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このブログ〈ナイチンゲール・カンパニー〉のほかに、新たに〈ガンジーの小屋〉 というブログを5月31日からスタートさせました。なぜ新たにブログを作ったのか、ここのブログとはどう違うのか、そして、一部読者の方からお問い合わせいただいた疑問、小説『ナイチンゲール・カンパニー』をなぜ絶版にしたのかーそのいきさつも〈ガンジーの小屋〉のほうにに簡単に書いておきました。こんごは、この二つのブログを並行して書き分けていきます。このブログ共々、どうぞご愛読くださいますようお願い申し上げます。
2013.06.01
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もう十分だった。墜ちてくる星々と夏の夕景と書割の神殿から漏れる嬌声と。「ただいま戻りました」と女が云った。言の葉の濡れそぼる夏の夜明けだった。いや未明の三日月の奔る海辺だったか。花崗岩のまだらな永遠を亀裂が幾筋も交錯して震え、励起して傾斜して昇りつめて点灯し、風を熾し火を鎮め幾重にも襲ってくるためらいを仰ぎ見る。「だいぶ揺れましたか」神殿の自動ドアがカタカタと上下左右に軋みきしみそれを押さえつけて局員が叫んだが言葉は虚空に飛び散って飛沫さえも玉と化しその一個一個が惑星のようにあたりの大気を旋回させて、また大地は収斂し黒く変色して糾合しいくつかの鉄路は捻じ曲げられて「あっスプーン曲げ!」と子供等が叫び、賢治の銀河鉄道が天の梯子を駆け浅草木馬館がどすんどすんと軋む。「落ちましたか?」と男が尋ね、窓口の官吏は目の玉を泳がせた。それは春の夕景の中であった。無限軌道を走る賢治の銀河鉄道と岩木山と原体剣舞連のdah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah/こんや異装のげん月のした/鶏の黒尾を頭巾にかざり/片刃の太刀をひらめかす/原体村の舞手たちよ/鴾いろのはるの樹液をアルペン農の辛酸に投げ/生しののめの草いろの火を/高原の風とひかりにさゝげ/菩提樹皮と縄とをまとふ/気圏の戦士わが朋たちよ/青らみわたる気をふかみ/楢と椈とのうれひをあつめ/蛇紋山地に篝をかかげ/ひのきの髪をうちゆすり/まるめろの匂のそらに/あたらしい星雲を燃せ/dah-dah-sko-dah-dah そのときー 即ち2011年3月11日午後2時46分。都内牛込郵便局本局前の自動ドアの前だった。若松孝二監督作品「キャタピラ」のDVDを知人に送るため大久保通りをわたりセブンイレブン前を通り過ぎた直後であった。バタンバタンと商店のドアが揺れて一瞬めまいがきたような感覚があった。しかしきづいたのは牛込本局前の石段を上がって局員が必死に抑える自動ドアをくぐった時、ようやくだった。…そうして「声」がひびいた。〈懺悔するな。祈るな。もう影を舐めるな。影を片づけよ。自分の影をたたみ、売れのこった影は、海苔のように 食んで消せ。〉(世界消滅五分前 辺見庸『生首』より)と。
2013.05.18
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生きていた(^_^;) 5年ぶりに日記を書く。大病もせずまんまと2012年の大台もくぐって「復活」した。空白の期間は何をしていたか。いろいろと続編のことなどもアレコレと取り沙汰しつつ世知辛いシャバを観察していた。この5年でネットを巡る環境は大きく拡大した。何よりも311が有った。あの911をきっかけに書きはじめたこのブログだったが、放置しているうちに「時」は勝手に疾走し、そしてあの東日本大震災が、そして福島第一原子力発電所の大爆発がこの国を襲った。政権もまた変わった。2009年8月の総選挙で鳩山民主党が大勝し、鳩山政権が誕生した。しかし新政権は守旧派のメディアと官僚たちと、何よりも米国という背後の力によって発足から翻弄され、ついには小沢一郎という稀にみる傑出した政治家を無実の罪名で圧殺し、戦後はじめてといっていい本格的な民衆の選択による政権交代は、一敗地にまみれ、昨年12月16日の総選挙で政権は罵声と怒号の中、恥辱にまみれて息絶えた。これらの経緯と問題点についてはいずれ稿を改めて検証するつもりだが、恰も土葬の鎮魂の沈黙の巡回のごとくに、きな臭さ漂う世界情勢のなかにほとんどファシズムといっていい、奇妙な古顔の政権が、民衆を置いてけぼりにしてこの311後の北半球の、北東アジアの、その一角の、震えるような獣たちの嬌声までも響いてきそうな、放射能と底なしのデフレの島に、屹立している。この政治状況こそが、じつに「ナイチンゲール・カンパニー」の予知した世界だった。そして、「なぜもどったか?」と問われれば、そのことの傍証を記すために戻ってきた。
2013.05.08
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できたての青い空にチョークで引いたような雲が架かっている。徹夜のまま朝を迎えた。夏の朝。山に来て満五年の朝。ブログをはじめてまる四年目の朝、すなわち1460日目の朝。ほぼ一年半ぶりにブログを開いてみた朝。。。いろんなふうに表現できるが、ここは「一部に中止の噂も流れた北京オリンピック開幕の朝」とでもしておこうか。ここまで書いて、また窓の外を見る。チョークの雲は流れて、高圧送電鉄塔のひとつに衝突した。ここ数日、気温はほぼ連日34度Cを突破、積乱雲が盛り上がり午後には雷が鳴りひびく。一昨日とその前日には、烈しい雷雨で電車が止まった、広範囲に停電もあった。さて、ブログを再開して、いったい何を書こう? じつのところ何も浮かばない。かたわらには手書きで書き殴った原稿用紙の幾枚かが散乱していて、これは、目下執筆途上の浮気な中編小説である。書き出してもうまもなく三ヶ月目になる。書き上がったら、コイツもまた押し入れに寝かせて、もうひとつ別の物語をはじめるか、などとこれを綴りながらもうひとつのジブンがつぶやく。とにもかくにも、再開したわけだから、いずれ何かを書き始めることになるはずだ。皆様ごぶさたいたしました、「ナイチンゲール・カンパニー」続編はいまだ未完成ですが、多少のお知らせはアリマス(いずれ)。さて。。。せっかくだから、時・分も「ハチ公」にあわせてしまえ♪
2008.08.08
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長くもない人類の歴史においてわれわれが生きるこの時代を後世はどのように記録するだろうと考えてみる。自由と民主主義というかりそめの飾りのもとで、少数の超富裕層が偽りの貨幣とメディアと宗教というツールを巧妙に操って圧倒的多数者をおもうままコントロールし「平和のうちに」治めた、そしてコンピューターシステム網によって整えられた惑星規模のこの世界システムに反抗するものは徹底的に弾圧され、アウトランドへ隔離されあるいは虐殺された…たとえば、このように記されるのではないのか。この10年の世界の動向をうちながめるとき、こうした悲観的見解を無視することがとても困難だ。悲惨と残酷を売り物にする組織は慈悲と救済と平和を殊更その看板に高々と掲げる。「人間らしさ」は貨幣システムの金利によって攪乱され、組織的強奪者や殺人狂の犯罪者が救済者のふりをして世界中をのし歩く。民族の血と汗の歴史のなかで贖われたはずの「ことば」はゼロとイチによってデジタル的に惑乱され呪術的に駆使され、装われた記号群がもっぱら読み上げられ唱えられるが、その舌の動きは機械的でちょうつがいで動作する脳味噌は空洞でその瞳孔は空虚によって満たされ、その生涯は宝石で飾りたてた売春婦のように哀しい。どろりとした夜明けが来ていつのまにか網戸の破れ目から侵入した一匹の蚊が薄闇のなかを飛行している。壁のカレンダーはまだ二月だが庭先に霜柱の立つ気配さえもなくて遠望する向かいの山裾にはどうやら梅がもう開花した。窓の前の桑の木はとまどう季節のなかで行き場を見失って裸の樹肌をなまぬるい夜明けの風にさらす。隣人が残していった大ぶりの鉈で枝のひとつを切り裂いてみると悲鳴もあげずに青白く剥きだしたその生の天然をのぼりはじめた陽に差し出す。「ことば」は安っぽいエンターテインメントなる道具に墜ちてしまったのか。失語症の世界がやけにあかるい朝を着色された青空のなかに無言のままに展開させている。素足のまま床の上で座禅を組み、一杯の水で喉を潤し、わたしは落下した蚊をつまみあげてその生の終焉を観ている。漠々茫々…そんな夢を見た、いや夢ではなかった。
2007.02.17
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神楽坂の不二家の店に張り紙が出た。この店はごおぅと車が行き交う外堀通りから坂をあがるとば口のところにあって、手前には東京メトロの暗い闇へ下りる階段がある。不二家の中で唯一、「ペコちゃん焼」なるものを、もう四十年も前から製造販売してきたところだ。いつのころからかわたしもときどき通りかかるとふらっと店内に入り、餡入りやクリーム入りなどのペコちゃんの焼いた顔を数個買って、ぱくぱく食べながら坂を毘沙門までのぼったりしていた。誰かの家を訪ねるときなどは、まとめて十個とか十五個とか買いもとめる。日本全国で売っているのはナニシロここだけだから、お土産ですと差し出すと先方はたいてい「へえ!」と反応する。あの「ミルキーの不二家」が、今川焼きのようなものも売っていると知って吃驚するわけだ。その表情が見たくてわざわざ立ち寄って求めてゆくなどということまではしなかったが、めづらしがられるのは気持ちがいいものだから、おなじような感情から東京の反対の隅からわざわざこの店までやってきて買って帰るという客も居ただろう。そのうちにペコちゃん焼は有名になって、最近ではウナギの寝床のような半地下のせまい店内に若い女性客の行列ができたりするまでになった。張り出された「不二家飯田橋神楽坂店ご利用のお客様へ」と題したチラシはつぎのように書き出されてあった。〈不二家本社がいのちを預かる食品メーカーとして、衛生に対する厳正さの不足や消費者軽視の不祥事を惹起し、お客様の皆様に多大なご迷惑をおかけしたこと、衷心よりお詫び申し上げます。当店で製造販売している「ペコちゃん焼」は、飯田橋神楽坂店のオリジナル商品として本社の原材料は一切使用せず、店内で製造販売してまいりましたが、不二家本体が社会的問題を引き起こした上は、不二家傘下のわたしたちの「ペコちゃん焼」も、製造販売を本日2007年1月15日より自粛することに決定しました〉全文ざっと九百字ほどの文章には、「コンプライアンス(法令遵守)」「レゾンデートル(存在価値)」などといった横文字も散らばり、やがて〈断腸の思いで「ペコちゃん焼」の製造販売を自粛〉とあって、最後は〈…ふたたび皆様にお目見えする日まで閉店をさせていただきます〉と結ばれている。その「レゾンデートル」のところでわたしはすこし可笑し味をおぼえ、「断腸の」箇所まで読んで来て、なぜだか吹き出してしまったのだった。神楽坂店主の必死な気持ちを忖度すれば、吹き出すのは申し訳ないわけだが、怒濤のごときマスメディアの不二家叩きには、すこし怖いところもあって、どこかなぜだか全体主義やファシズムの不気味な黒い影をかいま見る思いさえもしたのだった。そうしてやがて、不祥事を起こした芸能人がぺこり頭を下げて、あらためて正面を見たその顔が「ペコちゃん」に変じるという妙な絵柄がぽっとわが脳味噌の一隅に理由(わけ)もなく映じて、書かれたチラシのワープロ打ちの文字の背景に、世界は気候変動の、異常気象の、北半球は雪も降らない暖冬でさあ、という新春なのに、なんだかちょっと寒々とした風景さえ覗けたのであった。そうしてもどって、やって来たその日の日経新聞夕刊を読めば、外資のゴールドマン・サックスが昨年末の12月30日に不二家の株を大量に買い付けに入って、上位三位だか二位の大株主になっていたことを知った。
2007.01.23
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列島中が高速回転する坩堝の底に置かれた。風呂の栓を抜くと生じるコリオリの力の原理で左回りの烈しい気流が終日、雪雨霙に乾燥した大気の烈風となって山河をつつみこんだ。たまたまつけたテレビでは『第三の波』とかいう愚かな著作をあらわした老人と日本の田中直毅とかいう老人ふたりが対談をしている。窓の外はあいかわらず木の枝や落葉が巻き上がり谷間の広大な空間を踊っている。このふたりの映像を見ながらわたしはなぜか68年公開の映画『猿の惑星』に登場する狡猾なオラウンタン(?)の老猿を連想した。原作(脚本)はピエール・ブールだったか、監督はフランクリン・J・シャフナー。もちろんあの映画が当時の日本人(イエローモンキー)を揶揄したものであることは承知していたけれど、あのラストのニューヨークの自由の女神像のシーンがかの9.11という現実の歴史を経た現在のわれわれには、ほとんど笑止なブラックユーモアにさえ思えて、なるほどハリウッドはこのようにして帝国のプロパガンダを臆面もなく世界にまきちらしているのかとあらためてその愚劣な精神の退廃ぶりに感心してしまうのだった。…それからどうやらわたしはいつのまにか寝てしまったらしく、目覚めればもう8日の午前三時で、あいかわらず闇のなかで嵐はまだ生きていた。風は山ではいたるところで小さな竜巻を作った。わが山小屋のトタン屋根が轟音を発し、いまにも家ごと谷底へ吹き飛ぶかとおもうくらいの突風がときおり襲い、脳味噌の視床下部あたりでは火炎の周囲を踊り舞う蝶の絵を想い描き、怯える視覚は眼前する谷間の空間の闇を走り抜けてゆく得体の知れぬ魑魅魍魎をつい幻視してしまう。中天を覗き見上げれば月が煌々と輝き出ている。満月にはすこし足りないが山中に見る月光ははっとするほどの明るさで、つづいてわたしの脳内楽団はハチャトリアンの剣の舞の音楽を勝手にかなではじめ、そのとき、それほど寒くもない夜気の、千里さきまで漆黒に濡れた闇のなかに、たしかに巨大ななにものかの存在をわたしはみたのだった。
2007.01.07
