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何を思ったか?ちょっと人恋しくなって、しばらく会っていない知り合いの方数人に、スマホのメッセージ・メールを差し上げました。そうしたところ、翌日までにその返信がきたのは一人だけでした。そしてその一人は、わたしがおそらく ”最も返事が戻ってこないだろう” と思っていた人だったので、ちょっと意外な驚きだったのです。今回6名の方にショートメールを書いたのですが、その所要時間たるや20分ほどのことでした。これがむかし、つまりパソコンメールやスマホメールなどが全く想像できないような昔だったら、同じことをやろうとしたら、いくら短い文面だとしてもやはり手書きの手紙という手段(もちろん電話という手段もあるのだが)しかないということです。それが6通もの手紙を出そうとすると、筆不精の私としては、投函するまでに2~3日は必要となるのは目に見えている。それがどうだろう、たった半時間ほどの間に6件ものメールを発信できているのです。インフォメーション・テクノロジーの進歩を今更ながらに思うところです。いまごろこんな ”化石のようなコメント” を書いていますが、今回の事でむかしの手書きの手紙やはがきなどのことに思い至った瞬間に、現在の状況に大いに感謝しているけれど、むかしの手紙文化にも懐かしみと廃れさせてはいけないものとしての愛着が、いつまでも残っていて欲しいとも思うところです。
2024.11.30
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2025年用の年賀状の印刷が出来上がってきた。その枚数も随分少無くなってきていて200枚です。それに貼るべき年賀切手は既に購入済で150枚。ここのところ毎年、年賀状用の切手が余ってしまうので、とりあえずということで少ない目に買ってあるのです。仮に足りなくなると買い足せばいいのですから。来年は ”巳年” ですから年が切手の図柄も ”巳” ということですが、これまで余らせてしまった年賀切手は ”丑年””寅年””卯年””辰年” と4年間毎年少しずつ余らしてきているのです。もちろん切手としては通用しますので、プライベートな私信以外の公共的通信物なんかにはその切手をできるだけ使用するようにしていますが、まだ何枚も残っているのです。でも、郵便料金改定で額面が値上げになっていますので、複数枚数貼らなければならなくなっていて、細かいことですが無駄なことにもなっているのです。ともあれ来年の年賀状が印刷できたので、ぼちぼちとお出しする方のあて名書きをしようと思っています。まだ投函受付まで時間がありますので、ゆっくりでいいので相手様への思いも込めてのあて名書き、でも実際は「早いこと済ませて仕舞いたい」なんてことで、一気に書ききってしまうことになるのは例年の事でもあるのです。
2024.11.29
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『瀬戸内寂聴訳源氏物語全十巻』、読み始めた時は年内には読み切ってしまうのが目標だった。確かに途中では、手こずって読み進むスピードがすごく落ちたこともあって「”年内読了” は難しいかもしれない」と思ったこともありました。ところが最終章とも思われる『宇治十帖』とも言われている七巻目後半から、俄然スピードアップが図れてきた。すなわちそれは慣れてきたということも有りますが、何よりも『宇治十帖』がとても面白いからにほかなりません。物語に引き込まれてゆくのです。『源氏物語』は主人公の光源氏が生涯を閉じる『雲隠』の帖で完結でいいと思うのですが、そこから数年のブランクを経て、新たに書き始められた物語(つまり続編?があって最終章?へ)が『宇治十帖』です。この最終章『宇治十帖』の作者は「紫式部ではなく別人の手になる」との説も一方ではあるくらいです。しかしこれはやはり紫式部の筆だと信じたいところです。この『宇治十帖』展開は、時代をそっくり現代に置き換えても面白いドラマになりうる。こんな物語が千年もむかしの平安時代に創られていたとは、そして紫式部の人物観察眼の鋭さとその適格さ、そして物語構成の完成度を思い知らされている。ただ、『源氏物語』最終章のこの『宇治十帖』の終わり方が、なんとも唐突な感じが否めない。つまり ”完結した感が無い” のです。言い方を変えれば、「まだまだ書き進めてゆくことはできたはず」と思われるのです。しかし紫式部はそうはしないで、ブツッと突然に長編物語をブッタ切って、その後の物語の行き先は読者の想像力に委ねているのです。だからこそ、より強く印象に残るのかもしれません。全巻を通して理解できているのかというと、とてもそんな事は無く未消化と言わざるをえませんが、機会を作って再度この全十巻を読み直してみる必要はあるかもしれません。
2024.11.28
