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もしもですよ、絶世の花魁(おいらん)が、あなたをじっと見つめて、「この世で一番愛しいと思うならば、あちきに歌を作っておくんなまし!」と言ったらどうしますか? さて、巧言令色少なし仁とは、よく言ったものでして、美辞麗句を使って人を蕩かす様なことを言う人間に決まって、よい人間はおりませんねえ。(きっぱり) 一見、木訥で愛想がない人の方が、実は義理堅くて、人が困っているときに助けてくれたりするものですよ。自分が、困ったときに距離を置いてしまったり、姿を消すような人間は、本当に困っていないときには分かりにくいものです。 ところで、愛の歌なんていうものは、実際に「愛」を自分の瞳に映して歌わなければ、意味なしなんですよ。「誠実さ」を瞳の奥の方から表面に引っ張り出して、映してみせればMelodyなんてどうでもよいのです。 「もしも、もしも」シリーズを楽しんでいただけましたか?妄想を逞しくして様々なイメージを心に投影してみましょう。 それを、ことばやMelodyにして表現してみれば、きっと、あなたの人生は、もっと楽しくなるはずですよ!
2007.02.27
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昔愛した恋人の面影を不意に思い出してしまうことはありませんか? それは、心の中に何かしらの思い出を残してくれているからに他なりません。思い出は、私たちが生きている限り、共に生きているはずですからね。 図らずも、恋人の面影を思い出して、微笑んでしまうことがあります。そんな時は、口には出しませんが、「ありがとう」って心の中で言うんですよ。 失恋にせよ何にせよ、まったく思い出がないのは寂しいことです。他人を愛することは、その代償として、自分も傷つくことがあるのです。それを恐れていては、永遠に恋愛は無理でしょうし、心から愛することなど、夢のまた夢というものでしょう。 さて、私は、こう考えます。 相手に受け入れられなくて元々なのだから、駆け引きなしに正直に告白しましょう。 何も相手の前で強がる必要はないのです。 素直に、自分は、こう感じていると言えばよいのです。 しかし、相手の前で、必要以上に強がって見せて、失敗する人は多いようですね。損得勘定を心の中で計算しては駄目ですよ。そんなことをしても、よい関係は、決して長続きしませんよ。たとえ、最初は好印象でも、化けの皮がはがれてしまうのは、時間の問題です。 ところで、誰にしても、気楽につきあえる相手が一番ですよ。そりが合わない人とは、最初から駄目ですからね。私も、そういうすごく苦い経験はありますよ。(笑) 人生の悲哀も喜びも経験させていただいたお陰で、かなり大きな人生の肥やしになっておりますよ。
2007.02.27
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俯く君の横顔を見つめながら、ふとこんなことを感じてしまった。 君の頬を撫でるそよ風になりたいってね。 今日は、長いSilkyな髪をアップにしているんだね? うなじが、とても艶めかしいよ。 じっと、見つめていてもいいだろう? 君のHeartに口づけしたいのさ 僕は、感じるままに行動する男だから、時々君を振り回してしまったかな? でも、忘れないで。僕から、離れないでいて欲しいんだよ。 なぜって、離れてしまったら、君の笑顔を見られないだろう? もしも、そうなったら、もう拷問じゃないか。 だから、君をこうして、じっと、見つめていたいのさ。 風になり 君を優しく 包み込めたら 素敵だろうね 分かってくれるね? 愛しているんだ 僕のそばにいて欲しいのさ
2007.02.26
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今の自分を分析して、よりよく音楽的になるようにしてみてはどうだろうか。 自分の聴いているものや弾いているものをよく考えてみるとよいだろう。技術偏重型や非技術偏重型、機材依存症など様々なものがあるのではないだろうか。 よりよい音楽を創造するには、「楽器」と「技術」と「音楽性」が上手に噛み合うように自分を育てていく必要があるのだ。 それには、楽器ばかり弾いていないで、行動実践して感性を磨くことが涵養なのだ。自分で苦労もせずして、人の苦労や苦しみは理解できないのだ。他人の心の痛みを知り、心から涙を流すときに人は成長できるのだと信じているのだ。 人の心の痛みは、自分の心の痛みでもあるのだ。 俳優のAuditionではないが、「では、此処であなたの心の痛みや悲しみを弾いて下さい!」と言われて、果たして、あなたは自分を表現できるだろうか? 「悲しい感じなら、Minor Scaleを適当にどんどん弾けばいいジャン!」と、思ったあなたは、落選でしょう。 瞬時に、そういうイメージを表現できないといけないと思いますよ。これは、瞬時の作曲ですよね。きっと、自分の中にそういう経験がない人には、正しくイメージできないので、よいフレーズは弾けないでしょうね。 魂を表現するのに多くを弾く必要はありません。同じ悲しみだって、子どものように泣くのもあれば、頬を伝う一筋の涙で表現する場合もあるでしょう。 一番自分らしいと感じる方法で表現できればよいのです。自分が好きな音楽をやっている人が多くを語らなければ説得できない人なら、多くを語らなくとも説得できる人になればよいのです。 他人は、いつまで経っても他人です。あなたは、その人には決してなれません。たとえ、なれたと思ってもただの物真似です。 人に先んじてその道を究めた人に置き換わることなど不可能です。 過去にそんな人がいたのなら、知らせていただきたいものです。最初は、真似から入っても、本当に才能のある人は、いつしか自分の道を見いだして、それを磨いてよりよいものにしてゆくのです。 人の真似をするよりも、自ら新しい分野を開拓して、その先駆者となる方が何倍も難しいのは、言うまでもありますまい? さあー、自問自答しなさい!
