雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2020年05月30日
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カテゴリ: 文鳥動向の備忘録
​​​いまいちな常連ジミィに逆に誘われるレイ​
 検事長など取材対象に接近し親密となって賭けマージャンを共にするなどという、明治時代のゴシップ紙以来の伝統的番記者の取材方法を頑張っている見上げた「ブンヤ」である産経新聞社だが、そのような前時代的な手法によらずとも、優れた記事は書けるはず。例えば、今朝見かけた、「教科書を信じない」「自分の頭で考える」をテーマとした【ニュースを疑え】の「ウイルスとは共存する相手 最善の備えが次の不適応にも」とする長崎大教授山本太郎氏への取材記事は、なかなか考えさせられる内容であった(​ 記事 ​)。
​ 「ウイルスの毒性は固有ではなく変化する。感染速度が遅くなればなるほど、感染者を短期間で死なせて自らも消滅する強毒ウイルスは生存が厳しくなるのです」​
 しかし、一方で、感染して宿主が増えれば増えるほどウィルスの個体数は増え、変異の機会も多くなるので、弱毒への変質も、患者が多いほど可能性が高まるとも言える。へたな鉄砲も数うち当たるわけで、たくさん生まれたら中には天才もいるかもしれない、というわけだ。
 変異の機会と淘汰する環境、これが進化において重要になるはずで、それはコロナウィルスも、また同様であろう。

 ところで、人文科学も自然科学もすべからく「温故知新」であると感じられてきたものと思う(教わらなくとも、結論は似ているのだと思っている)。
​ 温故知新とは、『三省堂新明解四字熟語辞典』によれば、一般的には「前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること」だが、ここでかっこを付けた「温故知新」は、より具体的で学問を研究する人への皮肉を込めたものになる。
 過去のことをデータ化するなどしながらしっかり掌握する「温故」により、未来に役だつはずの学問的発見を得る「知新」につながるのこそが学問研究の本質とすれば、所詮、 ​学問とは過去を扱い未来に役立てるもので今現在についての視点を欠く​ ことになり、従って、現代社会での日常生活上の常識バランスを欠いた学者バカが存在するのは必然となるのである。​
 例えば、今現在、コロナウィルスに対する治療の知見や感染経路やその他もろもろのデータが集められ、それに基づいていろいろな仮説が提示されており、いかにも現在進行形に今現在を扱っているように錯覚してしまうかもしれないが、データとは過去の出来事の記録に他ならず、それを分析した仮説は、未来の真実(かもしれない定説)に向けた初歩に過ぎない。
 データを集めたがり仮説を立てるのは学者の本性と言える。一方で、政治家や経済人、そして一般人は、今現在が大事であり、今現在に役立てるための答え(結果)を求めたがる。しかし、専門の学問は仮説を定説化させるだけで、それが正しいかは時間をかけねばわからず、時間をかけてもわからないかもしれず、定説にしても覆るかもしれない、のである。
 かくも、学問の専門家は特殊な存在なので、それなりに理解して、高校までの学校の先生に教えてもらうような気持で「諮問」すると、お互いに困ったことになる。近視眼でしかないことを優先しなければならない政治は学問に介入すべきではなく、逆に自分の周囲が見えない学問は政治に関与すべきではない、この鉄則は忘れるべきではないだろう。

 さて、ブンヤなどと言う言葉は、文鳥屋の略で、つまりは文鳥マニアを意味することにしたい私は、新聞屋、つまり配達店ではなく取材して記事を書く人には、ブンヤと言うより「クリエイティブ」になってもらいたいと思っている。
 また、学問ではないが、文鳥の飼育にしても、誰かに(実はあやふやでその人が考えた仮説を)教わのではなく、その話を元に自分で考えたいものだと思っている。
 何にせよ、文鳥に結び付けられるものである。





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Last updated  2020年05月30日 23時32分06秒
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