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我が女房殿は、わたしと違ってデジタル系の頭脳回転の持ち主かもしれません。わたしは絵に描いたようなアナログ人間ですから、そちら系のはなしになりますと大助かりなのであります。先日も食卓横に置いているノートパソコン、これもかなり長く使ってきているパソコンで、内臓電池が劣化してきて充電アダプターで補足してあげないと使えなくなってきて居たのです。でも、そのアダプターを使用しても使えなくなってきたものですから万事休す。そこで私なんかは、即「ノートパソコンの買い替えをどうしようか?」なんてすぐに考えてしまうのですが、彼女はパソコンが故障で具合が悪いわけではなく、内臓電池が劣化していることを前提に考えた末、これまで使っていた ”充電アダプターが原因” だという事を突き止めて、原因を特化したのです。そうと決まれば、後はやることは決まったいて、その充電アダプターをネット注文して、1日と掛からず自宅に配送されたのです。その新しい充電アダプターは数千円で入手できた。その新品の充電アダプター購入のお陰で、もう今にもお払い箱にしようとしていたノートパソコンを、問題なく今まで通り使えるようにしてくれました。その時、わたしは次のノートパソコンを購入すべくネットで物色していたのですが、そんな必要はさらさらなかったのです。これは有難いことだし、女房殿を大したものだとある種尊敬の眼差しで見ているのです。
2024.11.27
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ごく最近に京都市内や高槻市内のギャラリーで、友人たちが立て続けにグループ展などの開催に、自作品(油彩画や彫刻など)を出品・発表している。それらを観に行って、少しばかり焦りのようなものを感じている。わたしも来年には小さなギャラリーで良いから、個展をしなければいけないとのプレッシャーというか義務感のようなものを感じているのです。先日の元職場のOB会の場でも、先輩方々から「絵は描いているのか? 次の個展はいつするのか?」「早くやってくれないと、こっちの身体が持たないかもしれんよ!」などの催促ともとれる言葉を戴いている。それはよく分かっているのですが、なかなか踏ん切りがつきません。今わたしが描いている絵の大きさは、前回と違って小さな絵がほとんどですので、大きなギャラリーではとても個展は開催できません。もちろん『二人展』や『グループ展』だと話しは違いますが、なかなかそんな相手も探せそうにないので、やはり個展を目指すことになるわけです。小さなギャラリーだったら、壁面を持たせるだけの作品数は有ると言えばあるのですが・・・。友人がよく使っている高槻市のギャラリーは小さくて手ごろなのです。そのギャラリーのオーナーには「その節にはよろしくお願いします」とは言ってあるのですが、どうするかは考え中ということです。
2024.11.26
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友人たちの中には、『終活』と称して『断捨離』を本気で始めている人が居ます。気持ちはわたしにもよくわかりますが、わたしは全くそれをやろうという気が起こらないのです。愛着を感じている手持ちのものを手放してしまう寂しさの方が、手放した後のさっぱりと気軽になるということよりも勝っているのです。かくいうわたしも、『断捨離』を ”まったくしたことが無いのか” と言うとそんなことは無い。やたらたくさんあった書籍類で、もう二度と読むことは無いと断言できる本を、段ボール箱7箱分ほど貰ってもいいという友人宅に送ったことがある。それでもまだまだ我が家に本はたくさん残っている。また、このブログにも書いたことがあるけれど、在職中に着用していた、今やもう二度と着ることが無いと思われるスーツ(クリーニング済だった)類とネクタイを、40着分ほどゴミ袋に入れて燃えるゴミの日に出したことがある。これはやはりちょっと名残惜しい気持ちは強く有ったけれど、スーツの場合はもう着ることは無いので、吹っ切れたのかもしれません。我が家の内部を知ってくれている友人たちは、我が家がモノの多い家であることはご存じのところです。例えば、絵がたくさんある。もちろん自分が描いた絵もたくさんあるのですが、学生時代からのある友人の絵もたくさん持っていて、それらの絵を玄関から家中の壁面に70枚ほど架けている。またむかしから、ギターが好きでアコギやエレキをこれまでに集めてきて、現在27~8本ほどある。 それらを今手放すつもりは全くありませんが、しかしその日はいずれ確実にやってくるのは道理というものです。考えておく必要はありそうです。
2024.11.25
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ちょくちょくと出かけることがあって阪急電車に乗ることがよくある。そのロングシートの車両に乗ると、いつ観察することがある。それは向かいのロングシート(8人掛け)の乗客と私が座っている側の乗客8人の内、”何人がスマホをいじっているか?” それを無意識のうちに数えてしまうのです。すると平均的なところで14~5人がスマホで何かやっている。何をそんなにする事があるのだろうと、ちょっと不思議な感覚になってしまう事がある。そんな世間の状況で、”最もスマホを触っていてよさそうな若い女の娘(こ)” が、なんと本を読んでいたりする姿を見つけたりすることがごく稀にある。これは何とも感動的な場面に出くわしたという気持ちになるのです。いまや日本人、いや人類にとって最も手放せない・大切で重要なアイテムということに、スマホはなっているのですなぁ~!