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ワシントンD.C.では桜が開花したそうだ。シカゴも雪が降らず外気温は5日現在10度Cで、スケート場はべちゃべちゃ。太平洋の中央部に発生したエルニーニュ現象のためだろうと今朝のabcニュースは伝えている。わが山もようやく雪が降ったが、朝方にはもう霙に変わってしまった。それでもとりあえずは寒の入りらしい空模様で、太陽は厚い雲に隠され兄が妹を殺害し遺体をバラバラにするという凄惨な事件のながれるこのニッポンの世間はなんとなく新年というよりは世紀末っぽく、われら民衆の放り込まれた竈の中の湯の温度は、「格差」や「いじめ」、「下流」に「戦争」などの具とともにじわりぐらぐらと煮えはじめて、ただいま50度くらいにはなっているだろう。チョッと熱いが精神を鍛えなおすのには却っていいかもしれぬ。温度といえば、寒がりの猫どもが勝手に上がりこみソファのうえの仮眠用羽毛蒲団のなかに四匹が固まる。年末からこっち自らの小説書きと頼まれた原稿書きと二本を交互に睨みながめつつ、ショパンマーラーベートーヴェンでアドレナリンの分泌を亢進させ、ただ時ばかりが虚しく流れて、タバコと珈琲とストーブのオレンジ色のほてりと澱みが低い天井をいっそう低く見せて、いったい世間で何が起きているのかもさっぱり知らず解からずに壁に貼り付けた暦がまだ2006年のままであることにいまさきほど気がつく始末。双子山そびえる芦の湯の紀伊国屋&松坂屋温泉がなつかしいあの箱根駅伝も視聴せず、埃といっしょに年を越してしまった。さきほど大量の古新聞の山を整理し始めて、4日の古新聞スポーツ欄に「今井に金栗杯」の記事をみつけてようやくに順天堂大の今井君が標高差380メートルの5区をことしもまた超人ぶりで走りぬけたことを知る。犠牲祭のはじまる夜明けに処刑されたイラクのサダム・フセイン大統領は何作か小説を書いていて、確かそのひとつは昨年春ごろだったか日本語に翻訳されたものが店頭に並んだ。ここに以前書いたとおもうが、彼は米軍に穴に隠れているところを発見されたとき、ドストエフスキーの『罪と罰』を所持していたという報道があって、たしかに独裁者である一方、彼は文学青年だった。熱い心の持ち主で、アラブの大義に殉じたということになるだろうか。かつてロレンスが英国諜報部員としてシナイ半島の砂漠をアラブの部族長らと疾走し、英国政府の裏切りに気づいて自らの不徳に嘆き、オートバイ事故で死亡した。あの事故だってダイアナや彼女の恋人の軍人の事故、モナコ王妃グレースケリーの事故もいずれも単なる事故であるはずはない。歴史は物語を創作し、つくられた嘘の歴史が世界史なるものを構成する。脚本家やプロジューサー、ディレクターの闇の奥の光る目はあいかわらずで、2007年の現在も大舞台のカーテンの陰からじっと見つめているのだろう、などと冷凍庫の霜のぶあつい奥にあるブラックチョコレートの食べ残したかけらを取り出して齧りながらふとおもう、そんな朝であった。改めて暦を見ればきょうはシュリーマンとジャンヌダルクの生まれた日らしい。いつの間にか外は雨に変わっている。
2007.01.06
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さて、謹賀新年(笑)。 法曹とメディア貴族の松に蛇10万円以上の現金振り込みが、きょう2007年1月4日より出来なくなった。10万円以上の現金を振り込むには、身分証(運転免許証など)で身分を証明しなければならない。ところで、この措置の背景に透けて見えてくるモノは何だろう。それは、ゲンキンの消滅という未来だ。振り込み詐欺事件が頻発したが、このバックというか仕掛け人、本当の犯人は暴力団ではない。この手法を彼らに教えた一団が居るのだ。彼らの意図は、ATMによる現金振り込みに限度額を設けさせる下地造りである。いわゆるマッチとポンプの原理だ。人々は現実に、「テロ資金防止」などという名目により、10万円以上の振り込みが禁止措置されたことにも、なるほど「振り込み詐欺もあるからなあ」などとナットクしてしまうわけである。さて、透けて見えてくる未来を、「現金の消滅」と書いたが、具体的に言うならば、それはほぼ半分以上がすでにこの世界で日々行われてしまっている(株式取引の世界を見れば分かる)。しかし、実体経済の世界をすべてクレジット化するためには、まずは「現金は不便」という経済の仕組みをこの世界のなかに(一般人に)教え込まなければならない。もともと「金融」とは実体経済から遊離したヴァーチャルなシロモノなのだが、それを実体経済に滑り込ませるにはなかなか工夫と時間が必要なのである。財務省は何年も前から、デジタル貨幣の研究を続けている。マイクロチップを埋め込んだ生体認証を併用した「揺りかごから墓場まで」の家畜人ヤプー化計画=個人資産の恒久的管理体制。その導入はもう目前に来ているようである。早晩、小切手や手形というのんびりした世界がなつかしくおもえる時代になる。
2007.01.04
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あいかわらず苦労してるなあ♪夜明け前がもっとも暗いなるほどところで、ぷろっと って知ってるか?あのなおやじ、おれもう三十一だぜ、知ってるよ、こうがいだろすとーりーとぷろっとはちがうどうちがんだ?すとーりーは、はなしのすじだ。ぷろっとは ちゃううーん彼は家を出た、妻も家を出た …これはすとーりーうん彼は家を出た、さびしくてたまらず 彼女も家を出た …これはぷろっと だつまり、ぷろっととは 因果律なのだよそうかあ!そうだ きみもがんばれ しかしくれぐれも そうか には気をつけろよ じゃあな
2006.12.30
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夜明け前に起きだし、前日のすっかり冷たくなった珈琲を喉に流し込む。寝床のあるところから机までの二十歩ほどを何度か往復し、そのあいだ頭の味噌をがらがらと転がしつつふつふつと火口から噴き出すしょうもない泡粒のような意識の断片を気ままにさせている。意識の噴火口は真紅のその口にときおりオレンジ色の奔流を覗かせたりもするのだが、それを観察するもうひとつの意識がじゅうぶん注意深くそれをとらえないかぎり、たちまちに輝きをうしない鉛のごとく鈍く固化してしまうのだ。ラヂオからはイヴの特集番組がながれている。2001年から2010年までの最初の10年間では、日曜日がクリスマスであるのは2005年一回きりで、ことしはきょう月曜日がクリスマスだ。したがってクリスマスの朝にいまこれを書いているわけで、しかしだからといって特別な感情も湧かないのはキリスト教徒でないせいばかりではもちろんなくて、山にひとりでいるからでもなく、西欧文明に反撥があるわけでもない。もともとそうした行事一般に淡泊なほうで正月もひとつのけじめくぎりという意識以外とりたててどうという感情も湧かない。しかし世間はそうではないから、たとえば周囲がクリスマスだとか正月だといってそのようなムードというか雰囲気に包まれるのまで冷たくあしらう気持ちもまったくなくて、「おめでとう!」と声を掛けられたら「おめでとう!」と返すくらいの気持ちはある。考えてみれば、アニバーサリーというか記念日に対するこうした感情のありようは、わたしのばあいこどものころから一貫していて、ひそかに困った性格だとそうしたオノレに一種引け目のような気持ちを感じた時期もあった。こうした冷淡さはたとえば「死」にたいしても「生」にたいしても同様らしくて、身内の生死についてどこか他人事のような態度と感情が常にまとわりついている。なんにでも「病名」をつけてしまう昨今の流行からすれば、おそらくはこうした態度にもなんらかもっともらしい名前が与えられるのだろう。そうでなくても、「つめたい」と誤解されたりはする。なるほど「つめたいひと」なのかもしれないと自分でもナットクし、ひとりになったときにあわてて体温を測ってみたりしたことも冗談で無くあった。体温といえば、さきごろ六甲山で遭難し22日後に生還した男性が、遭難直後に体温が22度にまで下がっていはば「冬眠」状態だったことがさいわいしたという報道があったが、一般に、体温の低いほうが生物としては長生きするらしい。食べ物だってそういえばそうだ。冷凍庫に入れておけば豚も牛も鳥も長く持つ。「炎の人」は短命なのだ。しかし、クリスマスの朝に書くことでもないような話題を書いているなあ(笑)。午前六時半…ああ、ようやく明るくなってきた、さぁて、熱い珈琲を煎れよう。写真は雌猫ジュリー(左)とバルテュス画集から「朱色の机の日本の女」(右)
2006.12.25
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舗道の敷石も野外駐車のボンネットも夜半に降ったらしい雨で濡れている。見上げる空はどんよりと灰色で大気に含まれた過剰な水分が開いた瞳孔へいまにもしたたり落ちてくるようだ。湿った空気が却って気持ちがいい。路地から通りに出てコンビニにはいるとジングルベルの音楽が鳴っている。品揃えもすっかりクリスマス色で雑誌のコーナーで週刊誌を立ち読みしポストに差された朝刊の「本間税調会長辞任」の横倒しの特号活字を覗きつづいて朝食に何を選ぼうかと店内を一周した。結局なにも買うものは見つからず、店を出て車道を渡りそこでまた曇った空と街路樹の交差ぐあいを仰ぎ見た。その格好を保ったままで舗道を移動する。はたからみればどんな風に見えるだろう。口こそ開けていないがサンダルによれよれのジーンズにセーターを着込み坊主狩りですこし人相の良くない四角い顔が顎を上げたまま歩いている。空と木々の枝々の交差具合はモンドリアンの初期作品のデッサンのようで、北京で開かれている六カ国協議という摩訶不思議な会談の筋のごとくに錯綜し、その鋭利な木の枝の黒い直線の流れを目で追ううちに天地はいつのまにか反転して川面に映る冬景色をのぞき見ている錯覚におちいる。なるほど自分はこうしてさかさまにいかさまな世間の師走を歩いているわけかと一瞬おもったり、この銀河のどこかにはこうして逆立ちしたまま生涯を送る知性体もきっといるのだろうと空想してみたり、ちょびちょび喉を潤すために呑んでいる「21世紀土佐焼酎・海洋深層水仕込み 龍馬の海援隊21度」の特段においしいというわけでもない味をあらためて唾液の中に回想してみたりして銀行の角を曲がった。そこがわずかに段差になっているのだが逆立ちして歩いている精神は気がつかない、あっとおもったときはどぶ板の隙間の穴のひとつにサンダルの先が挟まっていて、そこを無理強いしても抜けようとした勢いがサンダルを孤立させて、どうやら片方だけが裸足になってシカシまだ歩いていた。それほど空が面白かったわけでもなくそのとき頭が見ていたのは、いかにも地団駄踏む具合で駄々コネダダイスト国家の六カ国協議の不可解でありあれほど戦争好きな米国がなんでまた半島の北にはじっと我慢のポーズをしてみせるのかという素朴な疑問であり、米朝が交互に演じる疑似恋愛活劇の出鱈目の奇々怪々をあいかわらずなにかすごい政治的出来事のごとくに報道するメディアという共犯者のファルスぶりだった。思考がそのあたりで空中を未確認飛行物体が走りすぎて足下に脱兎のごとき猫の数匹の疾走がはじまったところからようやくにしてふたたび天地がもどり左肩を落とした格好で10メートルもどってサンダルを履き直した。その時点ではバンコ・デルタ・アジアにこだわる北朝鮮代表とクリスマス帰国を急ぐヒル国務次官補の笑劇のことなどすっかり忘れてしまい、ついでに朝食のこともどこかへ行ってしまっていてどうしたわけか最後のあがきをマンホールの出口の鉄の格子を握っているハリー・ライムことオーソン・ウエルズの手の演技のクローズアップシーンがいきなり脳内視覚野に映し出された。たしかそういえば、と味噌のかけらのひとつが「第三の男」の原作者であり脚本を書いたグレアム・グリーンの弟ウーゴ(hugh Greene)が兄貴の死後にBBC英国放送総裁に就任したんだったっけとマルコーニ無線技師のスパイキャッチャーが指示情報をシナプスのひとつに送り出してきて、遠近法の消失点から来るアリダ・ヴァリがロングコートに両手をつっこんだままジョゼフ・コットンの前を無視して通り過ぎる、かの落ち葉舞う墓地でのラストシーンがあざやかに眼前してしまうのだった。それにしてもあの落葉はいったいどこから落ちてきたのか?普通に考えればすっかり葉を落とした並木にもはや落葉はあり得ない…曇天のモンドリアンな空を見ながらそう考える。撮影カメラの前、その上あたりから降っていたようにもみえたがじつはスクリーンの外で降っていたのではなかったのか。そしてまたアリダ・ヴァリが大写しになり消えてゆく1949年のその画面の外側では、まもなく米ソ代理の朝鮮戦争がはじまり、敗戦国日本は未曾有の戦争特需に沸くことになる。そこから半世紀がたち半島は休戦状態のままに放擲させられてきて、大国の狭間で政治的仕掛けのひとつがまるであきられ見捨てられてしまった玩具の兵隊のようにのびきったバネを露出させて自己主張をはじめたからと言って、米中にとってはおそらくは「どうでもいいこと」なのだろう。出来事の背景に描かれた書き割りのチープさと流される勇ましい軍楽隊のラッパの響きばかりに酔っていっこうコトの次第を理解しようともしないわが国外交部のお粗末と武器商人たちのしたたかなエクセル操作にまどわされる虚構のパワーオブバランス。だれかが「ちぇ!」と舌打ちし、このウソで固めた極東アジアの笑劇の幕を引いてしまわないのか。冬至というのにすこしも冬らしくない街路にもういちど飛び出して、あらためて半世紀の時間の流れがつくった極東の政治的暗渠を検証してみるか、などとおもう。
2006.12.22
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師走の街を歩く。歩きながら、平成もまもなく二昔(ふたむかし)分を積み上げるのかと、ふとおもった。昭和もはるかに遠くなったわけで、遠ざかる昭和という馬のひづめの音が寒風鳴る耳底にかすかにきこえる。「昭和衰へ馬の音する夕かな」と句集『真神』(昭和48年)で、暮れゆく時代をそうそうに喝破したのは俳人の三橋敏雄だった。ショウワとちいさく呟き、またヘイセイとつづけてみる。「オウア(OUA)」「エイエイ(EIEI)」とそれぞれの母音の配列が浮かびあがり、何度か口の端で転がしていると、なるほど、前者にあって後者にないものや、後者にあって前者に欠けているものなどが見えてきたりする。ショウワは母音が逆順で上がるが、ヘイセイの音の並びは「たひらか」である。どこか間の抜けた感もある。ぞろっと黒い人の群れが一団通り過ぎる。角を曲がると目的の酒場で、樽の廃材でつくった扉を押して闇の中へはいる。暗い階段を下り天井の低い細長い闇の奥で片手を上げて出迎えたのは、これもまた「昭和の人」だ。完了した元号の半ば過ぎにこの國に生を受けた彼女は両親に明治生まれを持つという。「ウソだろ!」と言うと、父親が七十代のときの子だとムキになって説明してくれたのは、もう半世紀も昔のような気がする。中国大陸で日本の諜報員をしていたらしい彼女の父親は膨大な日記を書き残していた。ついこのあいだまで健在だったが亡くなったという。呑みながらそんな話を聴き、そのときに明治が母音では「エイイ(EII)」で、大正は「アイオウ(AIOU)」かなどと頭の隅でおもった。ほかに同年代の男女数名がその場にいて、彼らの両親はほとんどが「アイオウ」組であった。それから話題は戦争のことになった。酒場でそのような話題を話すなどと言うのはそんなにあることでもないなとぼんやりと考え、それから自分の両親のことなどを思い出したりして、どうやら夜明け近くにアスファルトの地面に横たわる自分に気づいたのだった。戦争か…とひとりで口に出してみる。アンリ・ルソーの「戦争」という絵が頭に浮かぶ。戦争を知らずに半世紀を生きてきた。いや、「戦争」はあたりに絶えず出没してはいたけれども、それはどれもみな額縁に納まった「戦争」でしかなかった。「戦場カメラマン」も「戦場ジャーナリスト」も額縁の「戦争」を追いかけるだけのような気がする。その修羅場は一線の兵士たちのものであり、またその空間全体のなかで死んでいった者と生きのこった者たちのものでしかないのだろう。おもえば、「明治」も「昭和」も戦争を持った時代だった…しかし「戦争」とは、いったい何だ。母音では「エンオウ(ENOU)」。そしていままた遠ざかったはずの「馬の音」が近づいてくるか…。年が明けたら、メデタク昇格した「戦争省(Pentagon)」に電話をかけてきいてみるか。たぶん奴らも知らないにちがいない。
2006.12.21
