今が生死

今が生死

2026.07.19
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テーマ: 本能寺の変(4)
カテゴリ: 政治
マーガレットコスモス

大河ドラマの「豊臣兄弟」が前回と今回でクライマックスを迎え、信長が織田家の重鎮明智光秀に京都本能寺で討たれる場面が放映された。信長を慕っていた秀吉、小一郎兄弟の驚きと悲しみは想像を絶する状態だったが最終的には秀吉の主君を思う気持ちが光秀の正義心より勝って光秀は討たれてしまうが、光秀の果たした役割も大きかったと思われる。歴史の大きな転換機だったが、光秀がもう少し用意周到に計画していたなら簡単に秀吉に敗れなかったと思われ、信長の光秀への扱いにかっとなって起こした行動が自らを破滅に導いたともいえる。
史実によると1582年(天正10年)5月上旬信長から中国攻め(毛利との戦い)の総司令官に任命されたが、5月中旬信長は家康を京都観光に招待してその供応役を光秀に命じた。家康の接待は大変なことで、強度のストレスにさらされたと思われる。そして5月下旬に家康が京都を離れた後には、再度中国攻めの軍事侵攻を命じられ、その準備のために亀山城に入った時に信長討伐を決断したと思われる。その原因は5月上旬に中国攻めの総司令官に任命され、その準備に悩殺されていた最中に家康の接待役を命じられ、最高度のストレスの中でその業務をこなしてほっとしたのもつかの間、再度中国攻めを命じられ、神経質で几帳面な性格の光秀が「やってられないよ」と爆発したのではないかとみられているが、それまでの信長への積もり積もった不満の鬱積も関係していたのではないかと思われる。





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Last updated  2026.07.20 14:15:09 コメント(4) | コメントを書く


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