2024.11.24
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10月半ばに催された元職場のOB会『旧友会』。参加者数もかなり多くて、めったに会うことのない珍しい顔ばっかりでした。参加している方々は皆様とてもお元気で、大先輩たちも矍鑠(かくしゃく)とされておりました。もちろん元気なればこそ、こういった会合に参加するということにはなるのですが・・・。そんな中の一人の先輩が、自分史のような書籍冊子を作っておられて、この先輩は川柳の達人のようで、『朝日川柳』にも100句選ばれているそうで、その100句入選を切っ掛けに自費出版を思いつかれたようです。その本を参加者全員に配布されました。なるほど、こういうOB会の場でそういった発表の仕方はなかなか良いものだと思いました。 ”自分史” なんて言うのは私は照れ臭いしおこがましいですが、過去の自作の『絵画作品集』ということであれば、私も冊子にして皆様にお配りしてもいいかな? なんて気持ちにもなりました。そんなことでもしないと、私の絵なんぞは観てもらえることはほとんどなくて、個展でも開催しないと…ということです。個展を開催しても、観てもらえる人の数はしれている。まぁ作品集を作って配ったにしても、それはしれているということですけれど。でも何か足掻いていることにはなるかもしれないし、何よりも自分自身の満足感を得られることになるかもしれないという期待もありますから、今から考えてみることにします。
2024.11.23
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数年前から言われてきたし、私もそれを思っていたことがある。今年はそれを如実に実感しているのです。 ”それ” というのは、『四季のある国』と言われた美しい日本から「春と秋が無くなりつつある」ということです。気持ちの中では、つい数日前までエアコンでクーラーを入れていたと思ったのに、もう灯油ストーブを出していて、暖房が必要な時期になっている。これはどういう事だろうか? ”秋らしい秋の季節がほとんど無い” のです。最も過ごしやすいと思っていた ”秋” という季節が無くなってきているのです。とても残念な気がして、なぜそのようなことになってしまったのか?
2024.11.22
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冬場のこの時期の早朝は、まだまだ夜が明けるわけではなくウォーキングやランニングのゆく道は、暗闇とまでは言いませんが暗いことに変わりありません。わたしが決めている暗いコースでも、ランナーやウォーキングをしている人は何人もいる。そんな彼ら彼女たちは、みなさんそれぞれミニライトを持ったり、頭に付けたり、足首にセットしたり、腕に巻き付けたりしている。もう最近は無灯の人はほとんどいなくなりました。私の場合は首に架けてぶら下げてブラブラさせて、歩いたり走ったりしているのです。みなさんそんな状態ですから、行く道が暗い中でも前方からくる人のライトの明かりだけは認識できるのです。したがって、稀に無灯の人が前方から来ると、間近になるまでわからずに、ちょっとギョッとすることも有ったりします。そんな行く道で長く同じコースを使っていると、前方からくる人が誰なの(もちろん名前なんか知らない)か? が分かるようになってきている。それはミニライトの揺れ方や、そのライトの位置などで個性判別が出来てきているので、わかるのです。時には前方から来た人に、「あなたのライトの揺れ方で、かなり遠くからでもわかります」と言われたことも有るのです。ライトの個性で、来る人の判別を行っているのは私だけではなかったということです。
2024.11.21
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少し先の話ですが、実は12月7日土曜日に予定が2件重なっていた。その2件『なべの会』と『なるせ会』ともに忘年会の会合の予定だったのです。さてさてこれはどうしたものか? 『なべの会』の方は大阪で1時から4時くらいまでで、『なるせ会』の方は6時から京都でという事ですから、物理的には両方に参加することはできるのですが、いい歳をしてそんなバカなことも出来ようはずも有りません。するとどちらかを選ばなければならないという事になって、「困ったことになったな~」と思っていたところへ、『なべの会』事務局の方から予定日変更で1週間後ろへずらして、つまり「14日の1時からにする」との連絡がはいって、期せずしてどちらの会にも不義理をすることなく参加することが出来る。めでたく事なきを得たという事です。過去にもそのようなケースは何度も有って、『なべの会』やその重なった予定の方とのどちらか片方を不参加にしたことが何度かありました。今回の12月例会の方は何とか両方参加できますが、来年の正月の『なべの会新年会』例会と『神戸フィル・ハーモニックのニュー・イヤー・コンサート』がどうもバッティングすることが決定しているようです。『神戸フィル・ハーモニック(次女が楽団員)』の方は、外すわけにはいかないという事です。これは『なべの会新年会』の方を不参加にするしか手はありません。残念ながら泣く泣くそうせざるを得ないのです。