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あれは何時頃だったのか。いまでは時刻もわすれてしまった。着メロなどではなく切り裂くようにベルが鳴ってパパゲーノは開演の幕間にリュックを背負った。ぶっとぶ車を奔らせて闇に向かう速度はうしろ向き。左中指人差し指にはさんだタバコを座席ソファ背に押し潰し着ていたのはあれはたしかにトレンチコートだった。それから車中で無線電話回線が呼び出し音を鳴らし続け親不孝なパパゲーノは道化のまんまに仮面の人生を生きる。すでに闇も火の粉もなく雪もちらほらいやただまっ黒い焼け跡があった。タバコの焦げ痕…人生の焦げ痕、くすぶりつづけたその前日のうちに三十二年がたちまち流れそしてきのうの「今日」がある。あれは「事件」だったのか? 然り。まさしくあれこそが「事件」だった。ひかったかとおもえば忽ちに空は崩れふたたび日の光が射しだして暖冬が国道へ通じるけもの道の土砂崩れのなごりに紫色のちいさな花を十二月の大気にかかげていて、なるほど七百年の時空間がえにしの不可思議なよじれを演出し、ここがあそことなりそこが彼の地のあの夕暮れの舞台の上に遺されたわたし自身の焼け跡だった。なるほどあの日に焼け出されたのは母ではなくて、確かにわたし自身であったはずである。…そうして、あれからこっち境界線のむこうとこっちとそのひかれた白い線の目にはけして見えない領域Rの彼方から聞こえてくる彼女の叫びを、朝起きてはみそ汁とともに啜り込み、近未来な詐欺師たちのデジタル世界の現在(いま)を、それから生きた一週間たらずを、牛の胃の如くプレイバックしつづける。 (写真はジャン・リュック・ゴダール「映画史」より)
2006.12.12
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山中三年ヒト来る如くネコ来たるよく来た。まあ一杯。あ、脚拭いてから上がれよ。…目を覚ませば寝床だった(あたりまえか)。ちかごろは毎日が猫との共生である。犬なら野犬という絶滅種にちかい存在が居るが、ネコの場合はどうだろう。いちおうざっと勘定してみるとこの三年でわが山周辺で誕生したネコは36匹ぐらいにはなる。すべてミーチャンとこちらが勝手に名付けた雌猫の腹から生まれたものだ。偉大なる母ネコミーチャンはしかも感心なことにけしてヒトにはなつかない。こちらがほぼ毎日差し上げる食事はきちんと平らげるが、上げないからといって文句を言うこともなく、縁側に置物の如く正座していつまでも餌がでてくるのを待っている。父親は、知るかぎりでは初代チャタロー、二代目グレ…とかぞえてたぶん数匹に限定される。もっぱらこちらの家に上がりこんで餌をねだり、炬燵やストーブの周囲を駆け回るのは、彼女の子どもたちだ。数ヶ月で乳離れするらしく、半年経った子猫たちとミーチャンは仲は悪くはないが、群れることはもう、ない。来春にもまだミーチャンは子供を産む能力を有するのだろうか。ふとかんがえ、雨の上がった、午前八時の、まだ暗い空を見上げた。
2006.12.10
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みんな分かっている。分かっているがなぜか口に出さない。この國の政治体制がどこかおかしい、いやどこもかしこもオカシイというのに。太平洋を挟んだ隣りの超大国の仕掛ける戦争も、世界中で富裕層と貧困層がますます二極化するケッタイも、あたりまえのはずがあるものか。だが誰も声を上げない。マスメディアがたれ流すニュースと称するモノが、ひそかに事前検閲されて、世論操作、大衆操作に活用される。肝心なことは伏せられ、隠され、秘匿されるが、誰もしらんぷりだ。国家の紙幣と金融政策のカナメをあずかる機関のトップが株でボロもうけしても罰を受けず、太平洋の彼方の、ローマ帝国を模した大国の元老院が上院と称し、その主要な実力者が軒並み全員が超富裕層で幾つもの銀行を操り、兵器を売り毎日数百万発の弾丸を世界中のテロ組織に売りさばいていても咎められることはけしてない。事実上、国連組織はエエカッコシイな虚構機関であるその実情も、うすうす気づいていても誰も告発しようとしない。ほんらい、この惑星にひろがる豊かな自然が特定のものたちによって事実上、蹂躙され、石油資源などの天然資源も少数者により占有され、持つモノはますます豊かに、持たざるモノはますます貧窮する。だが誰もが黙っている。勝ち組に乗り遅れてもせめてなんとかうまい汁のオコボレにあずかりたいのだろうか。大国の支配する非民主国家では毎日のように人が人を殺し、殺す方も殺される方も社会的・経済的弱者ばかりで、われわれは訳の分からない食糧を安全の保証もないままに毎日胃袋に流し込み…そんなことを書いているあいだにラヂオが「六時になりました、きょうのニュースです、宮崎県の安藤前知事はヤマト設計に…警察はきょうから安藤前知事のかかわったカンセイダンゴウ事件の真相をひきつづきツイキューしてゆく予定です…つぎのニュース。政府のラチモンダイタイサクホンブはキタチョウセンニライネンドカラグタイテキニハダイニッポンテイコクバンザイ!」などと真珠湾攻撃の65年後の翌朝がマタシテモぬけぬけとやって来てしまったのだった。さーてキョウハダレガタイホサレルカナア♪ 子どもたちが殺し合う映画『バトル・ロワイアル』をひさしぶりにビデオで観たのだった。
2006.12.09
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午前六時、寝室の窓の向こうが真っ赤に燃えている。見事な朝焼けだった。枕元でうちそろって寝ていたトムとジェリーのオスメス二匹の子猫がアルジの気配に気づいて跳ね起きる。一昨日までの凍えるような夜明けの満月から一転して、気温摂氏7度というあたたかい朝だ。はだかのままに隣室へ裸足の足を運べば、硝子窓の外は淡い青とピンクの巨大な縞模様がゆっくりと空中をながれる。しばらくぶりにテレビをつけると、ぼわっと磁気が乾いた空気を脅かして、飛び出したBBCが「火星に水の流れたあと」というニュースを伝えてくる。2001年と2004年の同じ地区を撮ったふたつの写真を比較したところあきらかに水が流れて出来た浸食痕が見られたという。もはや世界中がイラク状態なのだからね、と先日未明の夢に現れた老人が嗤い、その目尻の皺の刻み目に遅れてきた世紀末の涙を確認して、なるほどそろそろこの惑星を捨てて中選挙区から小選挙区に、複数政党制から二大政党制という虚構のカラクリへと梶を切ったこの沈没空母の傷だらけの未来をちょっとばかり考えた。ドイツでは暖冬で冬物衣料がまったく売れないというニュースもあり、とたんに国連の気候変動枠組条約という単語が頭に浮かぶのだった。まったく。やけに揉みでの笑うセールスマン風になった皆様のエヌ・エッチ・ケーの、それでも年がら年中ヒステリー状態な民放よりもいくらかはマシなブラウン管の「おはようにっぽん」や「おはよう世界」が、はたしてこの朝の朝焼けのように爽快であるだろうか。戦争犯罪人たちが世界の首脳でありつづけ、2917名(12/6現在)のイラクでの米兵死者のなかに、いったいどれほどこうした首脳の親族・子弟がふくまれるのか、ゼロであるだろう。近代がはじまっていらいこうした数値はまったく変わりなく、この惑星のグーグルアースの上に屹立するのは巨大な身分制階層社会のピラミッドにちがいない。おもえば1994年、モザイクブラウザが開発されて、それがやがてARPANETからインターネットへ発展を遂げてゆくわけだが、そのそもそもの発端は、米国軍事研究の専門機関であるランド・コーポレーションが国防総省へ出した提案であった。このランド社は1970年代にはかの「鉛管工」グループをあやつってニクソン政権を失脚させ(ペンタゴンペパーズ)、モンロー怪死事件にも名前を連ねているわけで、ジグソーパズルのピースpieceの一片が、なるほど敗戦国の青い空にあらたな一歩(pace)を踏み出せと、オリーブ枝くわえた鳩マークな紙巻きtobaccoのPeACEのピーカン(缶)だったりするのも、JAZZ好きなGHQホイットニー准将の憲法草案なだじゃれなだけじゃなくってさ、ちゃんと理屈が合うわけだ。連山のくっきりとした稜線の一角から、狼煙のように炭焼きのけむりが立ちのぼる。霜枯れた落葉の庭先をサンダルで歩きながら、一服するうちに、まるで世界の終わりが来たかのような見事な朝焼けは、蜃気楼のようにたちまちかき消えてしまった。
2006.12.07
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どしゃぶりの中、裸足にサンダルつっかけて濡れる落ち葉の車道を突っ切る深夜二時。闇まですっかりびしょ濡れて手前の四辻から吹きこむ突風に手に持つビニ傘があおられそのままふわっと体ごと宙に浮き上がり夜空へ舞い上がりそうにもなる。雨に濡れた黒い舗装路に日曜日から月曜日に推移した電飾看板の、欲望に粉砕された光のかけらが映り込み、さながらここは上海香港ジブラルタルか。喜界島の上空で軽い食事をすませ、翼を右へわずかにあげればウイングの先のオレンジ光がちぎれ飛ぶ黒い雲を照らし出す。こっちからあっちへ意識の底で旅をしつつ黒い革張りのソファからまたも転げ落ちて目を覚ました。瓶ビール一本とたらふく詰め込んだ焼き肉の未消化分はどうやら夢の中で昇天し硝子戸の向こうはアフリカの大地のように広漠と果てがない。とうに夜は明けていたが流れはじめたばかりの時間は初冬のつめたい雨にたたきつけられた布きれの無惨さでべったりと身体にまといつき、皮膚の毛穴を窒息させていた。どうやら午前がすでに昼近くまで押しかけてきていて正午には晴れやかに雨上がりのサイレンが曇天の11月の空に鳴り響くのだろう。ブザーが鳴って場内が明るくなると、そこは古びた地方の駅舎でわたしは待合室のベンチで正午10分発の列車を待っている。百年前のわたしは現在の「私」をケータイの待ち受け画面の中に押し込んだ。そのとき天啓のごとく「ゲーム脳」ということばが浮かび、置き去った1970年代から80年代のブロック崩しや大学解体やロシアの闇から走り込んだテトリスやらが閃光のように今生世界を切り替えた。目の前に二つの新聞記事のコピーがある。ひとつは「子供の安全、改札や学校で確認 ICカード活用広がる 東急グループ関東で展開」という、11月18日付け日本経済新聞の記事。定期券機能を持つICカードに登下校時や入退室情報を保護者のパソコンや携帯電話に送信するサービスを鉄道会社が来春からはじめるという内容だ。もうひとつは、今朝の朝日の「時流自論」というコラム。写真家藤原新也の「いじめという集団の自傷行為」なる小論と「家の外との中間空間である電車内の光景には、日本社会の縮図が見える」という短いキャプションの付いた、藤原撮影の電車内のカラー写真。かつて金属バットで父親を撲殺した少年の家を大判カメラで精細撮影してみせた写真家は、おなじ力でこのニッポンの不可思議空間を捉えきった。スカートをはだけてまるで自宅の居間でくつろぐように車内の床にしゃがみこむ女子高校生ふたりと、ほとんど太ももを露わにしたハイミニ姿で立つ高校生の、その向こうにはそうした光景には無関心なままケータイで話す若い男の立ち姿。そして写真に被さるように藤原の文章が次のように語り出す。〈11月初旬のある日の夜10時JR山手線に乗っていた。隣の席に塾帰りらしい小学生が座る。ランドセルからスポーツ飲料とサンドイッチと「ポッキー」を取り出し、携帯でメールをチェックしながら食べはじめる。夕食らしい。携帯の画面には「あいつ」「ゴキブリ」という言葉がちらりと見える。小学5,6年生くらいだろう。子どもは携帯画面を見終えると、手さげバッグからゲーム機を取り出し、一心に両手の指を動かしはじめる。画面には飛行機の影が浮遊しており、神経症のようにたたきつける指の動きと連動してビームを発射し、しきりに何かえたいの知れないものを攻撃している。その子の姿に、催眠術のようなピアノ曲がバックに流れる塾産業社のテレビコマーシャルが二重写しになる。テレビの中の子どもたちは異様な静寂の中で鉛筆の音だけを発し、黙々と答案用紙を埋めている。塾の行き帰りは、あたかも何かから追われてでもいるように前のめりの早足で歩く…〉。それはけだるい真昼の暗黒世界であり、ゲーム脳とケータイとぬめぬらりとしたノッペラボーな非日常がすっかり日常化してしまった平成十八年ニッポンの現在だ。三歳から十二歳までを米国西海岸で育った知り合いの帰国子女(男子)は、日本にもどっていちばんびっくりしたのがイジメに何の抵抗もなく加わってしまう同級生たちだったと、あるときわたしに打ち明けた。「むこうでも威張る子やいじめっこはいましたがひとりを寄ってたかって攻撃するというイジメの光景はなかった、(日本にもどってイジメの実態を知り)腹が立ちましたね」と。これは藤原が記事の中で言う「東大を頂点とした受験管理教育という名の“強制収容所”の密室で喘ぎ、心が病み、歪み、イジメ合うことでガスを抜くという自傷行為がくりかえされている」という指摘と私の起き抜けの意識の中で重なった。戦前戦中の日本では、差別される側にもさらに差別されるものたちがつくられるという二重三重の差別構造が生まれ、そのベクトルは下へ下へ、弱き者からより弱き者へ、とひたすらに突き進む構造をみせた。米国民主主義の優等生国家の床下の闇で半世紀をかけて育ってしまった不可思議怪獣が、液晶画面からいま、むっくりと鎌首をもたげ、「子どもという集団の自傷行為」という形でなにやらおぞましい無言劇の開演ベルを鳴らし始めたのか。場内はふたたび暗転し、舞台上ではちいさな役者たちによる「えたいの知れないものを攻撃する」残酷なゲーム劇がはじまった。このニッポン国で続発するイジメとイジメ自殺は、子どもの登下校をICカードで監視しようがケータイを持たせて安心安全をこころがけようと、そうした小手先芸で解決できるようなシロモノでないことだけはたしかである。
2006.11.20
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どうやら今朝も曇った夜明けだ。反射の少ないにぶい光が風景全体をじょじょに浮き上がらせる。その変化は緩慢で、それでも確実にしっかりと北緯三十七度付近を夜明けのなかへと送り出す。そのむかしの郵便局や銀行にみられた格子状の出納口の四角い小窓から小皿に載った札束が送り込まれ送り出されする、そのような情景のあの四角い小窓の向こう側とこっち側のあいだでつづく永遠のやりとり(コミュニケーション)は、喩えていうならば(あさっぱらから恐縮ではありますが)、この世とあの世の往来のようにもときにおもわれる。すっかり姿を見なくなった漱石にしてもあるいはまた個人的事情に関わればちかごろとみに縁遠くなってしまった一葉五千円札にしろ彼岸をわたってこっちからあっち、あっちからこっちと毎分毎秒その都度日本全国の小窓でどっこいしょと脚絆にわらじにときに長靴サンダル履きで往復する。月日とおなじくこちらも百代の過客に相違なく、ともあれそうしたゆるやかな時間の流れというものがちかごろはすっかり見えなくなってしまった。「現金自動支払い機」というのでしょうかAutomated Teller Machine略せばATM、もしくはキャッシュディスペンサー(CD)、磁気カードを差しこめばあの世から札束が送り出されてくる仕掛け。窓口に行くことも滅多になく、そもそも行ってもすでに懐かしの笑顔も小窓も無くなって久しい。やがてこうしたカラクリは五指の指紋認証や瞳孔認証といった生体認証に早晩切り替わり、今世紀の最初の15年を過ぎ越したあたりでまず紙の現金というものが消滅し(キャッシュレス)チップに納められた履歴データが判断する人生通信簿によって各人の懐ろ具合が毎時毎分毎秒精妙に診断されるということになる。おそらくは現在のケータイがその媒介端末の有力な候補であろう。やがてそのケータイも各自の生体に格納されおぎゃあとこの世に登場してまもなくにその所有するDNAの塩基配列ぐあいに応じた選別ふるいわけもとどこうりなく完了し、所定のチップが埋め込まれて150年ほどに間延びさせられたその後の人生のミリ単位の隙間までびっしりとその筋の監視管理の眼が照らし出し、眩しいほどの徹底したデジタルWeb100.0の1984世界がネグリ&ハートP2〈帝国〉仕掛けの世界構想NewWorldOrder2.0なる世界を現出させることとなるのだろうか。そうして300年後、すべての人間がジーンリッチとナチュラルというふたつの階級のいずれかに分けられる…と書くのはプリンストン大学教授(分子生物学者)のリー・M・シルヴァーが前世紀のおわりに著した「Remaking Eden (邦題 複製されるヒト)」である。ここでナチュラルは文字通り我等とおなじふつうの人類だが、ジーンリッチはすぐれたDNAのみにより人工的に誕生した遺伝子改良人類で、全地球人口の1割しか存在しない。両者のあいだは月とすっぽんいや大リーガー松坂投手と草野球のセカンドの契約金あるいはまた地球とプルートー君ほどの距離があり、ほとんど隔絶しているという。もしもこれが我等の未来ならば、わたしとしてはさっさと土に還ってもぐらといっしょに遊びたいとおもうのだが、時代はおおまかそのような方向へずんずんずどどどーんと走りはじめている。Web2.0も結構だが、いったいこうしてキーボードを打って飛び出す日本語が哀れにも思えてきてしまう今日このごろなのだった。