2007.02.25
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ものごとを本当に理解するのには、それが身に染みて感じられなければならないのだ。ただ、聞き流したり、本当に心から何かを見ようとする気がなければ、闇雲に時間をかけても他人と雲泥の差が付いてしまうのが人生である。 経験値を上げるとともにオーラを放てなければ、一流にはなれないということである。 ダラダラと、いつまでも意味のない音を弾き流すのではなく、一小節にたった一つの音でもいいから前後の関連づけを感じながら弾けばよいのだ。 ここで、本当に弾きたい音の関連付けをしておかないと、やたら音をいっぱい弾けるだけの凡百の演奏者になってしまうだろう。 究極の音楽を演奏するのが、これ即ちGoalであり、「速い」とか「遅い」とかは、あまり関係ないのだ。要するに、こういう部分に拘ってばかりいるのは、木の枝葉にばかり目がいっているのであって、肝心要の幹の部分を全然見ようとしない人たちなのである。 ところで、人生は、Deepである。しかしながら、こういう低次元のLevelに拘り続けている人たちの人生は、そこはかとなく浅く、そして儚く感じられるのだ。 私が、常に心奪われるのは、速さや重量感などではないのである。あくまでも、よい楽曲と演奏のバランスなのである。 きっと、こういうBottle Neckとなる部分を通り抜けていかないと、音楽的にも熟成した演奏者にはなれないと信じて疑わないのである。 願わくは、速弾きのNUMBER ONEになることよりも、音楽性豊かなONLY ONEになって欲しいのである。
2007.02.24
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生きていると、ときには勘違いもいろいろあるよねえ? 遡ること60数年前の第二次世界大戦中には、各国民学校に教官として憲兵が所属していたということです。以前、その頃の写真を見る機会があったのですが、11~12歳くらいの子どもたちが、ふんどし姿で相撲をとっておりました。ちょうど、校庭に土俵が作られているのですが、これが正規の土俵なんですよ。TVで相撲を中継しますよね?ちょうど、ああいう風に土を盛り上げてある土俵なんですよ。 そこで、憲兵にしごかれるんですよ。 「貴様、大日本帝国の国技をなんだと思っておるのかああああー」とか怒鳴られてね。意気地のないとろい奴は、もう徹底的にやられたっていう話でした。 そんな根性なしで、敵艦を撃沈できると思っておるのかあああー! 「いや、憲兵さんよ。たとえ根性があっても、敵艦はそう簡単に撃沈できないと思うよ!!」 まさか、こんなこと言えません。それこそ、家族や親戚まで警察行きです。恐ろしい時代ですよねえ。私は、この話を当時児童で、憲兵にしごかれた老人から話を聞いて写真も見せてもらったんですよ。 意気地がないと、憲兵に虐められるから、仲間も応援するんですよ。土俵のすぐ隣は、野菜畑になっています。「おい、もっと声かけてやってくれええー!」と仲間を促すのです。勘違い君は、とっとと野菜畑から桶を天秤棒で担いでやってきました。 桶の中身は、もうお分かりでしょう? 昔は、うんちを肥だめに溜めておいて、熟成?させたものを畑にまいて肥料にしたんですよね。それを桶に汲んでは、肥料として畑に撒いたんですよ。 「肥」と「声」を勘違いして、土俵の二人に向かってうんちを入れようとすれば、憲兵にぶん殴られたでしょうね!
2007.02.23
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実は、私、吸血鬼映画が大好きです。まあー、最初は、Wifeが好きで見はじめたんですけどね。 途中から、こういうのに填ってしまいました! 以前、ヴァンパイア映画であるところのUnder Worldのことにも若干触れたのですが、Bladeなんかも面白いですよね。 やっぱり、舞台となるのは、ルーマニア辺りの東欧を舞台にしてくれた方がRealityがあっていいように思いますよ。 さて、Wifeの父親は、ルーマニアの出身でして、6歳の頃にAmericaに移住したという話です。よって、遠い親戚も向こうにいて、Wifeの父親が2003年に亡くなった後に、突然ルーマニアから連絡がありました。 何かって言うと、「オラ、ルーマニアから電話してんだけっどもさ。実は、オラんとこの土地さいらあねえけっ?」っていう電話でした。 父親の家族名義の土地が、ルーマニアにあるんですよ。でもねえ、「だだっ広い土地だけあっても困るよねえ」なんて話していたんですよ。 それに、今でも、あの辺には、家にトイレもないっていう話ですよ! じゃー、いったいどうやって用を足すかと言えば、野原でやるかオマルですよ。夜なんて寝室にオマルを持って行ってそれに用を足すんです。臭いなんて言っていられませんよ。 もしも、下痢だったらどうするんでしょうか? 同室のお方には、迷惑千万な話でしょうが、もう止まりません。突然のお祭り騒ぎにも、耳と鼻を押さえて寝るしかないようです。(笑) なんだか凄い場所らしいので、話を聴いているだけで行くのを躊躇してしまいそうです。事実、Wifeの兄弟は、誰も興味を示しませんでしたよ。 「やっぱり、そんな田舎に、土地だけあってもしょうがないじゃん!」ってね。 そんなわけで、近代化されていない場所には、旧世代の魔物がいるような気がしてなりません!
