メールの恋ってやつですか!?

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只野一生

只野一生

2002.09.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 やれ調停だ、やれ養育費だ、やれ公正証書だ、といった主婦の責め口上から逃げてきた夫にとって、主婦が弁護士を使うということは、逃げ道を失ったという感じがしたのかもしれない。


 いずれにしても、仕事は一刻の猶予も許されないが、私は自分の机で仕事をしていても全く手につかない。結局、彼女のアパートの前で彼女の帰りを待つことにした。

 彼女が戻ってきたのは夕方だった。
 部屋の中に入るなり、私はすぐに成り行きを尋ねた。
「どうなったんだ」
「これから、印鑑証明をとりに世田谷の等々力に行ってきます」
「印鑑証明?」
「親権がほしけりゃ、養育費を諦めろって。誓約書を作るのに、印鑑証明をつけろと言われて」

「私の言うことがコロコロ変わるからって」
「印鑑証明があると変わらなくなるのか」
「でも、向こうが欲しがってるんだから仕方ないのよ」
 主婦は、私とは目を合わせないような淡々と話した。
「だいたい、そいつは何者なんだ。名前は何て言うんだ。弁護士なのか」
「会社の相談役だって」
 名刺を見ると、コピー機か何かでこしらえたような作り方をしていた。本当に会社の関係者かどうかも怪しい。
「何でそんな奴と、大事な離婚についての話を決めなきゃならないんだ。おかしいと思わないのか?」
「いろいろ言われてもがんばったんだけど、子どもを取られているし、どうしようもないのよ」
 彼女はフローリングにしゃがみこみ、顔を抱えた膝に埋めてしまった。
 こもった嗚咽が聞こえてくる。

「口を出すなって言われてるけど、常識で考えてもちょっとおかしいんじゃないのか。だいいち、弁護士を立てたのに、何で直接会ってしまうんだ」
「……」
「養育費は親権と相殺できるものなんだろうか。どうもそこが腑に落ちないんだが」
 彼女は少し落ち着きを取り戻した。
「でも、向こうには、印鑑証明を取ってくると言ってしまったのよ。相談役とかいう人も、まだ喫茶店で待っていると思うわ」

「もし、ここで約束を破ると、向こうの主張の正当性はどうであろうと、私が話し合いを放棄したという口実にされないかしら」 
「まあ、そういうことはあるだろうな。だからこそ、弁護士と相談もせずに向こうと勝手に会ってはいけないんだよ。それにしても、その場に夫がいないというのは呆れた。責任感も誠意もない人間だな」
 ま、そんなことは今にわかったことではないんだけどね。

 しばらく沈黙の後、彼女は
「一応、印鑑証明は取りに行くわ。取ってからまた考える。そうでないと、何か後悔しそうで」と言い出した。
「仕事はどうするんだ。もう一刻の猶予も許されないんだぞ」
 冗談ではないのだ。今晩納品できなければ減額は必至だ。
「ご迷惑をかけていることはわかっています。いろいろよくしていただいたのに、こんな結果になって申し訳ありません。損害賠償は私に求めてください」
「え?」
「姉からは三日と開けず中傷の電話が入るし、その都度気の弱い私は、動揺していつも折り返しあなたに電話をして相談をしてしまい、結局あなたを道連れにする形で妨害に負けちゃった。もうここ何ヶ月も続いているし、母親のところに行ったりしたこともあったし、それで仕事に影響があったのは事実だもの」
「納品日はそれを証明しているよね」
 彼女が母親の実家に行った頃は、全く納品できていなかった。
「しかし、その頃私は、事情を説明した上で夫に善処を求めている事実もある。夫の不誠実さは、もはや私の責めを免れるものではないよ」
「もちろん、法的に立証できればやっちゃって構わないけど、そうでない場合の話。どちらにしてもあなたの被害は事実だし、因果関係もあるから」
「うん」
「夫にしろ姉にしろ、結局、私の側の人間だし、私がきちんと説明しておかなかったことが原因なんで、あなたの損害については私が責任を負うものだと思うの。その上で改めて、私の損害を夫に問えるかどうかは弁護士に相談してみるわ」
 そこまできっぱり言われてしまうと、私はもう何も言えなかった。
 主婦は、印鑑証明の登録カードを持って、私と一緒にアパートを出た。

 あーあ、これでもう、仕事もパァだな。
 そう考えると、何かここ数ヶ月維持してきた緊張のタガがプツン、と切れてしまった。もう、私一人だけでもがんばって、出せるものだけでも出そう、という気にはなれなかった。
 再校分の納品を諦めたわけだ。ということは、初校までしか関わっていないということになるから、もう減額も必至である。減額は受注したもののトータルで行われるので、外注の支払いを考えると足が出る可能性もあった。

 私との話が長くなったために、結局、主婦はその日の区役所の受付が間に合わなかった。
 主婦はそこで、今度はちゃんと依頼した老弁護士に連絡した。
「印鑑証明なんて、そんなものが要るなんて話は初耳だねえ」と老弁護士は「相談役」の要求をコバカにしていた。
「でも、そう約束してしまったんで、こちらが約束を守るという意味で、取った方がいいと思ったんですが」
「いや、それには及びません。必要ない物を要求する方がおかしい。そんな要求に従う必要はなし」
 老弁護士にしてはめずらしく、この点だけはきっぱり言った。
「とにかく、今後は私が話を進めますから、あなたは帰ってきて構いませんし、明日以降も印鑑証明の申請をする必要はありません」

 いったん自宅に帰っていた私も主婦から電話を受け、また彼女のアパートに向かった。
「弁護士の先生はそう言ってるんだけど、向こうには何て言ったらいいのかな」
 彼女に聞かれた私は、こう答えた。
「この件は弁護士に任せると通告したはずです。それとも、あなたは弁護士なのですか? と尋ね返したらいい」
 主婦は喫茶店に電話をすると、「相談役」はまだ待機していた。
 いくら自分から要求したとはいえ、もう六時間近くその喫茶店に居座っていることになる。
 店だって迷惑だよな。どうせコーヒー一杯で粘っているんだろうし。
「印鑑証明はとれませんでした。明日以降もお渡しできません」
「ほう、じゃあ、子どもはどうなってもいいんだな」
 主婦は、私の指示通りに返答した。すると、相談役はまた慌てて早口で
「そんなことはどうでもいいだろう。弁護士がどうしたというんだ。法律が子どもの幸せを決めるのか。あんたは何を言ってるんだ」などと一方的にまくし立てて電話を切ってしまった。
 全く知恵のない奴だ。ちょっと揺さぶるとすぐにボロが出る。

翌日、老弁護士は夫の会社に電話をし、協議離婚のための話し合いと協定書作りを主婦から依頼された旨を社長に告げた。

 私の予想通り、社長は「何でこんなことぐらいで弁護士を」というニュアンスで警戒するような対応だったという。喫茶店での一件もあって、バツが悪かったのかも知れない。





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Last updated  2003.04.14 18:32:48


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