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私の敬愛するシャネルの言葉に「コンプレックスを武器にすればいい」 とある 初めてこの言葉をみたとき、心に留まる言葉ではあったけど自分に置き換えるとどうもよくわからなかった「コンプッレックス?」 「私にそういうものがあるのかな?」「シャネルだからこそ武器なのだ」・・・・とかマイナスにばかり考えていたのか、言葉の意味がわかるようなわからないような心もちだった でもなぜだか、日々の生活のなかでふと頭に浮かぶ言葉のひとつなのである 私の性質(性格)上、ゆとりを持って計画をたてたり行動するほうではなく、どちらかといえば期限が近づいて、「さてやるか」と力が入り、事が起こってから「何とかしよう」と意気込むタイプ夏休みの宿題はいつもぎりぎりで終わらせていた(笑)人との待ち合わせは遅れはしないが、準備まではいそいそしているほうである・・・けれども覚えている限り絶対に遅れないし、期限も守るタイプ そういうことって周りから見てもわかるようで、上司に「ホント、事前にならないとやらないよね。なんとかならない?」見たいな事を言われたことは今でもよく覚えている。 そのときはまだまだ未熟者で必死に「変わらないと!」「何とかしなきゃ!」と自分を追い詰めるか、自己啓発の本を読み漁るか、思い悩んでばかりで「その言葉」に振り回されてばかりだった そう、私のコンプレックスの一つだ それからいろんな人とのかかわりの中で、私と同じような人をみると、不思議と客観的にみれるよく考えると、あんなにも落ち込むことではないと思えるようになった この世に計画や正確さばかりがあふれたら窮屈なものになってしまうし、同じ人は二人としていない。ぎりぎりになって動き出す人は、ここ一番のときに力を発揮できる人だとも言える いつも遅刻ばかりする人は、一緒にいるときは思い切り楽しませてくれる人かも知れない ・・・・と、自分のコンプレックスをおおらかに考えられるようになり、客観的に見れるようになった こういうことも武器の一つになるのかも知れない
2011/10/30
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自分を過小評価しない 持っていないものより、ほしいものより、今持っているものを見直そう
2011/10/25
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10年近く前、今にして思うと、これから一生することはないのかも知れないと思う経験をしたことがあった きっかけは、父の再婚相手との些細な一言が大きく発展してしまい言い争いになり、悔しさと怒りに涙が止まらず、理性がきかなかったことがある そして父を巻き込んでのごたごた 今にして思うと笑い話になるかな あの時はお酒も頂いていたし、頭が破裂してしまうのではないかと思うくらいに泣きじゃくったため正直のところ・・・すべてを覚えていないのだ(笑) 結論を言えば娘の私のやきもちである しかし、この事件以来取り乱して理性を失うまで泣くことなど一度もない(この約10年ほどだが)今再び振り返り、じっくり向き合ってみると、「毎日は一回きり」なのだなぁとしみじみ感じた 同じことで毎回同じように感動すること、同じことで毎回悔しくて泣き続けることってそうそうないと思うそのときの気持ちはそれ以上にもそれ以下にもなるから。 怒りに震えて泣くことだって、その日そのときの体調、心境・・・などその日一日だけのコンディションの結果だ おかげさまで、この時期はたしか転職をするかしないかで悶々としていた時期なのだけれど、この先の不安とかそんな心配が一気に吹き飛んでしまった この先もこの事件は、おそらく一生忘れることはないだろうと思う結構いい思い出だ(笑) よく自己啓発の本などには「ポジティブ」や「他人の前では(職場ではとか)何があっても冷静に対処しよう」とか前向きな言葉を見かけることも多い。 それも確かに正しいのだが、日々は一生で一度きり。 大げさかも知れないけど本当に今一度きりなのだ時に怒りをあらわに出すことも必要ではないかと私は思う 「怒り」があるときって、精神的悩みは吹き飛ぶそして我慢が積み重なるから、ストレスや、ある日突然切れてしまうことにつながるのではないかと思う自分を自制しすぎずに解放するときも時にはあっていい 日々は一回きりだし、そのときの自分の選択も一回きりなのだ これは誰に伝えたいというよりも、自分にも言い聞かせたい 日々の選択で人生が作られていくのなら、もっと気持ちを開放的に(怒りでも、喜びでも)表現してもいいのではないか。
2011/10/14
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先日、電車の広告を見ていてこんな一文に目が留まった 「昔の人は己を高めるために学んだ。 今の人は他人の評価の為に知識をつける」 ある大学のキャンパス紹介の広告であったうん。なかなか我を振り返りたくなる言葉である。自分が好きなこと、夢中になっていることなどは他人の評価など気にしていないが、いざそれについて褒められたり、批評を受けたりした時はどうなのだろう行き過ぎると、己を高めると言うよりも、他人の評価を気にしてしまう時などがあるのだろうと思えたりもする 要は、自分がどう生きたいのか、人生という舞台でどういう役を望むのか どんな道であれ、他人の評価でなく「己を高める」ために学びたい。そう思うのであった
2011/10/14
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