ハリハリ資料室・第一分室

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2005年01月24日
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★20代後半から30代のはじめまで。あのころは,年をとったな,と思うことがときどきあった。今にして思えば,年をとったと思うだけで済むこと自体が,若さの証拠だったのかもしれない。最近は,年をとったと思うことが最近多いな,と思う。一段メタ化したわけだ。やがて,森の中では「木が生えてるな」といちいち思うことなどないように,年をとった自分が当たり前になるころには,老化がすっかり完了しているのだろう。人間の認識は,つねに現実の変化を後から追いかけるものでしかないから。

★年をとったことを実感した理由の1つは,今読んでいる本が,2冊ながらに司馬遼太郎の本だったりすることだ。1冊はエッセイ集だが,そこに収められた雑文の1つから『翔ぶがごとく』という作品を知り,10巻本の第1巻を買って読み始めた。去年の春,小6生たちに明治時代の歴史を教えたとき,明治の元勲たちの動きに興味をもって,司法卿・江藤新平を主人公にした『歳月』を読み,さらに興味を覚えた。あの作品は,『翔ぶが如く』という大作の副産物だったのだろうか? 司馬は西郷びいきのようだが,このことは大部分の読者の嗜好にもよく合っているだろう。大久保にはさすがにそれなりの敬意が払われているが,大久保に追随した官僚系の人物たちは,そろって小物のあつかいである。

★今僕が読んでいるあたりでは,西郷は,渋谷金王町にある,弟・従道の屋敷に寄宿して,駒場野にウサギを撃ちに行ったりしている。渋谷-駒場界隈が,武蔵野の名残りを留める草っ原だったころの話だ。金王町の名前は,秋葉権現から来た秋葉原と同様,お社がその由来で,金王神社に由来する。先日読んだ『空中ブランコ』では,主人公の精神科医がクライアントを誘って,金王町歩道橋の表示を金○町に書き変えるシーンがあった。金王様の名前に馴染みのない人なら,一度は当然考えることだろうが,それにしても子どもっぽい。
 この『空中ブランコ』,読了後,「直木賞受賞作」という表紙の腰巻きを,もう一度まじまじと見てしまった。あの久生十蘭が,何度も取り損なったという直木賞? 広瀬正が,これまた何度もノミネートされながら,ついに受賞を果たすことなく急逝した,あの直木賞? この作品集が? 拙いというのではない。「オール読物」誌連載の娯楽作品なら,こんなものだろう。ただ,どの一篇も,みな同じ話なのだ。主人公は変わる,ヤクザだったり医者だったり作家だったり,だか,人格的には紛れもなく全員同一人物である。そして,同じストーリーが繰り返される。奇妙な衝動や恐怖に取り付かれた主人公が,巨大な稚気のかたまりのような精神科医に毒気を抜かれ,やがて症状の改善を見る。作家を主人公とする最後の話だけが少し違っているのが--彼女を「癒し」たのは,医師ではなく,彼女の友人である--また小ざかしい。これが直木賞? 僕は確かに,年をとったのだろう。無論,故司馬遼太郎も,直木賞作家である。

 ともあれ,『空中ブランコ』は,読書の愉しみのために手にとった本ではない。「ハリネズミ」という一篇がおさめられていること(Hさんに教えていただいた)のが読んでみた理由だから,文句を言う筋合いはないわけである。
 主人公たちの衝動や不安には,決まって特定の心因があり,それは自分の生き方へのだったり,対人関係のストレスだったりする。このわかりやすさは,ある種の読者には歓迎されるだろうけれど,僕としてはあまりいい印象を受けない。乱暴な心因一元論につながるおそれがあるからだ。たとえば,僕には,パニック障害で長時間1人で電車に乗れない(乗れなかった)知人が1人ならずいる。そのような「症状」に,周囲の人間がワカリヤスイ原因を見つけてあげようとするのは,ある意味,かなり危険なことなんじゃないかと思う。