2024.11.20
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1989年11月、ベルリンの壁の崩壊。その歴史的事実から35年が経過したということです。その印象的な映像は今も鮮烈に覚えている。35年、もうそんなに時間が経過していたのです。壁の崩壊から4年後だったと記憶しているけれど、仕事がらみだったけれどベルリンを訪れた事があった。ベルリンの壁はもちろん無くなっていたけれど、記念碑的に一部分だけ残されているのがあって、それを観て当時をしのぶしかなかったが、とてもその全貌を想像することは叶わなかった。その旅行で行ったベルリンの土産の中のひとつに、どうして手に入れたのか? ベルリン記念に買ったものか? 土産物のおまけに貰ったものなのか? 今となっては全く思い出せないでいるのですが、厚紙にプラスティック・パッケージされた小さな『ベルリンの壁の欠片』を持って帰ってきた。先日、「ベルリンの壁崩壊から35年」のニュースを見ていて、その欠片のことを思い出してあれこれ探してみたのですが、なかなか見つけられないでいる。もちろん捨てることは有り得ないから、どこかにはあるはずなのですが、ブログにそれの写真を挙げることは諦めました。この手の探し物は「探している時にはほとんど行き当らないくせに、探さなくなって、どうでもよくなって、そんなことを忘れてしまっている時に、ひょんな時にひょんな処から見つかったりするもの」ですから、探すのは諦めてしまっています。
2024.11.19
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昨日17日日曜日は、スポーツクラブの言わばサウナ風呂仲間とでもいえば良いのですが、その親しい5人のメンバーでの飲み会が、この初夏に開催した第1回スポーツクラブ・サウナ風呂仲間の暑気払い飲み会から5か月たって2度目の開催になります。会場となるのは前回と同じ阪急桂駅前の ”居酒屋すし屋” さん。ここはスポーツクラブの近所で、みんなが集まりやすい場所にあるのです。気の置けない仲間のことですから、その飲み会の意味などどうでもいいのですが、酒飲みにはそのきっかけが欲しいだけなのかもしれません。今後この飲み会が続いてゆくのか? どこかで空中分解するのか? そんなことは分かりませんが、1年間で2~3回開催ということであるのなら、どちらでも何ら問題はありません。定例化するとか義務化することではなく、思い立った時に同調する人がやればいいということです。ただ、仲間と飲みながら他愛もない話をして盛り上がっていると、ストレスも無いし無条件で楽しい時間が持てるものです。昨日もそのような思いを感じる飲み会ではありました。
2024.11.18
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先日1通の訃報がメールで届いた。それは在職中同じ職場の先輩の訃報だった。同じ職場と言っても私とは職種は全く違っていたから、付き合いらしい付き合いもなかったし上下関係になったこともなかった。ただ私が思うに、この人は在職中から広告業界とはあまり縁のなさそうな、学者風の雰囲気を持っている人だったことは感じていた。その人の名は『吉田曠二さん』:日本のジャーナリスト、歴史家、京都在住と出てきた。大学で大学院法学研究科修士課程修了。新聞社広告局に入社。在職中から大学院時代の恩師に師事し、日本近現代史研究を継続されていたらしい。定年退職後は名城大学非常勤講師となり外交史・政治史を担当されたらしい。著書は非常にたくさんあったようです。やはり学者だったようでした。職場ではそんな専門分野の仕事とは全く違う、広告市場調査関連の仕事をされていた。そんな在職中にほとんど接触の無かった先輩のことをなんで書いているのかというと、私が長年友人から送ってもらって読んでいる京都祇園の季刊情報誌『ぎをん』に、この吉田さんが数年前にエッセー(坂本龍馬の話題だった)を投稿されていたからです。やはり日本の近現代史を研究されていたということですから、祇園エリアのことにも精通されていたようで、それを読んだその時は同姓同名の別人がいるのだな~と思ったのですが、やはり調べてみるとその人ご本人であることが分かりました。その時に吉田さんが学者さんであったことを知ることになったのです。(ご冥福をお祈りします)
2024.11.17
