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Oct 15, 2006
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カテゴリ: 雑記
307年前の今日、10月16日は、

斬首台の露と消えた日。



マリー・アントワネット
フランス国王ルイ16世の王妃。
オーストリア・ハプスブルク家のマリア・テレジアの第9子。
フランス革命の混乱の中、1793年10月15日、
革命裁判で死刑判決を受け、翌10月16日、元フランス王妃は、
「カペー未亡人」として処刑された。

斬首刑当日、マリー・アントワネットは
髪を短く刈り取られ、両手を後ろ手に縛られた格好で
肥桶の荷車でギロチンへと引き立てられて行った。

最期の言葉は、兵士の足を踏んでしまった時に発した

であったと伝えられる。

ギロチンで処刑の際、通常は顔を下に向けるが、
彼女の場合、国民からの憎しみがあまりにも強かったため、
顔をわざと上に向け、上から刃が落ちてくるのが
見えるようにされたと言われている。



・・・と、読んでいるだけで
「ベルサイユのばら」好きな私は悲しくなってくる。




ところで、そんなマリー・アントワネットが
最期まで身につけていた指輪 がある。


マリー・アントワネットの愛人といわれた、
スウェーデン貴族、
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン
贈られた指輪だった。



そこに彫られていた言葉は・・・


Tutto a te mi guida.




これは、イタリア語で、

すべてが我が身を御身がもとへ。

という意味である。



意訳すれば、

ふたりの心はひとつです。





何も二人を引き裂くことはできない。


とかかな。




この「我が身」とはもちろん、

フェルゼン自身であり、

「御身」とは、

マリー・アントワネットのこと。






Tutto a te mi guida.





時間、空間、身分・・・

あらゆるものを超えて、

愛する人のもとへ・・・









ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン は、
1755年9月4日に生まれ、1810年6月20日に没している。

名門貴族出身の彼は、スウェーデン王グスタフ3世の寵臣であり、
グスタフ4世にも仕え、ナポレオン戦争に至る時代までを生きた。


フェルゼンの家庭では、フランス語が話され、
彼は 容姿端麗 で 背が高く雄弁家 に育った。

ヨーロッパを3年間遊学し、貴族としての知識を習得後、
1773年12月、18歳でパリの社交界デビュー。
たちまちパリの上流階級の婦人に人気を博した。

そして、 1774年1月、運命の出会い が訪れる。

仮面舞踏会で、当時フランス王太子妃の
マリー・アントワネットに出会ったのだ。

1774年5月にルイ15世が没すると、
王妃となったマリー・アントワネットに悪い噂が立つのを恐れ、
フェルゼンはスウェーデンに帰国する。

1778年、再びフランスに戻り、アメリカ独立戦争に参加。
帰国後、フランス王室のスウェーデン人連隊長に任じられた。

その後グスタフ3世と共に欧州諸国を廻り、
1785年からパリに在住。

フェルゼンは、 数ある結婚話をかたくなに断り 、
アントワネットただ1人に愛を注いだ。
王妃の不幸が増せば増すほど、
献身的に力となり、支え続けた。

スウェーデン国王、グスタフ3世は、フェルゼンが
王妃を籠絡し、スウェーデンの意のままに
政策を誘導することを望んだが、
フェルセンは 騎士道的な女性への愛 にこだわったのだ。


フランス革命が勃発すると、グスタフ3世は
フェルゼンを革命阻止のためのスパイとして
ヴェルサイユに送り込む。

しかし、そこでも彼は王妃への愛を貫き、
献身的に、紳士的に仕える。

国王一家が窮地に立たされると、フェルセンは亡命を勧め、
国外への脱出の手引きを試みた。

俗に言う 「ヴァレンヌ事件」 である。

彼は各地の王党派と連絡を取り合い、綿密な計画を立て、
国王一家の脱出のために働く。
しかし実行は1ヶ月以上も遅れ、
1791年6月20日、やっと実行される。

フェルゼンは御者に扮してパリ郊外まで付き添ったが、
ルイ16世が フェルゼンの同行を拒否 したため、
国王一家のもとを離れることになる。

その後、国王一家の逃亡は露見し、亡命は失敗。

逃亡する国王一家にフェルゼンが最後にかけた言葉は
「さようなら、コルフ夫人!」 だったという。


その後も、フェルゼンは、国王一家を救うために
(王妃だけではないところが泣かせる!)
あらゆる手を尽くしたが、全て失敗に終わった。

革命が激しくなると、フェルゼン自身もブリュッセルに
亡命せざるを得なくなるが、それでもグスタフ3世や
オーストリア駐仏大使と共に国王一家救出のために奔走。

しかし1792年3月、グスタフ3世が暗殺されると、
スウェーデンはフランスから手を引き、
フェルゼンも政治的に失脚する。

そして愛するマリー・アントワネットが
革命政府によって処刑された後、
フェルゼンは、冷酷で陰鬱な人となり、
マリー・アントワネットを殺した
民衆を憎むようになったのだった。


そして、 フェルゼンの最期 は・・・



王位を狙った暗殺の首謀者として
名前が取り沙汰されたフェルゼンは、
群衆によって惨殺 されたのだ。

彼の遺体は、 全裸で側溝に投げ捨てられる という
無惨な扱いを受ける。

事件が起こったのは 6月20日 。

それは、19年前に ヴァレンヌ事件 が起こったその日であった。


ヴァレンヌ事件の失敗を生涯、悔やんでいたフェルゼンは、
奇しくもその日、自らも民衆の手によって命を落としたのだ・・・。




今日、10月16日は、
Tutto a te mi guida.
の哀しくも美しい言葉をあなたの心に刻んでください。


(と、たまには美しくシメてみる)






シュテファン・ツヴァイクによる、
世界で一番、読まれている「マリー・アントワネット」本
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マリー・アントワネット(上)
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王妃マリー・アントワネット(上巻) 王妃マリー・アントワネット(下巻)
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こちらもお忘れなく~!
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Last updated  Oct 16, 2006 09:36:49 AM
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