければ自分の時間もたくさん作れるのだ。人間が生きて行く上で本質的に必要なものに関しては特上のもので暮らせるのにこれ以上何を望むというのだろうか。こう考えて行くと、私の考えでは農業を本当に楽しめるのはほぼ自給自足に近いライフスタイルなのではないだろうか。いや、これは農業を、ではなく、「人生を」 と言い換えて良いかも知れないが。あなたは、人生の75%を苦労して不摂生の中で過ごし、残り25%、退職してからの20年間でようやく生き甲斐のある楽しい人生を始めようという言うの?「手作りチーズ」続く「ねはんの里」
2009.12.05
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続きから。牛舎でおじーちゃんと少しだけお話をした。この農場を始めた時のこと。はじめは20年ほど前(確か)で、肉牛生産ではなく酪農(乳牛)だったようだ。しかし、一般の人には余り知られていないのだが、牛乳は近年生産調整が行われている程過剰生産気味なのだ。これは消費者の牛乳離れに起因するという。有名なのが2006年に過剰生産のため北海道と九州で牛乳が大量廃棄された事件。酪農は機械化による大量生産が可能なため規模拡大が比較的容易なのだ。これはまさに卵や米の問題と同じ。従って米の減反政策と同様に酪農の生産調整というのが畜産業界最大の問題となっている。これをなんとか打開すべく、社団法人中央酪農会議が「牛乳は国産だ」のCMで消費拡大を狙っているようだが、効果はいかに?そういう経緯で北海道などブランドが確立されている地域以外では酪農家は厳しい生産調整を強いられ、渡辺さんの牧場はここ高知県で酪農を続けるのは厳しくなったということらしい。そこで酪農から肉牛へと切り替え現在の有機野菜との複合経営という形になったということのようだ。おじーちゃんは牛の世話がとても好きで自宅は息子さん夫婦と一緒に下の集落にあるそうだが、一人でこの標高800mの農場に寝泊りしている。外に出て再び散歩しながら考えていた。酪農の未来は田中義剛氏のような自家生産・加工・販売型のスモールビジネスの延長上にしか見えないだろうと思った。これは私のやろうとしている養鶏も同じばかりか農業全般に言えることではあるが。そういう良質で付加価値のある農産物を生産者が存続可能な価格で販売できる、というポイントからデフレが改善されて行けば日本の農業も未来があるし、日本の経済も内需依存を高めて安定・堅実な構造になるのではないだろうか・・・・・暫く歩いているとさっきまでタバコを吸っていた同行の方々が居なくなっていることに気付いた。小さな小屋の近くに行ってみると中から声がする。戸を開けると中は6畳ほどの広さで隅にある薪ストーブが焚かれている。「寒かったでしょう、入って暖まって」と声を掛けてもらう。中に入り小屋の大きさに比べて大きいテーブルを囲んで所狭しと5人のおっさんが椅子に座った。5分ほど待っていると農場主の渡辺則夫さんが戻って来て小屋に入ってきた。すぐ後に奥さんも揃った。私の履歴書や営農計画のコピーが皆に渡されて面談、というより座談会みたいな雰囲気の会議が始まった。私の目指す農業やこれまでの農業への経緯、農業に対する考え方などを一通り説明すると、則夫さんが、是非大豊町に来てやりなさい、一緒にやろう、と言ってくれた。正直に私は嬉しかった。昨年暮れから年始にかけて。群馬のある農業法人の独立支援制度に参加するかどうか非常に迷ったことがあった。その際にどうしても踏み切れなかった理由が、この一緒にやろう、という一言が無かったためだ。これまでのサラリーマン人生で幾つかの転職を経験したが、ネタとして話題に挙げたあのベンチャー企業以外は全てこの一言で入社を決心してきた。それだけ私にとって大切にしている言葉だったのだ。そして私が採用する側の立場であった時にも必ずこう言うことにしていた。「あなたは同志だ。一緒にやりましょう」と。特に経験も身よりも何もない農業へ入ろうとする決断には頼りになる一言が絶対に不可欠だと思っていたのだった。