Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

アモイ旅情3



「アモイ旅情34」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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広東省の省境を超え福建省アモイ近郊まで、
戻って来たが230キロほどの道のりの殆どを、
高速道路を走って来たので3時間ほどで着いた。

アモイ市内に入り暫しの間ウトウトしていたが、
バスは私の宿泊しているホテルまで着いた。

ホテルへ着いたという事でバスを降りたが、
道路を挟んで反対側へ降ろされたこともあり、
近くの陸橋まで歩き大回りをしてホテルへ着いた。

大ざっぱなところも中国かと思いながらホテルの、
中へ入って行ったが、バスを降りてより20分ほど、
過ぎていた。フロントで明日行きたいところの、
道順を聞いて部屋に入った。

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私が行きたかった所は、アモイ園林植物園だった。
園林植物園は万石山植物園とも呼び、園内には、
寺もあるとガイドブックに記述してあった。

万石山植物園チケット売り場横の案内板には、
高読琴洞、太平笑石、天界暁鐘、石蓮寺や、
甘露寺など国家級の名勝と書かれてあった。

アモイ園林植物園は、アモイ市の万石山にあり、
園内には小高い山があり、岩肌には文字が、
彫られており、彫られた溝に色が塗られていた。

写真は、梅林園の中に咲いた梅の画像だが、
よくよく見ると造花が梅林園を埋め尽くしていた。

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「アモイ旅情35」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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福建省アモイの万石山植物園へ来ている。
朝8時過ぎホテルを出発して、フロントで、
教えてもらった通りに市バスを乗り継ぎ来た。

植物園の入口でまわり方を聞いたところ、
面倒くさそうに植物園の案内板を指差す方向へ、
歩いて行き、案内板の内容を簡単にメモした。

だが、案内板では道順を分かったように思っても、
実際に中に入り夢中で写真などを撮りだすと、
全く違う方向へ歩き出してしまっている。

熟知した所ならば、少々道に迷っても、
方向修正出来るが、初めて来た所では方向が、
正しいのか間違っているのかすら分からなくなる。

そんな時に「トウ小平」のクスノキの植樹の、
記念碑の所へ出て、撮影をしたのち案内板を見つけ、
メモと照らし合わせたが、1か所飛ばして来ていた。

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1984年2月にトウ小平はアモイなどの経済特別区の、
視察を重点に置き行動をしていた。2月10日午前、
長雨が降り続く中、万石山でクスノキの植樹をした。

福建省の政府幹部は、予定していた植樹活動を、
中止にするよう提案していたが、トウ小平は笑って、
頭を横に振り、植樹は最大の活動であると、
降りしきる雨を押して、植樹したとの事だった。

トウ小平は三回失脚、一回目は江西ソビエト時代に、
毛沢東派の一人として失脚。二回目は文化大革命で、
三回目は第一次天安門事件で失脚したが、復活する。

トウ小平は1997年7月の香港返還を見ることなく、
パーキンソン病ににより、1997年2月に亡くなった。

トウ小平は遺体の献体を望んだが、身内の反対で、
角膜移植に寄付するに留まり、遺灰は親族により、
中華人民共和国の領海にまかれた。

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「アモイ旅情36」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ園林植物園は万石山植物園と呼ばれており、
豊富な水があり、様々な植物が貯水池を取り囲み、
植物園の案内では、園林には、松杉?、シュロ園、
バラ園、薬用植物園など20数種類以上の、
植物区が順繰りに配置されている。

写真はブーゲンビリアの花だろうか?一面に咲き、
下は香港行政特別区の花の紫荊花である。
広東省を代表する花で、冬でも咲いている。
香港の旗のデザインにもなっている。

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植物園には熱帯植物や亜熱帯植物など、
多くの種類が栽培され、スギや銀杏また、
世界五大庭園樹木の中国金銭松や日本金松、
面洋杉の他沢山植樹されており、サボテン類も、
見ることができるが、私は行っていない。

