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2012.11.22
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■超能力者は存在するか?いわゆる氣功師や超能力者が「手かざし」などによって、病気や痛みを癒すという民間療法が昔からある。非科学的という批判は多々あるが、実際に効果を上げていることも多く、無視できるものではない。事実私の知人は、その人を見ただけでどこが問題かが分かり、イメージするだけで治してしまう。ある人のねじれた背骨を元に戻してしまったのを目の当たりにしたとき、信じる信じないを超越してしまった。といっても、これは特別のことではない。お母さんが子どもの痛いところに手で触れて、「痛いの痛いの飛んでいけ!」とおまじないを唱えれば本当に痛みが消えたり、治療のことを「手当て」といったりと、昔からごく普通の人にも人を癒す能力が備わっているように思う。とはいっても当然個人差があり、ほとんどこの能力がない人から、極めて強力な能力を持つ人までが存在する。この後者のことを私たちは超能力者と呼んでいるのではないだろうか。■「治す」ことと「癒す」こと、そして「直す」こと超能力者(氣功師)と称する人が、肩こりや腰痛を治したり、苦しい心を癒したりすことはよくあることだが、たまにはガンなどの不治の病といわれる難病を治してしまうことがある。本当に素晴らしいことだと思う。私は、今「治す」と「癒す」を一見無造作に使ったが、この両者には根本的な違いがある。まず「治す」は病気や痛みの症状をなくす、または緩和するということで、いわば対症療法的なものだ。これに対して、「癒す」というのは、単に病気や痛みを消し去るだけでなく「その病気や痛みそのものを受け入れ、根本的な原因をも除去する」ということだと思う。もうひとつ忘れてはならないことは、「直す」だ。以前にも少し触れたことがあるが、簡単に言えば「生き方を直す」ということだ。様々な病気や苦痛は、多くの場合「生き方が間違っている」あるいは「生き方が自分の目的とずれている」ことが本質的な原因だ。つまり「生き方が曲がっている」のだ。私は「直す」というのは、「曲がった生き方を元通り真っすぐにすること」と解釈している。治す。癒す。直す。略して「治・癒・直」。どれも素晴らしいことだが、私としては、本質的な根本原因である生き方に働きかける「直」こそがいわゆるヒーリングの本質だと思っている。■超能力者(氣功師)の役割従って、本来の完全治癒というのは「直った」状態のことを言う。本質的な原因に氣づいたとき、自己治癒作用によって自らを「直す」ことができる。この意味で超能力者(氣功師)の役割は、患者が根本的な原因に氣づくのを助け、自己治癒作用を後押しすることにあると考えられる。多くの「本質的な原因」は、患者の生き方にある。「生活が不規則で不摂生をしていること」「妬み・恨み・怒りという否定的な感情に支配されていること」このように、生き方に歪みがあると心が乱れて、その結果種々の症状となって肉体に現れるのだ。単に「治す」「癒す」だけで、反省せず「生き方」を変えなければ、しばらくすると必ずといっていいほど病気や症状が再発してくる。世の中には、「治す」ことだけで悦に入っている自称超能力者が何と多いことだろう。本物の超能力者とは、単に病気や痛みを治すだけでなく、「生き方の変革」を自覚させる能力のある人と考えていいと思う。超一流の超能力者なら、症状の軽減・除去と「生き方の変革」(生まれてきた使命や目的を思い出させることも含めて)とを同時に、相手の無意識レベルに訴えかけているはずだ。つまり、生き方の間違いや歪みを自ら氣づかせる能力に長けている人。こんな人を本物と呼びたい。ところで、聖書には「キリストは何万人もの病気を治した」という”奇跡”の話が出てくる。しかし、本当に手がない人に手が生えてきたり、目の見えない人が見えるようになったりしたのだろうか。もしもそうなら確かに素晴らしいことだ。しかし、せっかくの氣づきのチャンスを奪うことにならないだろうか。そうであれは、余計なお節介だ。そんな観点で、聖書をよく読んでみると、キリストは、病気を治したのではなく(その気になれば本当に治せるだろうが)「その病気を丸のまま受け入れさせた」「病気である自分を愛せるようにした」ように思える。つまり、「手のない人には手のないことを受け入れることのできる感謝の気持ちを与え、心の手を生じさせた」「目の見えない人には、目の見えない自分を愛することができるように祝福を与え、心眼を開かせた」というではないだろうか。病気を治すことは確かに素晴らしいが、それだけでは「奇跡」とは言えない。その病気を受け入れ、自分を愛し、そしてすべてを愛する気持ちを生じさせること、すなわち「直すこと」こそ「奇跡」そのものだと、私は思う。--------------------------◎昨日のいいことその1:夢実現パーティーこれについては昨日書いたので、昨日の日記を見てください。その2:「どないしましょ。こうしましょ。」「どないしましょ。こうしましょ。」これは、あまがさき市民環境会議が制作した「市民環境行動指針」のタイトルだ。ここで私は座長をさせて頂いている。我ながらとてもユニークなネーミングだと思う。タイトルだけでなく、中身もけっこう柔らかい。でも、長くなるのでここでは触れない。昨日、この行動指針の発表会が開催された。何が「いいこと」かというと、嬉しいことに尼崎市長の白井文(しらいあや)さんが、直々に挨拶され、環境に対する思いを熱く語ってくれたのだ。そして行く場所場所で、「どないしましょ。こうしましょ。」を宣伝してくれるというのだ。市長さんとしても、内容が分かりやすくて実践しやすい項目が並んでいるので、市民との対話に入って行きやすいのだろう。私たちは、かつて公害の街と呼ばれた尼崎が「環境先進首都」に変身することを夢見ている。市長の大いなる協力を得ることに成功した今、この夢はまちがいなく実現するだろう。その3:新著が書店で平積みに!昨日は新刊「あなたの成長が地球環境を変える!」の発売日。夢実現パーティに行く途中、紀伊國屋書店梅田店を覗いてみた。ドキドキ、ワクワク???・・・・な、なんと、環境コーナーに平積みされていたのだ。しかも、2カ所に分かれて。そして、もっと嬉しいことに、前著の「これで解決!環境問題」も平積みされたままだった。発売1年以上たって平積みのままというのは、あまり例がないと思う。私の本だけで、3カ所で平積み。出版社の営業力が優秀なのか、店長さんが気に入ってくれているのか?いずれにしても、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。ホントに私は幸せものだ!これを励みに、「みんがが幸せを実感できる社会」の実現を目指して、着実に歩んでいきたいと思う。
2004.06.27
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