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数日前に油彩画家の友人のグループ展を観に、京都寺町三条あたりのギャラリーへ行きました。四条から三条まで歩いて行くのですが、その道すがら行き交う人々を観察していると、やはり京都の繁華街は外国人観光客が凄くたくさんでした。その日は比較的穏やかな天候だったこともあるかもしれませんが、その外国人観光客の服装たるや日本人のそれとは大きく違っている。ほとんどの人が半そでTシャツにジーンズあるいは半パン姿で、女性に至ってはノースリーブの人すらチラホラと見かけました。それに引き換え我が日本人の服装はというと、極端な人についてはもう完全冬装備ダウンジャケットの人の姿も見受けるというありさま。よく言われている言葉で、「ファッションの基本は季節のちょっと先取りするのが ”おしゃれ”」と言われることがあります。それを実践されているわけでもないでしょうが、ちょっと面白い対比が見られました。そんな写真を撮るわけにもゆかず、画像は載せられません。わたしは長そでシャツにジャケットを羽織って行ったのですが、少しばかり汗を掻きました。ということは、どちらかというと薄着の方が正解だったかもしれません。
2024.11.16
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小学生の時からの友人で、もちろん今はリタイアしているけれど、この人は中学校の美術教師を長年やってきた。その友人が年に一度くらいのペースで、当時の美術教員仲間たちとのグループ展『高槻市教職員展』を開催している。それがこの11月14日~17日まで、大阪高槻役所向かいの小さなギャラリーで有りました。私は初日に訪ねてきました。彼の作品に関しては何も言いませんが、毎回欠かさずその会に参加しているし、他に個展も2年に一度くらい開催している。わたしはあまり知りませんが、何とかっていう団体展にも出品している。そして今回の『教職員展』には油彩画ではなく彫刻2点とデッサンを出していた。彼は大学では彫刻科に所属していた。何よりも長年のその継続力とその熱意は、何処からくるのか? そのバイタリティに驚いているのです。
2024.11.15
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明後日11月16日㈯は『なべの会』山登りの日、私にとっては久々の山行きになるはずでした。目指す山は、南大阪では人気のあるとされている山『岩湧山(標高897m)』。もちろん私は行ったことのない山で、この『なべの会』にしては比較的高い山が目的地だった。したがって、ちょっとばかり私は緊張していたのです。しかし昨日水曜日の時点で、早々と中止の指令が届きました。私は週間天気予報ばかりを注視していて、土曜日の前日も翌日も含めて3日連続で傘マークが付いていたので、これは中止するしかないのかな? と思っていたところでした。この写真のような風景に出合えるのを、ちょっと楽しみにはしていたのですが、お天気のこともさることながら、参加者数がかなり少なかったようで、それも中止に踏み切る大きな要因だったようでした。どうも今年の『なべの会』は、雨天に祟られることがやたらに多かったような気がしています。自然相手のことですから、どうしようもないこと。 ”晴れ男” を自負しているわたしが居てもそうなってしまうという事は、わたしの神通力も錆びついてきたということかもしれません。
2024.11.14
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『2024 日洋会京滋支部展』”魅力ある具象絵画を目指す” としたグループ展が、今年も京都寺町のギャラリーで開催されました。ここ6~7年は毎年観に行っている。日洋会に所属している京都・滋賀在住の方々のグループ展ということです。もう何年も観に行っているこの『日洋会京滋支部展』の中心人物が、日展審査員経験のあるわたしの大学同窓生で、彦根在住の油彩画家の友人です。昨日がその初日だったので、どうせならその友人も在廊していると思われる初日に訪ねて行くことにしたのです。彼がこの支部展に出している作品は、毎年同年の日展に出品している作品と同じモチーフで描いた作品を出している。つまり彼は日展に出す作品を何点か描いているはずで、日展に出さなかった方の作品をこの『京滋支部展』に出品しているのだと思われる。彼は日展初入選時からテーマ変更はせずに今日までやってきているので、日展出品作品のイメージは毎年ほぼ大きな変化は無く、それはそれで良いのですが、他の見せ方(アプローチ)画題(テーマ)の作品も見せてもらいたいとの思いも強いのです。
2024.11.13
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昨今(ここ数年)は、世界のあちこちで戦争・紛争が勃発・継続されていて、それが拡大傾向にもあって海外旅行にも危なくって行けない。この戦争は収まる気配を見せず、残念ながら来年にも継続されてゆくものと思われる。一方で毎週のように旅行会社からは、海外旅行の分厚いパンフレットが送られてくるから、そんな世情でも海外旅行に行く人はたくさんでもない? かもしれないけれどいるのだろう。いま、海外旅行に行っても滅多なことは起こらないとは思っているが、少しでも危険や不安などがあるのなら、やはりやめておいた方がいいのだと判断しているのです。そんな私ですが、旅行会社から送られてくるパンフレットには、一通り目は通しているのです。