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平成19年10月11日 この日はまず昼頃に高校の時の仲良しグループのメンバーが数人来てくれた。皆私の様子を見るまではどういう顔をしてくれば言いか悩んでいたそうです。確かにそうですよね。私でも病気で療養中の方の見舞いに行くとするならば、きっと色んな事を考えながら行くと思います。それも知り合いとかではない友達だから、元気な姿を一杯知っているから、信じられない!と言う気持ちが大きかったそうです。きてくれたことがとても嬉しかったし、皆にも絶対自分の体のことも考えて何事にも早期発見!を常に心がけてね!とお願いしました。私は誰が来てもいつもどんなに痛くてもきつくても笑っていることを心がけてきていたので、友達は自分だったそんなことできないと思うといってましたが、私は確かに考え方は人それぞれですが、私の場合は子共は大きくなっていましたが、生意気だけど私が10ヶ月大切にお腹の中で育ててきて、今までも何時も真剣に子供達と向き合って馬鹿を言いながら、必ずどんな時も笑っていました。だからそんな私のかけがえの無い子供達が将来お嫁さんになり、お嫁さんを貰い、各家庭を築いて幸せになってくれるまでは、病気になんか負けていられない!と言う気持ちが一番に湧いてきました。だから大切な人、守らなければならない人がいるならば、何らかの形で、人は今までに無いくらいの力をはっきするんだと私は思っています。でも本当は皆に逆に支えられっぱなしで情けないですけど・・・
2010年06月25日
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平成19年10月10日この日は胸に入れている乳房再建の為のエキパンダーに生理食塩水の2回目の注入でした。初回は術中なので分からないのですが、痛がる人も居ると聞いてはいたのですが程なく終了で大丈夫だった。それから黙々とパズルをしていたら、もう出来てしまった。そして本日よりシャワーの許可が出たのですが、術後初めてまともに自分の身体を鏡で見るので、そこで特に全摘の人はショックを受けてしまう人も居ると言われてましたが、それに関してはある程度の覚悟があったせいか「こんな風になってしまったんだ」と言う感じぐらいでした。それよりも脇のリンパかくせいもしている場合はどうしても神経を扱うので、感じることが鈍くなっているから、始めはぬるめのお湯をかけるようにと言われてたのでそっとかけてみると本当にほとんど感じることが出来ませんでした。私にとってはそちらの方がどちかと言うとショックでもあり本当にこの鈍さは一生付き合わなければいけないのかと思うと、本当にもとのように自分が動けるのかと心配になりました。
2010年06月23日
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平成19年10月9日、術後5日目昨晩もあまり眠れず、今朝4時半から目がさめた。やっとお父さんと息子が持ってきてくれていたパズルを作成することにしました。看護師さんたちにもリハビリになるからと言われました。これが完成したら今度は持ってきている折り紙で、くす玉を作ることでリハビリしようと思っている。そして夜は我が家の向かえのママともにどうしても娘の事で連絡を取らなくてはいけなくなって、あまり伝えたくなかったのですが、私の病気の事を話して今入院中だと伝えたらとても驚いていました。又こうやって心配かける人が増えました。
2010年06月16日
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平成19年10月8日、この日も朝起きた時も痛かったけれど、自分でずっと腕のマッサージをしていると、少しずつよくなってきて朝食後担当の医師が来て、何よりも痛かった胸から通してある管を「順調だから今日とろうね」と言ってくれました。始めは回診まできっと取るときも痛いんだろうな?と思いながら少し緊張してたのですが、実際に取ってもらうとあっという間に終わりました。消毒とエラスコットと言う包帯を巻きなおしてもらう時は少し強めにされるのでいたかったけれど、思いのほか順調で早く取ってもらった方だと言われました。気持ちの持ちようだとは思いますが朝まで痛くてその管をされているところが痛くて排出物が流れれて溜まるようになっている袋が重くて邪魔で動きずらかったので、とても楽に動けるようになりました。そして下半身だけの入浴を許可してくれました。
