痔キル博士の部屋

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2011.10.01
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カテゴリ: 物思う日
ご無沙汰しており申し訳なく思っています。
諸事情でブログの更新もまた遅延しご批判と励ましのメールを頂き、恐縮しております。(禿げは増しました)


久々の今回のブログは、ワシのプロフィール(Profile)の紹介です。





生まれたのは九州、福岡の福間(福岡県宗像郡福間町)という 小さな町 だった。
海も川も山も全ての自然が、幼い足で辿れるような距離に揃っていた。
「2005年1月24日 津屋崎町と合併し福津市が発足、自治体としての福間町は消滅した。」そうで少し悲しい。


近くの「大川」では鰻やドジョウ、鯉を捕まえる事が出来た。
川に作られたコンクリートの堰を登ろうと必死にもがいているドジョウを手掴みで捕まえ空き缶に入れて持ち帰ると祖母が業務用の大きな台所で煮付けにしてくれた。
裏庭の蜂の巣を石で叩き落し、中の蜂の子を持ち帰ると、祖母は空揚げにしてくれた。
近くの山で採った「つくしんぼう」などの山菜も祖母が美味しく調理してくれた。
裏庭で飼っていた鶏の卵を盗ると鶏から執拗に追いかけられたが、新鮮な生卵は未だに大好物だ。
その裏庭にはイチジクの木があり、祖母はこの木は家を不幸にすると言っていたのだが、それなら何故切らないのか幼心に不思議だった。
子供が食べたら馬鹿になると言われたミョウガを採りに行かされたのもこのL字型の白い漆喰を塗られた江戸時代のような蔵のある大きな裏庭だった。


朝鮮戦争の後、まだ米軍の兵士達が母の実家の料亭に沢山訪れていた時代、従兄弟、従姉たちが大勢居る母のその実家で生まれたが、父の仕事の関係で母も東京に行き、明治女の典型のような優しく賢い祖母の手でワシは育てられた。

昨年亡くなった美形の伯母は 「芦屋からの飛行」 で話題になった部隊の米軍パイロットに求婚され、アメリカに渡った。
ポーランド系アメリカ人の伯父は空軍を辞めた後にパンアメリカン航空の機長を務め引退したが、その後、色々な組織と接触し真理を追究したらしく『地球の起源」に迫る話を良くしてくれていた。あの「陰の組織」の話を教えてくれたのもこの伯父だ。
symbols of Freemasonry - LOGO


電話をして歳を聞かれ、もう還暦に近いと言うと、『自分は80を過ぎたが、若い頃は50歳の人を年寄りと思っていたが。60歳などまだまだ若い』と言われた。(^^;

親の居ない幼い身を自ら守ろうとしたのか、喧嘩は強かった。 大人にすら怯まず頭突きで対抗し、連戦連勝。 いつの間にか「親分」と言う称号(あだな)を戴いた。
そんな気丈なワシをやはり地元の親分肌であった母方の日本人離れした祖父は可愛がってくれ、家(旅館)からすぐそばの小さな福間駅の売店に売っていたブリキ製の列車などの玩具をいつも買い与えてくれた。
当然、従兄弟達からは妬まれたが、居候の身でありながらも「親分」の称号で次第にこの集団を力で牛耳った。


当時、母方の祖父は喉頭癌に冒され手術後にまだ気管へ穴が開いていたそうで、その穴にワシは何度も指を入れようとしたらしく父が驚いて止めたと言っていた。

この生まれ故郷の小さな町には、大きな神社のそばで開催される地方競馬の出店や祭りなど忘れらない楽しい想い出が沢山残っている。

5歳になり両親の住む東京、立川へ呼ばれ半年程、住んでいた記憶がある。 風呂もない3階建ての狭い宿舎に移り、生まれて初めて銭湯に行った。 温泉とは違う、田舎にはない都会の文化だった。
立川での想い出はそれほど多くない。幼稚園に行ったのか行かなかったのかほどの記憶しかない土地だった。


小学生に上がる少し前に自衛隊の駐屯地のある目黒区に移った。
そして、ここからワシの新しい東京での人生が始まった。

(以下次号)


自衛隊と言えば:


地球を守るウルトラマンの職業は何?と聞かれた年長組のショー君、
胸を張って、
「自営業でしょ!」








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Last updated  2011.10.17 05:06:46
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