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最近、人間の里親団体の一つの広報担当をされている方(以後広報氏)から、文鳥の飼い主探しなどをする掲示板の名称に、「里親」という単語を使わないで欲しいとの要望を頂きました。
それについて、残念ながらご要望に沿いかねる旨を返信し、その返信内容をこの場にそのまま転載しました。人間の里親制度をご存じない方もいるでしょうから、少し考える機会になれば、わざわざ零細な掲示板に要請された努力に報いることにもなると思ったのです。
しかし、メール内容をそのまま掲げただけでは、少し無責任のような気もしてきたので、この間考えたことををまとめておきます。
ペットの新しい飼い主を探す際に、「里親」の用語が使われることを排除しようと試みる人が、里親制度に基づき保護児童を養育されている里親さんたちに多いのか、私にはかなり疑問があります。おそらく、実際養育に当たられている方は、少なくとも日常生活では意味のないことを気にしている暇などないと思うのです。擬制的な関係であろうと、実の親子として生活しているのですから、その日常において「里親だ・里親だ・里親だ!」といった意識を持ってはいられないでしょうし、他人行儀で務まる役割ではないだろうと思うのです。 人間の里親制度については、現在NHK連続テレビ小説『瞳』の重要なテーマとなっているので、かなり一般的にも認知されてきているかもしれません。それが「たくさん繁殖したから里親さん探すわ!」などといった、ペットの里親探しと同列に論じるものではないのはもちろんのことです。児童虐待・育児放棄などが頻発し、養育の義務が果たせない親権者が増大する今日、如何に里親制度を充実化させ里親さんたちを社会的に支えていけるか、喫緊の課題の一つであると認識すべきだと思っています。
人間の里親のみなさんが抱える問題を、体験的ではなくとも想像できる人間であろうとするなら、深く考えもせずに「気にしている人がいるなら止める」といった、一見やさしく物分りが良いようで、実は問題に目をつぶるだけの無責任に終わりがちな対応は出来ません。また、人間の里親さんたちの総意ではなく、その数ある中の一団体の主張されている話に過ぎなくとも、それに耳を傾け、論理的に納得出来ればそれに従い、零細なブログでもホームページでも、大いに喧伝し社会的な動きにつながるわずかばかりの手助けくらいは、個人として行っても良いものと考えています。 しかし、私個人には、仄聞していた「里親」という言葉の限定的使用論に、全く納得していなかったので、文鳥の飼い主募集のための掲示板を設ける際に「里親・里子募集板」とした経緯がありました。そして、その考えを覆すほどの新しい論拠は、今回直接頂いたメールの中にも見出せず、むしろその粗ばかりが目に付いてしまい、かえってこういった活動が、里親制度について認知度が高まっている昨今の動きに、冷や水を掛けかねない危惧すら抱くに至っています。
その団体広報氏は、「里親」をパソコンで検索したところ、ペットの里親募集ばかりがヒットし、「自分もこのように扱われたのだろうか」と「非常に不快なショックを受けた」子どもがいた(※里親制度は本人【「里子」】に実子ではないことを告知する必要がある。縁組による養子ではないので、里親とは別姓のまま生活する)との体験事例を挙げられ、可能であれば「文鳥の里親でなく、文鳥の新しい家族というような別の呼称・表現にしてほしい」と要望されました。
そういった人がごくわずかでもいれば確かに問題で、善良な人たちが、この意味において名称の変更を要請するのも的外れとは言えません。しかし、早急に社会全体が「里親」を使用しないようにさせるのは、全体主義の国では不可能なので 、「飼い主にとって、ペットは「コンパニオン」とされ、実の子どものように扱われるもので、もし「里親里子募集」とあれば、それは、人間の里親になるくらいのつもりでしっかり育ててくれることを期待している」
ことを説明して、その個人の誤解を取り除くことをお薦めしました。私は、誤解しそうなことを無くすより、子どもの誤解は一々に周囲の大人が解くことこそが、教育というものだと信じています。
広報氏は、上記のような事例を挙げられた後、さらに「里親」の不使用を要請する「理由を申し上げます」として、「里親」という言葉が、里親制度に基づく人間の里親のみに使われるべきことの理由を説明されました。それは「里親」を三省堂の『広辞林』で調べると、
1 里子を預かり親代わりになって育てる者
2 児童福祉法に基づき都道府県知事の委託を受け、保護者のない児童などを引き取って育てる者。
とあると例示し、「本来人間に対して用いられる言葉です」と断定され、ペットその他で使用するのは間違いであり、本来の里親関係者傷つけ不快にさせる行為になるといったものでした。
しかし、これはあまりにも突飛な主張です。何しろ、辞書の語義1こそが本来の里親の意味のはずで、これは人間限定にするような明確な規定であるはずもなく、2は法律が元々あった「里親」という一般的な単語を使用したに過ぎないのです。2で使用しているから、1の広範な用例は否定されるべきだとするのは、これは本末転倒というものです。まして、同じ三省堂の辞書でも『広辞林』(1983年)より新しい『大辞林』(2006年)では、
1 他人の子を預かり親に代わって養育する人。そだて親。しとね親。
2 児童福祉法に基づき、保護者のない児童や保護者に監護させることが不適当な児童の養育を、都道府県知事に委託された者。
3 飼い主がいないペットや、元の飼い主が飼育を続けられなくなったペットなどを引き受けて飼育する人。
と「里親」に三番目の語義が追加されています。そもそも単語の語義など変幻無碍で、人間社会での使用され方によって変わるのは当たり前であり、それに合わせて辞書の記載も変化します。「里親」では、現に3番目の解釈が一般化しているわけです。