2010年06月16日
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平成19年10月7日、手術して3日が経ちました。大分痛みは治まってきましたが、夜中に強烈に痛くなって初めて痛み止めの点滴をしてもらうとらくになって、何日かぶりに寝ることが出来ました。なんにしてもいったいこの痛みは何日続くんだろう?と少し不安になりました。
2010年06月14日
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平成19年10月6日 とにかく痛い!ただそれだけの一日だった。起き上がるのも寝転がるのも、手術中腕を何時間も上に上げられたままの状態だったらしく、全身がこわってしまっていて、どうにも動かせない状態でひたすらボーっとして座っていました。昼過ぎにお父さんが来てくれて私の事を誰の身内以外誰にも言ってなかったお父さんだったけれど、どうしてもたまらなくなったらしく、一人の親友に打ち明けたそうで、その奥さんである人が私にとっても一番のママともで何でも相談したり話したりする中なんですが、心配かけたくなかったので、とにかく伝えることは控えていたのですが、話が伝わり、すぐに見舞いに来てくれました。久しぶりにあったのもあり沢山色んな事を話して、私の為に泣いてくれていました。何で直ぐに言ってくれなかったのかとも言われました。又ひとり悲しい思いをさせてしまいました。でも感謝しています。本当に直ぐに駆けつけてきてくれて有難う!おかげで少し痛みも気持ちも和らぎました。
2010年06月13日
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平成19年10月5日、夜中2時から目が覚めてとにかく一睡も出来なかった。めまいと吐き気に襲われて、どうしようもなかった。元の部屋へ戻ったけれど食欲が全然無くて食べれなかった。夕方お父さんが子供達をつれてきてくれて、息子を見てホッとしました。でも皆が帰るときお父さんの前では又泣いてしまった。ごめんなさい・・・
2010年06月09日
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平成19年10月4日とうとう泣いても笑ってもこの日が来ました。息子はもう直ぐ試験を控えているのもあるのですが、私とお互いに自分のことを頑張ると約束したので、学校は休まずに行きました。娘は休んできてくれて、お父さん、娘、爺ちゃん、婆ちゃん、母、妹、姪っ子、弟夫婦、義姉と皆に見守られながら、手術室へ入りました。皆の前では精一杯笑って手を振りながら手術室へ入ったのですが、手術室の看護師さんに麻酔が効くまで声をかけてくれてたのですが、子供達の事を聞かれたら思わず涙が溢れてきて、時期に直ぐ麻酔がかかり、手術終了して医師が切除下私の乳房を皆に見せて特に女性の方はいつ自分がなるか分からないから、触ってください!これが現実です!と言われたそうです。お父さんはまさかそのまま持ってこられると思っていなくて、さすがに触れなかったそうです。娘も怖がり、母はショックで半分腰が抜けたようになってしまっていたそうですが、後の女性陣はしっかり触って確認してくれたそうです。そして・・・娘の泣き声で目が覚めました。痛いより何より辛かった、泣いている娘にだけは私のこんな姿を見せたくなかった・・・皆一通り顔を見に来てくれて、最後にお父さんが来てくれた。本当にごめんなさい!子供達の事お願いしますと伝えるのが精一杯でした。
2010年06月08日
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平成19年10月3日入院2日目特別何もなかったけれど私が喘息の持病があることから麻酔の時呼吸の為と言われて、肺活量を強くする練習をさせられました。母と妹と姪っ子が昼過ぎに来てくれて、帰りの別れ際にたまらなくなったのでしょうね、私をいきなり抱きしめながら「十分今でも頑張ってると思うけれど明日の手術も頑張らなよ!」と涙ぐみながら励ましてくれた。本当に心配なんだよね・・・それだけでも本当に親泣かせな娘でごめんなさいと言う思いで一杯でした。
2010年06月08日
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平成19年10月2日入院の日朝起きて来ると婆ちゃんも起きていた。「しっかり入院中子供達の事をお願いします」と言うとまた婆ちゃんを泣かせてしまった。私も子供達の顔を見ると泣きそうになったけれど精一杯我慢した。お父さんと子供達の部屋にそれぞれ帰ってきて読んでくれるように手紙を置いてきた。娘も頑張って!と言ってくれました。息子は「ほかの事は頑張らんでもいいけど、手術だけは無理してでも頑張って欲しい!」と言ってくれました。お父さんに送ってもらう道中涙が止まらなくなりました。
2010年06月08日
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平成19年10月1日この日は娘の15回目の誕生日でもあり、私達の結婚記念日でもありました。本当はこの日の入院を指定されていたのですが、どうしても娘の誕生日でだけは祝ってあげたくて、医師にお願いして一日伸ばしてもらった。去年は娘にとって本当に辛い出来ことから立ち直る段階の出来事だったので、楽しんだ誕生日ではなかったのですが、今年は一生懸命明日私が入院することもあったのでしょうが、ずっと楽しそうに笑っていてくれて、爺ちゃんたちも来ていたので皆にケーキを自分で切ってわけてくれました。私はそんな娘の様子を見れたことがとても嬉しかった。あいかわらず結婚記念日の方は無かったのですが、娘がこの日に生まれてくれたことが何よりの贈り物だと思っています。皆の笑っている笑顔が暫く見れないと思うとさびしくなったけれど、「お母さんは頑張るから!と言い、皆も協力し合って頑張ってよ!」と言うと婆ちゃんは泣いていましたが、子共達は「うん!頑張ってよ!」と言ってくれました。絶対家族のためそして自分の為に頑張る!と心に誓いました。でも寝る時は考えると寂しくなってお父さんの横では泣いてしまいました。泣いてばっかりでゴメンネお父さん!と言う気持ちで一杯でした。
2010年06月08日
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平成19年9月30日この日私が入院する前に出来るだけお父さんと子供が困らないように、どうにか直ぐ出来るような食材を買いに出かけた。それからまた家の事が気になりせっせと片付けていたのですが、お父さんから「帰ってこんみたいな感じに思ってくるけんせんでよか!」と言われてしまったのである程度してやめました。でも我が家はガスでご飯を炊いているので、その炊き方一つ知らないお父さんだったので、ノートに一から分かりやすいように書き示した。掃除の方はどちらかと言うと私より日頃から隅々が気になる人なので、大丈夫だろうと思いあえて言わなかった。後は何が何処にしまってあるか分かりやすいように整理してそれもノートに書いて皆に見せて説明をしました。
2010年06月08日
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平成19年9月29日、この日から仕事に行かず、家の色々な整理をしながら入院の準備を少しずついて行った。ふと生命保険の証書を良く読むと、乳房再建の手術でもあ新たに保険が適用されると書いてあったので、お父さんは始めは「他に転移してなかっただけでも良いと思っとうし胸を戻したとかはお前の欲やろう!」と言っていた。でも本当はずっと気にしてくれてたみたいで、思い切って、この保険を紹介してくれた友達に問い合わせて聞いてみてくれて、私に「今度病院へ行ったら医師に頼んで来い!」と言ってくれました。ずっと迷っていた私でしたがこれで乳癌手術と同時進行で再建もお願いする決意が一つ出来ました。それから事故以来ずっと電車等で学校へ行ったり移動していた息子でしたが、お父さんも大変だろうと言う事で、今度は自分で買うという条件で息子にバイクを買う事を再び許してくれて、購入しにいった。息子に今一度くれぐれも事故には気をつけるように、決意新たにさせました。でも喜んでくれていたから、入院する前に息子のこともしてあげれたので良かったです
2010年06月08日
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平成19年9月28日、昨日よりは大分元気になれました。でも手術を受けるまでに医師に乳房再建について返事をしないといけないと思うと気持ちが沈んでいく・・・お父さんはどう思っているんだろう?
2010年06月07日
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平成19年9月27日、先日は結果を家族に伝えるので精一杯だったので、この日は爺ちゃんたち、義姉、そして実家の母にそれぞれ連絡をして結果を説明して入院日を伝えました。女性陣はやはり全摘という言葉にショックを隠せないようでした。私自身が元気が無かったのでどう話して良いか分からなかったのかも知れません。そして母へ・・・とにかく黙って私の結果説明を聞いていました。最後まで終わると「あんたが元気ださな皆が悲しむよ!お母さんより先に死ぬことだけは許さんけんね!それが親にとって一番親不孝よ!」と言いながら私が癌だったと告白してから初めて母が泣いていました。「命」があるそれだけでいいじゃないかと・・・きっとそれが私に親として言える精一杯の言葉だったと思います。それでなくても妹に先に逝かれて娘を一人亡くしているそれなのに又娘が!と本当はいてもたってもいられない私も子を持つ親なので、痛いほど母親の気持ちが分かりました。
2010年06月05日
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平成19年9月26日、この日先ず私が一つ越えなければいけない試練の日でした。「癌です!」と言われて今まで沢山の検査をしました。精神的にも肉体的にもまだこれからなんですが疲れました。相変わらず長い間待たされて、やっと順番が来ました。そして結果は・・・他の場所には転移は見つからなかったそうです。この言葉には安心しましたが、まだ年齢が若い方だと言う事と、心配な部分は無い方が良いからと医師は一生懸命説明をされ全て摘出を下された私の診断でした。そして乳房再建の話、今後の可能性の治療など暫く現実が受け止めきれず又医師の前で泣いてしまいましが、落ち着くのをじっと待って下さいました。帰って皆に報告しないといけないのにさすがに明るく言えませんでした。皆ごめんなさい・・・そして子供達にも全てをきちんと説明しました。娘は黙って聞いていましたが、私にかける言葉が見つからなかったんだと思います。息子は「胸は全部なくなると思いよったけれど、それよりも他の場所にもあったらお母さんがどうなるか心配で、そっちの方が早く聞きたかった。」と言ってくれました。この言葉に私はやっと少し自分を取り戻すことが出来ました。息子の言うとおりだと、本当に他に転移がないだけでも良かったと・・・又子供に教えられました。本当に子供ながら沢山の事を考えてくれているんだとあらためて思いました。本当に有難う!そして入院日が10月2日になりました。
2010年06月04日
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平成19年9月24日、あと2日で結果が出る・・・ずっとしこりがあるところだけ取り除けば大丈夫だと信じたいと思うばかりの一日でした。平成19年9月25日、いよいよ明日と思うと本当に気持ちが落ち着かず眠れなかった。娘の事もあれから進展がなくて時々聞いてみるけれど聞いて欲しくないと言う幹事でした。凄く不安でたまらない・・・思えば思うほど、涙が次から次へとこぼれてきます。「誰か助けて!誰かやっぱり違いました!」と言って欲しいよ・・・
2010年06月04日
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平成19年9月23日この日はやはり娘の事が気になってだんだんと気持ちが落ち着けなくなってきて、集中力が無く相変わらず忘れることが多くなって、お父さんに呆れられるという繰り返しでした。全ての検査が終わって2日、結果が分かるのが3日後そんなに長くないけど、とても長い間待たされているような心境でした。
2010年06月03日
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平成19年9月22日この日は数日前から何だか娘の様子がおかしかったので、又友達仲間で何かあったのかと思い尋ねてみたのですが大丈夫だと娘は言うのですが、やはりおかしい・・・きっと何かが又あったんだと思いました。今度こそ又娘を苦しめてり悲しませたりしたら私はもう二度とその子達を許す事は出来ないと思いました。でもひょっとすると私の事が原因かもしれないとも思いました。
2010年06月02日
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平成19年9月21日、この日やっと乳癌を宣告されて短いようで長い長い検査をやっと終えることが出来ました。ずっと一人で色んな事を考えながら受けてきて、帰り道ホッとしたのと同時に結果の事を考えると恐怖感が押し寄せてきて涙がこぼれてきて仕方ありませんでした。
2010年06月01日
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