だが、しかし。問題が一つだけあった。則夫さん曰く、この研修制度を先に紹介してしまった人が居るというのだ。実は渡辺さんの農場は以前紹介したWWOOFという制度の協会に参加している。簡単に言えば労働力を提供してもらう代わりに食事・宿泊を提供する制度だ。そのWWOOFで以前この農場を訪れたスイス人(だったかな?)の旦那と日本人の奥さんの夫婦がここを気に入って住みたいと言うので、則夫さんが大豊町の就農研修制度を紹介していたというのだ。だからこの夫婦を優先しなければならないと申し訳無さそうに言う。大豊町の研修制度では渡辺さんへの研修生の割り当ては1人なのだ。これまで話を聞いていて渡辺さんの所で研修を受けられるのであれば大豊町に就農する気満々だったので正直に言うとショックだった。でも、「そういうことならそちらを優先してください」と私は答えた。義理を無視するような人なら私だって研修先として選ばないというものだ。そして、運を天に任せようと思ったのだ。その夫婦は1週間程この農場で体験をした上で就農するかどうか決めるらしい。その日程が12/3-10ということだった。そして遂に、昨日の夕方、もう一つの研修制度応募先、愛媛県鬼北町の担当者、ミヤコ(姓)さんから採用内定の連絡が。さて、僕の運命、どうなる?続く「ねはんの里」
2009.12.04
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続きです。どれくらいの間牧場の中を散歩していただろうか。ふと気付くとすっかり体が冷え寒くなっていた。同行の農協の人や農業改良普及委員さん、そしてミノさんらが車を止めた辺りでかたまって時々タバコを吸ったりしていた。ミノさんが牛舎の方も見せてもらったらいい、と声を掛けてくれたので早速牛舎見学へ。牛舎のテラス部分↓そして牛舎の中へ↓↑見辛いけど、中に居た牛が一斉にこちらを注目。犬に続いて牛さんからもウサン臭い奴が来たと思われたに違いない。茶色の毛の牛は土佐褐毛牛という土佐の和牛だ↓ここに居る牛達はみんなまだ若くて角が無かったり短いものばかり。おじーちゃんが若い黒牛の鼻輪をつけていた↓↑鼻腔の間に穴を空けるので当然痛いのだろう、切ない悲鳴が一瞬小屋の空気を凍らせる。他の牛も全員3秒だけ呼吸を止めた。それにしてもこの牛舎の中はなんとも不思議な牧歌的な空気が流れている。↑天井の採光窓から洩れる淡い光。牧草の褐色と牛の穏やかな吐息。キリストが牛舎で生まれたという光景が目の前で再現できそうな雰囲気だ。30分くらいこの神秘的な空間でボンヤリたたずんでいた。とても居心地が良かったのだ。そろそろ主が戻っただろうか、と思って外に出る。ん?お前は変わった顔してるね。黒毛牛なのに頭は茶髪かい。ファンキーやな。似てるような・・・・・続く「ねはんの里」
2009.12.03
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この日は道の駅大杉で車泊。明けて翌日。朝9時、研修受け入れの面談を受けるため役場へと向う。大豊町役場は吉野川の目の前。今日も一段と美しいですね、吉野川さん↓役場に入って担当者のミノさんに挨拶をするとすぐに出掛けようと言う。ミノさんの運転する車に乗り込み、研修の受け入れ先農家である渡辺さんの農場のある梶ヶ森山を目指す。どうやら渡辺さんの農場で皆が集まって面談ということらしい。どうりで細い山道を2台もの車が後からずっとついて来ていた訳だ。道中天気が良くなくて霧というか雲の中を進んで行く事小一時間、雲の上に出たな、と思ったら農場に着いた。この渡辺さんの農場では肉牛の放牧をメインに行っている。放牧場↓車から降りてすぐに小さいけど勇ましい犬が出迎えてくれた。とっても真面目そうなお犬様↓↑めっちゃ吠えてます。そうだよなぁ、どんな犬でも俺みたいなウサン臭い奴が目の前に現れれば吠えたくなるってもんだ。あーワンワンと。あんまりにも吠えてるのでおじーちゃんが近寄ってきてなだめてくれた。