そこで、その行き先別に表示されている料金表を見ると、これが私が思っている(あるいは以前に行った時の旅行費用)額の倍近くになっている。昨年にリスボン・パリ旅行に行った時には、ビジネスクラスで行ったものですから、気分はもうエコノミークラスでは行けなくなっていることと、昨今の円安が輪をかけていて、なおさらのように費用が凄く掛かることになるのです。つまり一言で言って仕舞えば「倍額掛かるということになっている」。それでは収まらないかもしれないとも思えるのです、これは堪らない。まだヨーロッパで行きたいところは無くは無いのですが、「もう無理かもしれないなぁ~」なんてちょっと悲観気味になってきているのです。我が女房殿はそんな世界情勢でも行きたがっていて「身体が言うことを利かなくなるともういけないよ!」なんて言っているのですがね~。
2024.11.12
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紫式部が、光源氏がお隠れ(雲隠)になってから筆を置いてから数年が経過して、再び筆を取って続編とも言うべき『宇治十帖(うじじゅうじょう)』と言われている最終章の十帖をかき上げた。いま私はちょうどその『宇治十帖』の取っ掛かりのところを読んでいる。ここへ来るまでに掛かった時間が長かったのか? はたまた短かったのか? 自分ではよくわからない。全10巻の内ようやく八巻目の真ん中あたりに入ったところです。かなり根を詰めてというか頑張って読んできたのですが、お陰で絵画制作の時間がかなり削られてきてしまった、ただでさえ短かったアトリエの滞在時間が、さらに少なくなっています。これまで、いわゆる平安時代・平安京の『雅(みやび)』な世界に浸っているといったところなのですけれど、いま読んでいるところは、その主たる舞台を京都・宇治に移して、新たな物語が繰り広げられて、どんな展開が訪れることになるのだろう。楽しんで読んでいるとは言うものの、登場人物が多くてその人物相関図が頭に入っているわけではないので、新しい登場人物が出てくるたびに巻末に掲載してくれている ”系図” を覗きに行くということになっている。いずれにしても早いところ、この『瀬戸内寂聴訳源氏物語全10巻』を読破してしまいたいと思っていて、アトリエに戻ることを本分としたいところです。
2024.11.11
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この日本のグループは、何を演奏しても素晴らしい。とても巧いし極めてバランスが良い。『The Lady Shelters』日本の女性2人・男性2人のロックバンドです。4人とも素晴らしいのですが、私が最も注目しているのがドラマーの ”吉田あかり” さんです。YouTubeにかなり以前からアップされているザ・フーの『A Quick One,While He‘s Away』をカバーした演奏している映像があるのですが、その楽曲における彼女のドラムプレーが秀逸で、観ていて惚れ惚れしているのです。もちろん同等の演奏ができる人はたくさんいるとは思うのですが、彼女の演奏は何とも心地良い。本家の『THE WHO』よりもというか、THE ROLLING STONESの『ROCK`N ROLL SIRCUS』映像の時と同じくらいの出来映えではなかったかとまで思っているのです。
2024.11.10
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比較的によく使う言葉ですが、意味が明確に分かっているわけではない「のうてんき」。文字で表現すると『能天気』『脳天気』『脳転気』『ノウテンキ』『ノー天気』『no天気』などというように表されていて、これに決まっているというものはないようだ。広辞苑で調べてみると、<<のうてんき【能天気・脳天気・能転気】軽薄で向こう見ずなさま。生意気なさま。物事を深く考えないさま>> と出ている。したがって、お天気のことを言っているわけではまったくないから、これらの字体からノウテンキの意味が出てくることは無い。「意に介さない」という意味での【恬然(てんぜん)】という言葉がある。また「あっさりしている」という意味の【恬淡(てんたん)】という言葉もある。この【恬(てん)】の一文字は、”気にかけないで平然としている” という意味です。これらからノウテンキのテンキはこの『恬気』からきているようです。また【濃(のう)】という字の意味は、”物事の程度が濃い、深い、強い” などの意味があり、この言葉などが合体して【濃恬気(のうてんき)】が導き出されて、この意味は ”何に対しても何があっても「全然気にしない、平気である」” とあり、これがこの言葉の語源のようでした。どうやらこれが本当の「ノウテンキ」ではないのかということが分かってきました。
2024.11.09