2006.11.19
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薄闇の中からぽっと白い顔が浮かんだ。見た顔だがおもいだせない。そのとき突然ラヂオが鳴り出し雨戸ががらっと上がっておんながひとりガラスの向こう側の庭先で笑っていた。またある夜明けには低空で地平線を飛んだ。白い波頭のような山地を抜けると眼下にいきなり大海原が展開し、それが回転して峠道をあるくオノレの視点が見上げる秋空のなかを白い航跡を残して飛ぶ二機の航空機の映像に変化する。わたしはどこだ?とわたしがあわてる、そのわたしの心象風景をそのままダダダダと韋駄天の走りがかき乱して、気がつけばまたも寝床の上である。めずらしく新聞を広げれば「ノーベル平和賞を受賞したイスラエルのペレス副首相らが、15人の専門家を集めてイスラム武装勢力を攻撃する人造ナノテク兵器の研究をはじめた」という海外短信記事が目に飛び込んできた。「隠れた自爆テロリストを一億ドルもする戦闘機で攻撃しても意味がない」と、より効率的な兵器開発をもくろむという。うるさい蚊やハエをたたき落とすごときその生命観の持ち主に与えられるのがノーベル平和賞という滑稽に、本日外遊予定の目覚めの午前七時の薄曇りの空も嗤っている。いまの季節アチラはマイナス10度だそうだときのうひさしぶりに昼メシをいっしょに食べた知人がそのまた知人の中国吉林省にわたった人の消息を教えてくれた。アムール虎を見にいつかは出かけてみたいとわたしは答え、そのすぐあとに荒々しい国境の山岳地帯を頭に浮かべた。「それにしてもひどいね」とわたしは話題をふる。「微罪逮捕が横行している、すっかり警察国家になってしまったみたいでどうも居心地が悪い」と。じっさい帰ってきたわが隣人にしても、できの良くないチンピラ悪童を懲らしめた行為が留置場送りだ。少し前までの民事不介入なぞもはやどこ吹く風のタヌキノキンタマで、いたるところでオイコラ巡査があばれまわっている。「ああまったくヤな世の中になったなあ」と相手もふかくうなづく。といって目先の赤信号がデジタルの鮮明な「赤」をともらせれば、渡る世間の交通信号も同じような具合にルールの♪とうりゃんせを合唱せざるをえないのだ。そもそもがどうだろうか、四つ辻に信号機をつけたために人も車もオノレの肉眼で風景をしっかりとみることを却って忘れてしまい、信号機の点滅ばかりに注意が向くようになるというのは生き物の皮肉な道理なのではないのか。結果、むしろ信号機のない時よりも事故はふえてしまうのではなかろうか、嗚呼!まったく「確実性の問題」ではないけれども、盲人に両手がありますかと問われて両手を見るか否かという問題はのこるのだ。またたくうちにカラスが飛び立ち羽音だけが残って、外苑前の銀杏並木のあざやかな黄色がしっとりと朝露に濡れている。さて、切れた煙草の箱を通りに投げ棄てて、臭い排気ガスをからっぽの肺と頭におもいきり吸い込むことにするか。
2006.11.18
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闇を抱えこむ男が宰相になり隣国の超大国に出向いたタイミングに合わせるように半島の北で花火が打ち上がった。いらい幻視のなかの日米同盟を背景に弓状列島の首都では「制裁」の大合唱がはじまり、核武装論議がびっくり箱の案配で待ってましたと飛び出す。昨日今日の秋の嵐の風雨のごとく濁った鉛色の空が北東アジアをすっぽり包みこんだ。韓国も同様で、融和政策への批判が国内を揺すぶりはじめる。冷静な頭で考えるとき、北の脅威をいったい誰が演出しているのかは明らかだろう。金正日をそそのかしすっかりその気にさせているのはまぎれもない米国=ネオコンだ。北東アジアの不安定は、イラクでしくじったブッシュ政権の失地回復のチャンスでもあり、南北統一の機運をちゃらにする絶好の逆核カードでもあるだろう。米国にとって、朝鮮半島が「適度に」不安定でありつづけることは、必要なことである。それはイスラエルにとってパレスチナが不安定であることが必要なのとよく似ている。いっぽうの手で、日本の拉致問題に理解と同情のポーズを示しながら、もういっぽうの手では北朝鮮を追い込み、核の脅威を演出させる、という。ナルホドいかにもネオコンの考えそうなシナリオである。北が核を保有したという出来事がいかにも北東アジアにとっての危機であるかのように考えさせてしまう、こうした手法は、あの9.11における「テロとの戦争」宣言いらいのブッシュ政権の一貫した方法論であるのだろう。まるでトントンとたたけば踊る紙相撲を見るようだ。饒舌と寡黙…小泉政権からはじまった「季節はずれの怪談」が突き進む方向に見えてくる風景は、時雨降るさむざむとした冬景色であるだろう。ところできのう、隣人に執行猶予付きの判決がおりた。なにはともあれ、こちらのほうはまあ、メデタイ。暴走族の子どもたちを注意するつもりが、ちょいと頑張りすぎてしまった(暴力行為)だけなのだからという情状か(裏を返せば、イマドキ、監獄も定員オーバーで、狭き門なのだろう、きっと)。とまれわれらが弁護士殿が、大枚80万円の報酬に見合う仕事をしてくだすったわけである。
2006.10.24
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どうしたもんかねえ、という。柿はなるのだが熟す前にぽとんと落ちてしまう。シイの実もドングリもいつものように実をつけない。言われてみればうちの裏山もそうだ。この季節、トタン屋根にどんぐりの落ちる音がひときわ大きく響くのに、なぜかこの秋はそんなこともない。それがにゃあ、蜘蛛だけは威勢がええだよ、とハクサイのお新香を噛みながらおばあちゃんがつづける。あちこち蜘蛛の巣張ってなあ、取ってもとっても出てくるだわ。かたわらで炬燵に入ったまま寝息を立てる八十八歳の連れあいがやかん頭をぐらっと動かした。ナルホドなあ、うちも蜘蛛の巣があちこち架かって先般しばらくぶりにもどれば、玄関ドアから屋内までが蜘蛛の巣だらけだった。すこし怠けて横になっていると内股にまで蜘蛛の巣が架かるかもしれず、うっかり怠けることも出来ない。どうしたんでしょう?うんだあなあ、これじっちゃまおきんか。ぐううぐぐぐううう♪「幾山河越えて金婚良夜なり」って、あ、なかなかいい句ですねえ。ほんとになあ、金賞いただいただよ。金婚式やってねえ、それで詠んだの。あ、この白菜ね、アブラで軽く炒めると持ちがいいでしょ。ああ!美味しいです。そうかい。じゃあ、待っててね、包むから持って帰ってくださいな。やっぱりクマもだからさあ、里まで下りてくるだでよお、おなか空かして。うちんなかに居たりするから怖いねえ。このあいだはそこの神社に出ただよ。じゅじゅううじゅううがしゃがしゃぱっぱ。嗚呼、そんな沢山いいですよ。ええからいいから持って帰って。猪とクマとサルも出てくるみたいですねえ。そうだうちんとこの山道にはミミズがたくさん死んでました、あれもなんかの兆しですかねえ?お祭りみたいなモンじゃろかねえ。そうだ、そこに「廿三夜」って古い石碑建ってますが、あれはなんですか? アレか、お祀りするだよお、集まって二十三夜にお月様山に登るのまってね、夜中ぐらいに出るのお参りするのよ。アーそうでしたか。こどもが授かるって話有りましたねえ。うーん近所のおばさんたち集まってそうさねえ、このあたりでもしばらくまえにはやっておったみたいですねえ。ぢやあごちそうさまでした!!あ、中華饅頭はね、あんまんだけでいいですからねえ。ハイハイ了解。あいにくと今夜は月齢27.6である。これからちょいと隣町まで行かなきゃならず、山もなかなか忙しい。
2006.10.20
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「底のない泥沼」と秋山社長も嘆く「朝日新聞の惨状」という朝日新聞に載った週刊新潮の広告を見ながら、飯を食う。その上段には、さきごろブッシュ政権が対テロ戦争に不可欠として成立させた「特別軍事法廷設置法」に関するワシントン=梅原季哉記者の記事が載っている。見出しは「対テロ戦で必要か/民主主義の汚点か」といつもの如くどっちつかずの朝日方式。横の見出しで、「無実の人の自由奪う危険」ともある。日本語変換から差別語が消えたような具合で、いずれそのうちに「都合の悪い人間」は収容所に隔離されてゆくのだろうか。そんなことをおもいながら先日作ったキュウリの浅漬けをむしゃむしゃする。〈しかし、大統領令による特別軍事法廷の枠組みにもなかった問題点を専門家は指摘する。「不法敵性戦闘員」と認定された外国籍の人物が連邦裁判所に人身保護令状を請求し、拘束の可否について司法判断を仰ぐことを禁じる条項だ。現実にグアンタナモに収容されている約440人のうち起訴されたのは10人。大多数は、米国との戦闘行為中に拘束されたわけでもなく、外国から引き渡された人物だ。上院司法委員会の資料によると…〉ここでにわかに目がかすみ、サカナの目玉DHCが不足かなどとふとおもい、冷凍庫を覗けばプラスチック玩具みたいになったアジの開きが一匹、顔がブッシュに似ていなくもない。二重否定で七輪に炭を投げ込み火を熾すのに半時、プラスチックな石油製品ではないからアジはみごとウラオモテ焼き上がり、にゃお!と子猫三匹が近づいてくる。嗚呼そういえば君等にまだ餌やっていなかったか、思い立って切れていることに気がつき、ニャアニャアと五月蠅いから、結局焼き上がった干物は連中にあげた。首都なら18日夕刊に載った文化欄が21面に有り、〈「グローバリズム、残酷な社会生む」と、仏人ジャーナリスト イグナシオ・ラモネさん〉という記事を読みながら日本茶を飲む。〈月刊紙「ルモンド・ディプロマティーク」の社主で編集主幹。グローバリズムの問題点を、「社会に競争を持ち込み、人間の連帯を破壊する」と指摘し、「労賃がより低い国へと産業が移転し、失業が生まれる。すべてのモノは商品として扱われ、環境破壊が進む」と批判する。産業のみならず、文化の多様性も破壊される。「英語が、どんな言語にも寄生虫のように浸食している。アメリカにとってハリウッド映画などの文化は、支配の道具だ」…〉こちらも戦後六十年、支配の道具に囲まれ、あやされておおきくなったんだっけ。そういえば、いまごろまた深夜の衛星放送で『逃亡者』とか『ララミー牧場』とかやってるもんなあ♪と、二杯目のお茶を電気湯沸かし機から滝のようにお湯を急須に噴き出させて、ゴックンしたのだった。
2006.10.20
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2006.05.31逆光(1)からのつづき薄闇のなかで何かがうごく。そのむかしは車坂といった切り通しの、大鳥居のちょうどすぐ真下のところから、ぞろっと白い人群れが一団、坂をくだっている。夜明け前のまだ午前三時をまわったばかりのこんな時刻にいったい何をしているのか。手すりのコンクリのつめたい感触を両の手のひらで感じながら、わたしは高層から身を乗り出し、坂を一列縦隊となってくだってゆくその異様な一団を目で追った。先頭の山伏のような白装束の男をのぞくと、ほかの十数名はなにかを支え持っている。ながい棒状の丸太のようにも見えるが、闇にかすかに光を反射するその光沢からは金属様の物体であるようにおもえる。かなりの重量物なのだろう、その地を踏む足並みが、いかにも重そうにときおりたたらを踏むような仕草を呈する。七階のわたしのところから俯瞰する角度では、物体の形状のおおよそはわかっても(砲身のようにもみえる)、その材質や細部まではまるで判断できない。はっと気づいて例の屋敷のほうをわたしは見た。一団が、あるいはその屋敷から出て来たのではないのか、と考えたからである。大鳥居から屋敷までの距離はほんの十間ほどだ。わたしが一団を薄闇のなかに見たのはまだつい数分前である。だが、屋敷の一帯は門灯が白く灯っているきりで、まったくまだ闇の中に沈んだままである。天神下の不忍通りと交差するところまで下りると、一行はそのまま交差点をわたって、こちらの視界の外へ消えた。昼間ならときどきは車が渋滞する交差点は、タクシーの数台と大型の冷凍車が一台走りぬけたきりだ。それきりシンとなり、まもなくわたしは部屋へ戻った。そんなことがあった日の午後、わたしは出版社に持ち込むフィルムと紙焼きの束を持って外へ出た。行き先が地下鉄千代田線ではなくて丸ノ内線を利用する路線だったから、そのままわたしは春日通りを本郷三丁目駅へむかった。朝から妙にじめっとする日だった。マンション前の春日通りを本郷の交差点に向かって歩いているとき、もし、と声をかける女が居た。ちょうど大学へ曲がる路地のあるところで、すぐ角が本富士警察署である。そこからでてきたらしい女は、追いかけるように小走りにわたしのほうへかけよってきた。「あのう」と立ち止まって、顔を上げる。レースのワンピースに高いヒールを履いている。三十くらいだろうか。どこかで見た覚えのある顔だちだが、おもいだせない。「すみません」といきなり女はぺこりと頭を下げて、すこし恥ずかしそうな笑顔をみせた。「ほら、吉沢です、吉沢あけみ…」と、そこまで言いかけて、さっと右手をこちらへ差し出した。その動作でわたしはあっと思い出した。一度うちへ遊びに来たことのある金栗亮治の女友達だ。たしか大井町で両親が骨董の店を経営している。金栗亮治はわたしの助手をつとめるライター志望の若者だった。わたしが思い出したらしいことに気づいて安心したらしく、彼女はもういちどおじぎをした。「亮治君は元気ですか」そういえば、彼に頼みたい仕事があり、意味もなく消息をきいた。出がけに彼に連絡を入れようと考えていたことをいまさらに思い出した。「それが、彼、捕まっちゃったんです」彼女は肩越しに、いま出て来た建物を指さした。「会ってきたんです。本人はとても元気なんですけど…」「容疑はなんですか?」「それが…さっぱり分からないんです。それでいま相談しに伺おうかと迷っていたんです」「迷うことなんかないのに」と笑いながら言うと、「なんだかおかしいんです」ちょっと言いよどんで思い切るようにつづけた。「時間いただけますか? ちょっと説明しますから」わたしたちはそのまま歩いて、交差点のすぐ横にある喫茶店に入った。わたしにはあまり時間がなかったが、すこしのあいだなら先方も待ってくれるはずだ。ケータイから急用が出来て30分ほど遅れる旨を編集部に簡単に伝えて、珈琲をふたつ注文した。真向かいに座った彼女は、あたりを窺うような仕草をしてから、ゆっくりと話しはじめた。それはまったく奇怪な話だった。(つづく)
