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昨日は、元会社での古い知人Aさんと何年(20?)ぶりかで再会でき、その場所で、偶然、私の友達(元会社にいた人)とも会えたのです。
Aさんは会社をやめ、ご主人の国エジプトへ行かれて、お土産物店をやっていらっしゃいます。この度、東京国立で、エジプトの雑貨の展示と販売中です。お店に着いて再会を喜び、話していたら、なんと友達のYさんが来店です。会う約束もしていないのにです。お互いに驚き、喜び合うことができました。
女房も一緒で、珍しいものがあるので、つい、いろいろと買い込んでしまいました。彼女はショールやペンダントを、私はパピルス(今の紙の原形で、川に生える植物を割き、張り合わせて、文字や絵をかけるようにしたもの)を見て感動し、栞とか小さい絵を買ってしまいました。さらに、手作りの馬の人形を三つも買ってしまって、二人とも幸せな気分になり、駅前で避難児のための寄付までして、帰ってきました。
今回の上記の再会は、奇跡かと一瞬思ったのですが、私には偶にあることです。ちょっと解析してみましょう。
「奇跡」かと思っても、Aさんはそこにいることが決まっていて、Yさんもその予定で来られたのでしょう。問題は私の家族で、そこへ行こうと思ったのは昨日の朝でした。昨日行かないと雪の日に行かなければならいかと心配になってしまいました。そして、国分寺の駅での昼食後国立に行くことにしました。その話をしたら、女房が私も行きたいと言ったのです。二人で国分寺で食事をしたところまでは朝の予定通りでしたが(但し、ここで食べたカキフライがちょっとない美味しさで感動でした)、その後すぐ国立へ行ったら、上記の再会はなかったでしょう。
女房がトイレに入って、ちっとも出てこないのです。偶々娘からメールが来て、その返信に手間取ったのです。やっと出てきて、駅に入り、ホームに降りたところで、国立へ行く電車が出てしまいました。結局数分待たされて電車に乗り、国立の展示会場に着いたのでした。
このお陰で、3人の「偶然」の出会いが実現したのでした。
でも、私は、これは偶然ではなくて、私達が上記の行動をさせるべく、なんらかの力が働いていたのではないかと思うのです。Yさんだって、その時刻ぴったりにそこに来るつもりではなかったのでしょう。私達だって、Yさんと会うことは考えていなかったので、その時刻にそこへ着こうという意志も、努力も全くなかったのです。また、誰か他の人が3人を会わせようとしらわけでもないでしょう。
即ち、「何らかの力」の力のお陰なのです。私が「自然の流れ」と呼んでいるものなのでしょうか。
問題解決では、そのために必死の努力をすることが、私を、問題解決に成功するという「自然の流れ」に乗せてくれる、と論文にも書いているのですが、今回は、努力なしで、本当に「自然の流れ」で再会が実現したのです。
一方、「偶然」のせいにするというのは、ちょっと偶然の重なりが多すぎるような気がするのです。何かをすぐやらない私の素早い決断、女房がトイレに入り、そのときに娘からのメールがあったこと。女房の返信に時間がかかったこと。駅で電車に乗り遅れたこと。私達がその時刻に着こうと思ってもいなかったこと。Aさんに会うとも全く思っていなかったこと。などです。
結局、言葉にすれば、「因果」です。そういう結果になる原因があったのです。それが何だかは分かりませんが。
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