2007.02.22
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もう、すでに大学受験も一段落したんでしょうか?ふと、昔のことを思い出しました。 私が、受験生の頃には、大学の受験時にアルバイトで合格不合格を知らせることをやっている学生がいたんですよ。標題のようなものが、よい例でしょう。 但し、これは、「不合格」ですねえ! また、他には、「桜散る」なんていうのもあったようです。未だ受験中の人には、縁起でもないっていうことかもしれませんけどね。 「桜咲く」なんていうのは、簡潔明瞭で合格っていう感じでしょう。まだ、こういったことをやっているんでしょうかねえ? 受験生や親の気持ちとしては、合格通知が来るまで待ちきれないので、利用する人もかなり多かったみたいですよ。 さて、昔は代筆業なんていうアルバイトもあったらしいです。 学生が、気の利いた台詞を書いて貰って好きな女性に手紙を出すそうですよ。そういうアルバイトをやっている学生でも競争があるらしくて、奴に書いて貰った恋文で見事彼女をGetできたなんていう噂が立つと、結構繁盛したみたいですね。 文学青年は、恋文に熱い思いを切々と綴った文章の最後に、こう書くそうな。そうすると、なんてロマンチックな終わり方をする人なんだろうっていうことになって、恋文作戦は見事成就。 最後に書くのは、「小夜奈良(さよなら)」だってさ.....................。 それじゃー、皆の衆。 さらばあああああー!
2007.02.22
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最近、「どろろ」が、映画化されて封切りになったようですね? これって、私の幼少時代にTV番組で放送していたんですよ。勿論、それは、アニメーションだったんですけどね。 これって、アニメーションなのですが、子ども心にも結構怖かったですよ。まあー、最新の映像技術で、あの独特の世界観にどこまで迫れるのか楽しみでもあったりします。 さて、妖怪変化を倒していくという物語なのは覚えていますが、最終的にどうなったのかどうかさっぱり覚えておりませんねえ。先日、予告編だけは観ましたが、百鬼丸は、妖怪たちをもうバッタバッタと切りまくっておりました。 なんだか、Shooting Gameの様な感じがしましたよ。 ところで、ここ数年の映画って、特に昔のアニメーションや人気のある漫画を実写にしたものが多い様な気がしますよね?ちょっと、想像力に欠けている気がしないでもないのです。 いろいろな表現方法があってもいいと思うので、実写化してもいいし、その逆でもぜんぜん構わないのです。一番の問題は、そこに人々の魂を動かし説得するような中身があるかどうかですよ。 映像技術だけで見せている映画って、興味本位で1回だけは観ますけど、すぐに内容を忘れてしまうような気がしますよ。 ぜひ、興行収入と内容のバランスのとれた映画を希望します。
2007.02.21
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私が、知識だけで済ませてしまうのではなく、自分で実践した経験の積み重ねが本物の学習だと信じて疑わないのはすでにご承知のことなのです。 楽器の特性を感覚的にイメージすると、こういう風になるんじゃありませんか? まず、Acoustic guitarなら、開放弦を活かしたMelodyや曲作り。Electric Guitarなら、音色の持つ特色を生かしたMelody作りでしょう。 実は、一見単純な楽器というのは、やってみると奥が深いんですよねえ。Acoustic Guitarの魅力は、様々なTuningを使って遊べるところですよ。勿論、Electricも面白いんですが、Effectsを使用して独りだけで弾いていると、10分で飽きてしまいます。 昔は、十分飽きずに遊べたものですが、最近は、どうもいけませんねえ。自分を誤魔化さないためにもAcoustic楽器を弾いている方が断然多いです。 ところで、特に、Rock Guitarの奏法なんていうのは、大きな音で弾いてみて、初めて威力を発揮するものが多いんですよ。ですから、小さなしょぼい音で弾いていたら、いつになっても上手にならんのですよ。 私事ですが、高校1年生の時には、山に向けて爆音を鳴らしておりました。それというのも、しょぼい音では、Rockにならないと感じたからなんですよ。近所から苦情は来ませんでしたが、ずいぶん上手な?演奏だと言われました。(笑) まあー、そういう青臭いことをやって経験を積んだお陰で、今日があるわけであります。あなたも、自分で実践した経験の蓄積でないと現場では役に立ちませんよ。 自分の美的感覚は、自分で磨きましょうよ。 あなた以外のいったい「誰」が、感性を磨いてくれましょうや? そんなわけで、実験君でした。
2007.02.20
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朝日が、昇る。 今日も命の光を浴びて、全ての生きとし生けるものたちが、再び蘇生するのである。 私も、その中の一人なのだ。 さて、今を遡ること百数十年前まで、我らの祖先は日本のことを「日の本」と言ったりしたものであった。 これ即ち、太陽が昇る国のことなのだ。 太陽信仰は、古くはどこの国でも少なからずあったのだ。たとえば、エジプトやインカ文明などが印象深いのである。面白いことに、太陽信仰をしていた地域では、天文学が発達しているのは興味深いのだ。かなり天体の動きに興味を持っていたことを窺わせてくれるのであった。 ところで、朝日は昇るよ。あなたの上にもね。今は亡きJohn Denverが、Sunshine on my shoulderで歌っていますよ。 太陽の光を浴びていると、無性に喜びに溢れた心持ちがするってね。 科学的にも、太陽の光を適度に浴びないと体内でビタミンDが生成されません。それに、あらゆる植物にとって、太陽の光は光合成に必要でしょう? さあー、今日も全身に朝日を浴びて歩き出しましょう。きっと、朝日が、あなたの背中を温めてくれるはずです。
2007.02.19
