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とうとう受けました。レーシック。僕は強度近視です。めがねを掛け始めたのが小学校4年生のとき。それからどんどん悪くなって、今では0.04とか0.05に。コンタクトレンズがどうも合わなくて、めがねを掛けていました。完全に、めがねは顔の一部です。しかし、不都合もあるわけで、めがねだとどうしても目が疲れやすい。首の後ろが凝ったり、頭が痛くなったりします。前から興味はあったのですが、僕は乱視が強いので、きっと無理だろうと諦めていました。しかし、最近では、乱視も治っちゃうらしい。そう聞いて、八ヶ岳に移住する前には、レーシックを受けてみようと決めました。で、おととい、受けたのです。結果だけお伝えしますと、両眼とも1.2!!!あんた0.04が1.2ですよ!!まだぼうっとしていますが、しばらくすれば取れるとのこと。目の悪い人は是非、受けたほうがいいです。人生が変わる・・・。
2005年01月31日
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先日、こんなことがありました。妻のチエコが忙しくてご飯を作ってくれなかったんです。そのとき僕は「なんで作ってくれないんだよう」と怒りとともに猛烈に悲しくなりました。たった「忙しくてご飯を作ってくれなった」というちょっとした体験だけでです。ボクは妻がご飯を作るべきだというあらゆる理由を考えました。そしてもう少しでそれをぶつけて責めてしまうところでした。なぜこんなちょっとのことでマイナス感情が湧き上がったのかと言うと、実は、そのときは「ご飯を作ってもらえないボクは愛されていないんだシリーズ」のフォルダがばっかーんと開いたからなんですね。誰かが自分のために「ご飯を作ってくれる」というのと、「ボクは愛されている」がくっついていたんです。小さいときに母親の愛情とご飯をくっつけていたというわけです。僕達は目の前の誰かや出来事に怒ったり、恐れたり、悲しんだりしますが、実は、現在での原因は10%しかなくて、90%は過去の怒りや恐れや悲しみなのです。90%があまりに強烈なので感情に押し流されて、ほとんど冷静な対応ができなくなります。ほとんどの場合それが過去に原因があると気づかないので、僕達はまんまと過去のパターンに従った反応をするのです。ボクが妻を責めようとしたように。左脳の後ろ側にはマイナス感情を伴った体験がファイルごとに蓄えられています例えば、「男性から怒られて自分が無能だと感じたシリーズ」「女の人に思ったことを言えなかったシリーズ」「上手にできない自分に怒って罰したシリーズ」「新しいことに挑戦して失敗したシリーズ」「自分と相手はひとつではなくて分離しているシリーズ」こんなフォルダたちがたくさんあります。なんであるのかというと、もう二度とそういう苦しい体験を繰り返さないためです。もう二度と熱いストーブを触ってヤケドをしないためだとか、見捨てられる苦痛を味合わないためとか、それらは僕達の生き残るための貴重な学びなのです。もし無ければ、何度も怪我をしてします。僕達の脳は痛かったことはもう経験しない主義です。しかし、意識しない間に脳は痛かったパターンと対処方法を自動的に学んでしまうので、それらが新しい成功や幸せを邪魔することがあります。感情的な痛みがあったとき、90%はフォルダに入っていた過去の痛みです。現在の痛みは10%でしかないんです。それを思い出すと自分を取り戻して、本当に幸せや成功につながる新しい行動が選べますね。 <今日できるハピサク道>今のマイナス感情の90%は過去のものであることを思い出す。
2005年01月17日
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インドかどこかの古い教えに「足るを知る」というものがあります。「足りていることに気がつきなさい」という意味ですね。 十分成功しているに、まだ成功しようとする人がいます。ビジネスに限らず、趣味でも、衣食住でもそれは起きます。 使い切れないほどの高収入を果てしなく求めてしまうとか、次から次へと、大きなことをやり遂げなかくてはいけない気がしてしまうとか、もっと人気者にならなくてはいけないとか、もっと多くの人に愛してもらわなくてはいけないとか、後任者にもう任せてしまえばいいのに、まだ離れるわけにはいかないと言って手が離せないとか・・・・。(という自分も、もうたくさんCDを持っているのに、なんか物足りなくて次から次へと買ってしまいます・・) 要するに、足りていることに気がつかなくなっているんですね。最初の欠乏感がずっと癒されないまま、本当は穴は満たされているのに、それに気がつかない。 危険なのは、これらは一見すると良いことのように思えてしまうこと。今に満足しないでどんどん向上している=偉いこう見えるわけ。 ところが、この裏には、罪悪感とか欠乏感が潜んでいるのです。そういうありがたくない感情が果てしない行動に駆り立てていることが多い。 だから、そういう人は本人も疲れるし、周りの人も疲れちゃうんだよね。いつも欠乏感で走り続けるのは辛いことだし、正しい方向に進むために周りの人をコントロールしようとします。 そういう人は「今」にいない。いつも、未来に行っちゃっている。今の豊かさを受け取らず、今はまだ不十分。足りないぞ!もっともっと!そういう人は、結局、どの未来でも、不十分で足りなくなるわけです。 さて、純粋な向上心と、この足りない症候群の区別はどこでつけたらいいでしょう?それは、立ち止まったときに、心が安らげるかどうかではないでしょうか。足を止めたとき、走るのをやめたとき、一ヶ月お休みしたとき、やすらかな気持でいられるか、それともなにか安心できなくて焦る感じがあるか、そんなところで分かると思います。 <今日できるハピサク道>すでに足りているものはなんですか?
2005年01月10日
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