 僕に関して言えば,今日,駅の改札を出るときに,前の女性が切符をもった右手に小さな箱をもっていたために,改札機に切符がうまく入れられず,彼女がもたもたと荷物を左手に持ち変え,右手の切符を持ちなおして機械の挿入口に入れるまで,僕はなすすべもなく待っていた。改札を出て,所用で郵便局に向かうとき,前から来た御老人が,腰はほぼ90度近くまで曲がって杖をつき,頭もほとんど真下にがくんと垂れているのに,つば付きの帽子をかぶっているものだからまったく前が見えず,僕は突進してくる彼のために道を明けなければならなかった。昨日は昨日で,よろよろ歩く酔漢を避けなかったために,廃語から罵声を浴びせられた。地下鉄を降りるとき,降車側のドアのまん前でぼーっと立っているぼんくらをどうやって脇にどかそうかと頭を悩ませるのは,ほぼ毎日のことである。「いらち」な人嫌いをもって任じている僕のことだから,こんな些細なことでも,毎日毎日不愉快な思いをして,それでもよく平然と電車に乗ることができるなあと,どうかすると自分で感心してしまう。職場から歩いて家まで帰れば,1時間半ばかりかかるのだが,赤の他人と狭い車両に詰め込まれる経験をしなくて済むのは,それだけでどんなにすがすがしいかわからない。我々は慣れているからなんとも思わないけれども,実は何十人もの“他人”たちが待ち構える狭い箱の中に平気な顔で乗り込んでいけるというのは,その方がよっぽど「まとも」でない,そう,「異常」なことのような気がしている。

★「せんせい,最近もDVD売ってらっしゃいますか?」
と,Ta先生の無邪気な質問。先日僕が「パイレーツ・オブ・カリビアン」のDVDを600円でブックOフに売っぱらった話をしたとき,彼女はずいぶん悔しがったのである。

 僕はやややけっぱち気味で答える。先週売ったのは,「猫の恩返し」と「ヴァン・ヘルシング」だ。と,横からTz先生が,
「海賊版売りゃいいんだよ」
と口をはさむ。
「海賊版?」と,自他ともに認める世間知らずのTa先生。
「市販のDVDをCDロムにコピーしてさ,売るわけ。インターネットとかで。違法だけどね。違法コピー」
 Tz先生は,40代のベテランの先生だ。百科全書派だか何だか,フランスの古い時代の人文学を研究したが,なぜか学者にはならなかった。一見無頼派インテリの典型のような人なのだが,実のところ,彼は現役の司法試験受験生である。この業界の「センセイ」には,実は自身が受験生である人が少なくない。だから,彼については,やさぐれた法律家の卵くずれという形容の方が適切だろう。酒色の楽しみを愛することが甚だしく,一攫千金を夢見てロトを研究しているそうだ。言われなければ仕事場にかかってきた電話もとらないが,契約書類は期日までにきちんと提出していらっしゃるあたり,決してだらしない人ではない。
 実のところ,Tz先生がパソコンの前に座っているところを,僕はほとんど見たことがない。実際にCDを焼いたりネットビジネスを活用したりといったことに精通しているのは,若い理数系の先生たちだろうが,彼らがそういう話題を口にするのを聞いたことはない。Tz先生の発言は,悪ぶった中学生のような知ったかぶりと言うべきだが,年配の方だけに,微笑ましいというよりはむしろ痛々しい気がする。
 僕自身,社会の有益な一部品としての生活をとうにあきらめた人間だが,Tz先生はやはり,自分とは決定的に生き方の違う人だと思う。何だか興がさめて,DVDの話もそれ以上続ける気がしなくなった。『空中ブランコ』を読んで,その登場人物よりも作者と読者に対して思った「稚気」という言葉が,もう一度脳裏に浮かぶ。





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最終更新日  2005年01月25日 22時14分50秒
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