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えー、私もほんの些細な出来事から、ついにFloyd Rose付きのGuitarを使うことになりました。 それまでは、こういうものが付いているというだけで敬遠していましたよ。それというのも、音が変なのでした。何というか、ひと言で表現すれば、楽器が全然鳴っていないのです。それ故に、自分の中では、「こういう楽器は、駄目な楽器!」というレッテルを付けておりました。 しかしながら、きちんとしたよい素材で作られていれば鳴るんですよ。 私は、Acousticな響きを大切にしたいので、たとえElectric GuitarであってもUnpluggedの状態で十分に鳴らない楽器は使わないのです。 よって、通常のUnitでもPartsの交換をしてCustomizeしないと気が済まないのです。ナットとブリッジのPartsは大切ですよ。生で弾いてみて金属的な響きがしていたら交換です。 というか、そもそもBodyやNeckが鳴っている感じがしなければ買わないのです。 最近は、使用楽器全体をTimeless Timber材を指定して制作して貰っているので、生で弾いても「激鳴り」ですよ。したがって、Amplifierを通した音も芯がありつつ抜けるToneになるのです。 それに、材自体に変な癖がないので、あとの維持のことを考えると、たとえ購入時には高額であっても、こういうものを使った方が結局は安上がりなのです。
2007.02.18
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今日も、午前3時30分に目が覚めてしまった。再び寝ようとしたら、猫が、「ちょっと、ごめんなさいよ」と寝室の戸を開けて入ってきたのだ。 「腹が減った、飯をくれ!」と猫語でニャーニャー言っているらしいのだ。 私は、猫のどこかをひっかく音や声を聴くともう眠れないのだ。生来、猫は大嫌いなのであった。それに、Wifeが無類の動物好きであるので、放っておくと動物園にされてしまいそうなのだ。現在、家で飼っている猫三匹、犬一匹も、全て捨てられていたものである。 さて、Pet Foodsを買うために近所のShoppng CenterのPet FoodのSectionに行くと、犬用と猫用では、猫用の方が値段が3倍以上高いのは何故だろうねえ? それというのも、我が家の猫は肥満なので、Dr.HillのDietなる製品を購入しているのだ。 しかし、名前も妙なのだよ。日本語の製品名には、Dr.Hill'sのDiet Foods!?と書いてある。これってそもそも「's」が余分じゃないか? 要するに、きっと、「Dr.Hill's」じゃなくて、「Dr.Hill」っていうのが正しい名前なのだ。こういう簡単なミスをしてしまう日本の会社はどうなっているんだろうね。 今度、電話してそこのところを絞ってやるぞ! ばかばかしいにもキリがあるよ。まあー、うちの猫は犬の餌を食べるし、犬は猫の餌を食べたくてしょうがないんだよ。 たまには、違うものも食べたくなるっていうものだよ。
2007.02.16
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えー、毎日茹だるような暑さですね? これが、何かって言うと、買い物に行った先のShopping Centerなんかではもうガンガンに暖房が入っているんですよねえ。 もう建物の中は、真夏ですか? こういう時、私は、裸になりたいところをグッと我慢して、上着を脱いでタンクトップで済ませているのだ。まあー、私はどんなに寒かろうが、T Shirtの上に一枚薄いフリースのジャケットを着るだけでいいのだよ。 さて、今日は天気がよかったので、朝からおでんを作ってみた。午後になると疲れてしまい、横になって体力を充電するから、どっちにせよ朝一番にやるとよいのだ。 昨日から、急に風が強いよねえ? 今年は、暖冬のせいか知らないが、春一番がやけに早いような気がするのだが、いったいどうなのだろうねえ? ところで、近海の海流も温度上昇のあおりで漁獲量が激減しているらしいね。そうなるとおでんに入れる具のことで頭を悩ましてしまうのだよ。 野菜ばっかりじゃ、折角のおでんが台無しだよ! ここで、一つ不思議なことがあるのだ。かまぼこやちくわにしてもおでんにしても室町時代当たりまでは串に刺さっていたはずである。 それが、何故、串から離れて売られているんだろうか?最近のRecycle問題が提起される以前から串には刺さっていなかったと思うのだが、どういうことなんだろうね? おでんは、古くは田楽刺しだし、かまぼこは、蒲鉾と書いて、魚を捏ねてそれを棒に塗って焼いたものだよ。つまり、本来、ちくわ(竹輪)は、蒲鉾の形をしているが、いつの時代からか呼び名が変わったものだろうね。 こういう事になると、所謂、「竹輪」のことを「蒲鉾」と呼ぶのが正しいと思うのだよ。 おでんの歴史も結構、面白いだろう?
2007.02.15
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ここのところ、安心して眠れない自分がいるのだ。 午前4時から5時頃に目が覚めてしまうのである。それでも、「もう少し寝てみるか?」と蒲団にはいるのだが、さっぱり眠れない。 そんな時は、夜明けが待ち遠しくてしょうがないのだ。 地平線から闇の中に光射す一瞬というのは、まるで全てのものの「再生」を暗示するかのようだ。この瞬間を待ちわびて戸外で夜明けを待ったこともあったのだ。 これとは逆に、光が山際に落ちきって辺りが闇に包まれてしまう瞬間も、趣があっていいものだったりする。 何となく枕草子の様な世界だねえ。 いとおかしっていう感じかな? 日本は、四季に恵まれているから自然も様々な表情を見せるのだ。同じ場所で朝日や夕日を見ていても飽きるということがないのだ。勿論、海岸や山の上で見ても、とても感銘を受けるよね。
2007.02.14