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日本には稀有な才能の持ち主(若い人たち)が何人もいる。彼女もその中の一人である『吉村妃鞠(よしむら・ひまり』さん。2011年6月24日生まれの13歳のヴァイオリニストです。現在は『HIMARI』名義で全世界で活躍中。経歴をちょっとだけ覗いてみると、<<10歳までに日本・欧州などの42のコンクールでことごとく優勝。また複数のオーケストラと共演多数。2022年、アメリカのカーティス音楽院(大学に相当)に最年少10歳で合格し、11歳で進学、それ以降は日米を往来しながら活動中である>> ということでした。これに気付いたのは、YouTubeを覗いていて行き着いた映像を観てのことでした。そして彼女の使用楽器ヴァイオリンは、<<前沢友作氏が所有する『ストラディヴァリウス「ハンマ(1717年作)」』だそうで、使用している弓は宗次コレクションから貸与されている>> また肩当ては、<<株式会社HOMAREから成長に合わせてカスタマイズされたHOMARE「妃鞠ちゃんスペシャル」が提供されている>> というような、特別な扱いを受ける才能の持ち主、まさに ”天才アーティスト” なのです。このような稀有なアーティストの情報が、あまり大々的には報道されていないような気がしていて、ちょっと不満にも感じています。ただ、わたしが知らなかっただけなのかもしれません。
2024.11.08
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三か月に一度送ってきてくれる季刊小冊子『ぎをん』、その一区切りに最終号とも言うべき、今年最後の秋期号(No.259)が届きました。来年2025年1月発行の新春号からは編集母体が変更になって、取材編集を『京都新聞社』が引き取って担当することになったようです。この季刊誌『ぎをん』は1959年に創刊され、京都が誇る祇園の文化を広く伝えてきた。66年目の来年からはその伝統を受け継ぎ、紙面を一新して新たに出発するという事です。判型も変更されるし編集スタッフも全く変わるわけですから、当然紙面構成も変わるだろうし、その見せ方も違ったものになるだろうと期待が半分で心配も半分くらいあるのです。この冊子をいままで送ってくれていた友人が、新しくなった季刊誌『ぎをん』も送ってくれると言ってくれているので、楽しみにはしているのです。したがって、この判型でこの見え方の『ぎをん』は、これで見納めという事になります。それはそれで名残惜しいし、淋しいモノが有るのです。来年の新春号が、より素晴らしいモノになっていることを期待して待つことにいたします。
2024.11.07
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ここのところしばらくは、絵の画面に向かっている時間がかなり少なくなっている。もともとそんなに言うほどアトリエに入って絵の画面に向かっていたわけではない。けれど、その度合いが俄然少なくなっているのです。というのは先々月に買ったを『瀬戸内寂聴訳源氏物語全10巻』買ったからだと思われる。先日書いたブログでは、それを ”読むスピードが遅くなってきた” というようなことを書きましたが、それでもそれを読むための読書の時間が増えてきていて、絵を描く時間が侵食されているということなのです。『源氏物語』を読む時間など、ゆっくり読めばいいのですが、この本を買った時に「年内には読破したい」なんてことをこのブログに書いたものですから、その言葉に拘り取り入られているということなんでしょう。「そんな事どうだっていいのに、打っちゃっとけばいいのに」とも思うのですが、どうもいけません。「そうはいかないのです性格的に」ということで、早いとここの『瀬戸内寂聴訳源氏物語全10巻』を読み終えてしまわないと、後回しにしたらいつになるやら? ひょっとしたら読破することすら難しくなるかもしれません。そんな風にも感じているので、まずはなるだけ早くこれをやっつけてしまいたいと思っているのです。絵画制作に打ち込むのはそれが済んでからじっくりと向かうことにいたします。現在、7巻目の後半の本文が一行も記されていない ”光源氏が亡くなった” 『雲隠(くもがくれ)』のところまで来ています。当初、紫式部は『源氏物語』をここで完結させていたのではないでしょうか? ここで十分に大河物語になっていると思うのですが・・・。
2024.11.06
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「年に2~3回はやりましょう」ということで、今年の7月にその1回目が催されて、今回その2回目が今月11月17日㈰の午後3時集合と計画されました。スポーツクラブでの ”サウナ仲間” とでも言えばいいのか? 毎週土・日の午前中にサウナ室で一緒になる仲間5人での飲み会です。会場となるのは、スポーツクラブの近辺で桂駅前の居酒屋ということになっています。その日私は午前中(10時から)プールで泳いで、そのあとサウナに入って、いったん自宅に戻り、3時には桂駅前まで出向くことになるのです。そのメンバーの中では、わたしが最年長ということですが、そんなに年齢が離れているわけでもありません。ただ私はその前日に山登りの会の11月例会が有りますので、飲み会の方はほどほどにしておかないといけません。なんだかんだと忙しいものです。
