2007年09月07日
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 また、行動ファイナンスは、単にアノマリー現象を整理しただけのものではない。行動ファイナンスには、既存のファイナンス理論に対する、本質的な批判が含まれている。ファイナンスの研究者の中には、既存の理論を、ファイナンス理論のメインストリームと考えながら、例外的なケースを説明する補足として、行動ファイナンスを位置づけようとする考え方があるようだが(人間というものは、自分に都合良く、物事を考えようとするものだ)、既存の理論のいくつかは、「完全にダメ」と考えるべきではないかと思われる。

 行動ファイナンスについては、筆者は、本シリーズでも何度か取り上げているが、今回は、10大理論の中の一つとして行動ファイナンスを取り上げるので、これまでに書いた素材を再利用して編集しつつ、現段階での、行動ファイナンスの概観(あくまでも筆者の視点からだが)をしてみようと思う。


■その8.「行動ファイナンス」

 「相場には人間の心理の研究が重要だ」ということは多くの投資家が感じているだろう。行動ファイナンスは、認知心理学の研究成果をファイナンスの研究に応用した研究を中核としている。ファイナンス分野への認知心理学の応用は、前回説明した、アノマリー現象を、何とかして説明しようとする中から発達してきたように思う。

 理論体系としての、行動ファイナンス全体は、(1)裁定(アービトラージ)の限界に関する研究と、(2)人間の非合理性に関する認知心理学的研究の応用の二つの柱を持っている。

 「裁定」とはリスクなしに儲ける機会を利用し尽くすように取引を行う行為を指す。これが完全に行われることは、伝統的なファイナンス理論の構成にあって、重要な前提になっている。たとえば、資本資産市場モデル(CAPM)や裁定価格モデル(APT)のようなポートフォリオを前提としたリスク資産に関する価格付けの理論や、オプション価格の理論なども、何れも「裁定」が正しく働くことを要求している(もともとのCAPMの場合、裁定の有効性よりも一歩先の、市場の均衡を条件としている)。

 しかし、現実には、市場参加者の持っている情報や判断力・計算力などの不完全性、さらには心理的なバイアス(バイアスとは意思決定の「偏り」の事で、行動ファイナンスの頻出単語だ)の影響で、現実の資本市場における裁定は不完全であることを、行動ファイナンスの一連の研究は、明らかにした。

 伝統的なファイナンス理論にとっては、決定的な痛手だが、現実には、明快な結論が出ている。しかし、たとえば伝統的なCAPMの代わりになるものが十分に登場していないことや、たぶん、大学の先生(米国のMBA講座の教師なども含む)の交代が急には進まないことなどもあり、伝統的なファイナンス研究の結果をそのまま実務に使う専門家がまだ少なくない(一つには、実務家が扱うのは「他人のお金」だからだろう)。たとえば、M&Aなどの際にベータ値に基づく企業価値の計算を行うケースがまだあるようだが(CAPMの通俗的な応用だ)、これは完全な誤りだ。

 裁定が個別のケースで完全に働かなくとも、(1)人間の誤りがランダムだったら市場全体は正しいのではないか、(2)誤った情報に基づいて行動する市場参加者は市場で淘汰されるのではないか、だから市場全体としては、伝統理論の前提は大まかに満たされているのではないか、といった伝統理論側からの希望的反論の可能性があったが、(1)については、人間の情報処理が完全でないことと共に情報処理にはかなり明確な傾向を持ったバイアスがあることが明らかになったし、(2)についても間違った情報を持った参加者が必ずしも淘汰されないばかりか、かえって富を拡大させる場合もあること(「ノイズ・トレーダー」に関する理論)が分かり、「裁定」を救済したいという伝統理論側の試みは成功していない。



 行動ファイナンスは、各種のアノマリー現象の説明に心理学を援用するような形で研究されることが多かったので、これが、「儲けるための理論」だと言える面も若干あるが、この理論を応用して、運用のパフォーマンスで稼ぐのはなかなか大変だ(たとえば、低PER効果はこれが「効いている」期間が長くても、裏目に出る期間もあり、将来の有効性が保証されているものではない)。


 行動ファイナンスの代表的成果として「プロスペクト理論」がある。

 プロスペクト理論はノーベル経済学賞を取ったダニエル・カーネマンと共同研究者だったエイモス・トヴァスキー(残念ながら故人だ)によって体系化された理論で、不確実な将来の意思決定に於いて、人間が必ずしも合理的に行動しないこと、特に参照点といわれる自分が意識している点(たとえば株式の買値がしばしばこれになる)の上下で行動が変わることなどを説明する、行動ファイナンスの代表的な研究成果だ。詳しくは、2005年6月3日付の拙稿「投資家のための『行動ファイナンス』の基礎理論」をご参照いただきたい。


 行動ファイナンスには、認知心理学の知見を使った投資家行動の研究が豊富にある。鍵となる概念は「バイアス」だ。行動ファイナンスでは、人間が、伝統的なファイナンスの意味で合理的な、一貫した判断を下す状態から、一定の偏向(バイアス)をもって、逸脱する傾向とその理由を研究している。

 初期に研究されたバイアスで有名なのは、「代表性のバイアス」、「利用可能性のバイアス」、「フレーミング効果」などだ。人間が、典型的なケースに引っ張られて将来の確率判断をしたり、目に付きやすいもの、思い起こしやすいものの生起確率を過大に判断したり、伝統経済学的には実質的に同じ損得判断なのにストーリーを変えて説明されると別の判断を下したり、といった、人間の判断の歪みが、研究された。こうした、人間の判断パターンの知識は、他の市場参加者が、どのようなパターンで間違えてくれるか、つまり、自分の損の形で、利益の可能性を市場に供給してくれるかを考える上で、役に立つ。

 人間は、常に、統計的な合理性から見て妥当で一貫した推論をキチンと行うわけではなく、上記のバイアスに影響された、簡便法的な意思決定パターンに従うことが多くある。この種の簡便法を、一般に「ヒューリスティックス」と称する。

 たとえば、ある会社の利益予想の上方修正が3回続いたとき、たとえば統計的には、次にまた上方修正を発表する確率がそれほど高くないと推測することが妥当だとしても、また上昇修正するだろうと信じ込んで行動する、といった、手抜き的な意思決定を行うことがあり、これは一種のヒューリスティックスと呼んでいいだろう。別の例としては、PERが低くて、減益予想でなければ、ともかくその株を買うといった種類のバリュー投資家の行動も一種のヒューリスティックスと呼べるだろう。

 また、「後悔回避」と呼ばれる現象がある。これは、人間が後悔することを非常に嫌い、将来後悔する可能性を小さくしようとすることに対して必要以上に(客観的な確率から考えられる必要以上に、という意味で)コストをかける現象だ。後悔回避で説明される現象は数多い。

 たとえば「ドルコスト平均法」はこれで別段リスク・リターンが改善されるわけではなくとも、「最高値で買ったという後悔を将来しないで済む」あるいは「自分はルールに基づいて買ったので、将来損をしても、自分の判断を後悔するのではなく、このルールが悪かったということにできる」といった理由でしばしば採用され、同一商品を買い続けることのリスク集中効果が過小評価されることがある。顧客の側にこうした心理があることから、金融商品のセールスにあって、ドルコスト平均法による積立投資の勧誘がしばしば行われることは、ご存知の通りだ。

 また、投資信託などのファンドマネジャーが市場平均よりも稼いでくれるという実績がないのに、顧客がファンドマネジャーにお金を預けるのは、「自分がやっても同じくらい儲からないなら、失敗したときに、他人を責めることができる方が気楽だ」という心理が働いているからだろう、という研究もある。運用成績が良くないのに、プロに運用報酬を払い続けるということは、顧客は「学習」ができないということか、という問題意識から出た研究だが、法的なリスク回避の動機と、顧客の後悔回避の心理が、運用報酬を払ってまで、ファンドマネジャーに資産運用を任せる行動につながっているという、ファンドマネジャーにとっては、情けない結論の論文がある。

 「オーバーコンフィデンス(自信過剰)」と呼ばれる現象も、皮肉で、興味深い。研究者は、投資家が、自分の気持ちや判断と将来の株価などの動きを、実際以上の因果関係で結びつけがち、即ち、投資家は自信過剰だと指摘している。たとえば、投資家の過剰な売買(自分の売買で損益が改善する可能性を過大評価することから生じる)などを説明するのに使われている。



 たとえば、為替レートのようなものの予測は、素人もプロも同じくらい当たらないが、将来の予想をレンジ(範囲)で問うと、プロの方が素人よりも狭いレンジで答えがちだという。しかし、レンジの中心の当たり具合を評価するとプロと素人で統計上有意な差がないのだ。

 顧客やセールスマンが、投資信託などを選ぶ際に、平均よりも良いアクティブ・ファンドを「事前に」選ぶことができると漠然と考えがちなのも(実際には不可能なのだが)、オーバーコンフィデンスの好例だろう。 ある意味で、運用ビジネス全体が、このオーバーコンフィデンスに支えられている。

 「メンタルアカウンティング(心の会計)」という現象もある。これは、本来価値に差がないはずのお金の有難味が、収入の名目や使途などで別々に評価されがちな現象だ。たとえば月給で高額なフランス料理を食べるのは贅沢だと思っていても、競馬で当てた払戻金で食べるのは「まあいいや」と思ってしまうような現象がこれに当たる。経済合理的には、稼いだ手段に関わりなく同額のお金の価値は同じはずなのだが、収入の名目などによって「心の中の会計科目」がちがうかのごとくに処理される。

 投資の世界では、インカム・ゲインとキャピタル・ゲインに対してしばしば評価の差があることはメンタルアカウンティングの一例だろう。配当に対して(たとえば増配に対して)、時に過大とも思える評価があることや(メンタルアカウンティング以外の理由もあるが)、毎月分配型の投資信託に対して、近年、経済合理的には説明がつかない、異様なニーズがあることなどは、メンタルアカウンティングである程度説明できる。

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最終更新日  2007年09月07日 18時34分30秒
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