2006.10.18
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極東の隣人はいまや世界注目の的だ。ピョンヤン(平壌)生まれの知人によれば、美しい柳の街路樹はいまも美しく、この季節、初秋の風にそよいでいるのだという。北東アジア一帯の地図を南北逆にしてあらためて眺め見る。地下核実験が行われたとする咸鏡北道吉州郡豊渓里は日本海をはさんでおよそ800キロ南東方向に壱岐の島々、そして米子松江があり、首都ピョンヤンまでは400キロ南西という位置関係になる。日本海を内海とみれば、対岸に秋田、新潟、鳥取、米子、益田、萩、下関、福岡という日本の諸都市がならび、大韓民国・釜山(ぷさん)から北下すれば、ウルサン、ウルジン、カンヌン、コソンそしてウォンサン(元山)、フンナム(興南)ときて、ここで北緯40度線をまたぐ。朝鮮民主主義人民共和国いわゆる北朝鮮にはいるのは38度線をこえたコソン(高城)からだ。このフンナムからさきはホンウォン、タンチョン、キムチェクとつづく。舞水端と書いてムスタンと発音する岬を越えるとオデジン(漁大津)とチョンジン(清津)のふたつの海湾都市がある。この一帯は深海が大陸ちかくに迫ってきているから、軍港としておそらくは最適だろう。さらに北下すれば北朝鮮の最北端の港はラジンとソンボンだろうか。ソンボン(先峰)から50キロ海沿いに行くと、そこは北緯42度10分、ロシアと中国の国境地帯である。ソンボンから陸路川づたいに内陸部へ向かう人民道路をはしると、やがてトゥーメン(トモン=図們)という中朝国境の町に至る。ここには一種の自由市場があり、中国人と朝鮮民族が自由に行き来し生活している。歴史的に見ても軍事的に見ても、かつて中国人民解放軍兵士は朝鮮人民軍兵士と共に旧日本軍と戦った。かれらはいまも「戦友」で「同朋」で有るだろう。わたしはいまこのソンボンの山中を登場人物に歩かせているわけで、物語の中で、彼は国境越えをしてロシアの豪雪地帯へはいりこむ。もっとも美しく神々しい、かのアムールトラの棲息する一帯である。
2006.10.18
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きのうきょうと抜けるような青空がひろがった。きのうは部落の人間数名と隣人の裁判の傍聴に出かけた。手錠腰縄スリッパ履き姿で法廷に出て来た元隣人は、入口でこちらの姿を目にとめ目で会釈した。表情ははれやかで、ただいたずらっぽい丸い目がややとまどっているふうにみえたのは、傍聴席におもいのほか人が来ていたからだろう。裁判は一時間余でおわったが、はやくに車で着いたわれわれは時間をつぶすために裁判所ちかくのメシ屋で昼食がてらアルコールも少々入れていた。ひとりはよほど草臥れていたらしく、傍聴席に座るが早いか眠りだし、やがていびきをかき始める。まだひとつ前の被告の裁判(前科八犯覚醒剤所持容疑 判決言い渡し)だったから、となりに座ったわたしはほうって置いたが、いよいよ隣人の公判がはじまってもまだ眠りつづけている。右隣のもうひとりのわが仲間も、こちらはどうやら早朝から自宅で酒を浴びるほど飲んできたらしくはじめからロレツがあやしかったが、赤ら顔のままにわたしの右となり、傍聴人席最前列に座っている。居眠りこそしないがいっしょに来るあいだじゅう喋りつづけ、廷内でも声こそ落としてだが前に座った被告である隣人の背中越しに声を掛けたり肩を叩いたりして、そのたびごと両脇の衛視から注意を受けている。隣人の弁護士が弁論を開始したが、左の居眠り男はあいかわらずいびきをかいて眠りつづけ、右となりは赤い顔でときどきこちらをこづいたりする。わたしの後ろには新聞社の記者らしい若者ふたりが大学ノートを持って傍聴していた。裁判が終わるとわたしたちは外に出た。官舎のほどよく手入れされた庭の一角の桜の老木が黒い老人のシルエットのように天をバックに風にすこし揺れている。午後三時をまわり、山の国の日は翳って庭の草木も立木も秋のななめの光線を浴びてゆるやかに大気の海のなかにたゆとうている。三人は裏の出入り口から庭をぬけて街の通りへ出た。ひなびた街の何軒かの店をのぞきながらぶらぶらと無言のままに駅まで歩き、わたしは途中の八百屋で安売りしていたサツマイモとキュウリをひと皿づつ買った。やがて、「あれならまんず執行猶予だんべさ」とずっと居眠りしていたはずの水谷豊似が背広にネクタイの余所行きスタイルで明るく言い、「ところ払いでしばらくは東京へ帰っておとなしくしてなきゃあさね」とずっと年長の猟友会のもうひとりが、まったく廻らぬ舌でもごもごもごと付け加えた。切符をめいめいが買ったあと、電車の到着するまでまだだいぶ間があったことに気づいて、わたしたちはつぎの駅まで歩くことになった。風に吹かれ線路づたいにすこし歩いたところにドアを開け放したスナックがあり、赤ら顔が、おゝ、とちいさく叫んで暗い店内に入ってゆく。つられるように入るとカウンターに女性のひとりが上がり天井を拭き掃除している。酒瓶のならんだ棚の前で還暦過ぎたくらいの女性が飛ぶ蚊もおちるくらいな迫力ある声で赤ら顔と話している。なつかしいねえ、とかにゃおとか言いながら。やがてまもなく赤ら顔が止まり木に座り、わたしたちふたりもつられて座って、そこでまた一杯やることになってしまった。あんたたち月曜からいったいどこへ行ってきたのよと、どうやら赤ら顔のむかしの馴染みらしいカウンターの還暦ママが笑顔を浮かべ、刑務所、とわたしがはぐらかしをぼそっと言えば、あはは!とまた嬌声が店内に響いて蚊が一匹落ちた。大掃除の最中だから何もないわよとママが言い冷蔵庫から冷えたビールを出した。昼前に入った店で出された隼人瓜の漬け物のお土産を赤ら顔がとくいそうに背広のポッケから取りだして、それが急場の肴になった。景気はどうさ?と話題もないから尋ねれば、マルイなんだけどさっぱりよ、と還暦ママがコップにビールを注ぎながらやけ気味に笑い、ううん「駅のそば」だから「マルイ」なんだわあ、とダジャレが寝覚めの味噌の中をかけまわっている水谷豊がにやけて解説する。こうしてわたしたちは、とりあえず懲役三年という検察側の量刑要求が、なんとかわが弁護士の活躍と住民有志の嘆願と真面目な被告の人柄などなどによって、罪一等を減じられ、かなりの情状となるだろうと勝手に楽観し、まだ判決言い渡しは先なのだがとりあえず乾杯したのだった。夜おそくひさしぶりに山の家にもどると、わたしは買ってきた芋をふかした。胡瓜は薄く切ってミネラル塩で浅漬けにした。玄関先に、どうぞ、といった風情で大きなビニール袋が置かれてあり、中を覗くと缶ビール11本と未使用の調味料、サラダ油、みりんや穀物酢などだ。隣人の連れあいがこちらの留守中に東京からやってきて、山荘の最後の後始末をすませて、残った食料をこちらに贈呈してくれたものらしかった。そうしてきょうも朝から快晴の秋空がひろがり、わたしはすっかり片付いた隣人の山荘の前を通って散歩に出た、いや出ようとして石垣のうえの彼の庭先をなにげなく見あげた。庭先にクマクス殿下が作った木の一枚板のテーブルがあり、その上に彼が愛犬を亡くした後、大事に育てていた観葉植物が数鉢、烈しい秋日にさらされていた。もどってまだ息のありそうな鉢だけを選び出し、庭先の水道で水を与え、わたしの家の日陰へ移し置いた。すこし前のビーグル犬の死でカラになった犬小屋につづいて、こんどはその主じのほうの小屋もからっぽになった。その大小ふたつの小屋の無人のたたづまいが、色づきはじめた山の秋のざわめきのなか、なんだかむせび泣いているように見えた。昼のラヂオからは、米国の偵察機が集めた北朝鮮上空の大気のチリのなかから、核爆発で生じる放射性物質が見つかり、北朝鮮の核実験実施場所は北東部の豊渓里近くと断定、「1キロトン以下のちいさな核爆発はあった」と米国研究所が公式に発表したという外電が流れる。北朝鮮の発表いらいの、当事国の寡黙と国際社会の饒舌の、奇妙でまやかしな疑似歴史的な7日間は、こうして終わり、北東アジアにどうやら、「核を持つ国」がもうひとつ、メデタク生まれたわけである。
2006.10.17
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マカロニ猊下殿秋の嵐が吹きぬけて、わが山は快晴となりました。眼下の川は大河となり、ふもと近在には餌を求めてクマが徘徊しており、午前にはこの秋数度目の外出注意令が出されました。まだ山中にいます。じつは、脳味噌のエンジンがなんだか気圧とともにすこし快調になってしまい、上京するのが億劫になりました。ご招待の貴下大学のシンポジウム出席も見合わせて、せっかくぐうたらな味噌がはりきってきたので、ちょいと仕事のほうに注力したくおもいます。そんなわけで、夕方金鉱脈の欠片などお土産を持って、マント翻しそちらにお邪魔するつもりでおりましたが、また近々後日という事にいたしたいとおもいます。勝手ながらどうか宜しく。ハイハイ童子 複数の知人宛、こんな私信をファックスして、布団を秋空に干した。気温はぐんぐんとあがって正午をまわるころには28度を突破した。なるほど気圧のヒトに与える影響というものはバカにならない。長雨つづきでトタン屋根を叩く秋の雨音に逆立ちして世界を眺め直そうが、朝風呂の連続技で精神をけしかけてみようと、錆びついた味噌のエンジンはぷすぷすとからきし活性化してくれない。昨夜は大家のところで裏山崩壊のときの善後策をビール飲みつつ論じあい、もどる夜道のむこうから豪雨のなか、どうしたわけかイノシシの子のうり坊に首輪をつけた部落のものがのこのことやってくる。屋久島産の屋久犬を猟犬として訓練するためにこれからうり坊をかこいのなかで放すのだという。ざざざあとどしゃぶりのなかで猟犬の訓練をやるのだろうか。すこしばかり滅入っていた気分のままわが山小屋へともどれば、雨宿りの野良猫一同が、「もうかえってきたのか」といっせいにこちらをにらみつけるのであった。ばたばたとあわただしく資料を回覧し、タグをつけた録音テープの山のなかへふたたびもぐり込み、内耳をいぢめつくしつつ夜明けを迎えたところで息絶えた。目覚めれば秋の青い空に綿のような白い雲が浮かんでいたのであった。
2006.10.07
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キッカリ三時間を寝て起き、「紅孔雀」を読み返す。嗚呼やんなっちゃうな!だぶだぶだーな相変わらずの駄文である。七時間前に入れた冷めた夜明けの珈琲をごっくんし、三歩あるいた台所の流しに立ってうがいをしてから、お湯を立て体をさかさまにして裏返す。がらっと小窓を開ければ、まだ闇の中に秋の雨。 秋雨や懲りぬおとこに降りかかる (秋の雨 懲りぬ男に女かな)ざざざぁ。ばしゃ。※ ※ ※女: なんだかむかしがもどってきたみたいね。男: ゴメン。間違えた!闇の中では、いろんな事が起こる。。。
2006.10.04
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ひとつことにかかりきりになると、時の流れが速い。午前八時には仕事にかかり、食事はバナナと食パンと珈琲とタバコで済ませ、ひたすらキーボードを叩く。ふと気がつけば、午前零時がもうそこだ。おかげさまでここのところ新聞もラジオも無縁の健康生活を送っていて、けさ来た新聞は秋雨に濡れていまだポストに刺さったままである。この勢いで、自分の小説も書き飛ばせばあるいは下手な鉄砲も数撃てば当たるで、そのうちベストセラーがまちがって出ないともかぎらない。所詮オノレが生みだした迷宮の錯綜した糸はどうにか解きほぐしたものの70時間の膨大なテープ録音のどの箇所に目当てのものがあるか、さながら金脈さがしの案配で、ようやく見つけたことばの鉱脈もそのままでは使えず、荒削りの後に精錬してでも化粧はなるべき施さずにむき身のままに文脈の海に投げ入れる。ことばがことばとぶつかり合って火花が散ってくれないか!だが、そうした作業が生じせしめるちいさな難所がまだまだいくつもあって、はがゆくしかしはかゆくのは左の中指と人差し指がはさむ紫煙の?ばかり。ときに壁に向かって恨みのことば投げつけ天井を見上げてオノレの無能をバンザイする。つっけっぱなしのラジオはベッドから床、床からテーブル、テーブルからソファと縦横無尽にはね回りじゃれまわる2匹の子猫によって勝手にチューニングされて、いまはどこかの高速を疾走するトラック野郎のとばす電波が雑音といっしょに吐きだされ、シトシトぴっちゃんな秋雨の無限音階と谷川の急流のはじき上げる活性水素のしわぶきが、集中する内耳のラッパ管のなかを駆けめぐるのであった。嗚呼、あとせめて10日早めにスタートしていればなどと後悔してももう遅く、だがやっつけ仕事ではイヤだからこの際テッテイ的にこだわる。その味噌の神経の先端でクオリアだか色覚異常だか繊毛虫の如きアドレナリンがもうかれこれ20時間超でつづける。こんなに777状態だったらパチンコ台ならばいったいあの鉄球が木箱何杯出て、換金すればいくら稼げるかなどとつい妄想し、こうしてとにかくブログを書いている。あーあ、やんなっちゃうなあ!紅孔雀。
2006.10.04
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十月はふしぎな月だ。イメージからいうとこの月は、なぜかわたしには「黒」という色を連想させる。そうして黒というと、黒社会、黒服、腹黒、黒い金などなど、まずもってそうしたダーティな世界がひきだされてくるのはなぜだろう。「黒い報告書」という週刊誌の連載読み物もあったっけ。一話完結で、じっさいに起きた男女の愛憎がらみの事件を適当にフィクション仕立てにしたもので、これもたしか現職の刑事が書いていた。いまはどうか知らないが警視庁捜査一課の或る部内誌(部外秘扱いだった)にも、当時よく似た実話ものの連載があった。その道に得意な刑事が半ば趣味で書いていたらしいが、なかなか面白かった。国会図書館あたりにゆけば、こうしたものもまとまって保存されていて誰でも読めるのだろうか。日々起こるさまざまな事件は、この社会の底のほうで蠢くヒトという生き物の複雑怪奇さをあらわすとともにそのまま時代の反映でもあろう。新聞はそれらを4W1Hで切り取って無愛想に速報するだけだが、それぞれの事件には生まの人間のおどろおどろしい、どろどろした生が、獣の腹を切り裂いてとびだす臓物さながら見えている。「あんな真面目な人が」とか「おとなしいひとなんですがねえ」「こども好きで気さくな人でした」「いつもにこにこしてとても朗らかなかただったんですよ」といった周囲のコメントとともに、この事件世界では「もうひとつの貌」がどろりと闇の奧から姿をのぞかせるというわけだ。商業映画作品では三池崇史監督の『デッド・オア・アライブ』が描いた、三合会をおもわせる中国マフィアの黒社会。悪党共が跳梁跋扈し、永遠に救いの来ない世界。個人的には、これに『カリスマ』の黒沢清監督の形而上世界を足して2で割ったような小説世界をつくってみたいものである(笑)。小説といえば、10代はじめの頃に熱読した『火星年代記』『なにかが道をやってくる』の作家レイ・ブラッドベリには『十月はたそがれの国』という詩情漂う傑作短編集もあった。なるほど「たそがれ」か。これは「黄昏」と表記するほうが好きだ、、、などと独語しつつ、ふっと窓枠で切り取られた四角い空を見あげる。さきほど外出したときには山の鞍に青い晴れ間の切れ端が見えたのに、いまは薄墨色の厚い雲が全天を覆っている。午後五時。もう夕暮れか。ばたん!とブラインドを落とすように日が短くなり、戸板返しではないけれど黄昏の闇の中にこの世の愁いや哀感が染み出てくる。なるほどこの季節、光もまた黒に近づくということでもあるか。 十月の黒船来たるしじまかな安晋会という黒世界。二十一世紀、この先しばらくはふたたび奇妙な極東の時代になるのだろう。きのうおそくからはじまったひどい耳鳴りと頭痛が寝て起きたらすこしおさまり、きょうはなんとか仕事を再開できそうだ。(写真は「十月の猫」ピッピ、現在行方不明中)