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雨は、私の気持ちとは裏腹に地上に降り注ぐのだ。そして、時には、私の心に同調するが如く私の代わりに、大粒の涙を降らせたりするのだ。 The Sky is crying 'cause Baby you're gone I'm all alone again......... I'm looking for illusions about you 現実と幻の狭間で 自分を見失っている人々よ 我が呼びかけにより目覚めよ 光が汝らを照らすとき 大音声とともに幻の壁は崩れ 新しき道は眼前に拓けるであろう ところで、何となく言葉を並べては遊んでしまうのだ。特段深い意味はないのだよ。故John Lennonも言っていたが、彼を神の使いのように思いこんでいる人々が70年代には本当にいたのである。彼の書く歌詞に感銘を受けて、まるで神の言葉のようにそれを信じて自分の進むべき道を尋ねてくる人が後を絶たなかったのだそうである。 そこで、Johnは、歌詞は単なる思いつきと言葉の遊びであって、そこに特段の意味はないのだと吐露している。いつでも、作り手と観衆の間には見えないGapが存在しているようだ。 ことば一つとっても、温もりが欲しいのは人情である。きっと、美しい女性を見れば、彼女にそっと手をかけて、「あなたは、とても美しいね」と褒めてあげたくなるのも人間の性(さが)なのである。 ここでいう美しい人というのは、眼差しが、とてもよいのだよ。 どんな人でもそうだが、人の顔は生き方で変わってくるものなのだ。 こういう話がある。 昔大金持ちで豪奢を極めた人が何かの弾みで落ちぶれてしまったということだ。数年後、その人の友人が貧民窟で物乞いに身をやつしているその人を見つけたのだった。しかし、最初は分からなかったのだ。金を恵んで貰おうと寄ってきたその人の声を聴いてやっと気がついたのだ。顔は、全く別人のように変わっていたそうな。 きっと、彼の心の持ち方と荒んだ生活、そして過去への固執が、そういう姿に自分自身を変えてしまったのだろうね。 人間平常心是道なのだよ。お忘れなくね。 明日の顔を作るも壊すも、あなた次第なのだから.....。
2007.02.12
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健康な人には、理解されないかもしれないが、私は、毎日祈りを捧げているのです。 いつの頃からでしょうか? 日本人が、祈りの気持ちを忘れてしまったのは............。 私は、祈ります。 あなた方に、幸多かれと.............。 善意の橋渡しは、そんなに難しいことではないはずです。きっと、私にもできるはずだと信じています。毎日、あなたや家族や身近な人たちに思いを馳せること。 そして、ただ、「お守り下さい」と祈れば、それでよいのです。 あなたの優しい気持ちが、数多の悪意を包み込んでしまうでしょう。凄惨な事件ばかりが報道されていますが、心の平安がこれほどまでに大切に感じられる時代はないのではないでしょうか? あなたに問います。 私は、不安、怒り、悲しみに縁取られた人間です。 でも、きっと祈りは捧げられます。 あなたも、一緒に祈りを捧げて欲しい!
2007.02.10
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Dear Readers,Thanks for coming here ! ふと気がつけば、2月も半ばに入ってきて、まさに陽気は春のようですね。 ということで、さあー、今日のお話は、「思いつき」についてですよ。 私は、感じるままに創作しているので、一々考えるという作業をしておりません。よって、心に明かりを灯すようなものを観たり、見たり、聴いたり、読んだりすることが大切です。こうやって、文章を綴っていても、自分のイメージを頼りに、それを活字に置き換えているだけであります。 さて、思いつきのイメージを膨らませていきましょう。 連想ゲームのように、思いつき→想い月→重い月→Heavy Moonということで、どうでしょう? ところで、いつでも、月って幻想的なイメージを与えてくれますね。ただ、一つ疑問なのです。それというのも、何千年も前と現在を比べたときに、月の見え方はまったく同じなんでしょうか? まあー、難しいことは考えないようにしましょうね。難しいことは、あなたが考えればよいことですからねえ(笑)。 月の光に肩を抱かれて歩くのって気分的に悪くないでしょう?私は、いつだって好きな女性の肩を抱いてあげる用意はありますよ。でも、月の光のように、そっと触れてあげるだけですよ。安心感を感じるように触れてあげれば気持ちが落ち着くのです。 ここにおいで、私が月に抱かれたのと同じように、君をHugしてあげよう!
2007.02.10
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光源に対して、実体が存在する限り、そこに影ができるのは自明の理である。 私が、言いたいのは、物理的な部分についてではなく人間の心理的な部分についてである。自信満々で生きてきてもふとしたことが切っ掛けで生身の体の儚さと脆さを実感して茫然自失の状態に置かれてしまうこともあるのだ。 それが、今の私である。 私が、こうして自分の考えを書き綴っているのも、実を言うと、自分を鼓舞するためであるし、偽らざる本心なのである。 あくまでも、等身大の自分を此処で見せていると思っていただいて結構なのである。 私という実体が存在するかぎりにおいて、その影は常に私につきまとう。つきまとうという言い方は適切でないかもしれないが、心の光の当たらない部分には、怒り、悲しみ、後悔、不安などのNegativeな要素が塊となって表に出ようと隙を窺っているのだ。 こういった感情でさえも、自分の一部分として表裏一体であるから消し去ることはほぼ不可能であると感じている。 此処で、いくらかも苦しみや悲しみ、そして喜びなどの感情を吐露してしまうことで自分を少しでも制御できると信じるのだ。 ところで、「躓きの石」は、思わぬ所に転がっていたりするのが、人生であったりする。山あり谷ありが人生のたとえで引用されるが、実際はそんなに甘くないのだ。 実際は、躓いたすぐ先に絶壁があり、真っ逆さまに谷底なのである。そんなことなので、緩やかに下がっていくのなら大歓迎であるのだ。 いっそのこと、「転ばぬ先の杖」でも本当にあったら、こんな苦労はなかったかもしれぬと思うことも少なくないのが実態なのだ。 しかし、自分の人生を名義変更して転売するわけにもいかぬ。それを死ぬまで所有しなくてはならぬのが与えられたこの人生なのだ。 些か暗い話題になってしまった。 私が、言いたいのは、光を目指しているときでさえも影はできる。時には影が実体の方を飲み込んでしまいそうになることもあるということなのだ。 私たちは、誰しも、その危うい天秤上に置かれているのだよ! それでも、私は、光を目指すのだ。 それは、私に与えられた今回のMissionであるからだ。 任務完了になるまで、たとえ疲労困憊しても、途中で挫折してしまうわけにはいかぬのだ。
