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今日は朝から入院中の親戚、知人の見舞いを3つ1.脊髄狭窄症の手術をした高校同期を同期6人で見舞った。驚いたことに寝ているとばかり思っていた病人が部屋の中をうろうろしていた。 聞くと手術はまれに見る好結果で2日目にはもう歩けたそうである。 まだ手術のあとの痛みは残っているが腰痛は嘘のように消えている由であった。2.脳梗塞でもう半年余り入院している家内の義弟が今日入院期限が来たと云って退院させられた。 前述の友人もあと数日で退院させられてリハビリのために転院するそうである。 完治しようがしまいが一定期間したら退院させられると云う近年の医療制度のおかしさは私はかねがね不信を持っている。 兎も角この機に彼女の2人の息子たち(共に医者)は母親を自分たちが住む東京へ連れて帰ることにした。 然しこれが大変なことで寝たきりなので病室からロビーへ、そして寝台車へ、空港では機内用可動ベットへ、羽田からはまた寝台車へと何度も移し替える。 病院から東京の病院まで専門の介護士が添乗するが病人の負担、費用ともども大変な移動である。 病室からなぜ寝台車のベットで運べないのか? 病院側の説明では防災上の規則だと云うことだが解せない。 兎も角家内と一緒に見送ったが恐らく2度の岡山へ帰って来ることは無かろう。3.家内の弟の見舞い この後我々は入院前に居た介護付きホームへ入院中の荷物を持って 行って暫く預かってもらっ手から次の病院へ。 義弟は自分が医師をしていた病院に肺癌で入院しているが昨年以来体調の衰えが著しい。 伴侶は数年前に無くしているので3人の娘が京都と東京から交代で見舞いに帰っている。 その間は我が家内が足しげく通っており私も当然運転手を務めている。 今日は病院を3通梯子したので2人とも疲れたので早めに引き揚げたが私は夜の中国語も教室を休んだ。 私の係累は幸か不幸は殆ど逝っているのでこの面の煩わしさからは免れているが・・・
2016/01/25
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今日は新年会の梯子だった1.昼は地元選出の国会議員のK.T.を囲む会。私は行きたいとも湾かったが友達より付き合って欲しいと頼まれたので義理に出席した。K代議士は私の高校の1年先輩なので今年81歳になる高齢だが過去大臣を数回勤めておりまだ元気で次の選挙には出るようである。2.夜は二胡奏者 楊雪ファンクラブ新年会楊雪は丹東育ちで私は丹東生まれと云うことで私は楊雪ファンクラブの理事を仰せつかっている。過去数度彼女の二胡と私のハーモニカ共演をしており今日も司会者の意向で数曲ハーモニカを吹いた。彼女は1っ昨年より北京音楽院で更なる技量を研鑚中だが岡山には自分の教室を持っており年数回は北京より岡山に来ている。本年9月は音楽院を卒業するので今年の安東会では又私と共演しようと云ってくれた。
2016/01/23
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岡山ハーモニカクラブ慰問演奏今年第1回慰問演奏は『岡輝公民館』シニア―スクールでの演奏だった。参加したのは8名でそれぞれ2曲吹いた。聞くとシニア―スクールの体験授業の一環だそうだ。聴衆は平均年齢76歳と私よりは若く演奏曲が殆んどポピュラーな曲だったこともあってみんな唱和していた。時間の都合で最後に予定していた全員による合奏が出来ずちょっと残念だった。
2016/01/22
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寒風の中のペタンクこの寒さでは誰も来ないかと思いつつ寒さ対策を十分にして公園に行ってみたところ何と8名が集まった。何時もは公園内には何組か運動をしているのだが流石に今日は他には誰も居なかった。さて私は組んだパートナーともども絶好調で失点が0と2点で連勝した。所が第3戦では相手が我々を上回る好調さで7点を先取されてしまった。そこで我々は気を締め直して頑張り相手の調子が落ちたこともあって何と11:8と逆転勝利し全勝で来た。何時もはこれでタイムアップになるところ今日はみんなゲームの進行が速かったのでもう1戦した。我々は3戦と同じ相手と戦ったが何と今度は0封で結局4戦4勝で終わった。しかし私は寒さですっかり冷え込み帰宅しても体の調子が思わしくなく家内の弟の見舞いに行く予定を家内には悪かったがキャンセルさせてもらった。やっている最中は年甲斐も無く夢中だったが流石に80歳の爺さんには堪えたようである。何だか来月の哈爾濱旅行が心配になった・・・
2016/01/19
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岡山ハーモニカクラブ新年会恒例であるが今年は会員以外にゲストとして岡山のハーモニカ奏者の第1人者2人を迎えて3時間余の長時間だった。会員全員余興?でハーモニカ&ORカラオケとゲストの模範演奏があった。私は中国の春節の曲である「大地回春」を披露した。女性会員2人のハーモニカ演奏と語りが面白かった。 物語は『六地蔵』で挿入曲数曲が語りにマッチしていてよかった。
2016/01/17