2006.10.03
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ふたたび夜通しの雨があがって、自転車で食糧の買い出しに出かけようとげぼ号にまたがったらナンカ変だ。家の前の急坂を走りくだり水たまりを三つほど跳んでようやく気づいた。前輪の空気がすっかり抜けている。降りてあらためてバルブ(フレンチ式)を確かめると、弁体部頭の小ネジが緩められて居る。チューブに石けん水を塗り空気抜けも調べたが異常はなかった。またやられたなあ。二度目である。このあたりのサルやクマや猫どもは智恵が発達していて、こういういたずらをするのだ。先日、といっても相当前だが、ポストに蛇が入っていた。穴とまちがえて迷いこんだにちがいなかった。気を取り直してため息を呑みこみつつタバコを吸って気を落ち着かせて空気を入れ直した。ナニモノかがこんな山の中まで出向いてこのような馬鹿げたことをするとも思えないから推定犯人像はおもいあたるので、いま知人が公判中の相手の団体の背後に蠢く闇勢力とは考えないし、隣人が属していたウラ公安のしわざにしては甘すぎる。それでもむかし毎朝、鳥の死骸を玄関先に投げ込まれた先輩知人の事例も承知しているし、このところ謎の電話が五月蠅いのももう10月というのに可笑しい。昨夜は午前二時にかかってきた。まさかセールスの電話じゃなかろう、出てみれば若い女性の声で「若奥様いらっしゃいます?」と昼間とおなじアクセントだ。「いま買い物に出たよ」と応えてみたかったが、それもばかばかしいのでやめた、自動録音をしていた時期もあったがあまりに頻繁にかかってくるのであほらしくなってやめた。…とこんなことを書いているきっかけが自転車の空気漏れなのだから、これもまたよく考えなくてもあほらしいかぎりで、こういう文章を読んでいただくのも本当に気が引けるのだけれども、記録として書いておこうと思った次第のコトの次第。ばかばかしいといえば、以前、知人がおなじような被害にあってたまらずに警察に届けたその後の顛末である。彼のばあいは愛車のジープのタイヤを戸建て住宅のガレージに駐車していてぶすぶす穴を開けられて、そりゃあきっとイノシシの逆襲だろうとわたしはすましていたモノだが、そのうちにエスカレートして週一くらいのわりで几帳面に犯行が成されるようになった。それで届ける仕儀に相成ったらしいが、もとよりロッカー崩れの風来坊だから恨みを買う筋合い見当は無数にあったらしく、調べに来たお巡りはそれっきりで以降何の音沙汰もなく、犯行もまばらになって、そのうちにぴたりと止んだ。あるとき新潟のその実家からもどってきた彼に「その後」を訊けば、「犯人はケーサツ官だんべさ」と苦笑した。調書を取られ根掘り葉掘り私生活の隅まで聞き質されて、大麻やってないだろなんて無関係なイヤミまでいわれたそうだ(まあ人相風体無理ないか)。で、そのごぱったりと捜査報告もなにも無かったというから新潟県警も威張れたものじゃあない。こういう愉快犯を検挙したところで、何の手柄にもならないのだろう。むかしある宗教団体のスキャンダルを取材していて車で轢き殺されそうになったり数週間に渡って尾行されたことのあった当方としては、こうした手口に出る連中の思考回路はおおよそ想像できるが、やられれば放置するのもなかなかたいへんなものだ。100通/日スパンメールの襲来などはカワイイものである。それで、話をもどせば、空気を入れ直したGEVO号で国道へと買い物に出たわたしだったが数キロはしったところで引き返した。開け放したまま出てきたから戸締まりをしたのだ。なにしろこんどは寝床あたりにマムシでも投げ込まれたりしてはタマラナイ。治外法権の山に棲むのもなかなかたいへんである。さて。あれからこっち、とさる日このブログに時計のネジを巻きながら幽閉人元軍属チチンプイ氏面会の記事の談話に書いた隣人のことばの、「ベンジャミン・フランクリン」が違ってますよと猫に言われていま気がついた。なるほどかの国の偉人大統領の名前とカンチガイ、正しくは「ベンジャミン・フルフォード」でありました。で、かの本(フルフォード著『9.11テロ捏造 日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ』)はそういうわけでさっそくに買い求めて留置所宛てに差し入れもうしたところ、ポストにふたたび礼状が差してあった。こっちは死ぬほど忙しいのに相手は死ぬほどきっとヒマをもてあましているのだろう、おまけに封書のオモテ書き宛名の名だけが違っていて、しかもこんどは「様」から「殿」になっている。ふた月以上も官憲官舎に住んでいればことばづかいも官憲臭くなるのか、あるいは本来の礼儀作法に目覚めたのか、あるいは淋しいからこっちも入ったらどうかという暗黙のお誘いなのか、ちぇっと舌打ちしながら開封すれば、「暑かった夏の日も少しづつ通りすぎ朝晩などはめっきり涼しくなってきましたきょうこのごろいかがお過ごしでしょうか。こちらは布団をかぶって寝ております」と来た。さすがにクマクスも世間様に恥ずかしくて布団ぐらいはかぶるのか。居心地がいいうえに安眠されてはタマラナイが、つづけて「さて勝手な頼みにて送っていただいた本」をさっそくひらいて読んだという、その感想が綴られる。「ページを開いてみて内容にがく然と成り、同時にやっぱりなーとため息が出てしまいました。週刊誌の記事ではおおまかな事しか知ることが出来ませんでしたが読み進むにつれ詳細な事実が明らかになり、アメリカという独裁国家に改めて呆れるばかりです」…まあわたしもおぬしのお馬鹿な行為に呆れるばかりだよと呟きつつ、それにしてもなかなか殊勝な感想にちょっぴりさわやかな真情がかいま見えて嬉しかったのダッタンジン。
2006.10.02
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がらがらと引き戸を上げれば、雨だ。昼を廻って頭をめぐらし鼻先のなにやらふわふわぐちゃぐちゃを撫でまわす手が、なんかおかしいでっせオヤブンと訴える。朝方に寝たとき紛れ込んだ野良猫のハナコである。こいつはやたらと馴れ馴れしく必ずべたりとからだを寄せて舐めてくる。おそらくはまどろみのあいだじゅう顔中を舐め廻ったのだろう、それで洗面所に立って顔を洗ってようやく正気がもどれば日曜日の午後の雨であったわけだ。どしゃぶりというほどでもなくシトシトぴっちゃんでもなく秋雨の瀟々と眼路の遙かまで水の垂れ幕がけぶっている。午後二時をもうずいぶん針は滑って過ぎてがらんとした家中は「おーい秋」てな感じでひっそり静まりかえっていた。たしか七時過ぎに朝刊をとってそのまま寝た。熟睡したのか。闇鍋のようにゴッタ煮の夢の中にはカマキリや蛇も登場し、考えようでは秋らしい夢であったか。うつつがそれほど変化に乏しいと夢のほうは却ってハリキルらしく、言葉までのそのそと出て来て、それが川辺をあるきながら「水はみずから道をつくる」などと吐く。目覚めて、復唱するうちに至言なりと感動して、おもわず半紙に毛筆に墨汁を浸して一気呵成にしたためてみる。窓の外では育った桑の木の花札歌留多の桐の絵札の如き妖しさが曇天のけぶる秋空をバックに妙にいきいきとすがすがしくさえあった。あらためて味噌の中に、 溜まった水は腐るだけだが、流れる水はみずから道をつくると書いて、いましばらく呆然としてゐる。
2006.10.01
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傍点の濡れた形に欲情すうっすらとぼんやりと粉をまぶしたような空がすこしづつ開けてきて、そろそろ黄色く色づきはじめた山の緑の先端を引き立たせる。のろのろと峠道を郵便車が登って行き午前九時過ぎに必ずビニール袋を片手に痩せた貧相な小男のシゲさん(仮名)がその三メートル道路の端をさらにのろくさ通過してゆく。彼は世間でいういわゆる智恵遅れなのだが、親から譲り受けた山林を公団がそっくり買い上げて億の預金がある。このためしばしば詐欺話にまんまとひっかかりそのたびごとに数百万単位で損をしているらしい。クルマは運転できず(免許が取れない)、自転車も乗れずで、おまけにカカアは銭だけもってずいぶん前に男と夜逃げしてしまって、だから町のスーパーへ往くにもとことこと数キロの山道を数時間も掛けて往復するのである。どういうわけか会うと微笑む、ばったり道で会えばわたしも片手で挨拶に答える。部落はとにかく年ごとに人の口が減少し、山の斜面に猫の額ほどのわずかな田圃を耕すのは70、80すぎのご老人ばかりだ。昨年の郵政民営化で郵政公社の山間の局のいくつかはすでに廃止が決まっているらしく、局からの委託を受けて切手などを売る峠の酒屋も、あとさきどうなるのかとぼやいていた。しかし部落の議員連中にしたところで国家の政策にどこがどのように変わるものかもわからず、目先とりあえずは自分らの年金の受け取りうんぬんばかりが気にかかり後はまあ、野となれ山となれ…いや、すでになっている。トリッチ・トラッチ・ポルカがいきなり村内放送の電柱の横のスピーカーから鳴りだした。そうかきょうは土曜日、朝焼け市場開催の日だ。いずれ九月尽の青い空にまたぞろ一発イチマンエンの花火が打ち上がるのだろう。
2006.09.30
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国際クマ会議というものが来週、軽井沢でひらかれるのだそうだ。なんでもアジアでははじめての国際会議だという。へえと思ってさっそくぐーぐるってみれば、なるほどあった。〈この会議は北米、ヨーロッパ地域とアジア地域の間で、クマの生態や保全、管理に関する情報交換の場を提供するものです。この会議では、アジア諸国の研究者による積極的な参加が期待されます。また、会議によりクマの研究が発展し、世界中でクマの効果的な管理が行われることが期待されます〉 2006年国際クマ会議 会議の趣旨に門外漢が文句をつけるつもりもないが、「効果的な管理」ということばがひっかかった。いったい「効果的な管理」ってなんだ? 主催や後援に仰山、立派そうな団体や個人が名を連ねている。しかし当事者のクマはいない。管理される対象であるクマには通知しないでこっそりやろうというのなら、会議の趣旨がいかに高邁そうでも、あまり信用できないな。ここから連想するのは、たとえば捕鯨についてのもろもろの問題、生き物を「資源」としか捕らえない物質文明中心主義がもたらす偏った動物愛護。あるいはほんらい多様な地域民族の文明文化を、もっぱら一神教的世界観で強引に切り分けようとする傲慢だ。え?そんなものではありませんって? そうだろうか。わたしには新しく総理の座に着いた52歳のボンボン陰陽師の所信表明演説でぶちあげてみせた「美しいニッポンをつくる」とおなじくただただ虚しく響くのであるが。いいたいことはじつは少々厄介だ。この種の国際会議がまるでわれらの生きるこの社会の、政治経済文化の有り様とはハナから切り分けられたところでいつだって開催されていくという虚しさは、そろそろやめては如何かという気分がまずまっさきにあって、だからといって会議を開くなとも思わない。わたしもまた動物写真家の星野道夫の写真が嫌いというわけでもないし、また毛皮を着ながら動物愛護を叫ぶからといってその映画スターが嫌いになったりするほど偏屈でもない。しかしどっかちがうんだよなあ、、、なあ野良猫くん。にゃお!近隣在所のクマといえば、このあたりの彼らはもっぱら山の岩場の穴に棲む。以前にもすこし書いたがクマ穴は入口はひとがやっとくぐって通れるほどしかないけれど、内部は小型乗用車がゆったり駐車できるくらい広くて、彼らはそこに代々棲んでいるのだ。熊撃ちの猟師たちは鉄砲でズドンとやって討ち取ったクマは(少なくともこの日本の山国の伝統文化では)内臓から脂身からすべてを100%活用しそれが供養だということになっている。イノシシもクジラもそうである、エスキモーはアザラシをおなじように活用する。活用するというならでもサア米国の大牧場主も1000頭の牛をミートにしてそこに病気に感染した牛が混じっていようがハンバーグに上げてしまえば分からないとか有効活用していまっせ、ばーかそらあちがうでしょがあ…いやこんなこと語るよりももうすこし手っ取り早く言ってしまおう。この文明の有り様のおおもとの所を議論せずに、クマ会議を開こうがブタ会議だろうがBSEヤコブ会議だろうが、吉野家牛丼会議だろうがパパラッチではないのか。すなわち事象の追っかけにおわる。もっぱらそのようにして善意という名の下に、いったいどれほどの文明が破壊され少数民族が殺されニートがホームレスが原住民が会議の血祭りで民俗学者や文化人類学者のおまんまの食材として差し出されつづけてきただろう、と少々アラっぽくだけれど言ってしまいたい気分になるのだ。支離滅裂は承知、いやトーゼンながら支離滅裂の彼方へ、ばかやろーっとそこをぬけて走りつかなくては、この分裂した文明の、科学技術万能の、また資本主義経済万能の、銀行支配世界のカラクリのおおもとのところで隠れて生き血を吸う吸血寄生虫どものたくらみを何とか暴き立てないかぎりは、にっちもさっちも団塊世代なのではあるまいか。以上のごときことを、途中下車して立ち寄ったと抜かす来客と日本酒焼酎濁り酒どぶろくビール呑みつつしゃべりチラしたのでした。「おーい、クマに襲われないように用心して帰れよお。。。」
2006.09.29
