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こんな悲惨な状態にあっても、冷静にモラルを持って、みんなが行動出来ているのは、阪神淡路大震災の教訓が生きているのだと感じています。特に若い人たちが協力的であるのを見て、日本の未来はちゃんと明るい方向に進んでいけるだろうと思います。世界中の国がたとえ自国が貧しくても、自分の国を支援してくれた日本の人たちを助けたいといって、できるだけの協力をしてくれています。普段、日本が外国にしてきたことを私たちはあまり知りませんでした。こんなにしてやってるんだということを強調することが、美徳ではないという日本人特有の性質からきているところもあるのかもしれません。改めて、日本人で良かったと感じた人も多いのではないでしょうか?あたたかい支援の輪が広がっています。早く、この支援が被災地の方たちに届きますように! そのためにも、少しでも被災地に物資が届きやすくなるように、食べ物や燃料や電気を日本中みんなで分かち合う気持ちで、買占めはやめて、節電して、その分を届けるつもりでみなさん生活していきましょう!我家でもできるだけがんばります!
2011年03月17日
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帰ってTVや新聞を見ると、今回の地震の被害は本当に想像を絶していました。あんなに恵まれた環境にいられた私たちでさえ、本当に不安で怖い思いでした。今も避難生活を送られている方々の不安や恐怖は計り知れないと思います。また、長女と同じく大学受験のために出掛けて、被災された方々もいたことでしょう。ホテルにも一人で受験に来ていた子もいました。本当に不安だったと思います。被災された方々のために私たちにも今出来ることを考えたいと思います。
2011年03月15日
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ここの地区の停電はかなり短時間だったようで、夜中には電気がついたので、テレビ室やインターネット用にパソコンを2台用意していただけたので、すぐにどんな状況かがわかりました。余震は相変わらずでしたが、震源地が宮城県だけではなく、茨城県、新潟県といろいろなところで起こっていたのにとても、驚きました。断水は続いていましたが、ここのホテルはスポーツセンターが併設されていて、プールがあったからか、トイレもバケツで水を流すことができたので、とても、恵まれていたと思います。朝は温かいコーヒーと紅茶を出していただけて、ありがたかったです。今回の交通費やホテル代は事前に払っていたので、私たちはあまり多くの現金持っていませんでした。9時になって電気が復活しているから、もしかしてと思って、ホテルの隣にある、土浦郵便局に行くと、ラッキーなことにATMが動いていました。これでどうにか現金をおろすことができました。朝になって、ビジネスマンの方たちは我孫子まで行けば、上野まで常磐線が動いているというので、タクシーで出かけていきました。道が混んでいて、7時半くらいに出たのに10時過ぎにやっと我孫子についた様子でした。しかも、タクシー代も2万から3万くらいかかったようです。そんなにはタクシー代に使えないし、どうしようかと思っていたら、土浦からの電車が動き始めたらしいという噂が立って、残りの方たちもみんな駅に向かい始めました。私たちも駅に向かって出発しました。ところが、駅に着くと電車は止まったままで、しかも牛久の方で陥没があって、今日中の復旧はないということでした。ホテルがいっしょだった人たちから、バスで水街道まで出て、そこから常磐線の取出駅まで行ける電車に乗って、都内に出れるというので、バスの長蛇の列に並びました。どうにかぎゅうぎゅうのバスに乗って、水街道に向かいました。水街道までは普段はバスで1時間ほどですが、今日はガソリンスタンドで給油の列が出来たり、スーパーの入り口に列が出来たりしているので、もっとかかると思いますと、運転手さんがいいました。ところが、あまりにもぎゅうぎゅうだったので、長女は40分ほどたったあたりで、気分が悪くなり、しかたなくバスをおりました。貧血で顔の血の気が引いていました。バスの運転手さんに聞くとまだ普通でも水街道まで20分くらいかかるといわれ、少し行ったところに「みどりの駅」という駅があることを聞いたので、そこに向かいました。そこはつくばエクスプレスの駅で、電車は止まっていました。近くにkasumiというスーパーがあったので、とりあえず手巻き寿司とサラダを買って、食事をしました。お茶や水が飲めて、座れるスペースがあったので、助かりました。長女も食事をして、元気を取り戻しました。またバスに乗るのは長女には無理かなと思ったのと、少しは距離が近づいてので、ここからは、タクシーを使うことにしました。スーパーのサービスカウンターで、タクシー会社の電話番号を調べてもらおうと思ったら、タクシー専用の電話があったらしく、こちらで呼びますよとすぐに呼んでもらうことが出来ました。