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定例化している見舞い家内の弟が肺がんで自らが医師として勤務していたK病院に入院している。今日は午前中私は心臓薬を貰いに行った後散髪に行った。家内は弟の見舞いに時間のある時は殆ど通っている。やや遠いので私は何時も運転手を務めているが時にはバスに乗ってでも行っている。今日も午後から二人で行って来た。特に何処が如何と云う訳では無いようだが日々元気が無くなっている。本人もある程度は覚悟はしているようだがまだ今のところ一類の望みは捨てていないようである。食欲のない弟のために家内はせっせと食べれそうなものを見繕って運んでいる。家の中の整理も殆どしない彼女も弟の為には一生懸命なのが何とも・・・。
2016/01/15
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高校同期の新年会岡山在住の同期有志の新年会があった。折角なので同期が営んでいる日本食の店で行ったので当初よりも大勢集まった。集まったのは齢80歳になる爺婆だが圧倒的に婆が多かった。うち独り者は女性が数人いたが男やもめは一人もいない。懇意にしている男の独り者も何人もいたが昨年までに全員逝っている。婆強し!。 婆ばっかり 男は手前に数人のみ旅行社に行く2月の中国東北旅行の航空券(eチケット)とホテルのバウチャー(予約確認書)を貰った。今回は急だったので希望月日の航空券が取れず止む無くビジネスクラスしか取れず、ホテルも個人旅行としては高級な5星しか取れずかなり高いものになった。おまけに久しぶりに会う元留学生や知人と(ともに中国人)が多いので彼らとの食事会の費用もかさむことだろう。しかしそれだけに初めての哈爾濱氷祭りと共に楽しい旅行になることを期待している。N証券会社細やかながら永年運用を任せている。減ったり増えたりだが昨年後半よりはかなり目減りしているので先が長くない私としては何とかせめて元金レベルまでは戻って欲しい所である。焦ると益々どツボにはまる恐れがあるので硬い運営をしてもらうよう毎度云っているのであるが思うようにはいかないものである。
2016/01/14
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49日法要と納骨昨年11月亡くなった家内の長兄の49日法要と納骨に参列した。お寺での法要の後お墓に参って納骨。無事終えてホテルで会食があり集まった親類縁者は恐らく秋の一周忌にも1部入れ替わったとしても再び顔を合わすことだろう。仏様は享年88歳だったから集まった近親者の多くは皆さん70歳以上である。かく云う私も本年満80歳になるが皆さんの中では家内の姉に次ぐ年長である。然し今日の食事会では年を思わせない話題で賑わっていたのが救いであった。
2016/01/11
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長春中日友好楼長くなるが養父母が日本人孤児を育てた一例と長春中日友好楼建設の経緯を紹介する。『中国残留日本人孤児を育てた中国の養父母 2004年冬、長春市平陽街46号にある3階建てのアパートに住む李淑賢さんは、付き添う人もないまま入院することになった。李さんは子供を生まなかったが、過去に日本人の女の子を育てている。しかし、10年以上も前に養女は日本に帰国してしまったので、夫に先立たれた李さんはアパートで独り暮らしをしていた。1945年8月15日、戦争が終わり、中国で生活していた大勢の日本人が日本に引揚げ、その後には多くの日本人孤児が残された。ある日のこと、徐鳳山さん、李淑賢さん夫妻の家に親しい友人が長春駅前に捨てられていたという日本人の女の子を連れて来た。「子供は3歳ぐらいで、全身が黒ずんでいました。花模様のある紫色の和服を着て、泣く気力もないほど飢えているようでした。ぼんやりした目で見つめられ、私はたまらなくなって、その子を胸に抱きしめました」と、李淑賢さんはその日のことを回想する。李さんは女の子を徐桂蘭と名付け、また「帯小」という幼名でも呼んでいた。李さんは終始自分の子供を生むことができなかった。それは、1943年に、日本兵に腹部を蹴られたからだった。当時、妊娠中期に入っていた彼女は、その原因で流産し、以後、二度と妊娠できない体になってしまった。李さんは桂蘭ちゃんを自分の実の子として育て、彼女が高等学校を卒業した時にはつてを頼って工場に就職させ、彼女の結婚のためにもいろいろ苦労した。その後、養女は2人の子供を生み、李さんは孫娘が結婚するまで、その面倒を見た。しかし、中日国交正常化後の1990年、養女の徐桂蘭さんは夫と子供を連れて日本に帰って行った。その数年後、養父の徐鳳山さんは娘のことを心配し続け、その名前を呼びながらこの世を去った。李淑賢さんは娘に会うため、二度日本を訪れているが、娘はそれほど豊かとは言えず、一緒に日本で生活することはできなかった。夜中になると、李さんはよく目を覚まし、娘と孫娘の写真を見ながら朝まで過ごす。「寝ても、夢に見るのは子供のことばかりです!」と、李さんは寂しさを訴えた。1989年、残留孤児と中国の養父母の話を聞いた日本人の笠貫尚章氏が8000万円の寄付を申し出、中国の養父母のために3階建てのアパートが建設された。これが長春市平陽街46号にあるアパートである。ここには、かつて日本人残留孤児を育てた養父母29世帯が住んでいたが、今ではその多くが故人になっている。』私は2006年6月初めて長春会の旅行に参加したときこの話を聞き友好楼を訪ねた。この時笠貫未亡人と知りあった私は是非とも笠貫先生の偉業が歴史に埋もれることの無いよう本にして残すことを進言し幸い作家の穂積先生の協力を得た。未亡人の手元に残っていた資料を基に編纂した『小さな灯を遺して』が2年後上裁され国会図書館に寄贈された。私事ながらこの本には編者の意向で私の拙著『私の満州引き揚げ帰』が載っている。実は今日笠貫未亡人より彼女の手元にある建設に至る資料や長春市政府から笠貫先生への感謝状や絵画を吉林省が計画している関連品の展示館に寄贈したいと云って長春会に送ったと電話を貰った。そこで私は2月の長春旅行の際長春市外弁公室の薄先生に会って様子を聞きいてみたいと長春会のI会長に電話したところ流石に会長は事情を知っていて教えてもらった。