だが少しサボテン園の話をするとサボテン園には、
養殖して28年になる「エキノカクタス」という名の、
球サボテンがあり、そのサボテンは直径が72センチ、
50年にただ一度だけ花を咲かせるという事だった。
花が咲くまでにはまだ22年も待たなければとも思った。

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「アモイ旅情37」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイの植物園を散策中に小鳥が休憩しており、
慌ててバッグより望遠ズームを取出しカメラに、
取り付け撮影をした一枚の画像。

小鳥の名前はハッキリしないが、ヒヨドリ・・?
ヒヨドリの体の色はグレー系なので写真の小鳥は、
ヒヨドリとは違うのかも知れないけれど、
ヘアースタイルが、それらしいと思った。

アモイ植物園は1960年に造園され一般公開された。
中国の植物園の歴史を紐解くとまだ浅い歴史だ。

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私が訪れた植物園ばかりの話になってしまうが、
雲南省シーサンパンナ熱帯植物園は、メコン川の、
支流である羅梭江の中洲に位置しており、1959年に
一般公開されており熱帯植物の栽培に恵まれた土地だ。

北京植物園は1956年に作られ桃の花祭りが有名だが、
日本からの旅行では、中国まで来て植物園でもないと、
ツアーにも組み込んでいない旅行社も多い。

上海植物園は1954年に今の前身が出来、1974年に、
上海植物園と改称して1978年正式に公開している。
私は地元でもあり、休みの日はよく行っていた。

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広東省華南植物園は広州市の東北郊外にあり、
中国最大の南亜熱帯植物園である。1956年に造られ、
1968年に一般に公開されているた。

杭州植物園は西湖の北にあり、東は玉泉山森林公園に、
接している。1956年に造られ、1961年に一般公開。

アモイの植物園には、万石山の麓に造られており、
自然の岩がむき出しになっており、岩には文字が彫られ、
その中を一人で歩いていると道教の世界感が体を、
包み込んでいるような錯覚を受ける。

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「アモイ旅情38」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ植物園は1960年造園されたが他の都市の、
植物園も1956年から1965年ほどである。

中国の北から南までの植物園開園は1959年前後で、
1949年10月中華民国から中華人民共和国になり、
中国内が落ち着き、国民の心に余裕が出てきた頃に、
花や観葉植物を観賞しようとの気運が高まったころ。

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アモイ植物園は、万石山植物園とも呼んでおり、
人工の浅い池には低い橋がセメントで作られており、
その上を歩きながら池の中や対岸の岩に詩が彫られ、
その文字を写真に収めながら、のんびりと歩いた。

春から秋にかけての時期には、四季折々の植物が、
観光客を迎えてくれるとの事だが、冬が近づくと、
木々の紅葉も枯れ落ち、岩肌が目立つようになる。

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岩に「天風難肆」と彫ってあるが、その意味は、
何か分からない。何となく空吹く風さえも、
勝手気ままに吹くことは難しいようだとの意?

「天朗気清」と彫られた岩も見掛けたが、
空が晴れわたり空気がすがすがしいとの意味かな。

万石山植物園には岩が多く、文字が刻まれており、
立ち止まり、その文字が語りかける意味を、
考えながらの散策もまた楽しいものである。

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「アモイ旅情39」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ植物園の浅い人工池の周りには、
所々コンクリートのベンチが置かれており、
家族連れや若いカップルが腰かけていた。

その中を通り抜け、小高い山道に入った。
山道を上りながら、両脇や曲がり角に、
置かれた岩に刻まれた人の名前や文字から、
受ける意味を感じながら撮影した。

上の写真は「鄭延平郡王」と彫られている。
鄭延平とは鄭成功の別名であり、鄭成功の、
功績を賛えアモイグランユに立っている。

台湾を占領していたオランダ軍を駆逐した功績を、
賛えられ高さ20mもある像が立っている。

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「長寿峡」や「寿」と彫られた岩の前では、
シャッターを切ってからも暫く眺めていた。

