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~息子たちに捧ぐ~最近、仕事から帰ってくるの遅かったから、今日は子供らが起きてる時間に帰ってこれてよかった。「ただいま~」と言って家に入ったら、しんちゃんの「お父さん!」っていう歓喜の声が聞こえたよ。でも「おかえり!」って大きな声で言ってくれた後、久々に顔合わせたからなのかどうか知らないが、しんちゃんは下をうつむいてたね。『子供って何でなんだろう?バカだね。』って感じ。「じゃあ、抱っこしてあげるよ。」と言い、しんちゃんを抱っこしたままで私は遅い夕食。箸を持ち替えられず、しばらくは左手で食べたりした。やがて私に抱っこされたまま、寝てしまったしんちゃん。私が帰ってくるのを見届けてくれたということかい?この前の日曜、妻に勧められて読んだ、「VERBAL:神のパズルーそれは僕自身」という本。VERBALとは、m-floっていうラップ音楽のアーティスト。TAKUと2人のユニット。ということらしい。そんなこと何も知らなかった自分。m-floっていえば、2005年暮れのNHK紅白にも出ていたがしっかりと観ていなかったので良く覚えていない。ところでこの本、どんな本だったかというと、VERBALという人、日本育ちの韓国人でクリスチャン。アイデンティティの喪失感に悩みながら生き、インターナショナルスクールに通い、ボストンの大学院では神学を専攻。へぇー。カッコいいね。惹かれる若者も多いことでしょう。アイデンティティの喪失感に関しては私も重々悩んだことがある。まあ理由は今回述べるつもりもないですが。ところで、「VERBAL」とは、「言葉の」とか「言葉に関する」という意味らしい。とても哲学的な感じがします。その辺の哲学が実は私はちょっと好きだったりする。世界は「物質」で出来ているのか、「言葉」で出来ているのか、真剣に悩んだこと、あったりしませんか?今、通勤途中の電車の中では、養老孟子著「無思想の発見」という本を読み進めているところです。文章に無駄が無く、大事なことがたくさん述べられている本なので私的には絶賛です。西洋の一神教について物申す部分もあるので何を信じて生きて行くか、人って様々だなぁっていうか、私自身、頭が混乱してきます。ほんの1ページだけ、ネアンデルタール人のことが書いてあるところがあったのでふと思い出しました。私が「ネアンデルタール人の正体」と言う本を買って読んだ理由は、この1ページに触れたことが原因だったのかもしれない。そのようにふと思いました。
2006年01月26日
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~息子たちに捧ぐ~インフルエンザから回復し、仕事も通常のリズムを徐々に取り戻しつつある。今年に入って3週間が経ってやっと平穏な週末を迎えている。昨日は、朝7時過ぎ頃から雪が降り始めた時(さいたま)、家族はまだ寝ていたけど私はひとり、外の景色を見て、思わず「おお!雪か。」と声に出した。夕方までにおよそ10センチぐらいは積もったね。ところで、通勤時に電車の中で読んでいた、「ネアンデルタール人の正体」-彼らの悩みに迫る-は、もう読み終えた。職場の人に貸しちゃったから今手元に無く、読み返せないが結論的にはこういうことだった。ネアンデルタール人は、無口で自閉的で、クロマニヨン人と比較して社交的でなく、狩猟する際の行動範囲も狭かった。5万年間もバラエティの少ない同じような石器を作り続けるなど、発展性がない人たちだった。だから絶滅してしまったのだと。私は、その結論にたどり着くために読んでいたのではない。そのような人種との共存共栄を探るヒントが欲しかったのだ。だが、その研究は今後の課題なのであろう。けん君、ごめん。この本を読み進めている時、こんなことを感じた。滅びて行く生命に手を差し伸べることも出来ない。我々は、とても無力なんだね。滅びて行くのはしょうがないことじゃん。ネアンデルタールを救うことなんて出来るわけ無いよ。ネアンデルタールはとても惨めに滅びていったという印象を受けた。生命は、自ずから生きて行く力を見出さなければダメだったんだよ。けん君は違う。ネアンデルタールのように惨めじゃない。比べてしまってごめん。けん君はネアンデルタールなんかじゃない。ネアンデルタールの話はとりあえずこれで終わり。明日からは去年からの読みかけだった、養老孟子著「無思想の発見」という本を読むつもりです。とその前に今日は妻がおすすめの「VERBAL:神のパズルーそれは僕自身」という本を1~2時間かけて読む。(ことになった。)
2006年01月22日
