

ドクターズマガジン5月号に東京女子医大麻酔科教授の長坂安子先生が紹介されていた。銀行員の父と薬剤師の母の下に生まれ、母は結婚後家庭に入ったが長坂さんが高校入学後再び研究に従事し72歳で医学博士号を取得した。そんな母から研究の面白さを学び自然に医師を目指すようになった。東京女子医大で学び、卒業後は聖路加国際病院で研修医を行ったが、とにかく患者のために化粧をする間も惜しみ忙しく走り回っている女性医師達がとてもカッコ良く見えたとのことである。研修医時代は内科、外科などほぼ全科をローテートしてその中で自分に合っていそうで使命を達成できそうな科目を選んで進むべき道を決めるが、長坂さんは麻酔科をローテートしていた時に自分の進むべき道はこの道だと決めた。
内科、外科等が人気が高く、専攻する人が多かったが麻酔科等を専攻する人は少なかった。しかし薬理学や生理学の基礎医学が臨床と融和していることに興味を惹かれ、その時の実習担当医瀧野啓介先生の言葉「患者さんを自分の母親と思って麻酔しなさい」の言葉に医師としての原点を見出し、麻酔科に進むことを決めたとのことである。
研修医2年目に第一子を出産したが産後も仕事に邁進し、第2子の出産後6日後には新幹線に乗って専門医の口頭試問試験に行ってきた。その後聖路加病院を退職し、女子医大で麻酔科医師として働く一方、研修生として動物実験に専念していたが、仕事と家庭の両立の中で夫とすれ違いが生じて、離婚して乳幼児二人を抱えたシングルマザーになった。恩師からハーバード大学への留学を進められ、6歳と2歳の子供を連れて渡米してアメリカで研究と勤務を続けた。その間ベビーシッターその他多くの人に大変お世話になった。長坂さんの奮闘する姿をみて誰もが「応援したい」と思って援助してくれたが、長坂さんは自身の現在があるのは、すべて皆さんの援助があったからだと感謝を忘れていない。ハーバード大学の研究室のボスから教室に残るように言われたが、臨床を離れて3年、研究生活は充実していたが、心にぽっかり穴が開いた感覚があり、それは臨床への渇望だと気づき、アメリカでの臨床医試験を受けて合格し、アメリカでの臨床経験を積み上げて臨床、研究、子育てと充実した日々を過ごしていたが、2014に日本の母校で起きたプロポフォール事件に衝撃を受けた。2歳の小児に麻酔薬プロポフォールを48時間以上投与という誤治療事件が起こったのだ。その瞬間「日本に帰らなければならない」と感じてアメリカでの安定した生活を捨てて日本に帰り、聖路加病院での勤務の後母校東京女子医大の麻酔科の主任教授に就任したのである。プロポフォール事件の様な痛ましい誤治療を起こさないようにチーム一丸となって患者さんのために尽くしている姿は輝いており、感銘を受けたので少し長くなってしまったが紹介させて頂いた。
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