2007.02.08
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どこまでも理想の音色や旋律を追求して止められない自分がいるのである。 いったい、いつで続くのであろうか、この旅は? 理想的には、生のダイナミクスを実感して音に変えてみたいというのが、もっぱら私の偽らざる気持ちなのである。 生きていると実感できることは、素晴らしいと感じている。息をしていることを有り難いとさえ思ってしまうのだ。病気でない人たちは、当たり前で毎日を過ごしていることが、私には、本当に不思議で有り難いことなのだ。 数年前なら気づきもしなかった小さな草花や鳥のさえずりにさえも心ときめかせてしまう。決して感傷的になっているわけではないが、生きているという現実を不思議な気持ちで受け止めているだけなのだ。 野原に咲く花を見て涙を流したことがあるかい? 泣いても、泣いても、枯れ果てずに涙が出てくることが不思議でならない自分がいるのだ。水辺に立てば、滔々と流れてゆく水の流れに生を感じてしまう。 不思議だ、不思議だ。不思議だ! すべてのものが、生きているじゃーないか? どうして、今まで気がつかなかったのだろうか?? きっと、私は、死ぬまで生きる!(笑) 当たり前が、本当は当たり前ではない現実に気づけば、光射す小川の流れも、あなたに微笑むに違いないよ。 赤き血潮 頬を染め 恋の恥じらい 見せし乙女 そなたの望み 我が叶えん 瑠璃色の髪 茜に染めし 高鳴る胸 期待ときめき そなたの願い 我が叶えん 時を駆け 浪漫は生きる すべては夢 夢 夢のあと
2007.02.07
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自分の心が澄んでいないざわざわしている状態だと、心ときめくようなよい旋律など出てこないのである。少なくても、私の場合は、そうであるようだ。 音楽を作っているときに何の制約もないよりは、多少の物理的制約があった方がよい場合が多いのだが、心理的制約だけは勘弁して欲しいものだ。人間は、無ければないで、工夫して何とかしようとするようにできているのである。しかし、心理的に煮詰まってしまうと、もうそこで行き詰まってしまうのだ。 この状況をたとえて言うなら、前にも後ろにも行けずに、なんだか穴にでもズッポリ全身填ったような感じなのである。 こうなったら、一端全て止めてしまうのだ。よいIDEASが出てくるまで作業は棚上げして遊ぶのが一番である。きっと、遊びをしかっりできない人は、仕事もきちんとできないのだ。この辺の切り替えは、サラリーマンではないので自分で切り替えないといけないのだ。 誰も、チャイムを鳴らして休み時間を知らせてくれないのだから...............。自由にできる反面迷ったときにどっちに行こうかと相談できる人が欲しい場面も多いのだ。どちらの道が自分らしいのか、あるいは、どちらの出来がよいかの判断に迷うのである。 まあー、こういうときは、PRODUCERにいて欲しいよね。案外、他人の作品をPRODUCEするときには判断が付きやすいのだが、自分のものをやるときは勝手が違うのだったりする。 自分でやってみたことがある人は、この辺の苦悩の具合を分かってくれると思うのだ。
2007.02.07
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自分の好きなものをとことん掘り下げていって、結果的に地山に突き当たれば、Luckyなのだ。 しかし、人生の代償を払ってまで自分でそこまで追求できる人は、限りなく少ないのも現実である。多くの者はと言えば、どういう訳か知らないが、安易に他人に金を払って教わる方へと流れてしまうのだ。 自分の才能を信じて「猪突猛進」が、私の生き方であった。 そういうことなので、そういう方法で物事を極めようなんて軟弱な奴に会うと、喝を入れてやりたくなるのだった。 さて、今、自分のPotentialsを持て余しております。既存の才能の爆発を待っているのですが、起爆装置がありません。この場合の起爆装置に当たるのは、ふとした切っ掛けで会う綺麗な女性ややる気のある生徒さんなのであります。 一流を目指そうとする人はいないのでしょうか? 「きっと、田舎では、絶対的な人口が少ないから無理なんだよ!」なんて言われると、さすがに私も意気消沈してしまいますよ。 目の奥に焔が立ち上っているような人を見ないですねえ。私は、全身に気のオーラを纏っているのですが、一部の人にはそれが見えているようですね? 私のオーラは、オレンジ色なのですが、あなたは何色でしょうか?私は、守護神が太陽神なので、どうしても暖色系になるようです。 音楽をやるのにも、精神的な主柱になる哲学を持ち合わせていないといけませんね。そういうものがない音楽は、本当の音楽とは言いませんよ。所詮は、暇つぶしのための雑誌と同様の価値しかありません。 人生を切り開き、人々に必要なものを与えるのが、これ即ち音楽の力なのです。 騙されていけないのは、技術なんていうのは、二の次だということです。こんなのは、あって当たり前です。人々が熱狂するのは、あなたの音楽の後にある映像が見えたときなのです。あなたが、何かにInspirationsを受け、それを音楽的に伝えようとするときに、聴衆にそのイメージを送らなくてはなりません。 あなたの「熱意」と「技術」と「気の力」が、混然となって音を紡ぐとき、そこに新たなる音のParadiseが出現するのです。 信じましょう、あなたが人生をかけて追い求める熱意と哲学を!
