2008年09月23日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

一度もそんな気持ちになった事は勿論ない。
子どもがいるからと言って、追い詰められた事もない。
でも、育てる事は悩みが付きまとう。

悩みは、価値観が変われば解決するけれどそんなんに簡単に価値観なんて変わらない。
ましてや、病気の悩みとなればそれを丸ごと受入れる心の大きさは持ち合わせていない。
きっと、悩むような病気になれば追い詰められるだろう。

学力低下を防ぐ為にまた、テストをするような案がニュースで流れる。
ほんとに大切な事ってそんな事かなぁ。

人として、普通に怒ったり・笑ったり・泣いたり・・・・
同じ事の繰り返しの生活の中で自然生まれる心のトレーニング。
トレーニングが続けば、学力は付いていくのではないかと私は思う。

好きな事は一生懸命するからね。
一生懸命出きない事は「したい事」ではないからなんだと思う。

「したい事」だけなんて出来ないよ。
・・・という人は欲張りなんだろう。

あれもこれもを望まなければ、「好きな事」で暮らせる。

子どもを目の前にして、手をかけた方は何を望んだんだろう。

そんな事すら思い浮かばない「標準の人生」に到達出来ない絶望感の方が大きかったように感じている。

「生き方」は色々。

出来れば、少しだけ誰かに甘えて、誰かに甘えさせてあげて生きていければ良いなぁと思う。
何もかもを自分で背負うのは、その人を想っている人を不幸にする。

年金制度が出来て半世紀ほど・・・
昔はもっと良くない時代があったのだよね。
私の子どもの頃は周りのみんなは随分楽しそうになっていた。
振り返るととても良い時代。

でも、そんなのばっかりではない。
その頃もやっぱり、お風呂に入れない子どももいた。
ずるい、自分の事しか考えない人もいた。
ギスギスしたり、カリカリしたり・・・
身の危険を感じていたらしい戦後もあった。
激しい差別も随分とあった。

子どもの目がキラキラしていたのは、しっかりした大人が守っていたから。

今、子どもの目の輝きが薄れているとしたら大人の責任のように思う。
決ったレールを歩く事だけを教えられた時、その通りに行かないと行き詰ってしまう。
色んな形があって良いのにね。
子どもの親を見守るその親と周りの人。
言葉だけではない。
お金でもない。

誰の為であれ、食べる為に働く。
お金を得て、買って暮らす事も、田畑を耕して自分で作る事もどちらでも良いからしてみると
きっと、心から湧き出る幸福があるだろうと思う。

大正後期から昭和初期に産まれた方の沈黙の中の大きな愛にもっと耳を傾けたい。
平成に産まれた素朴な若者の熱い想いにも目を向けたい。


彼岸花の時期ですね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年09月23日 09時15分39秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: