4.タレントホリエモン
ホリエモンは、会社および会社のサービスの広告塔となるために、積極的にメディアに登場し続けた。このメディア戦略は、時に批判を浴びたり、反感を買ったりすることがあったが、おおむね功を奏していたように思われる。ホリエモンに対して、興味を持った顧客が、たとえばライブドアのポータルサイトを訪れるようになった、というケースは少なくない。
ホリエモンに対する世間の評価は、彼の名が広く世間に知られるようになった近鉄球団の買収に手を上げたときに高まり、その後のニッポン放送株大量取得に始まったフジテレビとの攻防戦の頃には、一方に支持者もいたものの、ナマイキ或いは強引であるとして、反感を買って低下したが、その後のメディアへの登場では、再び好感度を増して高まって行った。この「好感度」の源泉が何であったのだろうか。若手で、起業家、お金持ち、という観点からすると、ホリエモンと同等或いはそれ以上の成功を収めた経営者が何人か居るが、何れもホリエモンのような好感度をもって迎えられているわけではない。
もちろん、彼らがホリエモンほどメディアへの登場に熱心ではない、ということがあるかも知れないが、ホリエモンは何らかの支持層を掴んでいたように思われる。
包括的な調査をしたわけではないので、印象による推測になってしまうが、ホリエモンが受けたのは、(1)キャラクターの確立、(2)毒のある直言、(3)マニュアル本的な分かりやすさ、(4)身近なイメージ、といった理由によるのではなかろうか。
彼は、「ホリエモン」という渾名を積極的に受け入れるとともに自分を分かり易くキャラクター化することに熱心だった。経営者を広報の道具であり一つの商品であると見た場合、他人と異なっていて、分かり易いキャラクターを作ることは当然考えられていい。
ホリエモンの発言が、多くの場合的を射ていたのも事実だろう。また、発言にはある種の毒がこもっていて、これは特にビジネス界の無難をよしとする風潮の中にあって、際だっていた。思い付くままに幾つか挙げると、先の他人に使われることの不利の指摘もその通りだったし、「老人の説教を聞いて役に立ったことは一つもない。時間の無駄だ」といった発言、「東大は入るところに価値がある」といった発言も、相当の毒があるし、良く考えるとホリエモンの自己正当化が含まれているのだが、なるほどと思わせるところのある指摘だ。
また、多くの「堀江本」の存在でも分かるように、ビジネスに関する彼の言動には、ある種のマニュアル化された単純さと、意志があれば願いは叶う、という分かり易いメッセージがあった。自己啓発的なビジネス本は、ほとんどが、「強く願えば、夢は叶う。夢が叶わないのは、願い方が足りないからだ」という論理構成を持っているが、多くの堀江本も同類のメッセージを持っている。
なお、筆者は、堀江語録の愛読者であったが、個人的には、以前は政治には興味がないと言っていたホリエモンが、昨秋の衆議院議員選挙に立って、それこそ額に汗する選挙運動に身を投じた一貫性のなさを惜しいと感じた。単なる宣伝行為だったのかも知れないが、「共感できるヒール役(悪役)」という絶好のキャラクターを自ら壊してしまった。人間は、とことんヒールにはなりきれないものなのだろうか。
5.人間ホリエモン
実は、この小文を書くにあたっては、ホリエモンの生い立ちであるとか、性格であるとかについても、書いてみようと思って書き始めた。しかし、外に表れたあれこれについて書いてみると、彼の内面を推測して、同じ事を繰り返し書いても仕方がないと思えてきた。それに、現在、大きな事件の容疑者であるとはいえ、前途ある若者に対して、人間性について決めつけるような評論は慎むべきだろう。
一言だけ付け加えると、筆者は、彼のどんな表情をしても、どこか寂しそうな目が気になっていた。彼のブログなどを読むと、人と関わることは嫌いではなさそうだし、お金だけが目当てではない友人も居そうなのだが、どこかに、自分が受け入れられていることに対する自信のなさのようなものを感じる。本当は、寂しがり屋なのではないだろうか。
堀江容疑者は、現在、容疑を否認していると伝えられている。最終的に罪を着ることになるのかについても予断を持つべきではないが、罪が確定したなら、しっかりと刑を受けて、人生をやり直して欲しいと思う。彼の着眼の鋭さと集中力は非凡だった。やり直す方法は幾らでもある。
第百二回 10年単位で投資を考えること… 2009年05月15日
第九十七回 アセットアロケーションを計… 2009年03月06日
第八十六回 ビジネスモデルとしての投資… 2008年09月19日
PR
カレンダー
コメント新着