2007.02.06
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昔、こんな歌が流行りましたねえ。 君たち女の子、僕たち男の子っていう風に始まって、Hey Hey Hey おいで遊ぼう、僕らのなんとか?大事な時間とかいう歌ですよ。 年頃の男女が遊ぶっていうと、ままごと遊びじゃない「桃色遊戯」を指すんだろうか?私は、小学生の時分には、歌詞を深読みしすぎる性分だったのだった。今でこそ桃色遊戯なんて言っていますけど、当時そんな言葉を思い浮かぶ訳もございません。 しかしですよ、子ども心に「なんだか卑猥な歌だなあー?」とか思いましたよ。 さて、私が、6歳の時のことです。幼児の頃とはいっても、性的な興奮と衝動っていうのはあるんですよね。同じ年の女の子を木陰に連れ込んでお話しするのが大好きでした。 しかし、幼児時代に交際しすぎるとどこかで反動が出るんでしょうか? 私は、高校生くらいから社会人にかけて女の子に興味を失っていた時機がありました。そりゃー、あなた、かわいい女の子がいれば、かわいいなあーとかは思いますよ。でもねえ、アタックしないんですよ(恥)。 昔、毎日アタックしていたので、もう疲れました(恥2)。 なんだか、「楽器が、恋人」みたいになっちゃったんですよね。これも極端から極端に移行する我がSystemのなせる業ですな(笑)。 ところで、昔は青年団っていう組織がどこの町や村にもあって若い男女が集って活動したみたいですよ。やるのは、バザーや老人施設の慰問やお祭りの企画みたいなものだったらしいですね。そしてもっと遡ると、男宿、女宿っていう組織で男女の夜の営みのことや子育てについて学んだらしいですよ。 これも、まかり間違うと、男塾と勘違いしたごついお兄さん方に、「今日から、男を磨かせていただきます」なんて台詞を吐かれちまうっていうことにもなりかねません(滝汗)。 今の時代なら、男塾の方が理解しやすいでしょうね。 「じゃー、もう一方の女塾ってなんだべ?」っていう疑問が沸々と湧いてくることでしょう。もしかしたら、暴走族のLadies(レディース)のことじゃないかな?とかね。暴走族なのに、どうして呼び名が「深窓の令嬢」なのかはよく分かりませんね。 ひょっとすると、こういうことですか?あるパブの名前で、「美人」や「美女」っていうのがあったとしますよね? でも、中に入ってみたら、どうにも美人らしい女はいなかった(大汗)。こういう経験の一つや二つや三つはあなたにもあるでしょう? おまけに、有り金まで全部取られちゃってねえ。 これじゃー、追いはぎだああああー! 名前に騙されちゃーいけませんよ。羊頭狗肉っていうのは、どこにでもあるからね。
2007.02.03
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先日は、山遊びについて少々述べてみたので、今度は、川遊びについて書いてみようと思うのだ。 川で遊ぶのにも、様々なVariationsがあるのだが、まず、河原で遊ぶものと川の中で遊ぶものに分けてみよう。 前者と言えば、飛び石投げや河原の段差を利用しての自転車ラリー、釣り、バーベキュー、プラモデルのボート遊びなどであった。 一方、後者と言えば、魚取り、ビニールボート遊び、終いには上流に向かって歩いたり、堤防をふらつくのである。 こういうのは、とりとめもなく続くので、朝から夕方になるまでやっているのだ。要するに、家にいると、「宿題やったのか?」とか、家の手伝いをさせられるので逃げてきていたのだ。この時の非常食というのが、ラーメンである。とは言っても、カップに入っていない普通の方である。これを出かける前に叩いて粉々にしておくのだ。そうすれば、持ち歩くのに嵩張らないし、食べる前に調味料を振りかけてよく振ってやれば、即席スナックのできあがりである。 昔の田舎の小学生は、すごいことをやっていたんだなあなんて思わないでくれ給えよ。あなたも大なり小なり同じようなことをやってきたはずなのだから。 さて、バーベキューと言えば野菜や肉を持参してやるものと、相場は決まっているのである。まあー、一般にはそうである。 しかし、考えても見てくれ給え。昔の田舎の小学生である上に金欠である。何を考えるかというと現地調達なのである。川に住む魚やザリガニを捕って焼いて食べるという企画なのだ。 最初のうちは、冗談でやっていたが、腹が減ってくるともう冗談ではないのであった。2時間ほどを費やして小魚とザリガニをGetした。これを焼く鉄板くらい持って来たろうって? 答えは、NOだ! 全部現地調達なのである。どこからか錆びた鉄板を誰かがガランコンガランコンと引きずってきたのだ。燃えそうなものを見つけて火をつける。この時ばかりは、手で起こすわけにもいかないのでライターを使ったけどね。 魚やザリガニが、ジュージューと音を立てて焼けてくるのだが、誰も一切手を出さないのだ。私も腹は減っているのだが、どうにも川で取ったものを食べる気がしなくなったのであった。 いったい何を思ったか、仲間の一人が、我慢しきれずザリガニを拾ったナイフで切って食べ始めたのだ。もう我慢の限界に来ていたのだろう。しかし、生焼けのザリガニを食う姿に一同引いてしまってもう帰ろうということになったのだった。 すでにザリガニを食い始めた奴は、「俺は、これを食い終わるまでは絶対に帰らん!」と一人だけ河原に残ったのだった。 ところで、後日、河原で遊んでいて、ふと思いついたことがあったのだ。 そうだ、川の中を上流に向かって自転車に乗ったらどうなるのだろうか?私は生まれついての実験野郎だったので、自分で体験しないと居ても立ってもいられない性分なのであった。 川の中をたった一人で自転車をこぐのだ。言っておくが川の中には石がごろごろあるし、しかも平らじゃないんだよ。それでも、時間をかけて1Kmくらい上流まで行ってみたのだ。その私の姿を見ていた大人が、ふとこう漏らしたそうな。 まだ、小学生なのに、すごく変わっている!! そうです。何を隠そう私が、変人21号?です!!!(爆) そんな田舎の小学生のひと夏の出来事であった。 to be continued.........................