このおじーちゃんとミノさんが何やら話している。どうやらここのご主人はこのおじーちゃんではなく、息子さんが経営しているらしい。その息子さんはどこぞへと出掛けて行ったとのこと。そんなら帰ってくるまで色々見させてもらおうと言うことで結構な寒さの中牧場の見学開始。まずはそこらへんをブラブラと見て廻る。スゴイ景色。まるでマチュピチュだ↓ここは標高800mほどの高地。牧場内にはビニールハウスが立ててありここで有機無農薬の野菜を作っているらしい。ハウスと山頂方面↓この山は梶ヶ森という名前の山で標高は約1400m。山頂には山荘や天文台もあるのだ。しかしすんごい景色↓牧場内には小さな沢も流れている↓水美味しいんだろうな・・・・・と牧場内を散歩しているとあることに気付いた。何やらそこら中に小さな道のようなものができているのだ。いや、これは間違いなく牛がつけた牛道とも言えるものに違いない。これがその牛道↓↑わかるかな?左下から幾筋もついている道が。この牛道を辿って牛の気持ちになってそこら中を歩き回った。するとなんだか心が穏やかに澄んで行くのを感じた。この写真にも写っているが、真っ赤に紅葉した木の左側にログハウスが見えた。なーんだこんな所にもご近所さんがいるの?それともここのご主人の住居?なんて思っていたのだ、この時は。まさかここに泊まることになるとは・・・・・続く「ねはんの里」
2009.12.02
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もう師走かよ。えーと。どこまで書いたんだったか・・・・あれ、瀬戸大橋で止まってるよ。全然書いてないじゃん。やだなぁ。ともかく瀬戸大橋を渡って多分30分位で未踏の高知自動車道に入ったんじゃないかと思う。この高速道は四国の中央の山を突き抜けて高知市へと向っている。地図は大体こんな感じだ↓山深くを走る高知自動車道をひたすら南下↓空は明るいのだが、山で日が遮られて薄暗いという山間部ならではの夕方16時頃、ようやく大豊町に到着。ナビや道路公団のルート検索なんかでは所要時間10時間弱ってとこだけど、私の場合は急ぐ旅ではないのでいつも色々なサービスエリアで寄り道しつつ、休み休み、バカも休み休み言いながら走って行くので1時間オーバーは当たり前だ。もちろんランチを1時間も摂っている訳ではないよ。さて、高速を下りてすぐの所に夢工房という喫茶店がある↓この喫茶店の主が運営している大豊町の特産品販売のホームページを事前に見ていたのだ。HPはこちらです。このHPとても良くできていて、早明浦ダム花火大会のFlashアプリとかクリックしまくりでバチバチ遊んでいると何だか童心に帰れた気がする。いや、確かに私の精神年齢は常にホンの10歳程度なのだ。アハハ何よりプロフィールなんか見る限りここのご主人は間違いなくヘンな人だ。いや、ヘンと言っちゃいけない、変わり者だ。ま、もっとも俺に言われたくないだろうけど。そんな感じで同じ臭いを感じたこの夢工房さんのお陰で大豊町に妙な親近感を感じることができたという訳なのだ。それはともかく、まずは今宵の風呂に入らねば。ということで事前に調べていた大豊町総合ふれあいセンターへ向った。大豊町総合ふれあいセンター↓余り知られていないようだがこのセンターのお風呂、たったの400円(町外者)で殆ど人が来ないので1時間くらい貸切状態だった。因みに町内の人は200円だ。安っ風呂の大きな窓ガラスからは我らお遍路にとっては徳島のイメージが強い、清流吉野川が望める↓う~ん、キレイだ。夏にあの中で鮎と一緒にジャブジャブ泳いだらさぞかし気持ちがいーんだろーなー、と。とりあえず一旦切りましょうか。最近一回分が長文化しちゃってるよなぁ。長けりゃいいってもんじゃないよ、文章も、人生も、事業仕分けの議論時間も。「ねはんの里」
2009.12.02
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