
「この宗教に入れば願いが叶って絶対幸せになるから」と勧められて入信して、最初の頃3つぐらい願いがかなったがその後はかける願いのことごとくが叶わず、このまま続けるべきかどうか迷っている。という人がいた。
宗教に入る人はほとんどがこのような経過で入信するが、途中で願いがかなわないので止めるかどうかで迷っている人は多い。止めるか続けるかはあくまで本人の決断だが、少しでも参考になればと思って私の考えを述べさせて頂いた。
宗教とか信仰するということは願いをかなえてくれるかどうかということばかりではないと思う。その信仰によって自分の心が安定し、生活や交友関係が豊かになっているならある意味で願いが叶っていると言えないだろうか。恐らく健康のことでも何度も願いをかけてこられたと思う。でも健康にしてもらえず願いは叶わなかったと思っているが、外から見るとリハビリを熱心にした結果かもしれないが、かなり健康体に近づきつつあると思う。主観的には少しも健康になっていない、少しも願いを叶えてくれないと思っていても外からみたら願いが叶っている場合もある。
その宗教の目指すところをもう一度見直してみたらいかがだろうか?自分さえ良ければいいと利己的だった自分が、他人のため、世界平和の為に尽力する人間に変わってきてはいないだろうか。あるいは相変わらず利己的で、自分が儲けることだけを考え、功徳を頂くことだけを考えている人間のままだろうか?
功徳がないから止めたいというのは一つの考えだが、自分が信仰している宗教が目指しているものを考え、それが他人の領土を奪って金持ちになることを目指しているものなのか、自分が功徳を受けて儲かることだけを目指しているものなのかを考えて、やはりとるに足らない宗教だったと解かったらお止めになられたらどうでしょうか?と話した。
宗教は功徳があるかどうかだけで判断するのではなく、その宗教の目指すものなど総合的に判断して信仰した方がよいと思う。
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