また岩に刻まれた年代が彫られていたが、
30年前とまだ最近のことのようでもある。

今や長寿国と言われる日本だが、中国にも、
125歳の人たちも多く、貧困のため病院に、
行くことも出来ず亡くなっていく人も多い。

中国もこれから医学の普及と貧富の格差が、
減るに従い、平均寿命も日本に追いつき、
いつの日か追い越される時が来るだろう。

だが閉鎖的な中国、言論の自由を束縛される中国、
ノーベル平和賞の事柄の事実を知っている人は、
一握りの中国人しかいないことにも憤りを感じる。

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「アモイ旅情40」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ万石植物園の小高い丘を越えると、
道教の寺へ出て来てシャッターを切った。

どうやら私は正門から入らず裏門から、
入って来てしまったようだった。

ガイドも付けない一人旅ではよくある事。
明代末から清朝の初期にかけて造られた寺で、
中には天帝を祭っているが釈迦とは違う。

生命の死や再生を通して命によって豊穣を、
得られるという古代中国の祭祀の最高神が、
天帝と言うことだったが難しい。

道教の寺には、鄭成功も祀られている。
太平岩寺の正殿の両脇で天帝の天壇を祭っている。

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清朝の嘉慶通宝の古銭でも知られる嘉慶年間に、
太平岩寺の修理が行われたが、45年後の1862年、
仏堂から出火し全焼してしまった。

太平岩寺の仏堂の再修復のため募金を募った。
だが貧困に喘いでいた当時では仮仏堂を建てるのが、
やっとの事で中華民国に入ってからも仮堂だった。

中華民国の1934年に、豪商や在家の信徒募金により、
仮正殿を建てたが、消失以前の華やかさはなかった。

抗日戦争も終結したが、中国内戦状態で貧困状態。
資金も集めることが困難になっていった。

共産党が勝利を収めたが、人民解放軍による駐屯地に、
万石山が選ばれ、駐屯拠点に太平岩寺が使われた。

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1965年末、駐屯軍は防備を撤収して解放された。
アモイ市の仏教協会に交渉し協会から生活物資などの、
供給を受けるようになり落ち着きを見せ始めた。

だが、文化大革命が始まると、寺に居住する人たちは、
寺を追われ、太平岩寺は深刻な打撃を被ることになった。

仏堂の天帝も破壊されるのではと隠すため地域の人達と、
民家に安置して文化大革命を乗り切ったが中国各地の、
状況は皆同じで、小さな仏像は壁の中に埋め込み守った。

文化大革命も終結し正式に太平岩寺に対する使用権を回復。
25年後に資金を集め、太平岩寺は今の姿になった。

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「アモイ旅情41」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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万石山と万石山植物園はアモイのグランユに、
位置しており自然により出来た光景が見られる。

写真は獅山の主峰に位置し岩奇と石怪で、
旧8景に数えられる太平石笑を撮影した。

写真からは見え難いが、石笑と彫られた岩に、
斜めに二つの岩が寄りかかっている。

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一枚目の写真では状況が分かり辛いので、
新しく写真をアップしたが分かるだろうか?

二つの岩の下を潜り抜ける時に上を見ると、
二つの岩の間が開いており、その光景は、
石が口を開いて大笑いをしているように見える。

後から分かった事だが、中国のガイドブックにも、
詳しく掲載されておらず、私は表門から入らず、
裏門から入ってしまったようだった。

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逆行しているとは思ってもいなかったが、
表門から入っていれば、また違う印象を、
受けたのかも知れない。

植物園の裏から山を登り細い道を歩きながらも、
シーズンオフとは言え観光客とは出会わなかった。

太平岩寺の裏門を見た時は感じなかったが、
後から思うと、裏門から細い道を通り植物園へ、
抜ける人は、それほど多くはないと感じた。

石笑の文字が刻まれている所で鄭成功が、
時間のあるとき読書をしていたとのことだった。

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「アモイ旅情42」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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太平岩寺から少し下ると道は段々広くなった。
その道の両側の岩には文字が刻まれており、
その刻まれた時代や意味を思い描くのも楽しい。

