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2020年01月25日
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カテゴリ: 日記
【ニーチェの言葉】

ニーチェの言葉は多様多彩で、どれが本音なのか分からないところもある。例えばニーチェ自身も「ツァラトゥストラ」について「肖像画を描こうとしても描けないだろう」とまで云うように、ニーチェ自身の姿も多様に見えたりする。

ニーチェの言葉の一つに「苦しみがあるから、まだ良いではないか」というのがあったと思うが、今それを思い出している。この記憶には曖昧なところもあって、ニーチェが或る女性が述べた言葉に共感して、自作品に取り入れた言葉だったかもしれない。

この言葉を補うと「苦しみがあるから、まだ良いではないか、何もないよりは」というものだと思うが、この言葉が妙にツァラトゥストラの世界に重なってくるのは、私の偏見だろうか。

ニーチェはツァラトゥストラに「神は死んだ」と語らせている。神が死んだということが、神の国でもあり天国とも呼ばれる楽園も消えたということに繋がるとすれば、いや「すれば」というような曖昧なものではなく、ツァラトゥストラの口を通して「大地の意義」となる生き方を示唆させているのだから、天国のことは想定外だったのだろう。

従って神無き世に残された人間の生きる拠り所は此の世だけであり、大地の意義を求める他は無いということになれば、此の世の苦しみから逃れる道をどこに求めることができるだろうか、という問題もある。

そこで天国という心の楽園が消えた世のことを思えば、「無常な此の世で得られる幸せは次々と儚く消えて、残るは苦しみばかり」という状態も想定されるので、その状況と重なるように「苦しみがあるから、まだ良いではないか、何もないよりは」という言葉が、記憶の片隅から出てきたのだと思われる。

然しこのような随想が自然に湧き出たということは、ニーチェの「神は死んだ」という理念に対して生じている、一つの疑念の表れかもしれないのだ。何故なら実存思想を説くのに、神の存在を否定する必要もなかっただろうし、その一例として「神と共に在る実存思想」をキルケゴールが説いているように、むしろ神と人間を調和させた方が、より豊かな思想構造にすることができたのではなかろうかとも思われるからだ。





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最終更新日  2020年01月25日 19時04分25秒
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