2024.11.05
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この展覧会は間違いなく観に行っているのですが、その印象がほとんどないのです。2019年に開催された『京都国立近代美術館所蔵 世紀末ウィーンのグラフィック―デザインそして生活の刷新にむけて』という副題も入れてやたらに長いタイトルの展覧会でした。何故その印象がそんなに薄かったのでしょうか? おそらく展示されている作品が小さなものが多くて、かつとてもたくさん展示されていたから、印象そのものが拡散してしまって食傷気味になっていたのだろうと思っている。でもその展覧会の図録は買ってきてある。それは400ページほどもある分厚い図録で、展示されていた作品は、この図録で十分に鑑賞できるのです。そんなこともあって、展覧会そのものには印象が薄かったのだろう。つまり図録の写真等で十分伝わってくると判断していたのです。いまこの図録を開いて観ているのですが、よくもこんなにたくさんの小さな作品を展示したものだと、ちょっと感心している。もちろんグスタフ・クリムトやエゴン・シーレのデッサンなんかもあって、それなりに魅力的だったのではないかと思うのですが、それすらも図録の図版で十分読み取れることにはなっている。したがってこの分厚い400ページもの図録は、大切にしてじっくり今観ているのです。
2024.11.04
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久しぶりに家族での外食です。行き先はいつものイタリアン・レストラン『アルディラ』、歩いて10数分のところにあるお店です。地元のレストランですから、遠出をする必要がなくちょっとだけの贅沢をということです。先日、ピアノ指導をしている妹が長年使ってきたグランドピアノを新品に買い替えたのでそのお祝いと、長女の誕生日祝いも兼ねての晩餐会ということです。このお店でのメニュー・オーダーはすることなく、すべてオーナーシェフによる ”おまかせコース・メニューで” ということにしています。最初にビールで乾杯して、あとはワインを白と赤1本ずつ注文して、ちょうど満腹するくらいです。こうして2時間半から3時間ほどが経過するのです。こういう晩さん会は、これから月に一度くらいのペースでやろうか? と思っているところです。時には夫婦二人でというのもいいし、もっと人数が多くても面白いと思っているのです。
2024.11.03
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小・中・高・大とず~っと同じ学校に通っていた、幼馴染とも言うべき友人です。またまたグループ展の案内状が届いたので、初日の昨日に会場の高槻市のギャラリーへ出向いてきた。そのグループ展は私が思っていたのとはかなり違っていて、その内容は ”高槻市民によるアート・フェスティバル” といった趣の作品展で、高槻市のギャラリー数か所で開催されていて、市民たちが思い思いに作品を制作して展示していると言ったモノでした。つまり老若男女誰でもが参加できる、中には9歳の子の絵なんかも展示されているといった、かなり牧歌的とでも言えばいいのか? あるいは家族的か? のようなものだったので、小雨模様の中、わざわざ出向く事もなかったような気がしています。旧い友人との絡みも有りますので「行かなければよかった、見なければよかった!」とまでは言いませんが、多少なりとも失望感は有りました。最初から大きなものを期待していたわけではありませんでしたが、それにしても・・・。
2024.11.02
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その絵の画題をどうするかをあれこれ考えていた。『早春の香り』とするか?『早春の薫り』とするか? を迷っているのです。『香り・香る』も『薫り・薫る』も同様の意味で日常的に使っていますが、その違いはやはり有るのだと思っている。その違いは、感覚的な匂いについて用いられる「香り」と、主に比喩的・抽象的な表現で用いられてそれらしい趣があるという意味の「薫り」、このように明らかに違いはある。つまり「香り」は、鼻で感じられる良い匂いがすることで、具体的に感じる匂いとして一般的には ”よいにおい” という意味。具体的使用例には、「薔薇の香り」「茶の香り」「香水の香り」などと使われる。一方「薫り」は、どことなく匂うという意味で漂っている匂いで、比喩的・抽象的な表現に使う。具体的使用例には「文化の薫り」「初夏の薫り」「風薫る」のように使われるのです。また、こんなのもある「馨り」。この「馨り」は、高い香りがする、良い匂いが遠くまで漂う、良い評判が遠くまで伝わるという意味で使われるのですが、「馨」の字が常用漢字には入っていないため平仮名表記されることになり、一般的にはあまり使用されることはないとしている。
2024.11.01
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