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2007年10月25日
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テーマ: 精神の世界(126)
カテゴリ: 宗教
「神は愛である」という言葉は、今やクリスチャンのみならず、一般的に誰もが聞き知っている言葉であろう。しかしここに言う「愛」は、一般的に人間が思う「愛」とは随分と様子が異なる。神の愛に対する人の愛は、概して情愛と呼ばれるべき性質のものである。

仏教には「犀の角のように独り歩め」という言葉がある。「悪しき者と交わってはならない」という意味も含んでいるが、示唆の奥底には情愛の否定も含まれていると解すべきである。

仏陀が妻子を捨てて仏の道に入ったということは誰もが知っていることだが、天上に入った多くの聖者もまた、その精神に於いて類似した生き方をしている。

ニーチェは「イエスもまた同情という名の地獄を持っている」と指摘しているが、これもまた仏陀の視点と相似である。

情愛には憎しみが混在している。ここには多くの場合地獄への道が有る。天国は独り静かに赴く所であるが、地獄へ堕ちる者は憎しみを伴って誰彼かまわず道連れにしようとするものである。

サロメの悲劇を知っているであろう。象牙のように白く冷たく、月光のように清らかな聖者ヨカナーンに情愛を求めたサロメが、全く応じないヨカナーンに怒りと憎しみを覚え、ヘロデ王に強要してヨカナーンの首を手にするという話である。

このように情愛に脆い者は概して憎しみの感情に動かされて罪の道に墜ちる。故に「人の愛」は「神の愛」の正反対のものをも含むということが分かるであろう。古今多くの聖者が情愛を嫌い、情愛を持って近付く者を遠ざけた理由の多くはこの故であろう。

仏教では「愛別離苦」とか「怨憎会」、「求不得苦」、「五取蘊苦」という言葉がある。お分かりだろうか。人の情愛は、これら厭い離れるべき迷いの心の全てに繋がった煩悩の根なのである。天国の門がこれらの執着を滅した所にあることは当然である。





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最終更新日  2007年10月25日 10時40分03秒
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