今が生死

今が生死

2021.06.17
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カテゴリ: 政治
自民党の総裁任期が9月30日で衆議院儀委員の任期が10月21日で切れる。9月に解散総選挙を行いその後総裁選が行われ菅総理の再選がほぼ規定路線になりつつある。
ここにきて安倍前総理の存在感が増しており本人は否定しているが3回目の登板を期待している自民党議員もいる。国民から見ると国有地払い下げ問題や桜を観る会などでの隠ぺいとか忖度体質、新型コロナに対する対応等国の最高指導者として相応しいと思えないが自民党内では今も絶大な人気があるのである。対して石破さんは隠ぺいはしない、忖度もしない、政治をガラス張りにして金持ちも貧者も皆が幸せになるようにして防衛もアメリカ依存ではなく自主防衛の道を切り開いていくとして心ある国民からは支持されているが自民党員からの支持は少ない。
総裁選立候補の条件の推薦人20人を得るのもおぼつかない状況だ。その違いは日頃の付き合いにあると思う。孤高の石破さんは仲間を作っておごってやったり、節目節目での贈り物をしない。
安倍さんは桜を観る会の運営方法で批判を浴びたが基本的に支持者や自民党議員に対して桜を観る会のようなサービスするのが基本姿勢である。議員一人一人にも常に目を配っていて祝儀など怠らず面倒を見てきたのだと思う。恩義を感じている議員はいっぱいいるが石破さんにはそれがない。
政治的能力とは別の所で勝負がついて一方は2度も総裁に選ばれこちらは何度も総裁選にチャレンジしてきたがはじき飛ばされてきた。
本物の指導者像について三国志の諸葛孔明を参考に考えてみたいと思う。彼の生活は幼少時から貧しく早くに両親と死別し、頼りにした叔父も亡くなってしまい隆中という小さな村に居住して「太平の世を開かん」との大志をもって刻苦勉励を重ねた。その努力と才能の噂を聞きつけた劉備玄徳が彼を軍師として迎えたいと3度彼の草庵を訪れた。
「断じて民を救いたい」との玄徳の熱意に胸打たれた孔明は遂にその三顧の礼に応じて蜀の国の発展に尽力した。曹操と孫権という巨大な勢力に対抗し天下を治めるまでの道程は限りなく険しかったが孔明には悲嘆も悲観もなかった。「努力の終着点が見えない時も意志力を杖にして歩き続けるのだ。結果が見えてこなくても努力し続けることが大事である。成功を掴むと言う決意を放棄したら成功を得ることはできないからだ」の決意で玄徳47歳、孔明27歳の時決然と立ち上がった。
孔明の人生哲学は「時を逃すな」で好機を得たら見失うな、見失った好機は再び戻ってこない。勝負所を見定める彼の能力は紀元208年の赤壁の戦いで存分に発揮された。結果、魏、呉、蜀の三国鼎立の時代が開かれ221年には国号を漢(蜀漢)と改め玄徳が帝位につき孔明は丞相に任命された。
孔明の生き方や戦い方を見ると根本に「太平の世を開き、断じて民を救いたい」との一念があった。そしてその戦いにおいては勝ち目はなさそうでも諦めてはいけないと努力を続けた。そしてチャンスとみたら時を移さず戦いに打って出た。





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Last updated  2021.06.18 10:57:29
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