ここから我孫子まではタクシーで1万円ほどだというので、我孫子に向かいました。途中、運転手さんが取出の駅の方が近いですよというので、向かいましたが、駅前はすごい人だったので、予定通り我孫子まで行きました。我孫子の駅に着いてホームに行くとすぐに電車が来ました。さっきの取出の駅の混雑は都内から帰ってきて、バスやタクシーを待つ人たちだったらしく、上野行きの電車はさほど混んでいませんでした。上野から何線が動いているのか分からなかったので、一度上野でおりて、駅員さんに聞くと山手線が動いているというので、切符を買って、ホームにおりると、またすぐに電車が来たので、スムーズに東京駅に着くことが出来ました。夕方6時くらいに着いて、夜行バスは運行予定だというので、8時40分まで、食事をしたり、休んでから乗ることが出来ました。帰りのバスの揺れが余震のように思えて少し怖かったですが、予定通り13日の朝、高松に帰って来れました。
2011年03月15日
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ここの駐車場に1時間以上いたと思います。少し薄暗くなってきたので、ホテルに向かうことにしました。途中ファミリーマートで買い物をしている人たちが見えたので、ホテルは食事無しで申し込んであったので、食料と飲料や携帯用の充電池を買うために並びました。その間も大きい余震が続いていたので、何度か店外に出ようかと思いながらでしたが、どうにか購入することが出来て、周りに気をつけながら、ホテルに向かいました。途中の道も歩道はひび割れているし、ガラスが割れたり、壁が落ちていたり、街灯が倒れていたりしました。ホテルに着くと部屋の安全が確認できないということで、ロビーで過ごしながら、余震が来たら、駐車場に出ることを繰り返しながら過ごしました。ホテルも少しですが、壁にひびが入っていたり、少し壁や天井の小さな欠片がパラパラと落ちていました。 暗くなって来て寒くなったので、ホテルのバスに入れてもらえて、お茶も用意してもらえました。バスではラジオが聞けたので、被害の情報がどんどん入ってきて、本当にただ事ではないことが分かりました。最初は電気も水道も使えました。そのうちにホテルがおにぎりやから揚げなどのちょっとしたおかずとお茶やジュースなどの飲み物を用意してくれました。私たちはコンビにでお弁当を買えたので、それを食べ、脱水状態にならないようにポカリスエットをもらって飲みました。ホテルの人が毛布と布団と枕を用意してくれたので、それを使って宴会ホールやロビーで皆さん一晩すごすことになりました。宴会ホールにはシャンデリアがあったので、私たちはロビーのソファで寝ることにしました。電気と水道は間もなく止まりました。
2011年03月14日
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いろいろあって、コメントのお返事も出来てなくてすみません。写真は茨城県土浦市の駅前、地震直後のものです。小さくて分かり辛いですが、武富士の入ったビルの壁と看板が落ちて内部が見えている所です。実は四国の香川県高松市から、長女の大学受験の後期試験のために茨城県に行っていました。阿見町にある大学を見学後、バスでホテルのある土浦市まで行き、駅ビルで昼食後、チェックインまでの時間つぶしに、駅ビルの5階の雑貨店や本屋にいるときに地震が起こりました。駅ビルだったので、揺れているのかなと思ったけど、なんだか変な感じがして、あれっと思ったとき、長女も気がついて本屋から出てきて、顔を見合わせた途端にグラグラと大きく揺れ始めました。通路真ん中に休憩用の広場があったので、柱の近くのソファのところで姿勢を低くして、揺れが治まるのを待ちました。その後店の人の誘導で揺れの治まった時間を見計らって、止まったエスカレーターを歩いて下りて外に出ました。落下物が怖かったので、駅横の広い駐車場の真ん中で大きい余震が落ち着くまで座って待ちました。この時車のラジオを聞いたおばさんが「震源地は宮城震度7」と教えてくれたので、福島県を挟んでるのにすごい揺れだったので、ものすごい地震だということはすぐに分かりました。
2011年03月14日
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今日は雪の舞う中、長女の高校の卒業式でした。 君は最初から最後まで泣きっぱなしだったね。クラスでも一番泣いていたね。「うち先生にあいされとるけんな~♪」と言える程、親身になってくれている事を実感させてくれる良い先生と、明日が誕生日だからと手作りのアルバムやプレゼントを用意してくれる友人達に囲まれて、本当に幸せな時間だった事を君の涙が物語っていたね。 まだまだ進路が決まっていないけど、君の未来はきっと明るい! 卒業おめでとう☆
2011年03月04日
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