2007.02.03
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「これでもかあー」とばかりに店内に轟くくらいの音量で音楽を垂れ流す大型電気量販店がある。また、一歩外へ出て食堂やショッピングモール、CD Shopも例外ではなく音楽や呼び込みの声がしている。 これが、五月蠅くてしょうがないのである。これは、お客に「早く買い物をして帰れ!」という意味なのだろうか?Americaで暮らしていたときには、そんな余分な音がないから新鮮だったけれど、日本に帰ってくると騒音になれていないから耳栓が必要になった(汗)。 騒音は、都会だけの問題じゃなくて、田舎だって騒音だらけなのだよ。 私が、横になって体を休めているとトラックに何か積んで売りに来るのだ。大音量で音楽をかけた上に呼び込みまでやっていくのだ。 家を借りたり建てる場合には、騒音基準以下になるような立地条件か、あるいは、建築基準の見直しをやるべきだと痛切に感じているのだ。 私も、近々家を建てる予定だが、家の中では、外と比べてー30dbを維持できるようにしたいと考えている。 要するに、音を出すものがない生活である。Toasterが音を出したり時計がちくたくいうのはしょうがないが、近所で聴きたくもないPunk音楽なんかを偉そうにかけられては迷惑千万! 一歩家に入ったら騒音を一切除去するようにしたいのである。 但し、私も、自分のStudioでは音を出すけれど、外に出ないように防音遮音をしているのだ。 公共空間を静かにすれば快適なのに、こんなに騒々しいのは何故だ?日本人には、未だPublicという概念がないのだろうか? 最近、とても喜ばしいのは、田舎のショッピングモールや商店でも、以前は、我がもの顔でたばこを吸っていた連中を戸外に閉め出したことだろうね。 礼儀をわきまえないで、これ見よがしにたばこを吸う連中なんざ、外で寒風に吹かれていればいいのさ。
2007.02.02
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山の近くに行くっていうと木々からツタのようなものが垂れているんですよね。その中で比較的長くて太いものを探してどのくらいの強度か確かめます。ツタの途中から切ってぶら下がって落ちてこなければ使っても大丈夫です。 そんなわけで、ターザン遊びです。 山の斜面からツタに掴まって畑の方へ向かって飛び出すんですが、握力のない奴や小さい子は途中で落ちちゃうんですよ。怪我をすると大変なので、小さい子には余り上の方から勢いを付けずに遊ばせます。それでも、自分の体が回転しながら宙に浮いて戻ってくるからブランコなんかじゃ味わえないスリルがあるんですよ。 これが、上級生なんかになると勢いを付けて飛び出すので、見ている子どもからも歓声が上がります。中には逆さにぶら下がったり、ツタにあらかじめひねりを加えておいて飛び出すのでグルグル回転しながら戻ってくるんですよ。 もう、小さい子どもたちは大喜びです。こうやって小さい子も遊ばせながら順番に楽しんだものでした。上級生のしきりが悪いと怪我をする子が出ますからルールを守らない子にはさせなかったんですよ。 こういう時は、遊びをさせてもらえないとつまらないから、みんなルールを守るんですよね。結果として、大けがをする子もいなかったです。 しかし、小さい子たちだけでやると、無理をするので、落ちて大けがをする者も出てしまう有様です。折角のツタも危険だからと切られてしまいました。 要は、遊び方の問題ですし、仕切る上級生や大人がしっかり監視していれば、怪我なんてしないんですよ。 私が、子どもの頃には、怪我といっても切り傷やすりむく怪我くらいで大けがなんてしたことがないですよ。大抵の場合、怪我するやつっていうのが、一番トロイ奴だったんですよね。 きっと、山育ちで、鍛えられているので、瞬発力があるんでしょうね。 山に基地を作ったこともありましたよ。山の木をいろいろ組み合わせて簡単な小屋みたいなものを作ったんです。ここで、誰にも知られずに山遊びをしようなんていうもくろみでしたが、雨が降ると雨漏りで使えません。 山芋堀もやりましたね。朝から5時間くらいかけて芋の蔓を探して、それを掘り下げて、やがて手の形の芋が出てきたときは感動しました。それを家に持って帰って、夕食に食べましたがすごく旨かったですよ。 自分で苦労して掘った芋だから、味も格別でしたよ。
2007.02.01
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えー、件の坂車なのですが、これを引っ張って近所の坂道を上っては、ゴーッと一気に下るわけですよ。 これも、何度か同じ場所で繰り返しているってえと、子ども心にも飽きてくるんですよ。そんなわけで、河岸を替えるんですよ。 今度は、カーブの多い坂に移ってみたら、これがかなり面白いんですよ!たまには脱輪もしてしまいましたけどね。この坂車のハンドルは、車輪につないだ綱なんですよ。要するにウマじゃないけれど、手綱さばきで優劣が決まっちゃうんですよ。 こりゃー、まるで車輪を持つウマのようですよ! 私は、自動車にはハンドルよりも綱の方が合っているようです。どうもハンドルは性に合いませんなあー。綱を一瞬引いたり弛めたりして方向を変える時の緊張感は、他の乗り物では味わえませんよ。 それで、最終的には山の斜面に下り降りるコースを造ってしまいました。やっぱり、公道は危険でしょう?それに、問題児の私が、また何かしでかすと、親にも迷惑が掛かりますからねえ。 で、山に来れば自動車も来ないので、ブレーキなんか外してしまって一気に下るんですよ。山に斜面を掘って造ったコースですから、コースから外れてしまうと滑って下まで落ちてしまいます。 この緊張感が、たまらんばい! というわけで、「公道レーサー」から「山道レーサー」になってしまいました。 to be continued.................
2007.02.01
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