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「おいそろそろ目を覚ましたらどうだ…」枕元で声がした。料金未納不通のままちかごろはすっかり目覚まし時計になってしまったケータイのそばで、黒い顔がこっちをじっと覗いている。いやこの場合は、「ぢっと」と書きたい。ぢっと覗いている。ウン、これでいい。滝のように秋の雨がトタン屋根を叩き通しだった夜をいくつも超えて、稲妻の尻尾を何本もその稜線に隠した山々の黒い塊が細い三日月を中天に浮かべている。あれからこっち、クマの親子連れを二度見かけ、人のすがたはからきし見ないまま夏が終わった。別荘のそのまた別荘のずずずーっと奧、素敵な留置所の豪奢な生活ですっかり肥えてしまった隣人は、面会所ですこしばかり真面目な表情でいったものだ。「911は自作自演だって、アサ芸でよんだよ、ベンジャミン・フランクリン。このままぢやあニッポンだめになるべえ?」ああ、とわたしも相づちを打ち、テポドンでなくライフル発射!!でイガグリ頭になったヤツの楕円形を、先日猫に追い回され断崖を駆け回っていた烏骨鶏のいつも生み落とすあのつやつやと見事な卵みたいだナとおもったりしていた。「もう三ヶ月ですか…」と大家。「ながいなあ」とわたし。「うんにゃ、まだ75んちくらいだべ?」と仕切りの丸穴のむこうがわで本人。立派なモノだよ、二ヶ月以上も入ってるなんて♪温泉なら身体が溶けているころだ。そういえば、あさがたに出かけるとき同行する大家がスーパーの留置場いや駐車場にクルマを止めて駆け込んだ。やがて衣料品売り場で下着を買ってもどってきた。「ははは、ムショでは下着の差し入れがイチバンなんだって!」へえ。感心して聞いていると「いやそのちょっと身近にン年ほど入っていた経験者がいましてね、ゆうべ聞いてきたんですよ。いつも清潔な下着が差し入れられると、あの世界では格上になるそうです、ははは、あ、じゃあいきましょか」ぶうううおおおーーーー。交通刑務所か、ならきっと本人だろう。しかし今朝は酒臭くないからまあ、だいじょうぶだろうと、わたしはトラックの助手席に座ってベルトを締め、運転する水谷豊の酒やけした横顔をななめ横75度くらいからながめる。空はあいかわらずいまにも雨粒が駆け落ちしてきそうな案配だ。ぴかっと光ってゴロゴロとくるかもしれない。其れがかれこれついこの直近で、その前の数日だったかは東北の山林をさまよう夢を見ていたっけ。いや夢ではなかったかもしれない、本当はまったく前後不覚でひたすら仕事にうつつをぬかしていたのだろうきっと。ウツツといえばきょうの夕暮れ時はちかくを散歩していて奇妙な幻覚をみた。散歩コースに観音堂がある。そこはすこし小高い丘でそのしたが切り通しの小道になっている。なにげなくその方向をみると、若草色の和服のおんながじっと切り通しの石垣に寄りかかるように立っている。細身のなんだか病弱そうな身体の線が斜面にしなだれかかるような具合で立っている。すこし近視の目を凝らして顔を見ようとしたけれど、奇妙なことに顔が黒いのだ。顔だけが真っ黒だ!そこではじめてわたしはどきりとした。そういえば動かない。稲穂が流れるように泳ぐ田圃のむこう、ざっとそれでも10間もない近距離だ。もっとよく見ようと目を皿にしたり茶筒にしたりしてみる。そこでだまし絵のように絵柄はとつじょ化けた。よくみれば折れた桜の大木が苔の生えた胴体をこちらに向けて切り通しにもたれた格好になっているのだった。そのすこし上を見れば、なるほど老木が中ほどで折れて黄色い樹体を露わにみせている。おそらくは落雷で真っ二つに引き裂かれたのだろう。その山桜の大木は春、みごとなサクラ吹雪を一帯の山裾に流すのだ。するとあの幻の女は、もしかしてあのサクラの精かもしれないとまた考えはじめ、するとついさっきわたしの枕元にいた「黒い顔」も彼女だったかと合点したのだった。 午前二時起きだしてゐる世界共ながい夏休みだった。
2006.09.27
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このところの半島情勢については、一方的に危機を煽る記事などばかりが目立った。そうしたなかで、読むに値する小論をみつけた。韓国の中央日報紙(2006.07.10)が載せた「いっそ金正日氏に学べ」と題された、同紙主筆・文昌克(ムン・チャングク)によるつぎのような文章である。長いが全文を引用させてもらう。【北朝鮮外務省のスポークスマンはミサイルを発射した後、立場を表明した。自衛的な国防力の強化に向けたもので正常な軍事演習だった、とのこと。続いて、力のバランスに触れた。「力のバランスが壊れる場合、不安定と危機が作られ戦争まで起きる。ミサイルの開発は力のバランスを保障し平和と安定を保障する」とした▼力で北朝鮮の体制を守るべきであり、そのためミサイルを開発する、との要旨だった。北朝鮮が核を開発した論理も全く同じだ。これは「北朝鮮が経済的な破たんに陥り、武力でもって挑発する能力がない」とする人々の言葉とは全く異なる。北朝鮮は通常兵力では力のバランスを取れないから、核とミサイルを作ったのだ。また「同じ民族だから」と主張する北朝鮮だから戦争はないはず、とする人々の考えとも異なる▼北朝鮮は、「民族優先」ではなく「力」が優先だ。つまり「先軍政治」、「剛性大国」がそれだ。北朝鮮は「経済はメチャクチャでも、核兵器とミサイルでもって国を守りたい」という徹底した力の論理を信奉している。北朝鮮としては当然の主張だ。自国を力で守りたい、というそれらを叱れない。それなら、それらが守ろうとしているものは何か。金正日(キム・ジョンイル)政権の維持だ▼ひいては、北朝鮮の方式で統一を実現したい、とのことだ。朝鮮労働党の規約には、共産主義による統一が明文化されてある。それが、それらが考える北朝鮮の国益だ。米紙ニューヨークタイムズは社説で、ミサイル事態を分析する際、中国と韓国を北朝鮮の友好国家に、米日をその反対側、に表現した(6月20日付)▼それを確認してくれるかのように、北朝鮮スポークスマンの発表は、韓国については一切触れていない。米国と日本だけを非難している。何故そうだろうか。自国にとって韓国が必要だからだろうか、それとも韓国の軍事力をバカにしているからだろうか。両方とも念頭に置いているのだろう。核を保有する国と通常兵力だけを持っている国の間では、軍事力のバランスを維持することができない▼核兵器の絶対性のためだ。北朝鮮は、韓国の経済力が自国の体制を維持するうえで必す、と信じている。米日が経済的な圧迫を加えても、韓国が北朝鮮を助ければ耐えられる、と判断しているもようだ。現在、北朝鮮にとってほぼ唯一の支援者は韓国だからだ。力の政治を追求する北朝鮮は軍事力を優先する。米国との直接対話を望んでいても、対話だけを掲げたりはしない。今回もそうだった▼力をアピールし対話に誘っている。南北(韓国・北朝鮮)関係でも、それは明確にあらわれている。金大中(キム・テジュン)前大統領の訪朝のために、南北鉄道の連結に合意したが、北朝鮮の軍が拒否した。こうした点が南北関係の盲点だ。韓国は経済協力を通じて北朝鮮を動かせるとの計算だが、北朝鮮にとって経済協力は、軍事の下位概念だ▼太陽(包容)政策の成果がない理由がそこにある。韓国がいくら「与えるいっぽう」の支援を行っても、軍事力では譲歩がない。それらは、力の秩序を信じるからだ。だから、経済協力では核とミサイル問題を解けない。北朝鮮はこのように徹底した力の論理で進みつつあるのに、韓国の身の振り方はあい昧だ。一方は力を語っているのに、もう一方は対話と協力だけを強調している▼南北共同宣言を記念するとして、光州(クァンジュ)で平和と統一を叫んだ。1カ月も経たないうちに、北朝鮮はミサイルを打ち上げた。大統領はこうした状況について、説明をしなければならない。だが「戦略的沈黙」で一貫している。大統領が強硬姿勢を示せば国民が不安がるからだとしている。現在、国民は大統領の沈黙にさらに不安がっている▼北朝鮮が力の論理で進む状況で、韓国はどうすべきかについて、国民は説明を聞きたがっている。北朝鮮が力を誇示すれば、韓国も力に基づいて取り組まなければならない。韓国の力の根源は韓米同盟だ。韓米同盟は最悪の状態にしておき、北朝鮮と対話・交渉を語ろうとしても、北朝鮮は応じない。北朝鮮の核とミサイルは、韓国だけが目をつぶるからといって済むものではない▼だから、国連で安保理が開かれるのだ。北朝鮮の核とミサイルを解決するためには、国際社会の連携に誠実に加わるべきだ。経済的圧迫が必要ならば経済協力も中断しなければならない。それらは、それらの国益に充実している。韓国は韓国の国益を守るべきだ。それが大統領としての義務である。力で体制を守ろうとする金正日氏にいっそ習うように、と注文したい。】http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=77675&servcode=100§code=120このなかに、「核兵器の絶対性」ということばが出てくる。注目していいことばだ。とりわけて、米国によって人類史上唯一の「被爆国」になったこの国にとって、本当はもっともこだわらなければならないキーワードだ。核を持つべきだと主張するつもりはない(むしろ逆だ)。ただ、「核兵器の絶対性」というものが、現実の国際政治のなかで二十世紀後半から現在までの半世紀余、もっともリアルなものでありつづけてきたこと。にもかかわらずその事実から目をそらし、遁走しつつやってきたこの國の戦後。このような核に対する特殊な態度が、世界の真実の構造からわれらの目をたくみに覆い隠してきたこと等々…。「いっそ金正日氏に学べ」と皮肉いっぱいな文昌克コラムは、あらためて「核」というものについて真正面から深く考え議論することの重要性を、北東アジアの一角の、被爆列島に生きるわれらにも気づかせてくれるようにおもう。
2006.07.11
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> めざむればジダンが居ない夏の朝 馬蛤貝ばかり鳴きゃる砂浜
2006.07.11
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10匹居た子猫の一匹が今朝見ると冷たくなっていた。庭先の雑草のあいだに10センチほどの小さなからだを横たえ口をすこし開けて。もともとが、いちばんからだがちいさく覇気も元気もなかった。昨日昼間はまだ気づかなかったから、おそらくは未明の冷え込みに耐えられなかったのだ。ほかの猫たちはそのまわりを飛び跳ねてちいさな兄弟の死にいたって無関心だ。枯草の絨毯のうえで草花のあいだに横たわり、たぶんたいして苦しみもせずしずかに眠るように息絶えたのだろう。人間の死に際とこうした動物たちの臨終はおおいにちがうであろう。死に臨んでの苦しみのおおよそはむろん肉体的なものからもたらされる苦痛もあるが、むしろそれよりは、ヒトのこの生より生じるところのさまざまな(現世への)執着というところから発するものがあんがいと大きいのではなかろうか。肺を壊して危篤で運ばれたとき、死の玄関先まで一度行ったことがある。いうところの臨死体験というものだったのか。快い音楽が流れふしぎな物語の夢をみていた。われわれは死というものを本能的に懼れでつつみこむが、「死」そのものはあんがいとそうしたものなのだろう。たとえとしてはナンだけれど、それはまあ、サッカーボールにとってのゴールポストのようなものかもしれぬ。われわれも庭先のミャアミャアと鳴く猫どもも、ともに死というゴールに向かって生きる。そういう意味で、まったく、これっきりの生♪なのだ。めでたく土に還るよう、縞々子猫の骸は去年初冬に亡くなったコテツの墓石の所にいっしょに埋めてあげることにした。
2006.07.08
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おそい午睡を庭先のボンボンベッドでとっていると、部屋のラヂオから 「リンゴの歌」 が流れてきた。歌っているのは 並木路子 。昭和二十年、米英列強に敗れ焦土と化した町や村にながれたヒット曲だ。私はまだ生まれていない。しかし、遠い記憶をたどってみると、両親が、まだめずらしかった蓄音機にSP盤という重くて黒いレコード盤を載せてこの歌をくりかえし聴いていた情景までが浮かんできた。 日の丸とリンゴひとつの夏きたるかげってきた日射しの中、リンゴの歌の明るいメロディが、なぜだか妙に新鮮にかんじられたのだった。…あのリンゴは、あるいは日の丸の「赤」でもあったのだろうか。敗戦から61年目の夏がくる。■追記…日の丸の起源をネットで調べてみた。wikipedia日本語版の日章旗の項目には「1870年(明治3年)制定の太政官布告第57号商船規則に基づき、日本船の目印として採用されて以来、日本の国旗として使用されてきた」とある。その歴史は意外と新しいのだ。ちなみに上記のwikipedia日本語版には、「日の丸の起源はじつはよくわからない」とも書かれている。■蛇足…イングランドは、イコール英国ではない。国旗を見ればわかる。W杯でイングランド選手の身につける旗は英国国旗のあの「ユニオンジャック」ではない、白地に赤い十字のいわゆる「セントジョージの旗」だ。これは、じつはナイチンゲールのあの赤十字の旗を連想させる。大英帝国の核心部がこのイングランドである(さらにその真の中心部はいわゆるロンドンの「シティ」だ)。不思議なことに「白地に赤」(旧文部省唱歌「日の丸」より)は、日章旗もイングランド旗もおなじなのである。
2006.07.06
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眩しい光で目を覚ました。きょうも暑くなりそうだ。台所の板の間にソファを持ち込んでそこで仮眠をしている。起きればすぐに珈琲&飲食ができ仕事の机も同じ板の間にあり、パソコンもクーラーも天井旋風装置も資料など雑多な紙類もここだけに集中するから、便利。疲れたら横になり眠くなればそのまま寝てしまう。もっともクーラーはよほどでなければ使わない。室温は午前11時現在で27度。開け放った窓から桑の緑の光と熱風がよじりあってなだれこむ。空はすっかり夏の青さで谷底から吹きあげてくる風はしわぶきのマイナスイオンを含んで涼しい。ここ半月は時間の流れが光速の1.5倍ほどはやい感じだ。起き抜けの散歩の途中でどこかのじいさんがマムシを針金の輪で締めて捕らえているのを目撃し、感心しながらながめているわたしに黒猫便がダンボールの包みを運んできた。ひどく重い。注文してすっかり忘れていた古本だった。サインだけすませて家のほうへ運んでおいてもらい、旧道から見晴らしのいい峠道の隘路に横滑りして標高でいうと500メートルほどにある岩場へすすんでみた。ここには小さな滝がある。夏草が茂りちょっと軽装にサンダル履きでは危ないとおもったが、渓流のイワナの棲む大岩の蔭まで回りこむ。苔の濃い緑の奧にじっとこちらをうかがう生きものの目の気配を感じて安心し、それから数メートルほど沢を転げ落ちサンダルの片方がながれた。まったくケガもなくこれですっかり目も醒めて、きょう一日がゆるやかにおごそかにはじまりそうだ。家にもどると、まんなかの部屋に猫ども母子三家族13匹が上がりこんで、かってに避暑していた。
2006.07.04
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イングランドがポルトガルに敗れ、仏蘭西がブラジルを打ち負かして夜が明けた。山の向こうから青空の切れ端がのぼってくる。じだんじだんと野良猫が硝子窓を叩き、あんりあんりと錯視乱視の電波が飛び交いろーにーべっかむと睡眠不足が両膝のところでがくがく震えている。そろそろ限界か。最終的に10匹と確定した子猫集団はかたまって絨毯の如くにみゃあみゃあし新潟から戻ったらしいHATEwwHATE人は白いペンキで未明から玄関に呪文のような文字を書き殴る。zuzudo-nズズドーン!そのとき花火が上がり、はて?日曜日の朝っぱらまだ午前六時に村が花火を上げてドーする?すると村内放送がラジオ体操を流しながら、言った。ごぜんしちじより朝焼け市場がはじまります~。しかし空を見れば、真っ黒いボロ切れのような雲が、いくつもちぎれて飛んでいる。朝焼けはざんねんながらどこにも見えない。メイド・イン・USA 変な指導者ふたりが野合してできた新日米同盟(新世紀の同盟)のように、いずれどしゃ降り市場にならなければいいが。
2006.07.02
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最高にかっこいいアルゼンチンサッカーが、ドイツにPK負け。うーん、残念だ。
2006.07.01