広い通りには多くの観光客も歩いており、
自分一人で旅する時には思い込みで行動し、
今回の旅も逆行して不安になったものだ。

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安堵した気持ちで、広い道なりに歩いていると、
道の右方向の小高い丘の上に寺が見えた。

予備知識もなく、その寺の方へ歩いて行った。
万石蓮寺と書かれた寺は唐代に建てられている。
明末に増築され、修築を繰り返して来た。

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万石蓮寺の門を潜り、道なりに登るって行くと、
大きな岩に「歩入雲宵」と刻まれた文字が目に入る。

歩入雲宵の意味は、歩いて行くと天までとの意だが、
そのまま歩いて石段を登って行くと寺は高台に、
建てられており、そこから下の景色を見ると、
それは例えると空から見るような絶景なのかも。

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「アモイ旅情43」

「中国写真ライフ」では、
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アモイ万石植物園のなかにある万石蓮寺は、
小高い丘の上にあり石段を上ると見えてきた。

万石蓮寺は、1984年に寄付を受け新しく、
建て直した寺は規模こそ大きくないが、
新しい禅寺の仏教寺院の姿を見せていた。

私が着いたときに、この寺への観光客は、
誰もいなく、私一人だけだった。

寺には大雄宝殿もあり、中を撮影しているときに、
後ろから大きな声で、撮影はダメと言われ驚くが、
年配の中国人女性で、中の仏像は撮影しては、
ダメだから、先に注意しときますよと歩いて行った。

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私は彼女を呼び止め、寺の外観の撮影は問題ないかと、
聞くと、外観は何枚撮影しても良いですよと去った。

私は彼女が去るのを待って石段を上がり本堂の中へ
入ったところで被写体にレンズを向け撮影しようと、
シャッターに指を掛けた瞬間、本堂の隅から、
撮影してはダメだよと、おばさんがメガホンで、
叫ぶので思わずシャッターを押してしまった。

液晶モニターを開け撮影した画像を見ると、
案の定、一瞬声に驚きシャッターを押したため、
画像の両脇がブレていたので、その画像を、
まだメガホンを持ったままの女性に見せた。

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苦笑いを浮かべながらも、ここは私の持ち場だから、
撮影してもらっては困りますと早口で言った。

私から、何故仏像の写真を撮ってはダメなのか、
分かりますか?と聞くと何故だか分からないと言う。

私から彼女に撮影禁止の訳を話すと身動きせず、
真剣に聞き入っているので、おかしくもあった。

私の説明は次のページで書くとして、大雄宝殿の
裏側には功徳林や念仏堂もあり前の石段には、
沢山の精巧に作られた龍の浮彫もあった。

下の写真は釈迦三尊の釈迦と文殊菩薩、普賢菩薩。
仏法の事は分からないが、釈迦の過去世と現在世、
右側が未来世の姿と理解してもよいのでは・・?

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「アモイ旅情44」

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福建「アモイ」の写真を公開しています。

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写真はアモイ園林植物園にある万石蓮寺の中。
中国内一般の禅寺より小さい万石蓮寺だが、
大雄宝殿の中には仏像が安置してある。

日本の仏像も同じなのだろうが、中国でも、
仏像の撮影は1990年頃から撮影禁止の寺が増えた。

何故仏像は撮影禁止にしている寺が多いのか?
主な理由として何点か挙げられる。

1)撮影の対象物ではなく信仰の対象物なので、
撮影を禁止している寺が多い。だが、外国人は、
撮影している人が多い。

2)心から信じ手を合わせている人の迷惑になり、
堂内は撮影禁止にしている。

3)写真を多く撮られ、その写真が世に出回り、
仏像のありがたみが薄れるために撮影禁止。

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4)脚立や三脚を持ち込んで撮影している人が、
堂内の保存ガラスを割ったりしたこともあり、
文化財保護の観点から禁止にしている。

