つきあたりの陳列室

つきあたりの陳列室

2008.07.10
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テーマ: 本日の1冊(3798)
カテゴリ: Book



気に入ってるのは、主人公の暗い心のありようを生々しく想像できるところ。連載開始を予告する、見開き広告がコミックスの巻末に掲載されている。隅田川に架かる橋の下の暗い背景でこちらを見るニュートラルでやや陰鬱な目の主人公の少年。「ケイゾク」の渡部篤郎が妹のことを思い出しているときの暗い目に似ていなくもない。

家族を事故でいっぺんに失い、棋士であるおじの家にもらわれる。棋士を目指すおじの実子たちをけちらして、自分がおじとその実子たちの関係にひびをいれてしまったことに傷つく。畏怖と憧れの念すら抱いた義理の姉から嫌われ、詰られたことに傷つき、彼女をそうさせた張本人が自分であることにも傷つく。

彼が傷つくことにいちいちこちらも傷ついたような気分になってしまう。彼の気持ちが生々しく追体験できた気になってしまう。愛おしくて、慰めてあげたくなってしまう。慰めるといっても、そっと見守るくらいだ。作中の三姉妹みたく、温かい何かをしてはあげられない気がする。

道端でへたりこんでいた彼に偶然出会い、面倒を見てあげた下町の三姉妹たちとの、おおむね心温まるやりとりは、とても見ていて慰められるのだけれど、その設定の作為性がいまのところややひっかかっている。意識的にそこを無視すれば大層すばらしい物語だと思える。

作為性が悪いというのではなく、そうすることによって、ありあまる何かをもたらすことができたなら、結果オーライだと思う。今のところ、9割がた納得しているが、さらに1割余りを足してくれれば諸手を挙げて絶賛したい気分だ。


*以下、長文の蛇足*


じつは本作でいちばん気に入らない部分は、猫の擬人化だ。虫が好かない。面白くないわけじゃなくむしろ上手いと思うのだけれど、それはある種の人間どものくすぐりどころをよく知っていますね、という類の皮肉めいた面白さだ。

現実の動物は、人間の理解できる感情フォーマットからずれた感情表現をしている。その一部はもちろん人間とパラレルな方向を持っているのだが、残りの部分は、ずれている。それでもなお、だからこそ、その動物固有の歴史をわずかにかすかに、共有できる、そのかけがえのなさが、貴いのだと思う。



こんなに違う生き物なのに、人生のわずかな時間と空間を共有できること、本来かかわりを持たなくてもお互い幸せでいられるのに、敢えて共に暮らすことになったこと、それこそがかけがえのないことなんだ。大部分は理解できないけれど、そんな相手の幸福すら願うことになった私たちと彼らの間の関係はとても数奇で、不可思議だ。だからこそ、安易な擬人化を見ると腹立たしい。

この作品の人間たちの喜びや傷つきは、とても生々しく表現されている。一方で、かなり意図的にコミカルにキャラクタライズされ、ときに大胆に「いじられ」る。ちょっとやりすぎかな、と思ったこともあるけれど、そこには作者なりの抑制の基準があるので、読み重ねるほどに気にならなくなってきた。

でも、猫の描写にはその抑制のタガがはずれている、ように見えたんだ。だから、だらしなく見えたんだ。話の本筋からいってさして重要じゃないし、心なごませるチップスなのだから、ケチをつけるのは見苦しいとも思うけど、自分の今の気分を言葉にしておくことは後で何か役立つかもしれないので書き留めてみた。







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Last updated  2008.07.11 01:04:54 コメントを書く


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inalennon @ Re[1]:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子(09/19) フィンちさん >この世は なんてままなら…
フィンち@ Re:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子 「人生のままならなさ」への強烈な疑問と,…
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ハオ@ 4年はあっという間 バーチュー&モイヤー組見ました。 優雅…

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