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11日、今年初出社したが、午後から少しづつノドが痛くなり熱っぽくなってきた。これは風邪だな。入院時にもらった抗生剤があるから下手に風邪薬といっしょに飲めない。そのことを会社帰り途中下車した、とある駅のそばの薬局で言ったら風邪薬を売ってくれなかった。家に帰ってうがいして早めに寝た。翌朝12日、37度以上の熱。このまま会社行っても高熱になって動けなくなる。今日一日安静にしていれば何とかなるだろう。また会社を休んだ。明日は退院後初の通院の日であるので、寝て耐えていようとした。こんこんと寝続けていたのですが午後になって熱が39度を越えてしまい。何とか処置してもらわねば、また夜中に救急車呼ぶことになってしまうと思い、妻が運転する車で病院へ行った。今度はインフルエンザだった。最近は何型かが気になります。私はお医者さんに「AとかBとかありますよね?」(鳥インフルエンザ?と訊く勇気はない)と聞きました。お医者さん曰く、「Aです。5日間外出禁止です。ご家族とも隔離して過ごしてください。会社のことは心配する必要は無いと思います。誰もインフルエンザの人に仕事に来て欲しいと思わないでしょう。」今年になって元気だった日は、元日だけでした。未だにダウン中であります。子供らにうつらないように細心の注意を払っています。がこの子達に言っても無駄です。明け方になると私の寝ている布団に、子供らふたりがもぐりこんでくるんですから。必ずマスクする、同じタオルを使わせない、良く手を洗う、同じコップを使わない。できることはそれぐらいです。13日夜現在、私以外の家族は大丈夫です。「ネアンデルタール人の正体」-彼らの悩みに迫る-を少し読み進めたがかなり奥が深そうな感じがした。人類学者にも色々あるようだ。今日読んだ中にも、自然人類学者、考古学者、人類遺伝学者・・・。私のような無学な者にはとても興味が湧きそうに無いことも多く・・・。言語を持たず、2~3万年前に滅びたといわれるネアンデルタール人と小2のわが息子に共通の心情、共通の運命が果たしてあるだろうか、との想いで気ままに読んでいる。
2006年01月13日
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私が入院している間、アマゾンで購入した本が家に届いたらしく、妻が私に届けてくれた。本のタイトルは「ネアンデルタール人の正体」-彼らの悩みに迫る-。まだ数ページしか読んでいない。退院した今、この本を一番に読もうと思っている。ネアンデルタール人とは、我々人間の祖先であるホモサピエンスとはまた違った人種で、2~3万年前に滅びたらしい。現代人と同じ1400g程の脳を持っていたにもかかわらず何故滅んだのか。それは言語を持っていなかったからで無いかといわれる。話は変わり、私が一週間入院している間のことです。ふたりの子らには寂しい思いをさせてしまった、と今になってまたあらためて思う。妻が毎日ふたりの子を連れて日に1~2回ほど見舞いに来てくれた。けん君は私をあまり見ようとせず、不安げに外の景色を見るばかり。しんちゃんは、私に会えてはしゃいだ。でもいつもと違うこの家族のあり方をしんちゃんなりに小さな心と身体で受け止めていたのだと思う。「モヤっとぉ」「美脳!」「合体!」などとフジテレビの番組「IQサプリ」にでてくる単語を次から次へと並べて、いろいろと話ができるようになった自分を私にぶつけてきた。私を驚かせ、喜ばそうとするしんちゃんの心意気だった。しんちゃんに、「しんちゃん、いろいろ話せるようになったんだねぇ。」するとしんちゃんは嬉しそう、かつちょっと照れ笑い気味に「うん。」としみじみと肯いてみせた。『おいおい大人ぶらなくていいぞ^^』「しんちゃんは何歳?」って白々しく聞くと、一本の指を出して「サイ!」って叫ぶ。そういうところはまるで赤ちゃんだ。「え~、2歳でしょ~。」と言って2本指を出すと、しんちゃんも何とかがんばって2本指の手を出そうとしていた。人と接触しようとせず、外の景色ばかり見ているけん君の服をぐいぐい引っ張って「けん君!けん君!」と叫ぶしんちゃん。『せっかくお父さんの見舞いに来たんだから、お父さんの問いかけにもっと応じなよ!』と言ってるようだった。兄貴を説得しようとする弟。初めての光景。子供たちは日々成長している。しんちゃんは年が明けてさらなる成長が窺えた。
2006年01月11日
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年始早々、1/3未明から入院するという目に遭いました。前立腺の炎症で痛みと高熱により救急車で近くの病院に搬送され、そのまま入院と相成ってしまったわけです。昨日退院しました。仕事の遅れも気になります。今日から小2の息子の3学期の始まりです。昨日は退院したばかりでしたが冬休み最後の日なので、この息子の溜まっていた学校の宿題を見てやりました。高熱と痛みが続く3日、4日、5日は非常に焦りました。『このまま死にたくない。2歳のかわいい盛りのしんちゃんを残して死にたくない!8歳のけん君にも教えたいことがまだたくさんあるんだ!死にたくない。死にたくない。でも・・・もしこのまま復帰できず、死んだとしたら私は何者だったということになるのだろう・・・』頭の中に悲壮な音楽ばかりがぐるぐる流れ続けました。5日頃こんなことを思いつきました。自称「学者」です。私は学者として生き、学者として死のう。何の学者?人類学でもいい。哲学でもいいじゃないですか。1/5のメモには、こう記しました。『非言語の中に生きている者らをどう救い、時にどう分かり合えるのか、日々哲学的に思考する学者を目指す。』それを本年の目標に致したいと存じます。※因みに健常者同士がどう分かり合えるか、も非常に難しい問題なんですけどね。分かり合っていれば、既に世界に争いなど無いはずなのですから。
2006年01月10日
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