つまり、辞書を持ち出して云々するのは蛇足です。しかし、広報氏は第2メールにおいても、「「里親」「里子」を本来の使用対象以外にしよ(※原文ママ)するのは、「里親・里子」の尊厳を傷つけ損なうもの」と、繰り返されました。
そこで、私は何を言っても理解されないのを承知の上で、とりあえず 「言語学的にも法律学的にも認めがたい、『使用対象以外』と強調され、辞書の条文を例示されるのは、お控えになった方がより説得力を増す」
と注意喚起だけは試みておくことにしました。
本人は気づかず、それが明らかな善意もしくは一種の正義感に基づくもの、もしくは第三者から正当と認められるべき一面があったとしても、論理性のない無理な主張を繰り返せば、面倒がらずに論理性の是非で判断する者には、奇異な印象しか残しません。感情だけで法律は出来ませんし、大多数の冷静な第三者の理解を得ることは出来ず、かえって、非論理的な奇異な集団というレッテルがはられてしまう結果もありえます。
従って、里親制度への関心を呼び起こすために、ペットでの「里親」表現回避を軽く要請するにしても、その主張の論理性の破綻した蛇足部分(辞書には云々)は、必ず排除すべきだと、強くお薦めしたいところです(「辞書にある」で納得出来るのは子どもだけです)。
なお、第2メールには、広報氏が「保健所へ収容され処分寸前のラブを救護し、フィラリアの治療をした後に新しい飼い主に届けるなどの「レスキュー活動」を個人的になさっているとを示されて、「遺棄された犬・猫等ペットの実態ですとか、命の重さは十分認識し」ているとされ、「里親・里子という言葉を使用しなくても、不幸なペットをレスキューしている団体、個人が多数ある事を、お知らせしたい」と書かれておりました。
わざわざご教示頂いてありがたい限りですが、個人なり同じ志を持つ人々の団体が、能動的に不幸なペット動物の新しい飼い主を探すのと、 どのような知識をどの程度持っているのかまったく不明な不特定多数の人間が、基本的にはそれぞれ個人の考えに基づいて新しい飼い主なり、そのペット動物そのものなりを探す場に過ぎない掲示板という場を提供する
のとは、比較することも出来ない異質なものです。もちろん、「里親」という単語の存在すら知らない人が応募するかもしれませんし、新しい飼い主探しの際は「里親募集」と書かねばならないと信じて疑わない募集者もいるでしょう。これが、インターネットにおけるペットの「里親・里子」募集掲示板の内実で、とりあえず「里親」「里子」をペット募集の際に使用する用語と考える人が多く存在する限りは(何しろ辞書に載ってます!!)、本来の意味などより、現在通用している意味を尊重するしかありません。間違っても、募集をされる方が「里親募集」と書くのに、いちいち論拠薄弱な文句など言えないので、とりあえず普通に使用されるであろう「里親」「里子」が何かも分からない人のために、「文鳥を譲りたい人(里親募集)・文鳥が欲しい人(里子募集)の掲示板」などと表示するのが、管理人として出来る限界だと思います。
もちろん、「里親・里子募集板」よりも、短くより内容をうまく表現出来る言葉があれば、それを問題視する人たちが一握りでも存在するのを知っている以上、避けたほうが良いと考えたいところです。しかし、例えば「飼主・文鳥募集板」では私個人が募集していると勘違いされそうですし、「譲渡希望掲示板」では何を譲渡するのかされるのか分からない上に、扱うものが品物のような印象も受けてしまいます。また、「飼い主探し掲示板」では迷子の飼い主探しと間違われてしまいます。つまり、なかなか代替すべき言葉が見つからないのです。
今回の件で、辞書的には2番目の語義である法律上の「里親」の方を、いっそ呼び名を変えてしまってはどうかと、無責任にいろいろ考えてみました。「養育親・養育子」が一番のお薦めなのですが(東京都では里親制度を「養育家庭制度」と呼ぶ)、やはりこれも「里親・里子」の方がすっきりしている気がしますし、わざわざ定着しているものを変えるのも、好ましいこととは思えません。
あまり過大な問題にせずに、大多数がそのようにしているように、とりあえず共存共有が一番ではないかと、現状では結論するしかないと思います。
【補足】
散見の限りでは、人間の里親団体のホームページで「里親」の一般的使用自体を止めさせるべきとの主張を掲げるのは、広報氏の所属される団体のみのようです。
他の里親団体では、「里親の名称独占を!」として、犬猫などの新しい飼い主探しをする団体が、NPO法人名に「里親」を使用するのを止めさせようとの主張を目にしました。こちらは児童福祉法を元に、これを広義に解釈すれば「里親」の名称を独占出来るはずで、さらに児童福祉法の改正で『保育士』のように他がその名称を使用するのを止めさせようとの内容となっています。
しかし、この主張もかなり無理がありそうです。児童福祉法での「里親」の定義は、児童福祉法内だけの話であって(条文「 この法律で
、里親とは~」で、法律内での用語の内容を示しているだけ。契約書に「甲は~」「乙は~」と言うのと同じ)、「保育士でない者は、保育士又はこれに紛らわしい名称を使用してはならない」といった法の規定がない現状で、他団体に名称変更を強請すれば、営業妨害に問われかねません。それでは「里親」が『保育士』のように、特定の職分のみを示す単語に出来るでしょうか?やはり一片の法律で昔から使われる単語の意味を限定するのは至難でしょう。むしろ、「里親士」とか「養育士」など、他と重ならない造語に落ち着く可能性が大きいように思われます。
・・・それで良いのでしょうか?望んだのとは違う案外な結果を招かないためには、どういったことが起こりえるか十分に考えても良いかもしれません。
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