2016/01/10
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京山公民館ハーモニカ教室旭公民館の朝日ハーモニカ教室の主催者のH氏からの依頼を止む無く引き受けて京山公民館にも教室を開くことになったが・・・今日公民館から代表者会議の招集があり出席した。第1,3月曜日の第1希望10~12時が重複していたため当方が譲って同曜日の15:13~17時とした。問題の生徒募集はH氏に任せているがどの様な生徒が何集まるかはまだ不明である。10名以上でないと教室が開けない。私は代表者とは言え運営はH氏にお任せで専ら生徒の指導にあたることはH氏の了解事項である。京山公民館が我が家とは徒歩5分の所にあるのが有り難い。 岡山京山公民館
2016/01/09
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朝日ハーモニカ教室今日は旭公民館の教室の今年最初の日であった。この教室では代表者の依頼で私は客員教授的立場だが今年も各レベルに合わせた課題によって練習を指導していく。上達の早い人とそうでない人がいるのは当然なだがみんなが早く上手になって合奏が出来るようになればと願っている。尚明日は地元の京山公民館の代表者会議で正式に京山教室の開設が来ますがどんな生徒が来るか楽しみである。代表者として教室を運営するのは初めてなのでこの面でも気になっている。
2016/01/08
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中國冬季のPM2.5遼寧省をうろうろしている知人に長春、哈爾濱に行くとメールしたら早速連絡があったが・・・今年も瀋陽や長春のPM2.5は総統酷い日があるようだ。早速ネットを検索したら在住日本人のブログに下記の様な写真が載っていたのでぞっとした。毎日ではないようなので何とか私が滞在中は300とか400の数値にならないことを祈るのみ。 此れはひどい
2016/01/07
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長春~哈爾濱旅行懸念された航空券もホテルの一応手配が出来たので早速向こうの日中の知人と連絡した結果は以下のごとし。5人中3人との食事の約束が出来たが2人は期間中長春を留守にしているため残念だが次回夏に行くまでオワズケとなった。後は私が長春と哈爾濱の極寒を如何に凌ぐかだが頑張るほかない。長春での春節と哈爾濱氷祭りが楽しみである。尚4月の洛陽旅行の帰路上海に1泊するので上海小姐に連絡したらなんと昨年結婚して3月には出産予定だと返事があり吃驚した。然し生まれるであろう赤ちゃんを私に見せられると云って喜んでくれた。会っ「何故婚礼通知をくれなかったか」と文句言ってやろう。
2016/01/06
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ペタンク今日が本年のペタンク事始めでした。集まったのはたった5人でしたが久しぶりに体を動かせたことは良かった。途中で雨が降り出したので切り上げましたが我が家迄徒歩7分の間に結構濡れました。本年も大会出場は多くはないと思いますが公園でのペタンクは今まで同様週3回健康のためにも続けたいと思っています。
2016/01/05
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2月に長春へ親しくしている長春の元留学生が台湾人と結婚して岡山で自分の母親と3人で台湾飯店をやっている。今度の春節に一家が長春へ帰省するので一緒に行かないかと誘われたので太太の反対を押し切って急遽ついて行くことにしたのだが急な事なので航空券もホテルの無い!(彼らは早くから手配していて早割券を持っているが)そこで懇意にしている旅行社に彼女と一緒に出掛けてあれこれ探してもらい少なからず高くついたが何とか両方確保の出度が付きほっとした。大して面倒を見た訳もないのだが本人の両親がえらく私に感謝をしていて大歓迎してくれると云うので大感謝である。長春の知人の元留学生もだが、今回哈爾濱の氷祭り観光にも行くのだが哈爾濱の元留学生も再会を楽しみにしているとメールしてきた。毎度云っているが私の既知の中国人はみんなこのように友好的であり日本人以上だ。有り難い事だ。
2016/01/04
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新年のご祝辞を申し上げます皆様のご健勝を記念し今年もどうぞご愛顧のほどお願い申し上げます。
2016/01/01
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