5)礼拝場所は、狭く撮影する人が立っていると、
参拝に来た人が入れなく迷惑になるためと、
寺にとっては回転が悪くなるため。

6)寺の境内で仏像の絵葉書を販売しており、
仏像の直接撮影を禁止している寺もある。

7)堂内は薄暗いのでフラッシュ撮影する人も多く、
参拝に来られた人の心を乱すから禁止している。

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以上のような理由が挙げられるが、敦煌などでは、
入り口でカメラ持ち込み禁止と預けなければならず、
コンデジを持ち込み撮影した場合、最悪罰金になる。

撮影禁止の寺が多いが撮影許可を取れば、参拝客の、
少なくなった時に素早く撮影して下さいと、堂内の、
僧侶に撮影を許可た事を伝える所もある。

堂内撮影は基本的に禁止になっており、外に出て、
望遠レンズで撮影する場合には問題は少ない。

世の中の宗教は仏教だけではなく色々な宗教があり、
仏像を只の芸術品として理解する人も多いので、
外国人にとって撮影禁止を理解できない人も多い。

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「アモイ旅情45」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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福建省厦門万石山公園はAAAAランクの公園で、
山肌から岩がむき出しになったところが多い。

岩に刻まれた「石林」の文字を見て雲南省の
世界自然遺産「石林」が思い浮かんだ。

石林は、海底が隆起し、剣のように尖った岩が、
織り成す造形美で、その岩には中華民国のころ、
多くの文字が刻まれていた。

雲南省石林

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アモイ万石植物園の散策も終わりが近づいてきた。
帰り道は、どんどん広くなり、一時はどうなるか、
少し不安な思いも抱いたが、今はゆったりと歩いた。

植物園の通りには、南国らしいシュロの木や、
椰子の木がきれいに手入れされ、その幹は、
まっすぐ育っており気持ちを和ませてくれた。

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肩に提げたカメラバッグが、ずっしりと重たかった。
カメラバッグには、旅先で何かあってはと思い、
予備のカメラを入れており、3本のレンズも、
全体の重さを増していた。

カメラバッグだけで2キロあり、初めはそれほど、
重さを感じないが6キロほどだが辛く感じる。

また首から提げたメインのカメラとレンズも、
2.5キロほどあり、これに三脚を持って歩く時など、
普段からの体力づくりが大切になってくる。

最近はできるだけ身軽にして行動している。

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「アモイ旅情46」

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アモイ植物園の出口付近に造られた噴水で、
噴水の噴き出す水を止めた映し方や、
流れるような映し方を画像にアップしている。

同じ場面を2枚ずつ撮影し、上側の画像は、
水の動きが止まった画像と下側の画像は、
水が流れるような写真を撮影した。

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時間に余裕があるときなどの撮影では、
マニュアル露出でシャッタースピードや、
露出などを調整しながら撮影している。

だが、普段の撮影は露出優先にしてあり、
ピントを合わせる半押し状態にしたとき、
自動でシャッタースピードが設定される。

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背景がボケる撮影は露出優先AEを使用するが、
明るい大口径レンズを使い露出開放で撮影。

大口径レンズは20万円ほどするので、
よく考えて購入しないと後悔をしたりする。

本題に戻ると水しぶきを止めた画像では、
シャッター速度優先AEモードにして、
速度調整だけで撮影する。

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シャッター速度優先AEで4000/1と早くすると、
水しぶきが水玉のように止まった写真になる。

逆にシャッタースピードを遅くすると、
水が流れるような写真にすることができる。

だが、シャッタースピードを遅くすると、
露出がオーバー気味になり白トビをおこすので、
ファインダーをのぞき適正なスピードを選ぶ。

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私は時間のあるときにはマニュアルで撮影するが、
露出補正を設定しながら撮影できいい画像ができる。

撮影対象に合わせてシャッター速度と露出を、
任意に決定することができるので面白い。

だがスローシャッターに設定すると手ブレが、
起こり易く脇をしめてカメラブレを抑える事が大切。

帰りは路線バスを乗り継ぎホテル近くまで行ったが、
最終バス停からタクシーに乗りホテルまで帰った。

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