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これも人生。…北朝鮮贋遺骨騒動のさなかに発表される防衛大綱のように、人の目を他へとむかわせて注意をそらし、本懐を遂げるという手法がMAGICだ。日本語では魔術と訳されるためにおどろおどろしいが、なるほどMAGICはその歴史的源流をたどれば、たしかにあやかしの闇とともに生まれ落ちた。たとえば、魔術師のなかの魔術師などともいわれる、19世紀末の英国に誕生したかのアレイスター・クロウリーは、自らを「獣の数字666」であると自称した。そして現在より丁度100年前の1904年4月8日からの三日間に天啓を受け、自動書記したものが『法の書』とよばれ、オカルディズムのいはば聖典となっている(日本語版は国書刊行会からでている)。これもまた、MAGICの世界なのだった。なるほど、とおもう。あの、いまだに国際的な調査のなされない9.11事件もまた、壮大な仕掛けに基づくMAGICであったのではないのか。銀河系の辺境にあるこの惑星の、中東から極東にいたる、猫が囓った歯形程度のものを、軍事的「不安定の弧」とことさらに強調しいまにもテロリストが日本をも襲うとあおり立てる。...かくて「北朝鮮のミサイルの脅威」と「中国軍の脅威」がゆるぎない「新たなる脅威」として、いつのまにか大手を振って表通りを歩き出した。これもまた、どこかのだれかさんの仕掛ける壮大なるMAGICであるにちがいない。奇怪である。これは2004.12.11の当ブログ、「MAGIC」という拙文の後半だ。あいかわらずの半島情勢なテポドン脅威の流れる中で、反対の声も流されて、まんまと青森上空には米軍Xバンドレーダーが世界ではじめて実戦稼働して…、しこうしていまあらためて18ヵ月前の記事を読み返すが、あのとき指摘した状況と世界の有り様は変わらない、その通りにすすんでいる(笑)。
2006.07.01
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【ほんの二時間の断片】それでさあ、町屋の路地にしゃがんだまんまのおときは、どーする?炎天下だ。ほっとくと日射病になっちゃうぞ、ごほごほ。なーに、おんなはじょーぶだ。行水でもさせたらどうかね?この時代、庶民の夏の娯楽は、行水だった。…それでいくか。行水してるところを松吉に覗かせる。すぐななめむかいの茶屋の二階から銀次がそれを見ている。がまんできなくなった豚松がおときに声かける。まんざらでもなさそうに浴衣はおっておときが松といっしょに出かける。どこへ?きまってら、連れ込みホテルだ。あったのか、あの頃も??そこですよ。もう江戸でも有名なホテルがあった、そういうことにしよう。大江戸エンペラー、か。ホテル・エド…。そーいえばさ、ミスターエドって、馬がしゃべる番組無かったっけ?あったなー。早撃ちマック、奥様は魔女、ディックトレーシー、超人ハルク、バッグスバニーショー、マイティーハーキュリー、ララミー牧場、ローンレンジャー…宇宙家族にポパイ、マイティーマウス、ちびっこギャング、サンセット77、セイント、あー、海底大戦争スティングレイ!あんたら、年幾つよ\(@∨@)/あーもうだいぶ日が落ちてきた。おれもう帰って寝るよ。じゃあ、おときはどーすんのさ?ちょっとしごとしなくっちゃ。きょうはだいぶあそんでしまったもん。ん?レミントンのライフル? あーまたこんどじっくり。マムシ踏んづけないでねー♪ごちそうさん。ちょっと寝て、それからまたお仕事ですわ。あれ? サッカー見ないの?あー!!アルゼンチンとブラジルか。じゃあ、いまから酒さまして仕事しよう…ひと文字50銭もつらいねぇ。わははは。ばたんこ。
2006.06.30
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江戸の蛎殻町から一帯にかけて、次郎吉親分の名前は鳴りひびいていた。町屋の横丁にしゃがみこんで、激しい昼の日射しを浴びながら、おときは時間をつぶしていた…ゆうべはここまで書いた。起きて読み返し、さてこのあとをどうつづけよう、と雑草の影におもいおもい転がって朝寝している猫どもをながめかんがえる。ひいふうみいよお…あらあ、ずいぶん居るなあ。子猫は六匹だったはずだが、今朝数えてみると、体の模様と毛の色で、以前に何度も見ている子猫があきらかに数匹見えない。目の前に確認できるのは六匹だが、行方不明がさいてい二匹はいた。すると、子猫は全部で八匹は居るという勘定か。で、問題は銀次がささやいた謀計の中味だナ、と便器にまたがってふたたび思考。松吉を罠に嵌めて、銀次はどんなトクを得るつもりなのか。とりあえずはゼニだろう。すると、ささやいた謀計の内容のおおよそも見当がつく。水をじゃーっと流して、さて…蛎殻町の大店の若旦那といえば、安太郎だ。朝寝の床で銀次はつららつらつらかんがえる。そして松吉は安太郎の幼友達だ。松吉がゼニを持っているといってもたかがやくざなばくち打ちじゃあ、その額もしれている。松吉を餌に安太郎を引っ張り出せれば、五十両くらいは引き出せそうだ。おときが撒き餌で、豚松をはめて、最終的には大店の若旦那からせびりとる。…これがその朝、銀次のラグビーボールアタマに浮かんだ奸計のすべてであった。…ということでは、どうか?「なかみをバラしてしまうと、なんかつまらなくないかい?」もうひとりのわたしが冷蔵庫の影から現れて、意見を言う。あらためて見ると、あんがいスマートでわるくない。中の下くらいの男っぷりだ。「なるほど。それもそうだな」とトイレのドアを閉めながらわたし。しかし暑い。閉鎖空間か。暑いけどモノを考えるにはなぜか便所の空間はぐあいがいい。うーむ、くそ!「悪巧みの内容をこまごま書かなくても、読者はおおよそ雰囲気でこれから銀次が仕掛ける事柄の見当はつくはずだろ?」「うーん」あ、紙が切れそうだ。リリリリーン。そのとき半ズボンのポッケのなかでケータイが踊った。「はいはい」「あーセンセ、いまどこ?」となりの南方クマクスだった。「いまトイレだよ」「あのさあ、いまスゴイのはいったんだけど、見に来ない?」「なに」「レミントンのさあ…あ、もしかして仕事中かい」「トイレで仕事はしないよ」とわたし。「きょうは休みか?」ジャー。もう一度水を流す。やれやれ。暑いな。仕事もしなくちゃなあ…。そこで決心がついた。「あのさあ、日本酒無いけど、ビールならあるよ、つまみはセンセ、チーズなんかどうよ…」膝の上に置いたケータイが必死にしゃべくっている。きょうも暑くなりそうだ。
2006.06.30
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向島の芝居小屋を出たところで、銀次はばったり女将と出くわしてしまった。「あらまあ」とおとき。「へへへ」とうろたえる銀次。隅田川の柳の土手を初夏のすこしばかりねっとりした風が吹きすぎる。「ここで会ったが百年目だねえ」と合わせ襦袢の裾を羽織っておときが流し目で見た。まったく生まれついての娼婦である。襟足の白くほっそりしたところを故意に銀次のほうへ露出させる。「今月分まだ戴いてないわ」「ああそうかい」こまった。月初めに強請って稼いだ一両の大金は、吉原大門でその夜のうちに散財した。「松吉の舎弟分というのが、次郎吉親分に面通しを強要してきてね、いやなにおいらも悪い話しぢやあねえだろうと仲介したわけよ」「あらそう。でもいいのそんないいわけいらないわ」おときは憮然として土手の向かいへ下駄を載せた。「手鎖で百両よ」きっと見返したそのおときの相貌にすごみがあった。なるほど、たしかにいま番所に駆け込めば、銀次はよくて所払い、気のきかねえ木っ端に巡り合わせた日には、手鎖百日は堅かったろう。「あのなあ」月が出ている。川風はそれでも無いよりはましだった。「なにが、なあ よ」「おこるなよむくれるなよ、なあ」「むくれるわよ」川面にぷかりと、白い月の半欠けが映って揺らいでいる。「おめえさあ、知ってるかあ」すすっと寄り添って、おときの耳朶へ銀次はそっと声を流した。「ヤツがほれ、あの豚松の野郎がさぁ、おまえに夢中なんだぜ」豚松とは松吉の蔑称である。豚のように肥えた体躯としまりのない声が、豚が着物つけて二本足で歩いているように見えた。しかしゼニは持っている。おときは、すっと足を止めて、銀次の顔をのぞき込む。「あたしはなにすりゃあいいのさ」「だからさ、そこが相談だわな、まあ、片手ぐらいははずむからさ」「ふん」それでも、まんざらでなさそうにほつれた鬢に細い指を充てた。江戸の蛎殻町から一帯にかけて、次郎吉親分の名前は鳴りひびいていた。町屋の横丁にしゃがみこんで、激しい昼の日射しを浴びながら、おときは時間をつぶしていた。…と、ここまで書いたところで猫が八匹集団で夜食をせがみにやってきた。暑さしのぎにと「おときの恋」と適当なタイトルで時代小説っぽいおもいつきを書き出したんだが。昼間の気温34度。クーラーをつけ、天井のシーリングファンもフル回転だが、夜になっても気温はまだ30度。仕事にならない。目薬注して寝ることにする。
2006.06.29
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「おーい朝が来たよ」と耳元で誰かがささやくから起きた。寝たのが午前六時で、目を覚ましたのが九時前だった。寝たとき既に朝が来ていた。枕元には子猫が三匹じゃれあっている。開け放した掃き出し窓のあいだから侵入したのだろう。少しだけ見えてきた仕事の仄明かりは、ブラインドの下りた薄暗がりでひとりまたたく蛍光灯の如くにすこしばかり温かい。青白くて温かい。冷蔵庫に裸のまま出向いて冷やしてあるパイロゲンなる黄色の透明の液体をコップに注いで呑む。呑みながら、アルコールが消えていることに気がつき、それからジダンの34歳のはしりっぷりを脳裏に流してみる。「まったく見事なゴールだったなあ」と、わざわざ山まで電話をくれた知人によれば、パリはその瞬間たいへんだったらしい。暴動と革命で鍛えられたかの共和国らしいサッカーだ。平均年齢ではおそらく対戦した相手より数歳は年長のロートル集団が、あそこまで頑張るのだ。よし、おれも頑張ろう!とトイレに入って独言した。イアホンの差しすぎで赤く腫れた外耳にメンタムを塗りつけめずらしくすこしだけ晴れあがった山裾の濃い緑に白いおおきな敷布を洗いざらして干した。書きかけの短篇の結末が突如浮かび、パソコンの前に裸で座った。いざ書き込んでみると、まったく思いもつかないリングが繋がった。奇妙な朝だ。長いトンネルほど、出口が見えてくると嬉しいものだ。険しい山ほど山頂に立った歓びも大きい。しかしすっかり錆びついた、のみならず蜘蛛の巣の張った脳味噌には、根気というものが萎びかかって垂れ下がる。いまどき蚊帳をつっている家があるんですね!と訪ねてきた若い友人は感心するように言った。そうだった、あの蚊帳はどこへしまったっけとふと思いだしてみる。押し入れには無かった。それから畳の上を三回くらい往復してようやく人にあげてしまったことをおもいだした。いっしょに山の温泉にゆくときに、丸めた蚊帳を鞄に詰めて持参した。向こうで野宿になるかもしれなかったからだ。関西からきていた年配の夫婦と談笑しているときに、夫人のほうがその蚊帳を見て、しきりに感動していたので差し上げてしまったのだった。もう一年ちかくも前のことだった。なぜそんなことをいまおもいだすのだろう。奇妙な朝だ。穿たれたわずかな穴の、光の差し込む向こうの世界までは、しかしまだ暗く長いトンネルがつづいている。「書かれたものが事実になる」「言葉は支配し命令する」…われらが生きるこの世界は、まったくおかしなぐあいにできあがっている。
2006.06.29
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9.11NYテロと9.11以降の世界について、これまでメディアがけして報じてこなかった沢山の事柄が、つぎのサイトで紹介されていました。 http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/index.htmlいま世界で本当はなにが起きているのか。各位が検証するためにも、ここのブックマークにも、サイトへのリンクを付けておきます。■註…表題のTHE GLAMOUR はクリストファー・プリーストの同名小説(日本語版はハヤカワ文庫刊『魔法』)から採ったもの。
2006.06.26
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アジアの出場四カ国そろって一次リーグ敗退で、日本のW杯はおわった。なにか書こうかとおもったが、べつだんサッカーに詳しくもない人間が書く言葉もないか。それで、ネットのなかを渉猟。つぎの言葉に出会った。ことわざにもあるが、こぼれたミルクは元には戻らない。ウチは勝ち点を失ってきているから仕方がない。全員、自分たちの力を信じ切れなかったわけで、それは終わったことだ。列車は行ってしまったのだ。ただ、こういった経験を覚えておき、ミスを繰り返さないことが大事。逆に、同じミスを繰り返すようなら次のシーズンは難しいだろう。(中略)…優勝うんぬんではなく、やれることを全力でやるだけだ。列車は行ってしまった。私たちは駅に着いたのが遅かった。(ジェフ市原サイトのオシム監督語録より http://www.so-net.ne.jp/JEFUNITED/index.html)2005年11月23日浦和戦後のオシム監督のことば。「列車は行ってしまったのだ」…日本風に言えば「覆水盆に返らず」だろうが、解体した旧ユーゴスラビア出身の彼が言うと、まるで映画の中の台詞のように、ひびく。さすが名将というべきか。
2006.06.24
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韓国がスイスに負けて一次リーグ敗退が決まり、日本はブラジルをのして大量点で突破、という夢だか妄想だか願望だか自分でもわからない夢を見ながら黒皮のソファのうえでどろんと目覚めた。待ったなしの仕事を抱える身としては、はやく日本が敗退して、さっさとW杯もアルゼンチンの優勝で閉幕してもらいたいのだが。朝から雨になった。沖縄地方は梅雨が明けたらしい。このところの長雨でカビが生えだした頭の中でいくつもの妄想がざわつく。山口県光市の母子惨殺事件は20日、最高裁で二審判決の破棄と広島高裁へ審理のやり直しを求める判決が出た。そのことを報じる朝刊をながめながら、被害者夫(30)が元少年(25)に死刑判決をつよくもとめてきた気持ちをあらためて考える。彼(被害者夫)が元少年への死刑判決をつよく望むのは、たんに復讐の気持ちからではないはずだ。高裁の無期懲役という判決に憤るのは、法制度がたくみに隠微に避けてしまう情理の欠如に対してであろう。そしてまた、犯した罪の非道さを元少年がほんとうに自覚するには、自らのイノチが国家という権力機関によって強引に奪われるという「不条理」こそが元少年に犯した罪の重さを自覚させると彼の真情がつよく直感するからだろう。崖っぷちに立たせなくては、犯した罪のおおきさを被告はとうてい自覚しえない、と確信するからだろう。被害者夫の「死刑にしたい!」という叫びは、そこまでの深い洞察から発せられているものだからこそ、われわれの気持ちをも動かす力を持っているのだとおもう。この点で、世間もマスコミもすこし誤解しているところがある。ここに見え隠れするものが何であるかを慎重に考えなくてはならない。被害者夫の七年間にわたる執拗な問いかけは、司法権力や法制度の根幹に関わってくる本質的な問いかけである。そうした人間の情理というものについて、また「罪科」というものについて、はたしてこの社会の「法」は、裁くべき道筋を示しえているか、というまことに本質的問題提起なのである。妻とこどもをある日突然に奪われた青年は、恩讐の彼方に、生死のありようの、ある哲学的問いをわれわれの社会へ投げた。そして、答えは依然出ていないのである。
2006.06.21
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